75.一日千秋
小太刀や紫印の小手などの武装を解除させられたオレは、そのまま“三日月梟”に連れられてその場を後にした。両手は後ろで手首を紐で結んで拘束されている。
案内されたのは部活棟の方角。
時刻は6時半を回っている。
ほんの一週間ほど前まで部活で出入りしていた建物。だが今夜はまるで別のように感じられるのは単に錯覚だろうか。
窓から洩れ出る光が、ここが目的地であると感じさせた。
扉をくぐって中に入る。
真っ直ぐ上の生徒会室に向かうのかと思われたが、意外なことにそのまま1階を歩きひとつの部屋に入っていく。そこは部活以外の運動会や球技大会で使う道具、例えばテントとかそういったものを収めた用具室になっていた。
陳列された用具の間を抜けるように進み、一番奥の壁についていた扉までやってくる。
ばくばくと高鳴る心臓が五月蝿い。
その原因は簡単だ。
これから一体何をされるのかという恐怖。
そして綾が無事かどうかという不安。
それらが頭の中でぐるぐると思考をかき乱していた。
重い鉄製の扉を開くとそこから先は下り階段になっている。
どうやら部活棟には地下があったらしい。よりにもよってどうして、こんな用具室の奥にあるのかは謎なのだが。
「進め」
地下へ続く階段は真っ暗だ。
背後の用具室から漏れ出る明かりを頼りにおっかなびっくり下っていく。
結構下ってきたようで階段が終わる頃にはほとんど光も届かない真っ暗な空間になっていた。後ろからやってきた“三日月梟”が照明のスイッチを入れなければ全く何も見えていなかったに違いない。
作りは簡素なものだった。
コンクリートが剥き出しになった打ちっぱなしの室内。見るからに内装にはあまり気を配っていないような感じ。広さとしては奥行が10メートルほど、幅が同じくらいあって天井高さも3メートルはあるので結構大きな部屋だろう。
広い室内の壁一面には5段ほどの棚が造作で付けられているが、表が布で覆われ中に入れているものが見えないようになっていた。
そして部屋の真ん中にぽつんと置かれた椅子。
それだけが異彩を放っていた。
鋼鉄製の鈍い銀の色をした肘掛けつきの椅子は、座った者の手首から二の腕そして首、足首から胴まで左右合計で十を超える箇所に固定金具がついているのだ。
おまけに椅子には所々完全に拭き取りきれなかった血痕のようなものまでついている。
どう控えめにこれから起こることを想定しても悪い予感しかできない。
これまでも同じような予感はあったが、今回は極めつけ。絶対に外れないと断言できるほど確信に近い予感だった。
“三日月梟”が短く告げる。
「……座れ」
どん、と背中を押された。
躊躇しているともう一度押される。
なんとか転ばないようにしつつ、椅子に腰掛けた。
案の定オレが座ると、まず足首のほうから金具で固定をはじめた。そのまま手首を縛っている紐が解かれて椅子の肘掛けに手を置かされて同様に固定されていく。
ガシャガシャ…ガシャ! ガシャ!
金属の擦れる音が響く。
しっかりと固定されたのを確認すると、“三日月梟”はスマートフォンで誰かに連絡を取りはじめた。おそらく十中八九、伊達だろう。
拘束されてしまったのは大分マズい。
だが最悪左手は霧にしてしまえば外すことは出来るだろう。片手でなんとか逃げ出すことが出来る隙を窺えれば最高なんだけども難しそうだ。
分かれた咲弥は無事に脱出出来ただろうか……こうなった以上オレは自力での脱出はよほど幸運に恵まれでもしない限り諦めるしかない。唯一の希望といえば咲弥が出雲に連絡を取って、綾を助け出してくれることくらいだ。
そんなことを考えながら待っているとゆっくりと誰かが階段を下りてくる音がする。足音の数からすると、それも複数のようだ。
まず現れたのは伊達政次。
深緑のシャツと黒のデニムズボン、光沢のある革のコートを肩から掛けるように羽織っている。手にしている弓篭手と複材合成弓だけが武装らしい武装か。普段している眼鏡は無く、正門で見かけたときと同じように眼帯だけをしていた。
次に現れたのは髑髏頭巾の男。
こちらの格好は変わっておらず髑髏のマスク以外に纏っているのは黒と紺の長衣だけ。
その背後には付き従うかのように鎮馬の死体が佇んでいる。
最後に入ってきたのは美しい黒髪を短く切りそろえたおかっぱの女性。
童顔に見える彼女はおそらく……“慈なる巫”天小園聖奈か。着ているものがうちの制服だけど顔は以前DVDで見た通りのようだ。ただし目はどこか虚ろで焦点があっていないように思える。
伊達は満足そうに室内を見回した。
“三日月梟”が軽く会釈するのを片手で制してオレのほうを向く。
「やぁ、三木君。ごきげんはいかがかな?」
落ち着いた声色。
しかしその奥底には隠し切れない何かが滲み出しているように思えた。
「どうだい、この部屋は。元々倉庫のスペースとして使われていた部屋なのだけれどね、ボクが副生徒会長になってからは、こんな風に色々と便利に使えるよう改装しておいたんだ」
職権乱用もいいところだ。
聞けば聞くほど毒づきたくなる。
「あの人数で燻り出せばなんとでもなるかと思ったのだが……いやはや、毎回キミには驚かされる。1時間以上逃げ切れるとは予想外だったよ。素直に褒めておこう」
ぱちぱちぱち…。
わざとらしい拍手だけが響く。
「これなら人数を集めずに最初から素直に従ってくれるやり方をしておけばよかったと反省はしている。ああ、誤解のないように言っておけばこう見えてもボクは努力家さ。同じ間違いはしないようにしっかりと改善していこうじゃないか」
「……………ッ」
素直に従ってくれるやり方―――それが示すのが綾を人質にした脅迫のことを示していると気づいて思わず身をよじる。口汚く罵りたくなるがなんとかそれは堪えた。
ここで相手を怒らせても何の益もない。
「これでキミにもわかってもらえただろう。大事なものを奪われる、ということがどれほど罪深い行為なのか、ということを。それだけ罪深く愚かで傲慢で最悪で卑怯で下劣な行動を自分が行なったのか、省みて貰えれたならよしとしよう」
「…………綾は…綾は無事なんですか」
刺激しないように短くゆっくりと。
ただそれだけを問うた。
「ああ、勿論さ! キミがしっかりと立場を弁えた行動をしている限り何の問題もないんだ。と、いってもキミは不安だろう。不安で不安で不安で不安で不安で、仕方ないだろう???」
ずりずりと蛇が肌を這いずるようなゾワっとする言の葉。
だがそれでも今のオレにはその言動を妨げることは出来ない。
「だからここからはひとつゲームをしよう」
そのまま伊達は棚のほうへ歩いていく。
棚の前の布を捲るとそこには異形の道具の数々。
その中から金属の杭を3本手に取った。
「キミとは確か賭けをしていたなぁ…ああ、癪に触るが約束は約束だ。今のボクは誰より美しく何より気高くそして唯一愛しい、そんな月音くぅんに近づくわけにはいかない。それは認めよう。認めてあげよう、認めてしまおうじゃないか!」
金属の杭は表面に何やら文字が彫り込まれている。何が書いているのかはわからないが、ただの杭ではないようだ。
「ああ、なんという悲劇か。愛し合う二人を裂くのはいつの世も邪魔者の存在なんだ。さながらシェイクスピアの作品の如く。この悲嘆をどうすればいい、キミが齎したこの約束の痛みはどこにぶつけるべきなのか」
ゆっくりと弓をつがえた。
「そう、キミは償いをしなければならない。ボクから月音くぅん、を!! 奪おうと!!」
その声と共に耳を打った肉を裂く音。
伊達が動いたのは一瞬。
弓に番えた杭が立て続けに発射された。
「……がっぁぁぁッっ!!?」
衝撃、そして痛みと、そして異なる妙な感覚に声を張り上げた。
左腕の肩、二の腕、手の甲の合計3箇所に杭が突き刺さっている。矢ではなく、飛びづらいはずの杭を近い距離とはいえ正確に命中させるその腕前はやはり只者ではない。
どくどくと流れ出す鮮血が椅子を滴って床に滴り落ちていく。
力が抜けるような、力が外に引き抜かれるような、そんな実感。
「これでまず、“天賦能力”は使えない」
にやり、と下弦の月のように唇の端を持ち上げた。
その伊達の言葉を示すように“簒奪公”が起動できなくなっていた。うんともすんとも言わない。繋がりは継続して通っているにも関わらず応答がほとんどない。
携帯電話でいうところの圏外にでもなってしまったかのように。
刺さった杭が妨害電波でも出しているかの如く、繋がりをかき乱し捻じ曲げて阻害してしまっている。
「ああ……そんなに愉快な顔をしなくてもよろしい。“天賦能力”がまさか無敵の能力とでも思っていたのかい?
完全無欠で絶対無敵だとでも? なるほど、確かにキミの能力は脅威だ。八月朔日との戦い、ああ、木槌の男のことだがね、それを見ていた限り何かを吸収する能力だろう。まともにぶつかれば負けることもあるやもしれない」
刺さったのと同じ杭を手に伊達は続ける。
「この杭に刻まれた魔術はなんてことはない、霊力の指向性をかき乱し妨害するだけのものだ。もしキミが能力を発動させることが出来ればあっさりと吸収して解いてしまうだろう。
だが今の封じられた状態では発動させることもできない。つまるところ発動させる前に封じてしまえばいいんだ。三木君がやっていたボクシング流にいえば…ああ、そうだ。カウンターというやつだな。どれほど威力のある相手のパンチも、そのタイミングの直前で先に当ててしまえばいい」
つまりそれは、左手が普通の腕としか機能しないということ。
この拘束から抜け出す術が封じられてしまったに等しい。
「おっと、そうだ。ボクもまた失敗してしまったらしい。愉快な顔をしなくてもよろしい、だなんて偉そうに言ってしまったな、恥ずかしい。撤回しよう」
深くなる絶望が表情に出ていたのだろうか。
オレを見ながら近づいてきて笑みを深くする。
「その愉快な顔が見たかった」
最悪だ。
元々最悪だと思っていたが、さらに最悪な奴だ。
そして何よりも最悪なのは、その最悪な奴に生殺与奪を握られている今の状況。
「ああ、話が逸れてしまった。ああ、ゲームだった、ゲーム」
オレのすぐ目の前まで来て肘掛けに固定されたオレの右手に手を伸ばす。
そのまま耳元で囁く。
「これからキミには償いをしてもらう。もしボクが満足いくまで耐えたなら、ちゃんと綾ちゃんをここに連れてきてあげようじゃないか」
ベリリッ!!
「~~ぁぉぁぁぁッッ!!??」
そのセリフと同時に右手の親指の爪が一気に剥がされた。
戦っている間は脳が苦痛をシャットアウトしていたが、咲弥と休憩をしたためか痛覚はかなり戻ってしまっていた。そのせいで苦痛に身をよじる。
伊達はつまらなそうに毟った爪を投げ捨てた。
「どうかな? 受けてくれるかな?」
断られることなど露ほどにも考えていないくせに、敢えて問うてくる。
これだけわかりやすければ、オレにだってよくわかる。
オレを生かすつもりなどない、と。
「……………本、当に、綾を……?」
だが苦痛をなんとか飲み込み、それだけを告げる。
「約束しよう」
それを了承の合図と受け取ったのだろう。
いつの間にか手に持っていたアイスピックを突き立てた。
「ぐぁぁぁぁっぁッ!!?」
ざじゅ…っ!
目の前がチカチカする。
右の人差し指に指先からアイスピックが潜り込んでいったのだ。
「おっと、言い忘れていた」
苦痛に身悶えするオレに話しかける伊達はこの上なく上機嫌だった。
「一日千秋の想い、というのはこのことなんだろう。ボクは月音くぅんを思うとそう言った昔の人の気持ちがよぉぉぉぉくわかる。なぁ、どうだろう!!? そうだろうがぁぁぁ!!?」
「ぁあアああぁぁっぁぁッ~~!!!?」
ずぢずぢずぢ……。
遠慮なんて欠片も見せずに力を込めていく。
そのまま根元まで貫通してから、鋭い先端が指の付け根から顔を出す。
「おっと、同意を得れて嬉しいよ、まぁつまりこの世の誰よりもそう、歴史上の誰よりも深く深ぁく深い深い愛を寄せているボクが月音くぅんに対する想いは実際はそれ以上なんだけども、ここはそれくらいと仮定して我慢してあげよう、という譲歩さ」
髑髏頭巾が棚から色々と持ち出していくのが見える。
釘や鋸、鋲、糸、三角フラスコに入った薬品、ガスバーナー、ナイフ、他にも先端が丸くなっている金属製の道具などもあるが、痛みに歪んだ思考では判別は付かない。
「近づけなかった日は今日で3日目だ」
伊達は一日千秋、と言った。
それはつまり―――
「少なく見ても“3000年分”は受けてもらわないといけないなぁぁぁぁぁっぁぁ??????」
それで確信した。
伊達がこの場に天小園聖奈を連れてきた、おぞましき理由を。
どす、どす、どす…、ごりゅ…ごりゅごりゅ…ッ。
手に釘が打たれ標本のように固定され、そのままそれぞれの指の間に鋸が入っていく。
オレはただ悲鳴を奏でる楽器になった。
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作者が頑張る燃料になります。




