可愛くて、少しあざといサイコパス
「…おはよう、速水さん。何か用かな?」
心の準備はしていたつもりだが、いざ声をかけられると少し緊張をしてしまう。
女性はこういった機微に鋭いと言うし、この程度で動じては作戦に支障をきたす可能性がある。
俺は迷わず精神安定の魔術を使うことにした。
「あ、ごめんなさい…。私ったら、また挨拶もせずにいきなり…」
そういえば、以前も速水さんは、こんな風にいきなり声をかけてきたように思う。
この件の発端となった、あの日のことだ。
「いやいや、そんな畏まらなくても良いよ」
「ううん、挨拶は大切だから…。おはよう、神山君。いきなりでごめんね? ちょっと気になることがあって、どうしてもお話がしたくて…」
「構わないよ。それで、どうしたのかな?」
速水さんは、どうやら一つのことに集中すると他のことに気が回らなくなるらしい。
普段は挨拶も欠かさず、細かい気遣いが溢れているというのに、自分の事を話し出すとそれが疎かになる。
ここ数日の調べでわかったことだ。
別にそれは些細な事と言えるし、一々細かいと思われるかもしれないが、彼女には精神病質者だという疑いがある。
それを意識すると、こんな細かな特徴でもその可能性と結びつけてしまう。
決めつけは思考する上で罠となり得るが、この誤解を招きそうな言動といい、態度といい、やはり…
「あ、あのね、また、場所を変えてもらっても良いかな?」
「わかった。じゃあ、またあの場所で」
「う、うん」
教室内は以前と同じように、色々な想像が飛び交っている。
相変わらず俺はクラスメートの中で鬼畜野郎扱いのようだが、今日は魔術の効果があるので凹む程ではない。
うん…。凹んでなんか、いないよ…?
◇
「それで、今回の話は何かな?」
「…うん、あの、ごめんね…。また呼び出すようなかたちになっちゃって…。でもその、やっぱりどうしても気になっちゃって…」
もじもじと指を絡める仕草は、その容姿とも相まって中々に男心をくすぐる。
俺じゃなきゃ見惚れちゃうね!
…じゃなかった。観察すべきはそこではない。
俺は彼女の仕草、視線、そして感情の流れを読み取るのに集中する。
「いや、大丈夫だよ。むしろ速水さんの方が心配かな。俺なんかと二人で話してると、変な噂をされてしまうかもしれないし」
「え、え!? 変な噂って…、私と!? そ、そんな事無いよ! だって…、だって、神山くんには今、彼女が、いるんだよね?」
顔を赤らめて否定をする速水さん。
それでいながら、スムーズに話を繋いできた。
不自然な素振り、感情は、一切無かったと思う。
ここには教室と同様、予め麗美に仕込んでもらった結界が張ってある。
視線感知、感情感知、それに加えて人避けなどだ。
その情報は俺にもフィードバックされるようにしてあり、速水さんの動向は逐一チェックをしている。
しかし、その感知には何の異常も検知されなかった。
つまり、彼女の言動や少しあざとい仕草、視線には、演技や偽証など無いということである。
「…もしかして、それが今回聞きたかった内容かな?」
「う、うん」
「…確かに、俺は今、静子と付き合ってるよ。ただその、この事はみんなには秘密にして欲しいな。前回と同じように、ね」
俺の台詞に、速水さんの感情が少し揺らぐのを感じる。
予想よりも振れ幅が小さいのは、予測をしていたからであろう。
しかし、まずは反応が得られただけでも良しとしよう。
激しく動揺されたり、逆に全く動揺されないより遥かにマシだからな。
「別にそれは構わないけど、多分みんな気づいてるよ? …でも、やっぱり…、そうなんだね…。じゃあ、尾田君や雨宮さんとは…」
「前にも言ったけど、俺と尾田君はそんな仲じゃないよ。ちょっと行き過ぎていたかもしれないけど、彼とはただの友達さ」
「それは…、ううん、神山君にも色々と事情があるんだろうし、あまり口にはしたくないのかもしれないね。でも、私にはその…、隠さないで欲しいかな。私、ちゃんと誰にも言ってないよ? 二人だけの秘密だって言うから、ちゃんと守ったんだよ?」
目を潤ませ、訴えかけるような視線をぶつけてくる速水さん。
やはりそこには演技や偽証など無く、正真正銘素でやっているようである。
恐ろしいな…、なんでこの娘に彼氏がいないのだろうか…?
いや、中身がこんなんだからか…
「…事実だよ。俺と尾田君はそんな仲じゃない。一重とだって、ただの友達なんだけどな」
「う、嘘だよ! だって神山君と雨宮さんは絶対普通の友達なんかじゃない! そんなの誰だってわかる!」
速水さんの語調が少し強まる。
こちらを非難、疑うような感情が漏れ出ているが、これも演技では無いだろう。
「…確かに、ただの友達っていうのは少し違うかもな。俺にとって一重は何よりも大切なものだし、家族みたいなものだからね。でも、決して恋人ではないよ」
もちろん、これは嘘偽りのない本音である。
まあ、この前は危うく手を出しかけたし、今後もこの気持を貫けるかは、正直不安なのが…
「そ、そんな…、じゃあ尾田君や、如月君、それに杉田さんは…?」
「尾田君も友達だよ。高校に入ってから初めての友達だし、親友と言ってもいい。如月君とは、まあ、少し縁があってね…。一度彼を助けるような出来事があって、それ以来仲良くしてもらっているんだ。麗美については…、実は小学校が同じだったんだよ。昔は結構仲良く遊んでいたんだけど、彼女が転校してからは疎遠になってね。それが偶然、この学校で再会したというワケだよ」
予め用意していた答えをスラスラと口にする。
演技力はイマイチだが、記憶力には自信がある。台詞の暗記はバッチリだ。
「それは…、嘘だよ…。だって如月君言ってたよね…? テクノブレイクを教えてって…。尾田君も、俺もにも聞かせろって…。そんな話、普通の友達同士がするかな?」
「テク…! ま、まさかあの時の会話を、聞いていたの?」
「う、うん…」
こ、これは想定外だったな…
まさか、あの時の会話を聞かれていたとは…
以前部室で如月君から、一重の魔術『テクノブレイク』について教えを請われた事がある。
その際尾田君も、軽いノリで「俺にも聞かせろよ」と問い詰めて来たのだ。
アレを聞かれたという事は、少なくともあの時、部室の近くで速水さんが聞き耳を立てていたということになる。
まさか、あの段階で既に速水さんのストーキング行為が始まっていたとは…
「…恥ずかしい会話を聞かれてしまったな。…いや、でもあれって確か、部活の時じゃなかったっけ。何で速水さんが?」
俺は少々演技を入れつつ、速水さんに追及する。
勿論、動揺を誘うのが目的である。
…ただ、本人に隠すつもりがあれば、そもそもこんな質問はしなかっただろうが。
「それは、ごめんなさい…。あの時私、急に登場した如月君が何者なのか気になって、色々と調べてたの…。そしたら『正義部』の部室から、如月君のそんな声が聞こえてきて…。聞き耳をたてるつもりじゃなかったの…。本当だよ?」
登場、ね…
普通に使うには、少々おかしな言葉選びである。
それに、探っていたこと自体も、どうやら隠す気が無いようだ。
その時点で既に異常であるという自覚が、彼女には無いのかもしれない。
「成程ね。まあ確かに如月君の声も大きかったし、誰かに聞かれていてもおかしくは無いか…」
如月君には既に厳重注意をしてあるが、あれは確かに迂闊だった。
魔術の話をするのも問題だが、それ以前に大きな誤解を生むからである。
『兄者! 俺にもテクノブレイクっていうのを教えてくださいよ!』
うん、絶対誤解されるね。
魔術の話抜きでも、部室の盗聴対策は万全にしようと俺は誓った。
「でも意外だったな…。まさか、速水さんがあのゲームを知っていたなんて」
「え…? ゲーム…?」
「あれ、ゲームの話じゃなかった?」
俺がそう返すと、速水さんは突然あたふたとし始める。
流石の速水さんも、こう返されたら誤魔化すしかないようだ。
そういう面は普通の女子みたいで、少し安心する。
「っ! その、ごめんなさい! 聞き違いだったのかもしれない!」
速水さんは顔を真赤にして謝ってくる。
ちょっと意地悪だったかもしれないが、動揺してくれたお陰でなんとか誤魔化せたようだ。
…誓って言うが、テクノブレイクについて説明させるつもりがあったワケでは無いぞ?
「…そ、そう、それなら俺達も安心かな。あまり女子の前でするような話じゃないからね」
さらに、これ以上この話はしたくないような雰囲気で予防線を張る。
そういった文化に足を踏み込んでいる速水さんなら、こう言えば自然に察してくれるだろう。
「う、うん。私も、注意するね…」
注意するのはむしろコチラだと思うのだが、納得してくれたようなのでいいか…
「…気になる事ってのは、もういいのかな?」
「う、うん、…。あ、でも最後に一つ聞かせて? 神山君にとって、尾田君は、大切な人って事に変わりは無いんだよね?」
「ああ、もちろんだよ」
「…そう。それなら、安心した。ごめんね、わざわざこんな風に時間取ってもらって…。ありがとう、神山君」
「全然構わないよ。これからも、何か聞きたければ遠慮なく聞いて。…それじゃあ、今回は俺が先に戻るね?」
まあ、一緒に教室を出たので無駄かもしれないが、一緒に戻るのもなんだか気が引けるからな…
「う、うん! また教室で!」
バイバイ、と可愛い仕草で手を振る速水さん。
作戦は、ひとまず成功と言っていいだろう。
想定外の内容はあったが、データ自体はしっかりと取ることが出来た。
(しかし、予想通りとはいえ、難儀なものだな…)
今回の会話で、俺は彼女の世界に少しでもヒビが入る事を期待していた。
しかし、残念ながら彼女の世界は未だ健在のようである。
そんな簡単に解決出来るとは思っていなかったが、今後の対応を考えると少し気が重くなった。




