9)過ぎし日より 新しき日々へ
もうすぐクリスマスということで。季節ネタを少々。なんとか間に合いました。
暖炉の炎が時折小さく爆ぜては束の間の光を放ち、また元の揺らぎに戻る。拡散しては収縮を繰り返す、そのゆらゆらと揺れる赤い光の届かんとする場所に四人の男たちが集まって座っていた。其々の手にはたっぷりと酒の注がれた盃が握られていた。
「やけに張り切っているな」
長椅子にゆったりと足を組んで座る男が、手にした盃を口元に近づけながら広い室内の反対側へと徐に視線を走らせた。
室内の向こう側は、暖炉前の心地よく気だるげな沈黙とは真逆に賑やかで甲高い子供たちの歓声と笑い声が響いている。室内を二分する静と動の境目は混ざり合い、辛うじて男たちが座る場所を静寂の波が打ち寄せては薄い膜を張っていた。
そこには青と白の衣装を身にまとった大柄な男が子供たちに囲まれていた。その男は微笑みに細めたその目尻に薄く皺を刻んではいるが、ここに集まる男たちよりも幾分若かった。
男の精悍な頬を覆う顎髭は、この日、色を変えていた。いつもの焦げ茶色の髭の上から何やら白いふわふわとした綿と毛糸のような付け髭を付けている。いかにもというような作り物だ。
男が着ているのは緻密な織柄の入った鮮やかな水色の生地に白い毛皮が縁取りされた襟無しの長い外套だ。それは、この国のお伽噺の中に出てくるとある人物を真似たものだった。
通称、【デェート・マロース】―――【極寒のおじいさん】と呼ばれている老人である。年越しの一番寒さが厳しくなるこの時期に三頭立ての馬車(お伽噺の中では橇である)【トロイカ】に乗って、子供たちに小さな贈り物を配って回るという夢のような存在だ。
「いつものことだろう?」
その対面に座っていたもう一人の男は、同じ方向を一瞥しながらも、どこか尊大に小さく鼻で笑った。
品のある顔立ちを縁取る細い口髭に寛いだ表情をしながらも、ぴんと伸びた背筋と盃を握る、男にしては細く繊細な指先が、生来男が持つ厳格さと頑なさを良く表わしていた。
「だが、この所、輪を掛けていないか?」
もう一人、ソファに座っていた男がどこか呆れたような顔をしながらそんなことを言えば、
「確かに」
一人掛けの椅子で長い脚を持て余すように組んでいたもう一人の男は、両方の眉を跳ね上げて、手にした盃を覗き込みながら小さく口の端を吊り上げた。
「仕方あるまい。オリベルトはすっかりぞっこんのようだからな。あの入れ上げようはこの所、類を見ない」
―――――元々、少し変わった所のある弟であったが。
そんな前置きをして、現【南の将軍】オリベルト・ナユーグの年の離れた実の兄であるナユーグ家・家長ヴィクトルが肩を竦めた。
そこには血を分けた弟への深い理解というよりも、一風変わった方面で発揮されているその類稀なる情熱に対し、既に諦めの境地というか、悟りを開いた境地を会得したかのような達観した態度であった。
「それにしても、お前の所のルスランはよくやったもんだ」
盃を傾けながら長椅子に座るザパドニーク家の家長イェレヴァンは、同じ長椅子の片側に座る友、ファーガス・シビリークスを見た。
その視線はやがて友から逸れて、同じく贅を凝らした刺繍の入った青地に白い毛皮を付けた、この国のお伽噺に出てくる【スニェグーラチカ(雪ん娘)】に扮したまだ若い女性を捉えていた。
【スニェグーラチカ】と呼ばれる娘は、【デェート・マロース】の孫娘と目されており、【トロイカ】の馬たちを御する祖父の隣に座って、一緒に子供たちへと贈り物をして回る介添え役だった。この二人はこの時期、組みになって、多くの夢見がちな子供たちを静かなる興奮に酔わせる役割を担っていた。
この国【スタルゴラド】がまだ【エルドシア】と呼ばれていた遥か昔、冬は途轍もなく厳しいものであったと伝わっている。一年の内半分は冬で、またその冬の半分以上は雪に閉ざされた凍てついた季節であったという。
木々も大地も、目に映る全てが白一色に包まれる白銀の世界。全てが凍りつき、獣たちも人も厳しい寒さに息を潜めてじっと長い冬を耐え忍ぶのだ。そんな過酷な時代がこの地にもあったということだった。
時代が下った今、どういう訳か冬は穏やかなものに変わり、雪は殆どお目に掛からない。精々が霙混じりの雨くらいなものだ。
だが、その時に生まれた民衆の生活の知恵と長い冬を過ごす為のお伽噺や伝統は、こうして雪を知らない昨今の人々の間にも脈々と受け継がれていた。
イェレヴァンの視界の中に、にこやかに子供たちの相手をしている水色の地に白い毛皮の付いた外套を着た娘とその傍で大きな袋の中からリボンの付いた小さな包みを取り出している同じような青い衣装に白い付け髭を付けた男が映り込み、そして、小さな色とりどりの包みを手に嬉しそうにはしゃぎ回る子供たちが駆け回る軌道のとある一点では、上背のある若者が強面と揶揄される面構えをいつになく緩めている姿が映った。
「それに引き換えうちのドラ息子は……」
それから視線を少しずらして、御馳走が並ぶテーブルに着き、骨の付いた肉に齧りつきながら、子供たちや友人たちに茶々を入れている体格の良い若者の顔を見遣ると、そこで溜息のようなものを漏らした。
「ほら、やっぱり俺の言った通りだろう?」
そこでヴィクトル・ナユーグが勝ち誇ったように笑った。
その昔、同じ年に生まれた息子たちのどちらが先に嫁をもらうことになるか。息子をネタに昔から親交のあった仲の良い父親たちはそんな賭けをしたのだ。目下、ザパドニークの所の次男とシビリークスの所の三男が最後の賭け札として残っていた。
「お前の所は、既に許嫁がいるからな」
イェレヴァンは盃の中身を煽ると、どこか面白くなさそうに品の良い眉を顰めた。
ナユーグの所の長男には、昔から決まった相手がいた。婚礼は諸々の事情から延び延びになっているが、来年の春辺りにしようかということで話がまとまりつつあった。
そして、この年も押し迫った頃合いになってシビリークスの方から目出度い話が聞こえてきたのだ。これまでなんだかんだと理由を付けて独り身を通して来た末息子が漸く妻を迎える気になった。そして、その相手を自らの手で選び出してきたというのだ。
それを耳にした時、イェレヴァンは先を越されたと一人、歯噛みした。こんな所で張り合う積りはなかったのだが、古くからの親友に妙な敵愾心のようなものを感じてしまったのも確かだった。
シビリークスの父親にそっくりな強面の末息子は、だが、父親よりもずっと真面目な性質で、社交界で浮名を流すことはなかった。その所為もあってか、貴族たちの間ではユルスナールは優良株として評判が高かった。それに引き換え、イェレヴァンの所のブコバルは、良くも悪くもザパドニークの血筋を色濃く引き継いだ伊達男で、父親同様、社交界では花形的な存在でその女性関係も手広かった。ブコバルもその家柄と美貌(リョウが聞いたら大笑いしそうだが、ここでは一般論として、そう評しておく)、そして、優秀さから貴族たちの中では人気が高かったのが、婚姻という点に於いては、これまで正式な話がまとまった試しはなかった。
総じて結婚の早いとされる貴族の中でも、ザパドニークの末とシビリークスの末の二人は、未だに独り身を通していることで有名だった。名立たる家の出身で、軍部の中でもそれなりの要職に就き、然るべき立場にある男たちが未婚であることは、社交界の中でも様々な噂と憶測を呼んでいた。そして、若き娘を持つ貴族の親たちは、あの手この手を使ってせっせとこの二親に我が娘を売り込む渉外活動を続けていたのだ。
貴族たちの慣習の中では珍しく、ファーガスもイェレヴァンも基本的に縁談に関しては息子たち本人の意思を尊重していた………と言えば聞こえがいいが、早い話が『好いた女ぐらい自ら口説き落としてものにしてみろ』という実に単純明快、軍人的で雄々しくも自主的な攻めの姿勢をこの分野でも発揮していたので、己が息子の将来を心配する気持ちも無きにしもあらずであったが、外から(要するに社交界だ)降って湧いてくる様々な縁談話は、正直な所、煩わしくて仕方がなかった。
だが、この度、とうとうその片方に決着が付いた。この冬の終わりの寒空の最中、シビリークス家に一足早い春が訪れていた。
そして毎年の如く、この年越しの年末に気の置けない仲間たちは家族ぐるみで王都の喧騒から少し離れた森の中に建つとある別邸に集まっていた。この場所は持ち回りで、今年はナユーグ家の別荘という具合だ。
ファーガスは手にした盃の中身を一息に干すと、満足そうな息を吐いていた。
「来年はもっと賑やかになるに違いない」
長兄のロシニョールにも次兄のケリーガルにも子供がいる。既に三人の孫を持つファーガスは、かつての【冷たい微笑】を彷彿とさせる冷酷そうな顔立ちの中にある鋭い目を細めながら、皺が多く刻まれ、白いものが混じり始めた髭の下に埋もれる口元を緩めていた。
「すっかりやに下がったものだ。ジジイになりやがって」
かつての苛烈で厳格な【北の将軍】の顔はどこに行ったのか、ゆるゆるになった友の顔を見て、一人掛けの椅子に座っていたもう一人の友人、シメオン・ブロツキーが気味悪そうに悪態を吐く。
こうして四人で集まるとついつい昔に戻ったように若い頃の口調が飛び出す。その度にここに集う男たちは四十年近い年月を一息に遡るのだ。そして、夢と現実の狭間の曖昧な精神時間の中に暫し、身を置くことになる。
友の辛辣な言葉も、それを言われた当人には堪えた様子はなかった。元より気の置けない間柄だ。このくらいのからかいや毒舌など日常茶飯事で可愛いものだった。
緩んだ口元のままにファーガスが言った。
「孫は可愛い」
「それは同感だな」
自分の息子や娘よりもその子供である孫たちの方が数倍も可愛く思えるのはどうしてだろうか。
イェレヴァンの長男の所にも既に七つになる孫(女の子だ)がいて、その気持ちはよく理解できる。その大きな赤いリボンを頭に着けた孫娘は、あちら側の子供たちの輪の中で小さなプレゼントの包みを手に目を輝かせていた。きっとそのうち小さい身体にはちきれんばかりの興奮を持て余すようにして祖父の所にもらった小さなプレゼントを自慢しにやって来るだろう。それを思うと厳しくも神経質そうなイェレヴァンの顔立ちも心なしか和らいだものに変わった。
「それにしても、よく似合っているな」
この別邸の主であるナユーグ家・ヴィクトルの視線は、再び話を蒸し返すように甲斐甲斐しく子供たちの世話を焼いている【スニェグーラチカ】に注がれていた。
「不思議なものだな。あの衣装があの顔立ちに合っているのだから」
―――――服もぴったりだ。
その若い娘の風貌は、この国の女たちとはかなり異なっていた。だが、それでもこれまで見た誰よりもその青い衣装が板に付いていた。それを不思議に思った。
「ああ、あれはオリベルトの特製だろう? 着る側の人となりを良く分かっているということだろうが」
オリベルトとも古くから親交があり、その特殊な趣味への理解が著しく深いシメオンがしたり顔でそんなことを言った。
「あれの目利きは確かだ」
そこでヴィクトルは、この男も例の【隙間芸術愛好会】の一員として、名簿にその名を連ねているということに今更ながらに思い至った。
シメオンは、いいことを思いついたとばかりにその灰色の瞳を好奇に光らせて言葉を継いだ。
「どうだ? ファーガス。お前もこの際だから入る積りはないか? 目下、オリベルトはお前の新しい娘にご執心だ。あれの暴走はルスランの手には余るだろう?」
その台詞にファーガスは心底嫌そうに片手を振った。事あるごとに熱心で、ともすれば急進的な上級会員たちは、己が情熱の滾るままに新たな芸術への賛同者(信者)を得ようとその布教活動に余念がない。
「また、お前は俺を引きこもうとする。だが、その手には乗らんぞ。お前たちの話に夜通し付き合わされるのは御免だ」
「薄情な奴だな」
「ああ、何とでも言え」
「だが、可愛いものだろう?」
「それは……認めるがな」
きらきらと控え目に灯された発光石の柔らかな橙色の光を受けて輝く特徴的な頭飾りの乗った白い横顔を一瞥してから、ファーガスはやや不服そうに鼻を鳴らした。
繊細で手の込んだ刺繍と贅を凝らした緻密な飾りの付いた衣装を身に纏うその娘が、まるでお伽噺から抜け出して来たように愛くるしく思えたことは確かだ。この国の伝統らしくお下げに結われた艶やかな漆黒の髪に、夜空を閉じ込めたような瞳は星々の光を宿して感情のままに好奇と歓喜に煌めく。あの魅力に抗える者など少なくともこのシビリークス家の中にはいない。そして、その秘められた控え目な【美】に魅了された者は、末息子の周辺でも数多くいるようだ。その礼賛者の筆頭は、息子のユルスナールなのであろうが、また違った意味で、ナユーグ家のオリベルトもすっかり参ってしまったようだった。
無邪気に微笑む愛くるしい存在に罪はない。だが、同じ男であるファーガスから見て、その存在を罪作りだと思ってしまう気持ちもあった。そして、それに翻弄されるのは、いつも男であるという憐れな真実をどこか可笑しくも思った。
そして、そんな憐れな男に肩入れをしている同類がここにもいた。
「でも、考えても見ろ。企画でお前の意見が認められたら楽しいと思わないか?」
―――――お前好みの色に染められるんだぞ?
その甘い言葉の罠にファーガスの堅牢な心は、ほんの少しだけ揺さぶられた。
だが、それはほんの一瞬のことでしかなかった。ファーガスは元々服飾関係にはこれっぽっちも興味がなかったからだ。
「俺は俺なりやり方で愛でるさ」
幼女のままごとのように生身の人間を着せ替え人形のようにして遊びたいわけではない。生憎、そんな少女染みた趣味は持ち合わせていなかった。
「手厳しいな」
例の如く、険もほろろに突き返されて、シメオンは途端に白けた顔をした。
それを傍から見ていたイェレヴァンとヴィクトルは、いつもの如くに収まった話しの流れにどこか呆れたように、それでも可笑しそうに笑った。
「諦めろ、シメオン」
「ああ、お前たちの趣味は少数精鋭だからいいのだろう? 徒に会員を増やしてみろ。収集が付かなくなる」
ものは言いようだ。ヴィクトルの一見、尤もらしい言葉にシメオンは盃を傾けながら合槌を打った。
「ああ、確かにその通りだ。だが、この板挟みは我々にとって永遠の課題なんだ。我らが至高とする【美】を世に知らしめたいが、その所為で我々の求める【純粋な美】が俗物に成り下がるのも耐えられんからな。この線引きと見極めが難しい。ああ、悩ましいな」
それから、何故か多くの悩みを抱えた思春期の少年のような顔をして悶々と一人の世界に入ってしまった友を余所に、残った三人の男たちは『また、始まった』と互いに顔を見交わせるとあっさりとシメオンを意識から追い出した。こうなるとシメオンは、ある程度自分の中で決着が付くまでその世界から戻って来ないのだ。
「………で、婚儀の日取りはもう決まっているのか?」
いち早く妄想の世界に入り込んだ友に見切りを付けたイェレヴァンが、話しの流れを変えるように口火を切れば、ファーガスは緩く息を吐き出した。
「大体はな。来年の春……【マースレニッツァ】の辺りがいいとは思うが、次の軍部編成会議でルスランがどうなるかにも寄るだろう」
【マースレニッツァ】というのは、この国の暦では【青】の【第一の月】の最後の週に行われる春の到来を祝う行事で、太陽【ソンツェ】の形を模した【ブリヌィ】と呼ばれる丸いパンケーキを焼いて食べる習わしが古くからあった。神殿の神官たちは、この前の週に断食をし、その潔斎が開くのが翌週の【マースレニッツァ】の時期に当たるのだ。
それはともかく、【マースレニッツァ】が来るといよいよこの【スタルゴラド】の地に本格的な春の到来とあいなった。
「まだ暫くは北の砦ではないのか?」
「ああ。恐らくはな」
軍部は大体四年から五年に一度の割合で冬の終わりに大々的な編成会議が王都の【アルセナール】内で行われ、人員の配置換えなどが検討されるのが通例だった。息子のユルスナールが第七師団長を拝命し、北の砦に赴任が決まったのは四年前のことだ。もうすぐ丸四年。現【北の将軍】である長男・ロシニョールの話によれば、今回の会議の流れから鑑みるに、もう一年は北の砦勤務だろうと踏んでいた。
となると正式な婚礼は王都のシビリークス本邸で行うにしても、それから暫くはまた、息子と新妻はここから離れた北方の僻地で新婚生活を営むことになるのだろう。
新しい家族が増えたと喜んでもすぐまた離れて暮らすことになるということにファーガスは柄にもなく若干の寂しさのようなものを感じてしまった。それが顔に出てしまったようだ。
「なんだしけた面して」
イェレヴァンが目敏く友人の表情の変化に気が付いて、からかうようにファーガスを見た。
「あ?」
「淋しくなると書いてある」
「馬鹿を言え」
見栄を張ってそう言ってみたものの、敏い友人にはファーガスの心の内は筒抜けていたのだろう。だからと言って、それを素直に認めるのは癪だった。見栄っ張りなところは相変わらずだ。そんな親友の強がりにイェレヴァンは苦み走った笑みを浮かべた。
ほんの少しだけしんみりしそうになった空気を打ち破るように軽やかな声が響いた。
「お義父さま、新しく【ピローグ】が焼けたようですよ。おひとつ如何ですか?」
そこへ可憐な【スニェグーラチカ】が穏やかな微笑みを浮かべながらやってきて、男たちの鼻先に湯気の立つ熱々の【ピローグ】を差し出した。
「リョウ」
「はい」
イェレヴァンは、柔らかな微笑みを浮かべて立つ【スニェグーラチカ】に満面の笑みを浮かべていた。
「ルスランなんか止めてうちのブコバルはどうだ?」
「はい?」
「うちの息子の方がルスランよりもよっぽどいい男だろう? 女の扱いにも慣れている。それに私の娘になる気はないか? ファーガスよりも良いお義父さまになってやるぞ?」
「またまた、御冗談を」
口元に小さく手を当ててクスクスと笑った【スニェグーラチカ】は、イェレヴァンの言葉をあっさりと流して見せた。
だが、一応、相手を持ち上げておくのは忘れなかった。
「ブコバルのお嫁さんというのはどうも引っ掛かりますけれど、イェレヴァンさまが御父上になるのは素敵かもしれませんね」
「はは、そうかそうか」
男とは単純なもので、若く愛らしい女性からの褒め言葉にイェレヴァンはたちまち相好を崩した。
それを横目に見たファーガスと斜交いに座るヴィクトルは顔を見交わせると呆れたように肩を竦め合った。
それも束の間、
「あ? なんか言ったか、リョウ?」
地獄耳の如く、失礼極まりない台詞を聞き咎めたブコバルが、部屋の反対側からすかさず苦言を呈してきた。
それをひらりとかわして、【スニェグーラチカ】は手にした【ピローグ】の乗った皿を何事もなかったかのように掲げて見せた。
「ブコバルももう一つ食べますか?」
「いや、今はいい」
ブコバルの隣にはドーリンが座っていて、静かに盃を傾けていた。そして、偶にもらったプレゼントを自慢しにやって来る子供たちの相手をしていた。
ドーリンは顔に似合わず(といったら怒られそうだが)、意外に子供たちに寛容で、そういう空気が子供たちにも伝わるのか人気があった。
そんな他愛ない遣り取りの中、
「まさかこんな所まで賭けのネタを引きずってるんじゃないでしょうね」
すかさずユルスナールがやって来て、この世の女性は全て愛でてしかるべきだと博愛主義を豪語し、奔放な所のあるブコバルの父親に警戒心丸出しで苦い顔をした。
ユルスナールにしてみれば、己が父親のファーガスとブコバルの父親のイェレヴァンが二人してほくそ笑む光景は、性質の悪い悪戯好きの子供が悪巧みをしているように思えて仕方がなかった。
【賭け】という言葉にイェレヴァンは一瞬、苦い顔をしたのだが、それをすかさず引っ込めて、当たり障りのない笑みを浮かべた。
だが、それすらも付き合いの長いユルスナールにしてみれば胡散臭いものに見えたには違いなかった。
「ルスラン、お前は意外に細かいことに煩いな」
―――――神経質な所はサーシャ譲りか?
そう言って話しを逸らすようにファーガスの方を見たのだが、
「お前がいい加減過ぎるんだろ」
友人は容赦なく棘のある合いの手を入れた。
そうして再び始まった腐れ縁の親友同士の小気味良い遣り取りに、【スニェグーラチカ】とユルスナールは顔を見交わせると可笑しそうに笑ったのだった。
やがて部屋の向こう側から子供たちの歌声が軽やかに響いて来た。
この日の為に呼んでいた流しの楽師が、縦笛や【グースリ】、【バラライカ】を奏で、拍子を取るようにタンバリンを打ち鳴らす。
子供たちの声が紡ぐのは、【ソンツェ】の神【ダジヴォーグ】の赤子である【コリャダー】を称える歌だった。
この年越しの一時期は、一年で最も寒さが厳しくなるとされる頃合いで、邪気が威力を増して人々に害を成すと考えられていた。それを払う為に【コリャダー】の歌を歌い、来るべき新しい年を迎える為の言祝ぎをするのだ。それはその昔、極寒の季節を乗り切る為に生まれた民衆の生活の知恵でもあった。時代が下り、寒さ自体は当時に比べれば緩やかになったが、それでもこの地に暮らす人々にとっては、冬は一年で一番厳しい季節に違いない。
「どれ、我々も加わるか」
暖炉の炎が揺らめく傍に置かれた長椅子から徐に立ち上がったファーガスは、そう言って促すようにイェレヴァンを振り返った。
「よし、久々に歌うか?」
同じように軽やかに立ち上がったイェレヴァンは、からかうような笑みを浮かべながら意気揚々と友の腰の辺りを軽く叩いたのだが、
「なに言ってるんだ。歌ならお前よりファーガスだろうが」
同じように立ち上がったヴィクトルからすかさず茶々が入った。
イェレヴァンは昔から音痴である。それは耳を塞ぎたくなる程に。普段の深みのある美声からは信じられないくらいで、なにかと器用な性質であるイェレヴァンの唯一の欠点のようなものだった。きっと神さまが悪戯をしたのだろうと友人たちはからかい混じりに言ったものだ。
「ははは。偶には良いだろう? なぁ、ルスラン。お前の婚約祝いに俺が一曲披露してやろうか」
重ねた盃によってほろ酔い加減になっていたのか、やたらと上機嫌に宣言したイェレヴァンに、突然、話を振られたユルスナールは、何とも言えない顔をして己が父親を見た。その口元が微かに引き攣っている所を見るとユルスナールもイェレヴァンのその自慢の歌声の程を知っているのだろう。
ユルスナールはしきりにファーガスに『止めてくれ』と目配せをしたのだが、その必死の信号を伝える間もなく、いつもより幾分高めな興奮を窺わせる声が軽やかに響き渡ってしまった。
「イェレヴァンのおじさまが歌を?」
―――――まぁ、是非お聞かせくださいな。
その感嘆に似た可愛らしい声に傍にいた男たちは、内心、ぎょっとした。
そして、
―――――【ボージェ・モーイ(なんたること)】!
この時、この場に残された男たちの心は、この一言を唱和したに違いない。
親友たちの無言の動揺を余所に軽やかな会話は続いていた。
「ああ。久々にな。どれ一曲、子供らの【コリャダー】が終わったら、聞かせてやろう」
―――――何がいい? リクエストはあるか?
嬉々として深みのある艶やかな声を上げたイェレヴァンに【スニェグーラチカ】が楽しみだと嬉しそうに顔を綻ばせる。その後ろで、大威張りの友人の【素晴らしい歌声】を知る男たちは一様に苦い顔をしたのだが、それでも偶にはそんな変わった余興も賑やかな年越しの一時にはいいかとやがて苦笑のような笑みに取って変わった。
そして、暖炉の前にいた男たちは、お伽噺の妖精に促されるようにして賑やかな演奏が続く子供たちの輪の中に入って行った。
まもなく。
一層深みを増した朗々たる歌声の中に著しく音程の狂った音が混じり始めたのだが、それはそれで不可思議で面白味のある、ある種独特な味わい深い不協和音を醸し出していたものだから不思議なものだった。
こうして毎年恒例の年越しの為の祝いの宴は、更に輪を掛けて賑やかになっていった。
* * * * *
もうすぐクリスマスということで。
下記、【スニェグーラチカ(雪ん娘)】に扮したリョウとセレブロをイラストにしてみました。セレブロは実際の半分くらいの大きさです。カトリックとは一味違うスラヴ的なクリスマスを少しでも感じていただければ幸いです。
そして序とばかりに年越し用に描いた「シビリークス家の男たち+リョウ」のイラストもどうぞ。
それでは、皆さまもどうぞよいお年を。
また新しく登場人物が増えましたね(笑)
今回、オリベルト殿はあっさり流されてしまいました。思った以上にブコバルのお父上が出張ってしまいました。
本来、スラヴ世界のクリスマスは、旧暦で行うので1月7日、新年を祝うためのお祭りなのです。元々あったスラヴの土着の風習にビザンツ帝国からもたらされた東方教会が入り混ざり合ったので、日本で一般的なカトリックのクリスマスとはかなり趣が異なります。
詳しくは、下記、ブログに風習やら由来やらをまとめましたので、もし、ご興味がありましたら、どうぞ覗いてみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kgnsk317/1964581.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kgnsk317/1991727.html
お粗末さまでした。




