面影を重ねて
現【南の将軍】オリベルト・ナユーグは、広場に対峙する男の姿に静かに目を細めた。
この度、個人戦を見事勝ち上がってきた栄えある猛者は、オリベルトも良く知る男だった。
日の光を浴びて鈍く小さな漣のような光を反射する銀色の髪。その下にある余り感情の乗らないどこか作り物めいた造形は、オリベルトが良く知る一族の形質を引き継いだ証だった。
あの小僧がここまでに成長したか。オリベルトは、一人感慨深げに息を吐き出した。
かつての戦友を彷彿とさせる立ち姿。あの男と最後に剣を交えたのも、ちょうどこのくらいの年頃ではなかっただろうか。共に切磋琢磨し、同じ国軍の中で剣の腕を磨いてきた。オリベルトにとっては良き好敵手だった。
あの男、ラードゥガ・シビリークスは、二十年前の大戦の最中、最も熾烈を極めたとされる西の砦でその短過ぎる生涯を閉じた。若手の中でも随一の剣の使い手であり、当時、西の砦を守る実質的な長として多くの部下たちからの信頼も厚かった。
まさか、あの男が自分より先に逝くことになろうとは。当時のオリベルトには思ってもみないことだった。
長引く戦いに疲弊し、停滞した空気が鬱々と重くスタルゴラド軍部の中に圧し掛かっていた時期だった。あの時も、ちょうど季節は冬。実りの秋に豊かな収穫を終え、神々に感謝の言祝ぎをしてから凡そ一月後の良く晴れた日のことだった。
隣国、ノヴグラードがその南にあるキルメクを懐柔し、我が国の鼻先に再度大軍を展開した時、この国の中枢部は漸く事の重大さを理解した。対応としては恐ろしくお粗末で遅すぎるものだった。
当時、最前線となったのは、キルメクとの国境警備に築かれた西の砦だった。そこを死守できるか否かで今後の戦況の行方が左右される軍事的にも非常に重要な拠点だった。そこが切り崩されれば、以後は目立って軍事要塞的な機能を発揮する大きな都市がある訳でもなく、なだらかな平野が広がるスタルゴラド国内、一気に王都まで敵軍の侵入を許すことになるからだ。
当時、西の砦に駐屯していたのは、あの男、ラードゥガだった。
あの男がいたからこそ、我々は当時あそこで持ちこたえることが出来たのだ。あの男が勇猛果敢に兵を率いたからこそ、我々はその後、ノヴグラード側と休戦協定を締結するに至った訳だ。その事実は、残念ながらこの国の中央にはきちんと伝わっていなかった。その代わり、当時共に戦った兵士たちの胸には、あの男の姿は語り継ぐべき英雄として深く刻まれていた。
あの男は西の砦、ひいてはこの国を守ったのだ。その命と引き換えに。
自ら軍を率いて打って出た男は、満身創痍で戦いの最中に倒れたと聞いた。その時、男が身に着けていた衣服は、所々が破れ血に染まり、とても直視出来るものではなかったとその男の最期を看取った軍医が話していたという。それは、壮絶な最期だった。と同時に実にあの男らしい最期だと言えた。
ラードゥガは、口下手な男だった。言葉で何かを伝えるというよりも自らの体をもって行動することで周囲に示す、そんな男だった。
不器用な男だった。【北】の方位を司るシビリークス家の形質を良くも悪くもよく引き継いだ無骨で実直な男だった。やや真面目が過ぎたかも知れない。自らに厳しく、己を律することのできる懐の深い男でもあった。
ラードゥガは、多くの部下に慕われていた。そして、中でもその後ろをせっせと付いて回っていたのが、現シビリークス家の末であり、あの男にとっては甥にあたるこの男だった。
小さな甥っ子にとっても叔父は憧れの存在で、子供の割に表情の乏しい性質だったが、よくラードゥガの周りに張り付いていたのをオリベルトはよく覚えていた。たまさかの休みやちょっとした付き合いであの男の実家を訪ねるとそんな二人の姿がよく見受けられたものだった。
どちらかというと強面の部類で、鍛え抜かれた体格の良い男の傍に良く似た顔立ちの子供が張り付いている。その様は端から見るとどこか滑稽で、まだ若く独り身である男が明らかに戸惑っている様子が窺えるのも、また余計に笑いを誘ったものだった。
その男の兄である男(要するに子供の実の父親だ)は、自分よりも弟の方に末子が懐く様があまり面白くないようで、共に良く似た兄弟でありながらも拗ねた顔をして見せる。オリベルトなどはどっちもどっちだろうと思うのだが、見かけによらず子煩悩な所のある男を主とするその家は、いつ訪ねても穏やかで和やかな空気に包まれていて、オリベルトを妙にくすぐったい気分にさせたものだった。
あの時、ラードゥガの後を付いて回っていた小さな幼子も今や立派に成人をして、この国の軍部の中でも一・二を争う程の美丈夫になった。
そして、今、こうしてオリベルトの前に立っていた。その腰に剣を佩き、兵士の鎧を身に着けて。
時の移ろいは、過ぎてしまえば早いものだった。この二十年、この国には束の間の安寧が訪れていた。先の戦いは、徐々に人々の記憶の隅に追いやられつつある。
だが、この二十年、オリベルトは一度たりとてあの男のことを忘れたことはなかった。歳を重ねて【南の将軍】の地位を拝命した折にも、あの男のことを思い浮かべた。
現在、生きていればあの男が立ったであろう【北の将軍】の地位には、あの男の一番上の甥っ子が立っていた。
叶うことならば、あの男と共に同じ高みからこの国を見渡してみたかった。
今でも考える。もし、あの男が生きていたら、後の世を見て何を語るだろうかと。
いや、あの男の事だ。多くを語らず、日々淡々と己が職務を真面目に全うするのかもしれない。その潔い後ろ姿をもって自分の問いに答えるのかもしれない。
「よろしくお願いいたします」
小さく頭を下げた青年に、オリベルトはからかうような笑みを浮かべた。
「ああ。少しは使えるようになったか。ルー坊?」
二十年以上も前の話を持ち出せば、対峙した青年は、実に嫌そうにその口の端を下げた。
幼い頃の話というものは、当人自身がよく記憶していないからこそ、それを切り出されると妙な居た堪れなさとこそばゆさを感じる類のものだ。
その苦虫を噛み潰したような表情もオリベルトが良く知るあの男の面影に重なった。
「一体、いつの話をなさっているんですか」
オリベルトにとってはついこの間のような、いまだ記憶の中に鮮明として残る光景なのだが、それを言われた当人は、遥か昔の過去の遺物のように口にした。
その認識の差が小さな傷のように胸内で疼いた。
どおりで歳を取った訳だ。
「徒に年は取りたくないものだな」
小さく漏れたオリベルトの述懐をかつての幼子が的確に拾い上げる。
「何を仰ることやら。まだまだそのようなことを口にする齢でもありますまいに」
「ハハ。そうか」
ならば手加減することもあるまいか。
「では、いつでもいいぞ」
すらりと抜いた剣を構える。同じように剣を抜き、間合いを計る青年の姿にかつての朋輩の姿が重なった。
その瞬間、二十年という時が鮮やかに巻き戻った。髭の無い艶やかな頬に武骨さを滲ませた男が、瑞々しい若さ溢れるかつての親友に対峙していた。
―――――――久し振りだな、相棒。
懐かしさを滲ませながら、将軍は小さく笑みを刷いた。その瞳は、かつてと変わることなくどこか悪戯っぽい輝きを放っていた。
この日最後の試合に集まった群衆の歓声が、遠く耳にこだました。そして、いつかの風景が男の中で重なった。
―――――――いざ、勝負。
気合十分、剣士たちが土を蹴る。
こうして、個人戦優勝者と南の将軍による恒例の模範試合が、開始の鐘を鳴らしたのだった。
武芸大会恒例の余興とも言える将軍と優勝者との模範試合は、大いなる盛り上がりを見せた。ひょっとするとこの三日間で行われた数々の対戦の中でも随一のものであったかもしれない。
興奮をして野次を飛ばす男たちの中に埋もれながら、リョウは引き続き、広場の片隅でその試合の模様を観戦していた。
会場に現れた南の将軍は、ドーリンの叔父に当たるという話だった。立派な髭が顔を覆う見るからに貫禄のある大きな男だった。将軍の正装である朱鷺色のマントを華麗に翻して颯爽と現れた。それだけで観客は興奮のままに咆哮のような声を上げた。そして、余裕たっぷりに方々から絶え間なく上がる声援に片手を軽く上げることで応えていた。
開会宣言を行った西の将軍と同じく、ただそこにあるだけで畏怖と妙な威圧感のようなものを与える男だった。数多もの国軍の兵士たちの頂点に近い地位にいる男たち。重ねた年齢と経験が生み出す重みが将軍にはあった。こうして見るとユルスナールがやけに若く見えたものだから、なんだか可笑しかった。
両者の戦いは、最終的に将軍の方に軍配が上がった。
まだまだ若い者には負けられない。男盛りで脂の乗った壮年の男が繰り出す剣は、重みがあり熟練されたものだった。素早さでは劣るが、それは全く欠点にはならなかった。何よりも若い頃に大きな戦を経験している。そこで得た経験は、やはりその後の人生に大きく影響を及ぼしているのだろう。
ユルスナールは、遠目にも実に生き生きと剣を振るっていた。こういう時でなければ将軍と直々に剣を交える機会がないからかもしれない。遠巻きに両者の対戦を見守っていたブコバルなんぞは実に羨ましそうな顔をしていた。
最終的に負けたとは言え、ユルスナールはどこかすっきりとした顔をしていた。そこにあるのは悔しさというよりも晴れがましさのようだ。
両者は剣を収めると固く握手を交わし合った。将軍は何やら一言二言ユルスナールに声を掛けながらその肩を叩いた。
それから二人の男たちは、益々盛り上がりを見せる観客たちの大きな歓声と割れんばかりの拍手に応えながら、軽く一礼をし、会場を後にしたのだった。
この後、宮殿前広場では、団体戦優勝者と個人戦上位入賞者十名に対する表彰が行われた。
表彰式には、ユルスナールの兄上でもある【北の将軍】が栄光を掴んだ剣士たちを前に祝いの言葉を述べた。
ここでの勝利はあくまでも通過点である。これで慢心することなく更なる高みを目指して精進を積むように。朗々と深みのある美声が紡ぎ出したのは、実に軍部の将軍らしい祝辞の文言だった。
第七の兵士たちが整列した隣、個人戦上位入賞者が並んだ中に、リョウはあの灰色の髪をした男、イースクラの姿を見つけた。救護班の天幕でのスタースとの掠るような遣り取りを思い出す。そして、それを殊の外、喜んだのだった。
―――――――これをもって第149回、スタルゴラド武芸大会を閉会する。
こうして最後、集まった多くの参加者と観客たちを前に開会式の時と同じく西の将軍の荘厳なる閉会宣言によって三日間に渡る男たちの熱き戦いは幕を閉じたのだった。
三日間の武芸大会のお話は、これにて終了と致します。最初はどうなるかと思いましたが、何とか最後まで辿り着けました。
最後は南の将軍にご登場頂きました。髭を生やした貫禄あるおじさまたち、大好きです。渋すぎるカッコよさになんだかユルスナールが霞んだ気が………。ルー坊呼ばわりされたのでは形なしですね(笑)。次回は、そろそろInsomnia の方にしようかと迷い中。ありがとうございました。




