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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第四章:王都スタリーツァ
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嵐の予兆


 武芸大会の二日目を終え、いよいよ王族を観覧席に迎える天覧試合が行われる晴れ舞台を翌日を控えて、決勝戦で剣を交える選手たちの顔触れも揃った。

 今宵、街中の酒場では、明日の対戦の勝利を予測する激論があちこちで交わされ、最後の賭けに参加した男たちは、なけなしの資金を叩いて明日の勝者を予想していることだろう。誰も彼もが試合の話で持ちきりだった。この時ばかりは、盛り場も大賑わい。いつも以上の景気の良さに、とっておきの酒が振る舞われたりもした。そして、機嫌を良くした客たちが酔っ払って束の間の眠りに就くまでの間、飽くことなく、夜更けまでこの一角は猥雑で雑多な賑わいを見せるのだ。


 その夜、とある貴族の邸宅の一室では、二人の男が艶やかな飴色に光る重厚なテーブルを囲んで座っていた。

 テーブルの上には、この国の男たち、主に貴族連中が嗜むとされている遊戯(ゲーム)盤が置かれていた。縦横のマス目で均一に区切られた盤の上に様々な役職の駒を並べて行われる疑似戦争とも取れる王取りゲームだ。対戦は二人で行い、法則(ルール)に基づいて動く駒をもって先に相手の陣地にいる王を倒した方が勝ちという決まりだった。

 一人の男が手の内にあるグラスの中の琥珀色の液体を揺らしながら、盤の上にある【騎士】の駒を動かした。

 男の指は皺だらけで大きく骨張ったものだった。その太い男らしい指には赤い大きな石のついた指輪が収まっていた。その赤い石は、男が身じろぐ度に鈍く艶やかな色を反射していた。

 発光石が穏やかに室内を照らし、温かみのある橙色に滲んだ影の濃淡を作り出していた。そして年月を重ねて皺が多く刻まれた男の横顔にも影を作る。

 男が揺らしたグラスからは、ふくよかな甘い香りが立ち上っていた。

「計画の方は?」

 盤の上の駒を眺めながら男が低く問うた。

「万時、恙無く進んでおります」

「そうか」

 男の対面にひっそりと座るもう一人の男が、淡々と機会的な返答を返す。それに主である男は、小さく含み笑いをした。

 これまで長い間、密かに計画を練り、それが実現することを夢見てきた。だが、それは所詮、絵空事で。これまでは虚しくも男の胸内だけで終わっていた想像が、ついに現実世界へと横滑りして、今、着々とその実を結ぼうとしていた。

 とうとうこの時がやってきた。全てが上手く運んだ暁には、さて、あの男がどんな顔をするのやら。それを思うと今から愉快で仕方がなかった。

 神が漸く我々に味方をしたようだ。男は別段信心深い方では無かったが、この所の状況を見ているとそう思わずにはいられなかった。

「風向きが変わってきたな」

「はい」

 あの男に一泡吹かせてやりたい。そんな思いから端を発した男の思いつきは、年月を重ねる度に段々と大きく肥大化していった。あの男が苦々しく口を歪める様を想像すると、口惜しそうに歯がみする姿を見るかと思うと身体の芯がぞくぞくと言い知れぬ高揚感に粟立った。

 今回は、ささやかな意趣返しのようなものだ。小手調べとも言えるだろう。あの男の顔に泥を塗る。いや、泥団子を投げつける。そんな子供染みた欲求を吐き出したものだった。

 あの男は今も昔も揺らがない。あの男の足場を切り崩すことは早々に諦めていた。その代わりに思いついたのは、周辺から揺さぶりを掛けることだった。

 あの男には三人の息子がいる。今回、男が目星を付けたのは、そこの末だった。この国の社交界でも政界でも今の所目立った所のない男だが、あの三男坊は父親の形質を姿形という点に於いては実によく引き継いでいた。まるで時を巻き戻して、あの男の若い頃を見ているようだった。それもその末を標的に選んだ理由の一つだった。

 あの男に小さな落とし穴を用意してみる。子供染みた悪戯の延長のようなものだ。そこであの男が上手くこの事態を乗り切ることが出来なければ、それまでの男であったということなのだろう。

 手駒は面白いように集まり始めていた。そして全てが上手く運んだ時、あの男が慌てふためく様子を見るのも楽しいに違いない。

 今の所、全てが筋書き(シナリオ)通りに進んでいた。

「しかし、アレは予想外だった」

「ええ。ですが、却って好都合かと」

 末息子の周囲を洗ってゆく内に実に面白い掘り出し物が見つかったのだ。

「ああ。それは言うまでもない。願ったり叶ったりだ」

 今回はそれを使ってちょっとした余興を考えていたのだ。

 ささやかな思い付きから始まった男の計画は、神殿をも巻き込んだ規模(スケール)の大きなものになっていたのだが、やはり全てを取り仕切る男にしてみれば、それらは皆、手駒の内の一つ。御手製の三文芝居の一コマに過ぎなかった。

「アレは使えそうか?」

「はい」

 男の問いに対面に控える優秀な部下は、野心ある男は喜び勇んで飛び付いたと告げた。

「そうか」

 大いなる手の内で転がされているとは知らずに目先の欲に目が眩む者など探せば幾らでもいる。その中から無難な所を見つけ出すのが至難の技なのだが、今回、その選択は上手く行ったようだった。

 男は徐に盤の上にある【神官】の駒を動かした。

「それにしても【ユプシロン】の連中も妙な事を思いついたものだ」

「それだけ必死なのでしょう」

 男の脳裏には、ぎょろりとした大きな目をした高位神官の顔が浮かんでいた。まだそこまで年老いている訳ではないのに枯れ枝のような印象を与えるひょろりとした男だった。瑞々しさを失った肉体。そこにある目だけが異様な程に爛々と光を湛えていて、男が生に執着していることが見て取れた。

 取引としては上々だった。こちらへの協力を打診すると共に最終的にはあの男が欲しているものを渡すことができるのだから。互いに利害が一致したという訳だ。悪い話でもない。たとえ計画が上手く行かなくとも男に痛手はなかった。あちらとしても別のものを見繕えばいいのだから同じようなものだろう。

 それから男は、【女王】の駒の頭部を皺だらけの指で撫でた。暫し弄ぶようにいじる。

「奥の方はどうなっている?」

「今日辺りにでも実行された模様です」

「そうか」

 男は重厚な椅子の背もたれに寄り掛かりながら、ゆっくりとグラスを傾けた後、徐に目を閉じた。

 きっとあちらは水面下で蜂の巣を突いたような騒ぎになることだろう。男にはその光景が手に取るようにまざまざと浮かんできた。事態の究明に名乗りを上げるのは、第二か。いや、当然、第三の連中も出張って来るだろう。クロポトキンの娘は逆上するやもしれない。父親によく似た神経質な顔立ちをした若い兵士の顔を思い浮かべながら、男は不意にそのようなことを思った。

 いずれにしても事が事だけに調査は慎重になるだろう。何と言っても狙いとして王族の末端を匂わせているのだから。あの第二王子は子煩悩であることは有名なので、事態の収拾に向けてきつく捻じ込んでくるに違いない。

 そして、騒ぎが大きくなればなるほどこちらの計画は円滑(スムーズ)に進む。なにせ、こちらの証拠は残らないのだから。あるのは状況証拠のみ。アレを手に入れるのは中々に労を要したが、今日はそれが予想以上の効果を発揮したことだろう。

 その後、明るみになる状況証拠を持って、全ては一つの仮定的結論に集約されてゆくことになるのだ。やがて明らかにされる疑似的【真実】。そして、芋蔓式に引きずり出されてくるのは、あの男だ。

 そこまで考えて男は緩く頭を振った。

 だが、まだ弱い。決定打には欠ける気がした。片方は簡単に落ちるとしても、もう片方はそれだけでは不十分だった。こちらをどうするか。もう少し、何らかの手を打つ必要があるだろう。

「あの男とあちらの繋がりはどうするか」

 ゆっくりと瞑想に耽るように息を吐きだした男の対面で、

「そうですねぇ。今のままでは余り具合はよろしいとは言えませんね」

 懐刀と目される部下の男が同意をするように小首を傾げた。落ち着き払ったもの言いは、時として人を食ったようにも受け取れるが、躊躇いもなく核心を突く部下の言動を男は気に入っていた。

「ふむ」

 盤上の【兵士】の駒を動かしながら、部下の男が言った。

「アレを間諜にするのはいかがでしょう? キルメク経由で息が掛かった者ということで」

 流す情報はどうにでも工作することは可能だった。当たり障りのない部分を証拠として挙げておけばいいのだ。

「ふむ。で、あの男を足掛かりにしていたというところか」

 あれが下手な色仕掛けにでも掛かったとすれば外聞が悪いに違いない。あの男の周辺では普段からそういった浮いた話を聞かないから醜聞(スキャンダル)にするにはもってこいだろう。それでも個人的には、あの男の面子を潰すには些か不十分な気がして仕方がないが、ここは一先ず目を瞑ることにする。

「本当に。一時はどうなる事かと思いましたが、思いの外に良い働きをしてくれると思いますよ。申し分ない程に」

 ―――――――あちらの言を借りる訳ではありませんが、実に良い人材が現れたものです。

 そう言うと、万事控え目な男は、珍しくその細面の顔に薄らと笑みのようなものを刷いた。

 それは素晴らしい計略を生みだした時に見せる男特有の表情だった。

 それを対面で目にした男は、小さく鼻から息を吐き出すと白いものが多く入り混じる立派な顎ひげを摩った。

「まぁ、後はあやつがどれだけ腕を振るうかにかかっているか」

 男としてはそれとなく材料(それも頗る良いものだ)を用意しただけだ。実際に調理をするのはあの男だった。こちらの筋書き(レシピ)通りに【美味しい】一品が出来あがるか否かは、まさにあの男の手腕にかかっているのだろう。

「些か荷が重すぎたか?」

 ぽつりと漏れた不安定要素を有能な部下は的確に拾い上げた。

「現時点では五分五分というところでしょう。ですが、まぁ、執念だけはありますから、その辺りをもう少し突いてみれば上手い具合に行くかと」

 後は途中で手綱をそれとなく引き絞ることが肝要だろう。

 納得をした男の傍で、部下が不意に顔を上げた。

 部下の細長い指は【兵士】の駒を摘み、盤の上でマスを一つ進めていた。

「ああ、それから。懸案事項があるとすれば一つ。以前、あちらと繋ぎを取った際に邪魔が入った時の話ですが」

「ああ。今年の春先のことか」

「ええ。どうもあの時、仕留めたはずの男が生きていたようでして」

 それはこの部下の采配にしては珍しい失態と言えた。徹頭徹尾完璧を良しとする部下は綿密な計画を立て、そこからの逸脱を徹底的に嫌うはずだった。

「気取られていはいまいな?」

「ええ。それは勿論です」

 だが、抜かりはないのか自信満々に言い切った部下の言に男は鷹揚に片手を振った。

「ならば、捨ておけ」

「御意」

 そこで男は、不意に目線を上げると、肘掛に片肘を突いてこめかみの辺りに触れていた指を外した。

「そやつは今、こちらにいるのか?」

「はい。団体戦の方に出場していることが確認できました」

 あの時の報告では途中邪魔が入ったが、繋ぎは上手く行ったと記されていた。この部下ならば、足が付くような真似はしていないはずだった。

「ふむ。まぁいいだろう。下手に絡まぬ方がいい」

 男は再び頬杖を突くと、徐に盤の上の駒を動かした。

 今日、街中の人々が華々しい武芸大会の興奮に酔いしれている裏側で、ひっそりと小さな事件が一つ生まれたはずだった。

 賽は投げられた。後は随時、必要に応じてそれとなく茶々を入れながら、動き出した小さな玉が敷かれた軌道(レール)の上を走って行く様を眺めればいいのだ。

 役者は揃った。後は舞台とその機が熟すのを待つのみ。さて、幕が上がった時、そこではどんな芝居が観られることやら。やり直しの利かない本番勝負。だからこそ読めそうな展開とそこからの派生するあらゆる逸脱への対処を怠ってはならないのだ。事態がどう転んでもいいように逃げ道は塞いでおかなくてはならない。そうやって見えない蜘蛛の糸のように幾重にも掛けて透明な罠を仕掛けるのは、男の趣味に合っていた。

 余興の開幕まであと僅か。全ての観客が揃った所であの男がどれだけの演説を打つことが出来るかに懸かっている。一生に一度の大舞台、蛹が見事蝶になるか、それとも蛾になって潰されるか。

 今後の流れをつらつらと思い描いて、男は一人ほくそ笑んだ。

 どちらに転んだとて見物になるには違いなかった。この所こういった刺激に飢えていた宮廷の貴族連中は、こぞって飛び付くことだろう。そして、全ての顛末を耳にしたあの男がどう出るか。それが楽しみで仕方がなかった。

 男は、【隠遁者】の駒を盤の上に滑らせると相手の【王】の駒の前に置いた。

 ―――――――王手(チェックメイト)

 全ては最後にただその一言を口にするが為。

 逸りそうになる心を鎮める為に男はゆっくりと息を吸い込んだ。そして、一人、満足そうに息を吐くと手にしたグラスを小さく掲げた。

「計画の成功を願って」

 対面に座る男も心得たように己がグラスを掲げると同じ文言を唱和した。

 そして、二人の男たちは一息にグラスの中身を呷った。共に思い描くささやかな計画の実現を祈願して。


場面で取り上げたゲームは、チェスのようなものとでも思って頂ければ。次回は武芸大会に戻ります。

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