初めまして
速水 桐花の部屋と思われる扉を開けると、そこはなんの変哲もない『女の子』の部屋であった。
もう少し腐女子的な部屋をイメージしていただけに、正直少し意外だった。
これでは、自分の部屋のほうが余程腐女子をしているように思える。
(まあ、家族に隠したいという気持ちもあるでしょうし、普通はこんなものなのかもしれませんがね…)
自分の場合、内装などについては結構好き勝手やらせてもらっている。
その理由は、部屋に誰も入れないように仕掛けを施しているからだ。
誰も、というのは文字通り誰もであり、両親とて例外ではない。
少し悪い気もするが、両親には簡単な思考誘導の術を施させてもらっていた。
今世での私と両親の関係は良好だと言っていいが、私の行動や趣味に対し、詮索や妨害をされるのは正直煩わしい。
ウチはなまじ財力があるせいで、詮索されだすと金にものを言わせ始める事が多く、対処が一々面倒なのである。
悪い人達では無いのだが、あの悪癖だけはなんとか止めさせたい所だ。
(さて、隠すなら押入れや机の中でしょうが、あの女の場合はどうでしょうかねぇ…)
速水 桐花はサイコパスのひとつとされる『空想虚言者』である。
『空想虚言者』は一般的に、社交性が高い人物に多いとされるが、家庭環境や持って生まれた精神性によっては誰でもなり得る可能性を秘めている精神病質…らしい。
速水 桐花の場合は特殊なケースと言えるようだが、妄想を現実に重ねるという点においては変わらず、厄介な存在だ。
特に、彼女の場合は自分の中に確固たる世界を持っており、それを守るために自ら動く行動力がある。
このまま放置しておけば、いずれマスターの障害になる可能性も無くはない。
(ですので、悪いですがプライベートな場所だろうが、容赦なく探査させてもらいますよ…)
部屋中に魔力を浸透させる。
一種のソナーのようなものだが、反響定位のように物体を探知する用途は無い。
これは魔力感知の一種であり、魔力そのものを探知する魔術である。
(…やはり机と、パソコンですか)
反応を示したのは机の引き出しと、その中にしまわれたノートPCであった。
机には鍵がかかっていたが、私はそれを難なく解錠し、中のPCを取り出す。
「ふむ、中々年季がはいってそうですねぇ…。ちょっとした呪物並みかも…?」
魔力を持たないはずの無機物から反応が出る理由は、これらに対する使い手の強い念が宿っているからである。
この世界の人間は魔力をほとんど持たないが、完全にゼロというわけではない。
そして、そんな僅かな魔力でも、なんらかの強い思いを持って使い続ければ、どんな物でも必ず魔力を帯びてしまうのだ。
私はその反応を利用し、彼女の執着するモノを探し当てたのだが、ここまで魔力が篭っているのであれば注視するだけでも見つけられたかもしれない。
「電源を入れて…と、流石にパスワードは設定していますか」
昔はパスワードなど設定しない者も多かったようだが、今の世の中は流石にそういった者も減りつつある。
彼女のような偏執的な人間であれば、当然の防衛処置と言えるだろう。
「まあ、無駄ですがねぇ」
実際の所、BIOSレベルでの操作が可能な人間であれば、このようなパスワード設定がされていた所で突破は難しくない。
しかも、今回は静子さん特製のツールを仕込んだUSBを用意しているため、素人にはログインされた事すらわからないだろう。
「さて、無線も繋がってるし、あとは静子さんに連絡を…………?」
準備が整ったことを伝える為にスマホを操作しようとして、あるモノの存在に気づく。
「日誌…?」
PCの保管されていた引き出しに、一緒に入れてあった日記帳。
重ねてあった為気づかなかったが、よく見るとこちらもPCに負けず劣らずの魔力が宿っている。
私はとりあえず静子さんに合図を送りつつ、日記帳に目を通してみることにする。
他人の日記を覗き見るのは良い趣味ではないが、容赦しないと決めた以上、遠慮するつもりはなかった。
日記帳には、ごくごく普通の、他愛のない内容が書かれていた。
帯びている魔力から、何かとんでもない事が書かれているのではと期待していたのだが、ここまで普通だと拍子抜けしてしまう。
まあ、期待外れというのも変な話かもしれないけ…、ど…?
流し読みしていた手が止まる。
ある日を境に、内容に変化が見られたのだ。
年月日を確認すると一年以上前のようである。
一年以上前という事は、まだ彼女が中学生だった頃である。
それは、本来であれば私の知らないはずの時期である筈なのだが、つい最近、速水 桐花についての調査報告を聞いていた私には、心当たりがある日付でもあった。
「これは…、少々不味いかもしれませんね…」
◇
「ま、まぁ、その…、座りな…よ?」
津田さんは引きつった笑顔を浮かべながら、俺に座るよう催促する。
若干思考停止気味の俺は、促されるまま津田さんの正面の席に座った。
「「………」」
暫しの沈黙が流れる。
その沈黙が津田さんにはに耐え難かったのか、急に立ち上がって頭を下げてきた。
「ごめん! こんなウィッグまで付けて悪ふざけして!」
「ウィッグ…? ああ、それで黒髪のロングに変わっていたのか…」
津田さんの髪は本来金髪寄りだし、髪型も少し長めのショートボブであった。
それが急激に変化していたのは、ウィッグ――つまり『かつら』を使用していたからだったらしい
…しかし、こうして見るとどこか清楚なように見えるのだから、髪の毛の印象とは中々に強いものだな…
「頭を上げてくれ。少し驚いたけど、別に怒ったりしてないから」
テーブルに頭が付きそうなくらい深く頭を下げる津田さんを、俺はなだめて座らせる。
女子高生に頭を下げさせる絵面も不味いが、それ以上に角度が色々とヤバイかったのだ。主に谷間的な意味で。
「しかし、どうしてこんな事を?」
「あ、えっとね…、今日は、はやみんと帰っててね? それで、ここで神山と待ち合わせてるって聞いたんだけど…」
津田さんは、ウィッグをカバンにしまいながら俺の問に答える。
ひょっとして、あれは自前なのだろうか…?
「はやみん、急に用事を思い出したらしくってさ…。しかも、神山の連絡先も知らないらしいじゃん? だから、私が説明しておくよって流れになって…」
「成る程ね…。じゃあ、そのウィッグは?」
「これは、私がバイトの時に使ってるヤツなんだけど、ちょっと悪ノリしちゃって…。その、ごめん…」
どうやら、本当に自前だったようだ…
確か、彼女のバイト先は喫茶店だった筈だが、コスプレ喫茶か何かなのだろうか?
…少し見てみたい気もするが、今は置いておこう。
ひとまず、状況については大体理解できた。
言っていることにもおかしな部分は無いように思える。
だと言うのに、なんだろうか…? この違和感は…
「さっきも言ったけど、全然気にしてないよ。むしろ貴重な一面を見れて得した気分かな」
「っ!? 得って…、なんで? 別に、そんな大したもんじゃないでしょ?」
「いやいや、そんな事無いよ。正直、一瞬どこのお嬢さんだろうって思ったくらいだしね。写真とか撮っていいかな?」
「なっ!? 何言ってるの神山!? ダメ! 絶対ダメだからね!」
慌てふためく津田さんは中々に可愛らしい。
しかし、都度ダイナミックに揺れる胸は、可愛いと言うよりむしろ凶暴と言えるかもしれない。
「っ!?」
俺の視線に気づいたのか、胸を抱くように隠し始める津田さん。
流石に無遠慮過ぎたか…
あのサイズの胸は、一重や一重のお母さんのを見慣れている俺には耐性があると思っていたが、どうしても目が行ってしまうな。
もしかして俺は、本当におっぱい星人とやらなのだろうか?
「神山って、やっぱおっぱい星人なんだね…」
「…よくわからないが、俺もそんな気がしてきた」
「そんな気がしてきたって…、ぷっ、何言ってるの? 自分の事じゃん?」
「いや、そうなんだが、津田さんの胸には気づくと目が行ってしまうんだよ…。一重相手でもこんな事はないのに、何故なのか俺にもわからないんだ…」
「…え?」
ん? 俺の言葉を聞いて、何故か津田さんが固まってしまった。
…いや、男にどうしてもキミの胸を見てしまうんだなどと告白されたら、普通の女性はドン引くか。
いかんな、やはり俺はまだ動揺しているのかもしれない。
「いや…、その、すまない。こんな事を言われても、気持ち悪いよな…。これからはなるべく見ないようにするから…、その、許してくれないか?」
「うえっ!? いや、違くて! 気持ち悪いとかじゃなくて! この前、私の胸が大好きって言ってたからさ? 本当に好きなんだなって思ったら少し驚いちゃってね!?」
ああ、そっちか…
確かに以前、俺は津田さんの胸を大好きだと口走ったことがある。
しかしアレは、よくよく考えれば危ない発言だったな…
折角の機会だし、ここで訂正しておくか。
「…その事なんだけど、…っと、ちょっと失礼」
訂正しようとした途端、俺のスマホに連絡が入る。
中々にタイミングが悪い…、っと麗美か?
「っ!?」
麗美から発信されたSNSのメッセージに目を通し、俺は目を見開く。
こんな事をしている場合じゃないな…
すぐにでも直接話を聞いた方が良さそうだ…
「津田さん、すまない…。俺も急用が出来てしまった。この埋め合わせは今度必ずするよ」
「いや、私は別に…。そもそも私の用事じゃなかったし、ね?」
特に何か頼んだ様子は無いが、俺は一応財布から千円札を取り出し、津田さんに手渡す。
「え!? いいよ!? だって神山、何も頼んでないじゃん!?」
「そうだけど、これはまあ、お詫びだと思って受け取ってくれ。こんな遅い時間まで付き合わせちゃったしね」
俺が直接付き合わせたわけではないが、こちらの事情に付き合ってくれた事は間違いない。
そんな彼女を送りもせず、俺は去ろうとしているのだから、せめてこのくらいはさせて貰いたい。
「そ、そんな事気にしなくても平気だって! ほら、私って見ての通り私って結構遊んでるしさ! これくらいの時間、別に慣れっこだよ!?」
「…ん? なんでそんな嘘を吐くんだ? 津田さんは、バイト以外の日は弟さんのお迎えくらいしかしてないじゃないか」
「うぇ!? なんで知ってるの!?」
「あの保育園は近所だし、帰り道によく通るんだよ。だから津田さんの事はたまに見かけてたんだ。本当は、今日もお迎えだったんじゃないのか?」
「いや、今日はお母さんが…、ってうわぁ、見られてたのかぁ…。恥ずかしいなぁ…」
顔を赤らめて俯く津田さん。
よくわからないな…。何故恥ずかしいのだろうか?
「なんで恥ずかしがるんだ? 立派だと思うけど?」
「いや、だってさ…、私この見た目だし、遊んでそうじゃん? なのにそんなとこ見られるとかさ…、恥ずかしいじゃん」
やはりわからない。
これはジェネレーションギャップというヤツだろうか?
それとも、この世界の若者はこれが普通なのか?
「…俺は別に、恥ずかしいとは思わないけどな。津田さんは何かと面倒見いいし、弟思いだし、遊んでそうだなんて全然思わないよ。バイトしてるのだって家族の為なんだろ?」
「っ!? なん、で…?」
「っと、それどころじゃなかったな…。じゃあ津田さん、気をつけて帰ってね! また学校で!」
俺は放心気味の津田さんを放置し、店から飛び出す。
同時に人気のない場所を探し、軽く人払いの呪を施す。
(さて、一体何が起きたと言うんだ…)
麗美からのメッセージは緊急事態発生! とだけ書かれていた。
それだけを書いた、という事は詳細は電話で話したほうが良いという事だろう。
俺はアドレス帳から麗美の名前を選択し、通話ボタンを押した。
◇
麗美さんからの連絡を受け、私は速水 桐花のPCへと侵入を試みる。
対象の端末をこちらで握っている以上、侵入することは実に容易いことである。
そして、私は瞬く間に彼女の核心へと至ることが出来た。
「成る程…、そういう事ですか」
その時、背後で扉が開かれる音が聞こえる。
「…初めまして山田さん。私は、速水 桐花と申します」
振り返るとそこには、薄暗い夕闇の中笑顔を浮かべる、速水 桐花が立っていたのであった。




