20)伝説の男たち
少々予定を変更して「北の砦」のお話にしました。
いやもう、本当にスミマセン。下世話すぎる小話です。良識ある婦女子の皆さまには大変申し訳なく……。それでは、どうぞ。
さて、ユルスナールとゲオルグが、リョウの暮らす森の小屋に出掛けてから数日。団長なき北の砦では、いつも通り若き兵士たちの厳しい訓練が行われていた。
基礎的な体力づくりに剣を使っての型の確認、素振りに一対一での立ち会い。より実践的な一対複数での立ち会い。そして、最後は拳同士による肉弾戦の訓練等々、各人の得手不得手を鑑みながら、朝から晩までみっちりと扱かれるのだ。
束の間の休憩に多くの兵士たちの姿が水場にあった。そこで喉を潤したり、滴り落ちる汗や体に付いた泥の類を落としたりする。火照った体を冷やす為に頭から水を被る者さえいた。
「相変わらずエグかった」
その台詞の割には、達成感に満ち、白い歯を見せて笑ったのは、この北の砦では年齢的に下から数えた方が早いオレグだった。若く屈強な肉体を誇る兵士たちの中でも恵まれた大きな体を持つオレグを傍にいたピアザが早速小突いた。
「よく言うぜ。人一倍楽しんでた癖に」
そう言うピアザもすっきりとした顔をしている。
「まぁな」
痛めつけるほどに体を動かすことは快感ですらある。厳しい訓練をこなす兵士たちにとって、毎日の習慣は、最早なくてはならないものになっていた。
水場の周りでは其々兵士たちがタオルを片手に吹き出した汗を拭い、冷たい水で顔を洗ったり、泥に塗れた手を洗ったりしている。
彼らの顔は皆一様に晴れやかだった。大いに体を動かした後の疲労感も流した汗と共に清涼感に変わるのだ。それが、脳に快感として認識されているのだろう。
そんな中、不意に一人の兵士の目が、水場から少し離れた所にある物干し場の方へ流れた。
前髪を跳ね上げた額には汗が幾筋も滴り落ちていた。早朝、洗濯を終えた兵士たちのシーツやらシャツやらズボンやらが、そこには風を孕んで翻っていた。今日も南東の方角から気持ちのいい風が吹いている。
「そういやさぁ」
赤茶けた髪をすっきりとまとめ長くなった部分を小さく編んでいたセルゲイ(お調子者だが意外に手先が器用な性質であることが分かる)は、その沢山の洗濯ものを見ながら徐に口を開いた。
「隊長とリョウってさぁ、やっぱ、もう、そういう仲ってやつなんだよな?」
「あ?」
いきなり脈絡のない話が始まるのはいつものことである。
セルゲイの目線の先を追ったラスコイは、うねった柔らかな明るいくせ毛を水で湿らせながら、直ぐにその言わんとしていることが理解出来たのか、仲間の問い掛けに鷹揚に合槌を打った。
「だろうな」
そこに周囲に屯っていた兵士たちが加わった。
「ま、据え膳だしな」
「正式な婚姻まで待ってる訳はないだろ。隊長に限ってさ」
「ああ。生殺しはきついだろうし?」
「だよなぁ」
一頻り納得した後、不意に呑気な所のあるモーイバが顔を上げた。
「てかさ、いつからだろ?」
「さぁなぁ。そんな素振りなんか無かったしなぁ」
アンドレイが肩を竦めれば、
「つーかさぁ、誰も女だなんて思わなかったじゃん?」
ミーチャが合槌を打つ。
「ああ。まずそこだよな。前提からして頭になかったわけだし」
そうやって若者たちが休憩の合間、思いつくままに現在この砦を留守にしている団長とそのお相手の噂をしていれば、腰に佩いた長剣の柄に手を置きながら、同じような清々しい顔をしながらも無精ひげを生やしたむさ苦しい匂いのする大柄な男がやってきた。北の砦の中でも名物男と目されて多くの兵士たちから慕われているブコバルである。
その男の登場をここにいる仲間たちが放って置く訳はない。
「ああ、ブコバル!」
「んぁ?」
ユルスナールといつも行動を共にしている幼馴染であるならば、リョウと隊長の馴れ初めを詳しく知っているだろうと思ったようだ。何よりもこういう男女間の色のついた下世話であけすけな話が大好きな男である。ここで聞かない手はないだろう。
ブコバルの登場にセルゲイやラスコイを始めとする多くの兵士たちが喰いついた。
「隊長とリョウってさぁ、いつから、そういう仲になったんだ?」
真っ先に先陣を切ったズィーフの問い掛けに、
「ああ~? そうだなぁ~」
ブコバルは、緩く流れるように癖の付いた茶色の髪をがしがしと掻いた後、無精髭が生えた顎を摩った。
「【プラミィーシュレ】ん時だから、もう四月は前か?」
それは、兵士たちにとって意外な返答であったようだ。
「えっ、てことはさ、この間、ここにいた時にはもうそうだったってことか?」
ラスコイが素っ頓狂な声を上げた。
ユルスナールやブコバルたちが武芸大会に参加する為に王都へ旅立つ前、暫くリョウがこの北の砦に滞在していた時期があった。なんでも副団長のシーリスからこの国の事を教わるのだとかで色々と勉強を見てもらっていたようだ。
「ああ、だな」
頷いたブコバルに、周りにいた他の兵士たちが一斉に驚きの声を上げた。
「マージかぁ」
「全然、気が付かなかった」
「ああ」
「どうしたんだ、急に?」
水場に集まった若者たちをブコバルはからかうように流し見た。
すると兵士たちは互いに顔を見交わせて、なにやら意味深に頷き合った。彼らの中では何がしかの一致する認識があるようだ。
「いやさぁ、リョウって、すっげぇ細っせぇだろ? 小せぇし」
口火を切ったセルゲイに周りにいた連中は、一々頷きを返した。
「だから、あっちはどうなんだろうって? ほら、やっぱ、気になるだろ? なぁ?」
そこで妙に口の端をだらしなく下げて、同意を求めるようにセルゲイが隣を流し見れば、ピアザが身を乗り出した。
「おうおう。実はそれ、俺も気になってた。だって隊長だぜ?」
「ああ。シビリークス伝説ってやつ?」
訳知り顔で言葉を継いだオットーに、
「あ? 何だそれ?」
額際に傷のあるリャザンが訝しげな顔をした。
「はいはい! 俺、知ってる!」
すると、オレグがここぞとばかりにしゃしゃり出て、挙手付きで嬉々として大きな声を上げた。
「あれっしょ、ほら。隊長の家の男たちは代々すげぇっていう伝説」
「あ?」
余りに言葉を端折り過ぎて要領を得なかったのだろう。どこかおっとりとした所のあるモーイバは、頭の回転がそこまで早くなかったようで、訳が分からないというように顔を顰める。
「シビリークス伝説?」
隣にいたリャザンも分からなかったようで首を捻った。
「なにそれ?」
そう言って隣にいたオレグを見遣れば、図体と態度だけは大きな下っ端兵士は、『グフフフ』と一人、妙な笑い声を喉で鳴らしながら、集まった兵士たちを意味深に流し見た。
「だよな、ブコバル?」
そして、同意を得るべく隊長の幼馴染を見たのだが。
ブコバルは何とも言い難い微妙な顔をして、その柔らかい茶色の髪をがしがしと掻き上げながら、その話を引き継いだ。
それによると。
ブコバルとユルスナールがなんだかんだ言いながら仲が良いのと同じように、時代を幾代か遡っても、北を守護するシビリークスと西を守護するザパドニーク、両家の男たちの間は、奇妙な友情とも言うべき腐れ縁的な絆で結ばれていたようで、これは当代の当主たち(イェレヴァンとファーガスのことだ)から見て、先代、いや先々代、ブコバルやユルスナールたちの曾爺さん辺りの話であると言う。
その先々代のザパドニークとシビリークス、二人の独身時代の頃の豪快で奔放過ぎた逸話に由来するのだとか。
常に仲が良く、互いに切磋琢磨する良き好敵手であった二人は、勉学、剣の腕前を競うに飽きると、今度は、どちらがより男として優れているかを競うに至った。平たく言ってしまえば、どちらがより女を喜ばせることが出来るかという下らない勝負を大真面目にやったらしいのだ。
花の独身時代を謳歌していた二人は、当時の開放的で自由闊達な気運もあったのだろうが、王都でも人気の高かった有名娼館を二人で借り切って(金持ちのやることはやはり違う)、女たちに代わる代わる相手をさせ、そこの娼妓たちにどちらが男として優れているかの優劣を判断してもらおうとしたのだそうだ。
だが、終いには勝負などどうでもよくなって、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。何とも型破りな豪遊をしたらしい。その真実の程はともかく、その時の話が脚色され、花街では未だに二人の豪快で型破りな遊興ぶりが語り草になっているのだとか。その時、相手をした女たちからシビリークスの旦那の方がすごかったという話が出て、それに尾ひれえひれがついたのだろう。それが、花街の女たちと王都の一部の貴族や、その娼館に出入りする男たちの間では伝説のように語り継がれていたということだ。
一晩で館中の娼妓全ての相手をしたのだとかいないとか。そんな話しさえあるぐらいだ。
それはともかく。その時の逸話を下敷きに、現在に至っても西も北も軍部に属し、果ては将軍を拝命する美丈夫を輩出し続ける家柄であるから、皆、若かりし頃は大いに持て囃されて、特に西の方は社交界でも浮名を流していることで有名だ。
以上のことを総合して、きっとあちらの方も【推して知るべし】ということで、この両家の男たちは特に精力的に違いないという話になったのだ。
実際、シビリークスの家に嫁いだ娘たちは、その辺りの事を先達から色々と含まれるとかいないとか、そのような女特有の情報網(お茶会やらである)から漏れ聞こえる話も相まってか、妙な信憑性を生んでいたのだ。
西はともかく、北の方では、軍人らしく好色とは正反対の抑制された威厳を普段から感じさせるものだから、その奥に潜むもう一つの顔に色々な憶測が生まれたのかもしれない。
まぁ、男の側からしてみれば、それは即ち【男性性】や【力強さ】の象徴であるから、その事を褒めそやされて悪い気はしないだろう。寧ろ誇りに思うぐらいかもしれない。
そんなこんなで、シビリークス家の男たちは代々非常に精力的である。もっと言ってしまえば絶倫であるというような見方をされているらしい。
騎士団の兵士たちは、皆、入団から二年間は王都で見習いとして研修を受け、その後、各部署に配属が決まるので、北の砦の兵士たちも王都の見習い時代にその辺りの噂の切れ端を耳にしたということなのだろう。
ブコバルの話を聞きながら、兵士たちは、以前、共同浴場で一緒になった隊長の身体つきを思い出していた。そして、さもありなんという気になっていた。
また、その相手となる女性というのが、これまたえらく細かったのだ。この国の一般的な女たちのようにふくよかで大きな臀部を持つ女ならば、気にならなかったのかもしれない。
周りがとやかく言うのは大きなお世話以外のなにものでもないのだが、それでも純粋な興味半分、大丈夫なんだろうかという心配の気持ちが出てきてしまったのだ。
成長期の入り口にやっと立ったばかりの少年のような華奢な骨格だ。そんな小柄な女性が、あのように立派な体躯を誇り、体力も有り余る男に組み敷かれているかと思うと………それはそれで、そういう趣向の持ち主には堪らないことなのかもしれないが………いやいや、待て……そうは言っても………等など。 己が欲望をどさくさまぎれに加味しながら、悶々と溢れ出る妄想を逞しく、何やら怪しげな空気を銘々が駄々漏れにしている状態だ。
そんな息苦しくなりそうな空気の中で。多くの兵士たちの行き過ぎた妄想を打ち消すかのようにブコバルが水を差した。
「おいおい、リョウはああ見えて、意外にしっかりしてるぞ」
要するに見かけほど軟弱ではないと言いたいのだろう。ブコバルがこれまで下心丸出しで、直接触れて確かめた感想が如実に含まれている。
「それに女は子供を産むんだ。いくらルスランのヤツがでかくても、赤子の頭よりは小せぇだろ」
―――――ま、俺ほどじゃぁねぇがな。
そして、それとなく自分の優位性を示しておくのも忘れない。
そう言ってふんぞり返ったブコバルに対し、兵士たちの間には微妙な空気が漂った。
いやいや、それは余りにも極論ではないだろうか。家族に姉や妹を持ち、既に他家に嫁いで出産の大変さを見聞きしていた一部の若者たちは、途端に顔を青くした。
「そいつは、まぁた随分な話だが……まぁ、一理はあるってことか」
「ああ。女体の神秘ってやつだな」
「ってことは、やっぱ、平気なんだ?」
「ああ。だろ? 大体、いっつもけろりとしてやがるじゃねぇか」
今更何を言うのだと言わんばかりのブコバルの台詞に居合わせた兵士たちは、二人が既にそういう関係にあって久しいことを思い知らされたようだった。
確かに、これまでのことを思い返してみても、リョウが具合悪そうにしていたことは一度もなかった。いや、今までそのような観点から弟分的俄か居候のことを見たことがなかったのだから、そこまで注意をしていなかったということの方が大きいのだろうが。
でも彼らから見たリョウには全く性的な匂いがしなかったというのは事実だろう。
「隊長が加減してる……とか?」
―――――さすが団長、俺たちとは違うぜ。
若者たちがユルスナールの自制心について妙な具合に関心をした矢先、
「シーリスは何かと噛みついてるぜ?」
ブコバルが【尊敬する団長像】を崩壊させるようなことを軽く口にする。
「ま、そんなに気になるなら、今度、リョウの野郎に聞いてみりゃぁいいじゃねぇか、あ?」
ブコバルは、そこで水を振りまきながら豪快に顔を洗っている体の大きな下っ端兵士を流し見た。
「なぁ、オレグ?」
「あ?」
ぼたぼたと水を大量に滴らせたまま顔を上げたオレグに、ブコバルはからかうような笑みを見せた。
「お前なら平気だろ?」
オレグが犬のように頭を思い切り横に振って水気を飛ばそうとすれば、
「うわっ、冷てぇ」
「オレグ、よそ行きやがれ!」
「こんのクソ【ピョース】!」
たちまち周囲から非難が沸き上がる。
だが、オレグはそれを気に留めることなく、真っ直ぐにブコバルを見た。
意味深な目配せにオレグはブコバルから決死隊の白羽の矢を立てられた事を知った。
「いや、それはさすがにまずいっしょ! 俺はまだ死にたくねぇ」
オレグの目の前には聳え立つ強面男とその特徴的な銀色の髪が見えているのだろう。
「よく言うよ。今更じゃねぇ?」
オレグが兄貴風を吹かせて、色々とリョウにちょっかいという名の接触を持っていたことを仲間たちはここぞとばかりにやり玉に挙げた。薄情なものである。
そこで不意にピアザが話の流れを変えた。
「つーか、オレグさぁ、あんだけベタベタ触ってた割には、気が付かなかったのかよ」
―――――この鈍ちんが!
からかうような声にオレグは腕を組んで仁王立ちをし、眉を顰めた。
「あ? 分かるわけねぇだろ。大体、胸がでけぇでもなし、尻がでけぇでもなし。そんなこと端から頭に無かったわけだからよ」
リョウがこの場に居ないのをいいことに言いたい放題である。
アッカやロッソ、ヤルタなどの比較的良識と常識を持ち合せた兵士たちは、リョウのことを多少不憫に思わないでもなかった。
そうやってぐだぐだとしょうもない話をしていると、鍛練場がある広場の方から大きな声が響き渡った。
「おい! てめぇら、訓練始めっぞ!」
「ちんたらしてねぇでしゃきっとしろや!」
怒号とも言うべき野太い声のユニゾンである。
この砦では中堅どころ(別名口髭コンビとも言う)のサラトフとアナトーリィーの号令が掛かった。
その合図に水場に屯っていた兵士たちは、先程までのだらけようが嘘のように機敏な反応を返し、姿勢を正すと鍛練場がある広場の方へ戻って行った。
そうして再び、尖った気合の声と剣がぶつかる金属の甲高い音が響き渡った。
なんだかんだ言っても平穏な砦の一日である。
その頃、所変わって森の小屋では。
―――――ハックシュン!
深い森の静寂を打ち破るかのように盛大なくしゃみが響き渡った。
驚いた鳥たちがバサバサと羽をはためかせ飛び立って行く。
「ブッチェ・ズダロフ」
「ブッチェ・ズダロフ、なんだ? 風邪でもひいたか?」
カタンと窓が開く音がして、外で洗濯ものを干していたリョウの背中に馴染み深い二つの声が掛かるとゲオルグとユルスナールがひょっこり顔を覗かせた。
リョウは、シャツの皺を伸ばすように引っ張りながら、些かばつが悪そうに振り返った。余りにも親爺くさく盛大なくしゃみをしたことが恥ずかしくもあったからだ。
「あはは。どうでしょう? もしかしたら噂されているのかも?」
「噂?」
「ええ。ワタシの故郷では、一回目のくしゃみはいい噂。二回目は悪い噂。そして三回目以降は風邪。そんな風に言ったりもするんです」
「それでは、大方北の砦の兵士たちではありませんか?」
古い書物を腕に抱えながら小さく笑みを浮かべたゲオルグにリョウも同意をするように笑った。
「はい。そうかも知れませんね。ルスランが帰って来ないから、色々と揶揄されているのかも」
呑気なリョウは自分の事をすっかり棚に上げてのほほんと笑う。
「なんでそこで俺が出てくる」
ユルスナールは窓辺に立ちながら心なしか不服そうな顔をした。
「だってそうじゃありませんか、ねぇ、ゲーラさん」
「ふふふ。そうですね」
「でしょう?」
―――――ハックシュン!!
そこで、何故か今度はユルスナールが豪快にくしゃみをした。
「ほら、やっぱり」
「うわ、ルスラン、かかったじゃありませんか!」
非難の声を上げるゲオルグといつかのセレブロではないがむずむずと鼻を動かしたユルスナールにリョウは喉の奥を鳴らしながらにこやかに言った。
「ブッチェ・ズダロフ!」
こちらも同様、穏やかな一日が始まっているようだ。
シビリークス絶倫伝説の発端が今明らかに!? 少々悪乗りしすぎたかもしれません。でも楽しかったです(→達成感)




