まずは沢井君のお家へ
「和也ぁー!」
…なんだ?
厳重に施錠されたドアの向こうから、自分を呼ぶ声が聞こえる。
聞きなれた母の声…、しかし、あんなに大きな声を聞いたのは一年ぶり位であった。
一年前のあの日、俺は母を拒絶した。
母だけじゃない…。父を、弟を、全ての人間を、俺は拒絶したのだ。
暴言を吐き、物に当たり散らし、干渉してくる奴には容赦なく暴力を振るった。
結果として、俺に関わろうとする者は居なくなった。
唯一、母だけは今でも話しかけてくるし、飯も運んできてくれるのだが、形式的な挨拶をするくらいでほとんど会話は無い。
それが今日に限って、何故あんな風に俺を呼ぶのか…?
まあ、いいか。俺の態度はいつもと変わらない。無視である。
正直、こんな生活をしている為、家族に対して罪悪感はある。
しかし、それでも俺は人と関わりあいたくないのだ。もう、あんな思いはしたくない…
「和也ぁーーー! お友達が来たわよ!」
友達? そんなものはいない。
学校に通っていた頃も、本当にそう呼べる存在など居なかった。
だから、母の言っている事が嘘である事は間違いない。
じゃあ、一体何故友達が来たなどと言うのだろうか?
まず最初に頭に過ったのは、俺をおびき寄せる為の罠なんじゃないか? というものだ。
しかし、この一年、そんな罠を仕掛けられたことは一度たりとも無い。
今更そんな事をする可能性は低いと思える。
となれば、もしや本当に俺を友達だと騙る何者かが尋ねてきた…?
まさか、あの女が…?
いやいや、それは恐らくないだろう。
あの時、あの女は、俺に対する興味を完全に失ったような目をしていた。
今更関わってくるとは思えない。
今でも時折、恐怖からあの女のSNSを確認する事があるが、特に気になるつぶやきはされていなかった。
ならば、他の同級生だろうか?
…いや、それはもっとあり得ないだろうな。
同級生の中に、わざわざ俺に会いに来る奴が居るとは思えない。
…となると、もしかして特定されてしまったのか?
俺は慌ててマウスを操作し、愛用している動画サイトを立ち上げる。
そして、目を皿のようにしてコメント欄を読み漁る。
「炎上はしていない、よな?」
安堵から、つい独り言を言ってしまう。
気を付けてはいるのだが、引きこもり生活を続けているとどうしても独り言が増えてしまいがちだ…
俺は気を取り直して、まとめサイトやブログなどを覗いてみるが、やはり俺の事は話題になっていない。
安心するのと同時に空しさも感じるが、念入りにエゴサーチをしたワケでは無いのでダメージは少ない。
…しかし、そうなると本格的に思いつかないぞ? 一体誰が来たと…
「和也ぁーー! 上がって貰ったから、ちゃんと部屋に入れてあげなさいよぉー!」
っ!?
今、母は何と言った!?
上がって、貰った、だと…!?
バカな!? そんな得体の知れない奴を家に上げるなど、どうかしているぞ!?
本当に母はどうしてしまったのだ!?
俺が混乱し、あたふたとしている間にも階段を上る音が近付いてくる。
それも一人じゃない、複数人の足音が聞こえる。
そして、その足音が俺の部屋の前で止まった。
俺はゴクリと唾をのみ込み、ドアを凝視する。
「…………」
少しの沈黙を破り、ドアがノックされた。
「沢井君、僕、谷中だけど、中に入れてくれない?」
谷中だと!? いや、絶対違う! それだけはあり得ない!
あんな真似をした俺に、アイツが会いに来るはずが…
いや、まさか…、復讐…、か?
そんな想像が一瞬頭を過るが、すぐにかぶりを振る。
違う、そんなワケが無い! アイツは気弱な人間だ…
絶対にそんな事、出来るはずが無い!
「う、嘘を吐くんじゃねぇ!? 誰だよお前は!」
威嚇するつもりで発した言葉は、上ずって情けなくかすれてしまう。
笑われるのを覚悟したが、返ってきたのは淡々とした答えだった。
「まあ、冗談だよ。さて、沢井 和也君、今日は君に、速水 桐花さんの話を聞かせて貰いに来たんだ。とりあえず、中に入れて貰えないだろうか?」
速水だと!? まさか、本当に元中の奴なのか!?
少なくとも、男の声に聞き覚えは無かった。
いや、家族以外の肉声など一年以上聞いていないのだから、正直記憶は当てにならないが…
「ふ、ふざけんじゃねぇ! お前、一体何者だよ!? 部屋になんか入れるワケねぇだろぉが!」
誰だと問うてはみたが、コイツが誰であろうと最初から部屋に入れる気など欠片も無い。
しかも速水の名が出たという事は、間違いなく厄介事だろう。
俺はドアからも離れ、身を護るように布団に包まる。
(勘弁してくれ…。俺は、アイツとだけは絶対に関わりたくないんだ…)
ドアの前の男は、俺の問いに答える様子が無い。
少しの沈黙の後、代わりに返ってきた答えは…
「では、勝手に入らせて貰おう」
であった。
(は、はぁ? ま、まさか、こじ開ける気か!?)
この部屋の鍵は通販で購入した頑丈な物を使用しており、三重に掛けられている為、解錠は困難である。
もし本気で入ろうとするのであれば、強引にこじ開けるしかない筈。
俺は慌てて布団から飛び出し、ドアを押さえ込もうとする。
ガチャリ…
しかし、その直前で、部屋の鍵はあっさりと解錠されてしまった。
「……へ?」
ドアが開く。
そこには、二メートル近い巨大な男が立っていた。
「よぅ…、沢井?」
――俺は、小便をちびった。




