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47.対抗戦のはじまりは予想外から


 バスに乗ること20分。

 ようやく見えてきた目的地に高鳴る胸を隠しきれない。


 飛鳥市市民体育館。


 今日、ここで対抗戦が開かれるのだ。

 そのための備えはしっかりとしてきた。

 だがさすがに初陣だけあって緊張することは止められそうにない。


「……ま、どちらにせよ明日の今頃には全て終わってごろごろしてると思えば頑張れるか」


 停留所に止まったバスから降りる。

 待ち合わせになっている体育館入口のロビーには、すでに俊彦先輩をはじめとしてボクシング部の面々が集まってきていた。

 

「おはよう、充」

「あ、はい。おはようございます」


 挨拶を交わす。それからすこしして半分以上集まったのを確認してから選手控え室へと向かう。ロッカーと長椅子があるだけの簡素な部屋。ロッカーに荷物を入れて思い思いに準備を始める。

 この後各階級のエントリーと対戦相手の発表があり、計量を行う。それから下の階級から順に試合を行う手はずとなっている。


「今朝の体重はいくつだった?」

「えぇと…」


 今朝見たステータスチェッカーを思い出す。



三木みき みつる

 称号:な し

 年齢:16

 身長:170センチ

 体重:64.1キロ

 状態:良好

 種別:???

 属性:???/???/???/???

 斡旋所ランク:10級

 評価ポイント(貢献ポイント):100(100)/100

 筋力:11

 敏捷:9

 巧緻:9

 技術:8

 極め:10

 知力:7

 生命:13

 精神:10

 運勢:0

 所持金(P)/借金(P):390/2700

 総合Lv:11

 所有職キープ・ジョブ

  逸脱した者ハエレティクス LV.1

  武芸者マーシャルアーティスト Lv.11

  潜伏者ハインダー LV.9

 技能スキル

  杖 11.57

  刀 2.04

  見切り 6.80

  投擲 3.22

  拳闘 5.48

  初歩隠密 9.78

  感知 1.01

 武器:乳切棒(白樫) 種別:棒(杖) 使用条件:腕力7、技巧8、杖8

    小太刀 種別:刀 使用条件:腕力9、技巧10、刀5

 防具:百眼の小手 種別:手防具 使用条件:な し

   :紫印の手甲 種別:手防具 使用条件:腕力4

   :隠衣(弱) 種別:背装備 使用条件:な し

 その他:河童の軟膏(2) 抗魔の朱毛(5) 尻子玉(1)



 ちなみに軟膏は間に合わなかったので結局買い揃えて納品。

 ただし尻子玉はゲットできたのでトータルとしてはウハウハである。


「確か64.1キロでした」

「家庭用だから少し誤差が気になるな。念のため少し汗をかいておくといい。計量後のリカバーについてはこちらで準備しておく」


 俊彦先輩といくつか確認。

 なんとか減量も間に合いそうでひと安心。実のところ減量といえばかなりツラく苦しいイメージがあったので、多少の食事制限をしたもののここまで順調に落ちるとは思っていなかった。

 制服を脱いで手早くジャージに着替える。

 そうこうしていると控え室の扉がノックされた。

 試合に出ない新入生が扉を開けたのだが、何か困惑している。


「……?」


 ふと気になってそちらを見ると、偶然視線があった。


 月音先輩だ。


「充さん」


 ほっと安堵したかのように微笑まれた。


「大事な試合の前にすみません。でもすこしだけお時間を頂いてもよろしいですか?」


 いやいや、そんな申し訳なさそうな顔で言われたらイヤと言えません。

 一体なんで生徒会長がここにいるんだ?というボクシング部の好奇の視線を感じつつ、控え室から廊下に出る。幸い廊下にはほとんど人もいなかった。おそらく選手は控え室で集中する時間だし、係員や関係者は準備に忙しいタイミングなのだろう。


「け、計量がありますので、それまでなら大丈夫ですよ」

「ありがとうございます」


 小さく礼を言われた。

 一体なんの用かとドキドキしながら言葉を待つ。


「本当に、試合なさるんですね」

「……え?」

「いえ、誤解なさらないで下さいね。

 充さんが嘘をついたり怖気付いたりするような殿方と思って言ったわけではありません。むしろ、今からでも試合を止めて欲しい、そんなことを考えてしまっただけです」


 そこで一度言葉を切って、月音先輩はオレを真正面から見つめた。


「今更やめてほしい、と……それが手を差し伸べてくれた貴方に対する侮辱でもあるとわかっています。

 それに、こう言ってはなんですが、わたしらしくありませんもの」

 

 瞳に宿るのは強い意志の光。

 やっぱり弱気で切ないよりも、このほうが月音先輩らしいし似合うと思う。

 事実この前生徒会室の中で会ったときより、今のほうがずっと魅力的に見えた。


「ですから覚悟を決めることに致しました。申し訳ありませんが、充さんには最後までお付き合い頂きます。その上で、力を尽くしてくださる貴方に向ける言葉はひとつだけ」


 そっと彼女の手が優しくオレの手を包み込んだ。



「わたしに見せつけて下さい、貴方という殿方の意地を」



 どっくん……ッ。


 オレが負けるなど全く思っていない揺るぎない言葉。

 その言葉に背中を押されるように体温が上がった気がした。 


「…あの……っ」


 思わず口を開きかけたそのとき、廊下の奥のほうから近づいてくる男女の姿があった。見間違うわけもない、出雲と綾。声をかけようとして月音先輩に気づいて遠慮がちにこちらの様子を確認している。


「どうしてもそれだけを伝えたくて……試合前にごめんなさい。また、後ほど」


 雰囲気を察したのだろう。

 ちょっとだけ困ったような苦笑を浮かべて、一礼だけを残し先輩は立ち去ってしまった。

 入れ替わりに出雲たちが近寄ってくる。


「悪いな…お邪魔だったか」

「……い、いや、別にそ、そんなんじゃないけどさ」

「ねぇ、充。今の生徒会長の月音先輩だよね? 知り合いだったの?」 

「ん、まぁちょっと話をする機会があってさ」

「凄いじゃない! ただでさえ月音先輩って生徒会長だから余り私たちとの接点ないのに、あんなに仲良くなるなんて」

「仲良さそうに見えたかな?」

「うん、そもそも女の子がわざわざ休みの日に応援に来て、試合前の控え室にまで顔を出すっていうのはよっぽどのことだよ? 少なくとも嫌いな人にはやらないもの」


 女の子、のあたりでちょっとドキっとする。

 年上なせいで普段あんまり考えなかったけど、月音先輩も立派な女の子だもんなぁ。ちょっとは期待してもいいんだろうか。

 いや、別に付き合いたいとかそんな大逸れたこと考えてるわけじゃないんだけども。


「充にもようやく春がきた、ということかな」

「これで充がお付き合い始めちゃうと会う時間少なくなるから、ちょっと複雑だけど」


 感慨深そうに頷く出雲に、綾は冗談めかして相槌を打った。

 傍から見てても随分と楽しそうだ。


「そんなにテンションあがるような話かな?」

「えー? 私たち以外で充のいいところに気づいてくれた人が出来るのは嬉しいに決まってるでしょ」

「……だな」


 ……持つべきものは友だなぁ。


「そのへんの話は後で聞かせてもらうとして…試合前に顔だけでも見ておこうかと思ってな。試合はしっかり応援させてもらうよ、充」

「初めての試合で大変だと思うけど、頑張って!」

「ああ、ありがと」


 時間を取らせないよう配慮してくれたのか、話を適当に切り上げて二人は廊下を戻っていった。

 オレは見送ってそのまま控え室へ帰った。

 空きスペースを使って軽くシャドーをはじめる。朝食事をした後に測ってから何も口にしていないので問題ないと思うが一応計量前に念を入れておく。

 そうこうしていると、


「すまん。遅れてもうた!」


 控え室にジョーが飛び込んできた。

 制服着用で大きいスポーツバッグを持って。


「あれ? なんでジョーが?」


 確か今日ジョーは出場しなかったはずだ。前に私服で見学に行くぜ、なんて言っていたが、それならば今の格好は明らかにおかしい。


「一昨日の話だから充には説明していなかったか」


 急いで着替え始めるジョーに代わって俊彦先輩が切り出した。


「実は試合に出場予定だった鈴木すずき先輩が何者かに襲われた。腕の骨折で全治一ヶ月の怪我だ」


 鈴木すずき次郎じろう

 ボクシング部の3年。

 バンタム級のボクサーだ。面倒見がいい人当たりもよい先輩で、オレの急造ボクサー化の練習中にも色々お世話になっていた。


「いや、そんな話聞いてないんですけど!?」

「すまない。練習中に動揺させないようにしたかったのだが…」


 そう言って俊彦先輩はジョーを見る。

 ジョーは無事に着替えを終えるとこっちに近寄ってきた。

 いつも通りに見えるが、こころなしか頬がやつれている気がする。


「あー……すまんすまん。トピーには、充には練習後に話通とく言うたんやけど、すっかり忘れとったわ。はっはっは」

「お・ま・え・の・せ・い・かぁ~ッ!?」

「ぐぇぇっ!?」


 首を締めてがっくんがっくん揺らす。

 練習中に言われたら確かに動揺して集中できなくなるかもしれないが、こんな試合直前に言われるほうが余程動揺するに決まってるだろうが!


「ま、まぁそないなワケで、スーはんの代わりにバンタム級で出るさかい、よろしゅうにな」


 解放すると息も絶え絶えにジョーはサムズアップした。

 何度聞いても鈴木でスーはん、というのは違和感のある呼び名だよな…。


「……ちなみに、そんな直前で選手変更ってアリなんですか?」

「通常は無理だな。ただ今回は対抗戦ということで少し特殊でね。出場選手の名称の届出は当日の朝までだから、県のボクシング連盟に登録だけしてあれば問題ない。念を入れてジョーが登録しておいてくれたのが幸いだ」


 ちなみに試合に出場するためには、まず所属している団体(今のオレたちの場合だと高校)が試合を主催している日本ボクシング連盟やその都道府県のボクシング連盟に加盟している必要がある。その上で、それぞれ選手たちも連盟に登録することで選手としての活動が可能になるわけだ。

 つまるところ階級については飛鳥第一高校と予め打ち合わせた上で決める必要があるから決めておく必要はあるが、その階級で誰が出るかについては今日の朝の段階までは変更が可能であった、ということだろう。

 しかし襲撃か……あのときオレを襲ってきた連中なんだろうか。


「ちなみにその襲ってきた連中っていうのは…」

「残念ながら鈴木は暗闇で背後からバットのような鈍器で殴られただけで、犯人の顔まではよく見えていなかったらしい。警察には届けておいたが犯人が捕まる可能性は低いだろう」


 うーん、顔がわかれば、と思ったんだがその線からの確認は難しいな。

 とりあえず、フライ級が田中たなか先輩、バンタム級がジョー、ライト級が俊彦先輩、ライトウェルター級がオレと岡田おかだ先輩の5人というわけか。

 敵はおそらくフライ級の中西なかにし、ライト級の石塚、そしてライトウェルター級小林こばやしの3人の出場は鉄板。俊彦先輩がいるライト級はともかく、フライ級とライトウェルター級は1勝ずつ持っていかれるだろうから2勝はする公算になる。

 それに対抗するためには俊彦先輩、ジョー、そして小林と当たらなかったオレか岡田先輩が3勝するしかない。

 ………とりあえずちっとも練習してた様子のないジョーが勝てるかどうかが心配なんだが。

 まぁアイツに対する俊彦先輩の評価を見ていると勝てる可能性が0ではないんだろう。それを信じるしかない。


 ほどなくして計量が始まる。

 高校の身体測定で見慣れているからいいけど、冷静に考えたら大の男たちがパンツ一丁になって計量器の前に並んでいるのは結構シュールな光景だな。

 オレは63.9キロで無事にパスし一気に安堵した。


「充も無事に計量を終えたみたいだな。あとは前に教えた通りに」

「水分と消化のいいものを取る、ですね」


 確認事項だけ済ませると俊彦先輩はジョーのほうへと向かった。

 やっぱり直前で出場が決まったせいもあり、ジョーのほうは色々と無茶な減量をしたのかもしれない。そもそも食事制限とか厳密な管理が性格上苦手そうではあるんだが。

 そもそもバンタム級は56キロがリミット。つまりオレのライトウェルターとは8キロも違うのである。いくら普段から体を絞っているとはいえ、身長がオレとそこまで変わらないジョーにとってはかなりキツいのは想像できる。


【それでもやるというのじゃから、口先だけの男ではないようじゃな】


 まぁね。

 いつもおちゃらけてはいるけど、一本筋の通ってる男だってのはよく知ってる。例え不利な条件だからといって逃げたりしないくらいの度胸があることもわかっている。

 だが、それと勝敗は別の話だ。勝てるかどうか不安が広がるのを止められない。

 そんなことを思いつつ控え室に戻って飲み物を取り出した。

 気候が暑くなってきたこともあり本当は冷たいやつがいいのだが、腹を下しても困るので水筒の生ぬるい水を飲む。


 ごくり。


 まるでこれからの不安を飲み込むように、水を流し込んだ。

 飲みおわってから軽くストレッチをする。

 結局のところパンチ力というのは筋肉の弛緩状態から緊張状態までのインパクトの差。つまるところゴムのように可能な限りリラックスさせておくことが力を込めて伸ばしたときの反動に繋がる。

 それを踏まえた上でゆっくりと腕から足に至るまで念入りに伸ばしていく。


 そうこうしていると、控え室の扉が開き俊彦先輩とジョーたちが戻ってきた。元々疲れた様子のジョーとは別に、俊彦先輩も何か様子がおかしい。


「…どうかしましたか?」

「やられたよ。これを見てくれ」


 一枚の紙を見せられる。

 どうやら今回の対抗戦の組み合わせが発表されたらしい。

 どれどれ、チェックしてみるとしよう。


『第一試合 フライ級 内田 和樹 対 田中 隆之 

 第二試合 バンタム級 中西 弘樹 対 丸塚 丈一

 第三試合 ライト級 小林 景 対 佐々木 俊彦

 第四試合 ライトウェルター級 大石 崇 対 岡田 三郎

 第五試合 ライトウェルター級 石塚 毅 対 三木 充』


 …………。

 うん、なんというのか予想はしてたよ。

 ジョーと俊彦先輩、そしてオレか岡田先輩でなんとか3勝を、っていうのが目標だったんだが、俊彦先輩はともかく、無理な減量をしたジョーが全国区の選手と…というのはかなりキツい。


「……なんといいますか、予想と違ったオーダーになってますね」

「ああ。まさか石塚と中西が階級を上げて、その分小林が階級を下げるとは思わなかった」


 確かにボクサーが慣れ親しんだ階級をおいそれと変えるというのは予想しづらかっただろう。今回減量をしてみてわかったが、ボクサーは自分の階級に対して真摯に向き合っている。

 体の動きやキレ、拳の威力やバランスなど、様々なことを考慮してギリギリのところで試合に臨む。

 例えば階級が上の者が減量して下の階級にいけばパワーでは勝ることはできる。だが無理な減量で体力が落ちてしまえば試合の最中でスタミナ切れを起こしてしまうし、あまり下の階級に行ってしまえば軽量ゆえのスピードについていくことも難しい。

 そういった階級の上下の特性を勘案し自分がベストパフォーマンスを発揮できる階級を決め、ただ一度の試合のために鍛錬を積み重ねる。

 そんなボクサーにとって階級を変えるのは大きな変更だ。勿論俊彦先輩のように体格的な成長が理由でやむを得ず階級をあげたり、ということはある。だがそういった場合でもしっかりとした準備期間を経て行うものだ。それまで試合で試しもせずに、いきなり重要な大会から上げるというのはリスクを伴う。


「……まぁオレが最後の試合、それも一番ヤバいのとやりあうのは、なんとなくそんな予感してたんでいいんですけどね」


 取り仕切っているのが生徒会の時点で、ある程度向こうのいいようにされるのは仕方ない。石塚が階級をあげてきたとして、ライトウェルターが複数いるにも関わらずあっさりとオレが対戦相手にされているのは、おそらく伊達の手回しなんだろう。


「ま、決まってしもたもんはしゃーない。なるようにしかならへんて」


 もぐもぐと粥をかき込みながらジョーが答える。

 無事に計量を終えられ、これまでの空腹を満たすかのように一気に食べまくっている。

 いくら消化のいいお粥だからといって、試合前にあんなに一気に食べて大丈夫なんだろうか?


「…確かに。まるでこちらの布陣を確認して裏をかくようにオーダーされているが、こちらも直前で鈴木先輩に代わってジョーを出している以上、向こうがいつもと違う選出をしていても何も言えないしな」


 ……。

 もしかして直前の襲撃はそのために……なんてことを思いつくが、なにせ証拠が何もない。考えても仕方ないな。


 ふぉんっ!!


 不安をかき消すように拳を振るった。



 調整をすることしばし。

 いよいよ試合が始まり、オレたちは試合会場へと移動する。

 それぞれがタオルや飲み物のボトル以外にヘッドギアやらグローブやら持っているため、意外と結構な荷物である。

 体育館の中心にリングが設置され、周囲にパイプ椅子で観客席が用意されていた。それぞれの観客席にはそれぞれの学校を応援する人たちがまばらに座っている。

 真ん中のリング脇には採点をするジャッジとタイムキーパー、そして少し離れた場所にスコアボード。こうやって改めて見ると本当に試合をしにきたんだなぁ、と感慨深い。


 リング上で二人の選手が向き合う。

 間に挟まれている主審が注意事項などを説明。


 カンッ。


 ゴングの音と共に試合が始まる。

 第一試合はフライ級の試合。第一高校側が内田うちだ和樹かずき、対するうちの第二高校側が田中たなか隆之たかゆき

 オレは相手の内田選手のことをよく知らないからなんとも言えないんだが、俊彦先輩の分析によると4:6で相手が優勢らしい。


「…………」


 と、ふと気づいて観客席の隅へと近づく。

 そこにいる奴のほうへと。


「これはこれは…本日のメインイベンターの三木君じゃあないか。

 試合の前にこんなところで油を売る余裕があるとは、さすがだね」


 悠然と憎まれ口を叩くその男。 

 第二高等学校、副生徒会長。

 今日はひとりではなく脇に随分と体格のいい奴が控えている。サングラスをかけ目出し帽を深く被ったこれまた体格のいい男だ。油断なくこちらの一挙手一投足を窺っている。

 伊達の部下なのかそれとも護衛者なのかはわからないが、明らかにオレよりも格上な相手。

 一瞬気圧されそうになるもののなんとか堪え、


「ありきたりな皮肉をどうも。それよりも副生徒会長はお約束のほう、忘れてはいませんよね?

 オレの言うことをひとつ聞いてもらう、っていうやつですよ」


 ぴしり。


 雰囲気が変わったような気がした。


「そういえばそんなものもあったな。

 勝敗がどうなるかはわからないが、言うだけ言ってみるといい。何が望みだい?」


 静かな口調。

 だがその目は笑っていない。

 お互いにわかっているのだ。

 このやり取りがすでに分かりきったことの確認だということを。

 これからの賭けの前に行われる儀式でしかない。



「…月音先輩に二度と手を出さないでもらいます」



  ぎ

 し

   り

    。


 

 空気が死んだ。



 ぎち…ぎちぎちぎち……ッ


    みぢ…ッ、ギリギリギリ……ッ。



 相対するオレに叩きつけられているのは本物の殺意。

 感情が質量を持つ、など誰が信じるだろうか。

 だがほんの刹那に向けられたそれを感じたことがある者ならば否定はできないに違いない。


 それを感じることが出来たのはこの体育館にいたうちの数人のみ。

 大半の人間は一瞬の寒気を感じただけだろう。


 例えそれがこれから賭けられることを知っていたとしても。

 すでにわかりきったことの確認だとしても。



 これが、伊達には受け入れられない宣言だということを明確に示していた。



 恐怖で膝が笑う。

 オレの体は知っているのだ。

 伊達が起こす破壊の結果を自らの死という結果を持って。

 だが、


「では失礼します」


 颯爽と踵を返した。

 すでにオレはあのときの何も知らない、ただの一般NPCだった頃のオレとは違うのだ。

 今はまだ遠くとも伊達への道のりはすでに見えているのだから。


 その様子に脇にいた男が一瞬その体を動かそうとしていたが、伊達が何かに気づいたのか軽く手を挙げると動きを止める。


 カンッ!


 1R終了のゴングを背にオレはリングサイドへ戻る。

 リングの上では青コーナーに椅子が置かれ、田中先輩が座っていた。よく見ていなかったがかなり動き回ったらしく、びっしりと玉のような汗をかいている。すこしだけ水分を補給させ汗を拭いながらセコンドの顧問がアドバイスをし、そのまま2Rに送り出していった。

 オレも先輩を応援すべくリングに一番近い応援席で声を挙げる。


「おまエ、結構無謀だナ」

「ッ!?」


 耳元にどこかで聞いたような声が響き思わず辺りを見回す。

 しかしオレの周囲の椅子は空いている。


「試合見に来たゾ」


 声はすれど姿は見えず。これはもしや、


「………師匠?」

「いくら呼ばレても照れルけど、ちょっト嬉しイな」


 こそっと周囲に不審に思われないくらいの小声で呟くと確かな答えが返ってきた。

 間違いなく隠身さんだ。


「なんでまたこんなところに?」

「刀閃卿に聞いタ。弟子兼友人の応援、一度シてみたかっタ」

「…さいですか」


 ……なんというのか、今この体育館凄い人外魔境になってるぞ。

 なにせ上位主人公ランキングプレイヤーが3人も一堂に会している。

 とりあえずさっきのセリフについて聞いてみた。


「無謀って何のことです?」

「お前、伊達に何か言っテた。そのとき脇の男、オ前殺そうとしてタ。同時に伊達、何か投げタ。隠身、こっそリ短剣構えてそれ弾いタ。伊達、退いタ」


 ………え?

 いや、なんかあのときは伊達が脇の男の行動を止めただけかと思ってたんだけども、実はこっそり攻撃されてたと……?

 怖えぇぇ…。

 ちなみに何投げてたんでしょう…?


「ボタン」

「……」


 まぁそれくらいなら…いやいや、ダーツがコンクリートの壁に普通にめり込むような技量だ。ボタンひとつでも結構な威力だった可能性がある。


【隠身の気配は探知系の技能がなければ知覚できぬ。となれば伊達にとって攻撃したもののなぜか弾かれたとしかわからぬはずじゃ。それを警戒したからこそ退いたのじゃな】


 もし弾けてなかったら、隣の男の行動を止めてたかどうかも怪しいってこと?

 よりによってこんな大人数がいるところで暴れたりするほど分別がなさそうには見えないんだけど。


【おぬしこそ忘れておるな。確かにあの伊達という男、上位主人公ランキングプレイヤーというだけあって利害を踏まえて行動できるだけの知性がある。

 だが、その一方で特定のことに関してだけはそれを上回る狂気を持っておることを、な。

 いや、あの月音という娘に対する執着を考えれば、単純に比較し、多数のNPCを巻き込んで大事にするのなど大したことではないと判断したのやもしれぬな】


 月音先輩にちょっかいをかける相手を滅ぼせるなら、他のことは全て些事。

 例え何人殺そうと、どれだけの被害が出ようとも。

 そう言い切れる精神はとても歪だ。

 そんな風だからこそ、オレがこんな要らんことをしなきゃならなくなることに気づかない。


「見てルぞ、頑張レ」

「…どうも」


 しかしこんだけ人がいて誰も気づかないとは……さすが上位者ランカーだけあるな。オレもこれくらいの隠密能力をゲット出来る日が来るんだろうか。


 伊達や隠身のおかげで大分対戦相手への恐怖が薄れてきた。

 いくら全国優勝している相手とはいえ、あの二人に比べればなんてことはないのだから。


 カンッ!


 おっと。

 そうこうしているうちに試合が終了した。

 最後まで戦い抜きポイントでの勝負になる。それぞれ1R毎に20点の持ち点があり、相手との有効打の差によって減点。それ3R繰り返した合計が最終的なポイントになる。

 結果は60対56でポイント負け。

 1Rでは有効打がほぼ同じで20対20で拮抗していたものの、2Rと3R目で少し疲れが出てきたのか失速し差を付けられてしまった。

  

 これで1敗。

 あと2つ取られたら負けてしまう。

 いよいよ苦しくなってきた。


「そない辛気臭い顔せんとき。要はオレが勝ってもうたらええんやろ」


 ヘッドギアをつけてもらいつつ、ポフポフとグローブをぶつけてジョーが言う。

 第二試合はバンタム級の試合、階級をあげてきたフライ級2位の中西との戦い。直前に無茶な減量を強いられ本調子ではないという逆境の中、それでも笑う。

 ゆっくりとリングに上がっていくジョーを見ながら俊彦先輩に、


「ちなみに相手の中西なんですけど…どれくらいの強さなんですかね?」

「そうだな。10本やれば1、2本くらいは取られるかもしれん」


 うーん、俊彦先輩の凄さしかわからん。

 おそるおそる思いついたことを聞いてみる。


「ちなみにジョーだと……?」

「ボクシングルールでジョー相手なら、100戦やって100勝できるだろう」


 いや、それだと中西にジョーが勝てないということになるのでは。

 さらに俊彦先輩の言った前提に加えて、さっきも言った慣れない減量、不良上がりのジョーには慣れないボクシングルール、そして全国区の選手。悪条件がこれだけ揃っていれば勝利が遠くても仕方がない。

 オレが余程不安そうな顔をしていたのだろう。

 俊彦先輩は苦笑しながら、


「だが、ジョーと中西が戦るというのであれば―――」


 カンッ!


 戦いのゴングが打ち鳴らされる。

 リング上で向かい合う両雄。


 その光景を見ながらセリフを続ける。



「―――ジョーに賭けるよ。まして、この状況であれば尚更ね」



 百戦錬磨のボクサーはそう言って友人を誇った。



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