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36.持つ者との対決! そして……


 5階の廊下を歩き出そうとしていたとき、生徒会室の扉が開いた。


 反射的に少し後退して階段と廊下の角に隠れた。

 …いやいや、なんで隠れるんだ、オレ。誰か見てたら思いっきり不審者じゃないか、などと内心苦笑してしまうが、結果的にこの行動は正しかった。

 生徒会室から出てきたのはひとりの女の子。

 付き合いは浅いものの、よく見知った顔。いくらなんでも生死を共にした仲間の顔を見間違えるはずもない。

 

「………咲弥」


 思わず呟いてしまった。

 生徒会室から出てきたのは咲弥。

 勿論同じ部で、主人公プレイヤーとして赤砂山で一緒に戦った、あの咲弥である。

 偶然、というのは出来すぎているタイミング。

 やはり伊達副生徒会長の間者スパイかもしれない、という疑惑が正しかったのではないか。そう思わせるのには十分過ぎた。

 かといって少し落胆しただけでそれ以上の動揺はない。内心面白くはないが、その可能性を踏まえてあの時信じると決めたのだ。完璧を期するならなんでもかんでも疑っておくべきなのかもしれないが、そんな風にして生きれるほど器用でもなし、見立てが甘かったことを反省するくらいだ。

 彼女は少し周囲を確認してから廊下の奥のほうへと歩いていってしまった。

 どうやら見つからなかったらしい。

 ほっと胸をなで下ろした。

 間者スパイ云々についての話はとりあえず横に置いておくとして、問題はこれから会うかもしれない伊達副生徒会長がオレの情報を持っている可能性が高い、ということか。

 呼び出されたのが生徒会、っていうだけだから、もしかしたら月音先輩と顔合わせして事務的に話をして終了、ってのが一番いいパターンなんだけど、現実はそんなに甘くないだろう。

 咲弥の姿が完全に見えなくなるまで色々考えながら、生徒会室の扉の前まで歩いていった。


 大きく深呼吸ひとつ。


「失礼します」


 扉の外から声をかけて、すこし待ってから扉を引いた。


 ぞくり。


「…………ぇ…?」


 張り詰めた空気を感じる。

 生徒会室そのものは教室を流用しているだけの普通の構造だ。

 入口から向かって奥に窓がありそこに生徒会長用の机と椅子、左右の壁にはスチール製の書類棚や本棚、ロッカーなどの収納。部屋の真ん中に長テーブルと椅子、あとは副生徒会長用の机と椅子に、各自支給されているパソコン用のテーブルが置いてあった。

 ちなみに余談ではあるが、机と椅子は一般的に学校で使っているものではなく家具屋さんで売られていそうな結構スタイリッシュな高価そうなやつだ。なんでも生徒会OBに大きな家具屋を起こした人がいるらしく、そこから寄付してもらったとかなんとか。

 まぁオンラインゲーム部ほど凄くないけどな!

 さて、室内にいたのは二人だけ。

 月音生徒会長、そして伊達副生徒会長だ。

 奥の生徒会長用の机の脇に立っている月音生徒会長と、長テーブルの奥の椅子に座っていた副生徒会長は何事か話していたのか向き合っていたが、オレが扉をあけたのに気づいて両者こちらに視線を向けていた。

 驚いたのはその雰囲気。

 それはさっき感じた通り、張り詰めたとても危うい感じのものだ。とてもじゃないが恋人同士が二人っきりにいるときに出していると思われるものじゃない。

 余裕たっぷりの副生徒会長と、怜悧な表情で感情を感じさせない生徒会長。

 一体何が…。


「………何をしているんだ。早く入りたまえ。

 そのように入口で突っ立っていられると周りの迷惑になると思わないかね?」


 副生徒会長に淡々と告げられ、オレはゆっくりと中に入る。

 さすがに背中を向けるのは怖かったので、後ろ手に扉を閉めた。

 うーん、これで逃げられないな。ここって5階だっけ? 奥の窓から飛び降りたら死んじゃうしなぁ、どうしたもんかなぁ。


「丁度いい。今雑事が一段落したところだ。

 お互い主人公プレイヤー同士、忙しい身だろう。手早く済ませようじゃないか」


 ぴくり。

 主人公プレイヤー、というところで月音先輩が一瞬だけオレのほうへ視線をやった。

 月音先輩にはNPCだって自己紹介してるんだったなぁ…誤解されたかもしれないけど、とりあえず今の状況で否定してもどうにもならんので我慢する。 


「いや、本当に騙されたよ。灯台もと暗し、とはよく言ったものだ。

 まさか自分と同じ高校に上位者ランカーとそして知らない主人公プレイヤーがいたのを把握していなかったとは、ね。

 ああ、騙された、というのは的確ではないか。ボクが有名なのは仕方のないことだから、キミのような無名な相手との露出の差からくる情報量の違いはどうしようもないのだから」


 中身のない言葉にちょっとイライラする。

 手早く済ませるんじゃないのか、と思わずツッコみたくなるが黙っておく。

 相手の要求がわからないのに怒らせてもいいことは何もない。


「ボクの目的はひとつだ。

 何、そう身構えることはないよ、大したことじゃない。ボクと“刀閃卿”の間に生じた要らぬ誤解を解いて友好的な関係に戻したい、ということだけだ。

 そのためには、まず諍いの原因となったキミと話してみることが先かと思ってね」 


 つまるところ、商店街で月音先輩を庇ったオレの行為が、出雲との関係悪化の原因であると結論づけているわけか。実際はその前からなんだけどね。

 やっぱり出雲の読み通りこの人、オレを殺したことは覚えていないらしい。


「キミのことは少し調べさせてもらったよ。

 正直、“刀閃卿”と親しいのが信じられないほどレベルは低いようだが…、それでいて一カ月足らずで10レベルまで伸ばしたというのは悪くないじゃないか。先日は仲間の援護があったとはいえ槍毛長の大将格を仕留めたらしいから、多少格上でも接戦を制する力はあるのだろう。そこも素晴らしい」


 ……。

 間者スパイ云々の話で覚悟はしていたけど、赤砂山の行動は全部バレてるか。


「さて………。

 キミのことを調べてその繋がりから“刀閃卿”、この場合は龍ヶ谷といったほうがいいかな? 彼を含め、その周囲まで把握させてもらった。その上でこちらの申し出はひとつだ」


 ぴ、と伊達副生徒会長は人差し指をオレに向けた。


「三木君、ボクの手駒になりたまえ」


 一方的な要求。

 最初は冗談かと思って、見返すがその瞳の光は心底本気の色だった。


「手駒というと聞こえが悪いというなら部下ということにしよう。仕事はただひとつ、ボクの命令を聞くこと。心配しなくてもキミが忠誠を見せる限り破滅的な命令をしたりはしないさ。苦労してようやく手に入れた駒を使い潰すなんていうのは経済感覚のない愚か者のすることだからね」

「……それを受け入れてオレにどんなメリットがあるんでしょうか?」

「メリット? ああ、メリットなら盛りだくさんさ! まずレベルアップの手助け、これはキミも実感しただろうが効率で大分違うからね。他にも余った素材の提供、人脈の紹介、それにボクの部下になるということは他の主人公プレイヤー連中に対しての抑止力にもなるだろう。

 なにせ上位者ランカーの仲間だ。そこらへんのゴロツキとは訳が違う」


 うん、まぁ予想通りのメリットだな。

 もしここで「そんなものはない。馬車馬の如くボクのために働きたまえ」とか言われたらどうしようかと思ったけど。

 そこで彼は一旦言葉を区切る。


「さぁ、どうするね?」


 気づくと彼の手にはダーツが握られていた。

 2本のダーツを左手に、もう1本をくるくると右手で弄んでいる。


 じんわりと空間に染み出す殺気。


「……ッ」


 そこで濃密な殺意に気づく。

 陽炎のように景色が一瞬霞むような錯覚。

 押し殺してはいるけれど、副生徒会長から漏れ出すそれは明確にオレという存在への拒否が漂っていた。まるで張り詰めた風船のように、あとひと押しすれば破裂し溢れ出すだろうことは間違いない。

 つまるところ、断ればどうなるかを物語っている。


「…………」


 ごくり、と唾を飲んだ。

 少し前の覚悟を決めた、と言っていた自分が情けなくなる。決めたはずの覚悟ですらヒビ割れ砕け、恐怖で膝が笑う。

 学校だから手を出さない?

 それは一般の主人公プレイヤーの話だ。相手をするのはその中でもトップクラスに位置する相手だということを完全に失念していた。


「いやぁ、ありがとう! これでキミもボクの部下だ。歓迎するよ」


 こちらが返答しない、つまり無言でいることを肯定の証と受け取ったのだろう。

 楽しそうに拍手をする。


「では早速ボクの言う通り行動をしてもらおうか。

 まず第一。これがとんでもなく重要だ。もし他の命令と重複した場合でもこれを一番優先してもらいたいね。それくらい重要な命令だ」


 ………。



「“月音くぅんに今後一切関わり合いを持つことを禁止する”」



 それまでのどんな台詞よりも力の入った言葉。

 暗く狂気的な重み。

 おそらくはこれが伊達政次という男の全て。


 関わるな、というその言葉にかすかに彼女が反応を見せた。それも一瞬だけのことですぐに何事もなかったかの如く怜悧な無表情を装ったが。


「あぁぁ、わかる、わかるよ。彼女はこんなにも美しいぃぃ。そりゃ話しかけたくなる気持ちは痛いほどわかる。むしろボクほどそれをわかる人はこの世に存在などしないだろうねぇぇぇ」


 その様子を楽しそうに見ながら副生徒会長は話を続ける。


「でもいけない。キミはボクの部下なのだから、節度をもちたまえ。話しかけられても返してはいけない。直接その姿を見ることも許さない。すぐに視線を変えたまえ。

 彼女は全てに至るまでボクだけのものなのだから…ああ、許されるならばこの世のありとあらゆる被造物を灰にしてしまって誰も関われなくなってしまえばいいのに、と思うよぉぉ? あははは」


 ……………。

 …こいつは……何を言っているんだ?


 じわり、と何か溢れ出す。

 どこからかと思えば脳髄の奥底からだろうか。


「そしてもうひとつ。これはそんなに難しいことじゃあ、ない」


 じわり……じわり……ッ。


 もう相手の言葉は耳を素通りしていた。

 言葉の内容はわかるが理解していない。


 ………こいつは主人公プレイヤーだ。

 オレが望んでも望んでも得られない立場を持っている。


 ………こいつは上位者ランカーだ。

 オレが持っていない物理的な強さを持っている。


「“刀閃卿”との仲を修復してもらいたい。これは簡単だろう?

 友人同士なら一言、ボクについて―――――」


 ッ……ッ……ッ。


 世界から音が消失する。

 オレの中で何かが煮えたぎる。

 腹の底からのようでもあり、頭蓋の中心からのようでもあり、脈打つ左手からのようでもあった。


 外見、名誉、出自、素質。

 おそらくありとあらゆるモノでオレは敵わない。

 それだけのものを持っている。


 なのになぜ――――


 それなのになぜ―――――


 視線が一点で止まった。



 月音・ブリュンヒルデ・フォン・アーベントロート。



 彼女の外見的な美しさとかそんなものはこの際どうだっていい。

 でもおそらく今の怜悧な態度こそが、学内の噂通り人を寄せ付けない彼女なりの仮面なのだと今なら実感できる。


 でもオレは知っている。

 すこし意地悪なところも、年下相手にちょっとお姉さんぶるところも、細かいところまで相手を気遣えるところも、そしてなにより―――その笑顔を。



 伊達政次。

 あんたはそんなに色々なものを持っているのに…それを与えることもしないで、彼女からそれ・・を奪うっていうのか!!



「…――………―――ッ」



 綾は出雲が守る。

 なら、この独りの娘を守るのは誰の仕事だ?


 ―――ゴメン、エッセ。


 全身が破裂しそうなほど荒れ狂う熱の奔流の中、最後の思考で謝罪する。


 ―――オレ、死ぬわ


 勝ち目など知らない。

 戦力差は絶望的。

 例え殺されても構わない。

 あいつの殺気などよりも、オレの熱のほうがずっと苦しいのだから。


 相手を見据える。

 肝心要の相手は呑気にもスマートフォンをこちらに向けていた。



 殺したいなら殺せ。もう一度殺せ。

 だがただでは殺されてやらない。




 例え殺されようとも――――貴様から彼女を奪いとるッ!!




 衝動が、体を突き動かした。


踏み込んだのは一歩。

 距離は3メートル。

 もう2歩もあれば手が届く範囲。


 だが踏み込まない。

 正確には踏み込む素振りを見せる。


 さすがにこの戦力差で反抗するとは思っていなかったのだろう。スマートフォンを左に持っていた伊達は、すこし虚を突かれた格好になったがそこは相手も百戦練磨の上位者ランカー。何事もなかったかのように右手をかすかに振る。


 ほんのすこしだけ。


 射撃の補正は弓のみではなく投擲武器とも多少共通しているのか、それだけで驚異の速度のダーツが投擲される。おそらく日常のさりげない動きの中、もしくはめまぐるしく動く攻防の中ではオレも見落としてしまっていただろうかすかな動作。


 だがただ一点、右手にだけ集中していた御陰で見極めることができた。


 左手にスマートフォンを持っている以上、持ち替えない限りは右手しかない、それだけ限定されていれば曲がりなりにも前衛職だ。後衛職の予備動作くらい見極めることができると踏んだ。

 そして見極めたと同時に頭を横に振る。

 胴体に刺さったらもう諦めることにした。そのダーツがどんな特別なものかはわからないが、最悪貫通するとしても胴体ならば、まだ動ける可能性がある。だが頭を一撃でやられたらもう終わり。


 死ぬことは覚悟した。

 でも一矢報いる必要はあるのだ。


 ならば必然的にどちらを避けるべきかヤマを張る必要すらなかった。


 ふぉんっっ!!!


 耳に風を切る音が響く。

 ダーツは頭のあった位置を通過していく。十分に裂けたはずだが、なぜか右の耳が1センチほどざっくりと裂けた。だが悪くない。

 最悪腹をぶち抜かれる威力は覚悟していたのだから。

 いつぞやのように。

 それでも勢いだけは止めないと決めていたオレにとって、その程度は温すぎるッ!!


 だんっ!!!


 避けるすれ違いざまに1歩詰めた。

 ここが正念場。

 伊達が避けられたことに驚いている間にもう一歩を詰める。

 我に返ってダーツを右手に取ろうとするが、


「遅ぇッ!!」


 だんっ!


 踏み込んで拳を握る。

 さぁしっかりと落とし前つけさせてもらうぜ!!


 ごぎんっ!!!


 右拳を相手の顔に叩きつけた。


 …ッ。


 妙な感触。

 殴れたのはいいが、まるで分厚いゴムを叩いているかのような、そう、棒で槍毛長の脇腹を殴ったときのようなダメージの通っていない感触。

 どんなに力を込めて純然立つレベル差がそこに存在していた。


 それで気づいたのだろう。

 にやり、と笑って伊達が動き出す。今のオレの力では例え数発殴られたとしても大した被害ではないことに。勿論顔を殴られた屈辱は隠せていないが、それを上乗せしてオレに返そうとスマートフォンを持っている手に一緒にもたれていたダーツを、予定通り右手に持ち替えようとする。


 不味ッ!

 この密着状態であれだけモーションのない投擲は避けられないッ。

 咄嗟に左手で相手の左手をつかもうとした。


 がしっ!!


 掴んだ。

 だが一瞬遅い。

 掴めたのはスマートフォンを握った左手のみ。


 すでにダーツは右手に握られている。そしてオレは相手に左半身を見せた姿勢のまま。もはや避ける体勢にはない。



 …………負けだ。死ぬ。



 事実だけが頭を過ぎった。

 諦める気持ちはない。

 だが現実は冷酷でオレの死を確定していた。


 死。


 この熱を吐き出すことなく。


 奪うこともなく。


 ただ、再び命を奪われる。


 奥底の熱がさらに荒れ狂う。


 出口を求めて。





 ドックン…ッ…。





 左手が脈打つ。

 言葉ではなくともわかっていた。

 ソレをよこせ、と。


「ぉ……おぁァぁあああああああッ!!!」

  

 どうすればいいのかなどわからない。

 ただ心のままに熱を放った。




 ―――そして、それは起こった。




「…ッ!!!?」


 ダーツを投擲しようとしていた伊達が驚愕に、今度こそ本当の意味で驚きに目を見開いた。


 ずずずず……ッ!!!


 オレの左手。

 その手のひらの表面から、まるで気流のように赤黒いものが吹き出し掴んだ伊達の腕の表面を急速に這い上がっていく。


「……ぐぁっ!!?」


 オレが渾身の力で殴っても微かにしかダメージを受けなかった相手が、わずかに痛みの呻きをあげながら手を振り払った。

 この反応の速さはさすが上位者ランカー

 手首まで達した段階で腕が完全に覆われる前に離脱し、思わずその手首を押さえながら距離を取る。


 巻き込まれ間に合わず、黒い固まりになったスマートフォンが床に落ちる。


 パキン…ッ。


 まるで朽ちた木材の破片のように乾いた音を立てて砕けた。


「……………ッ」


 何が起こったかわからないまま、オレは再び伊達を見据えた。

 室内を静寂が包む。

 伊達は予想外の事態を警戒するかのように、月音先輩は一瞬の攻防に驚いて、そしてオレは格上の相手が再び距離を取ったことに対して構えて、それぞれが沈黙する。

 ……一体、なんだったんだ、アレ。

 こっそり見ると、未だに左手からは赤黒い気流の残滓が残っていた。


【“天賦能力ダートゥム・ファクルタース”じゃな】


「“天賦能力ダートゥム・ファクルタース”…?」


 突然のエッセの言葉にオウム返しに呟く。

 それ自体は本人も意識していない些細な行動。

 だが、その一言にはっきりと反応した相手がひとりだけ居た。


「………“天賦能力ダートゥム・ファクルタース”、だと……?」


 憎しみを込めて告げたのは伊達。

 予想外が続いたためか、先ほどまでの余裕たっぷりの表情は今や影も見えない。

 だがその眼の狂気は未だ死んでいない。


「なるほど。あれだけの戦力差で突っかかってくるとは思わなかったが…そんな隠し球があったなら納得がいくというものだ」


 左手を伊達に向けて突き出す。

 とりあえずさっきエッセが言っていた“天賦能力ダートゥム・ファクルタース”とやらが何なのか、どうやったら使えるのかはわからないが、威嚇にはなりそうだ。


「わかってるなら話は早いですね。

 あんまり勝手な条件を言うもので、つい。オレとしては侮らないでもらいたいだけですよ」


 そのまま睨み合うことしばし。

 空気が固体になっていくような緊迫感。

 それを破ったのはオレだった。


「…で、どうします? このまま最期までやりあうならそれでもいいんですけど。

 正直さっきの条件じゃオレは部下にはなれません、ってことだけ伝えておきますよ」


 いや、本音は最期までやりあうのもゴメンですがね。


「ふン……キミの“天賦能力ダートゥム・ファクルタース”が何かは知らないが…珍しい能力のひとつやふたつであまり強がるなよ。やりようはいくらでもある。

 ……が、単純な潰し合いでは互いに面白くないもの事実だな」


 ゆっくりと生徒会長の机に置かれている書類の山から一枚の紙を手に取った。


「キミ…ボクシング部の対抗戦に出るらしいね?」


 それは今朝先生に渡したはずの入部届けだった。


「ならば話は早い。ひとつ賭けをしよう」


 ………。


「その対抗戦、キミが負けるようならばボクの部下、いや奴隷になってもらう。この場合はボクの下僕として従順に働いてもらおうか。何、主人公プレイヤーなら一般のNPCに負けるわけもなし、破格の条件だと思うがね」


 もし断ったら入部をさせない、とでも言うつもりか。

 本来は生徒会長の権限ではあるが伊達がやろうと思えば確かにそうすることは可能に思える。


「ならオレが勝ったら、ひとつ伊達副生徒会長にお願いを聞いてもらいたいところですね」

「………ふむ、いいだろう」


 おし、言質は取ったぞ!

 内心ガッツポーズをしていると、視界に赤いものがうつった。こっそり視線をやると、長テーブルに置かれた箱の中に、血まみれの仔猫が入っていた。致命傷に至らないよう、ギリギリまで何度もカッターナイフか何かで薄く傷をつけられたボロボロの仔猫。

 かすかに息をしているが少し震えていて、今にもその命の灯は消えそうに見える。


 ……この猫。


 見覚えがあるようなないような。

 うーん、どこで見たっけ…。


 そこまで頭を捻ってようやく思い出した。


 ………このクソ眼鏡、なんてことしやがる。


 ぐつぐつと再び怒りがこみ上げるがなんとか堪えた。


「話は終わりのようなので失礼します」


 ぺこり、と伊達副生徒会長と月音先輩に会釈。

 そのまま何気ない動作で箱を手に取った。


「…待て」

「天下の序列4位が動物虐待ってのは感心しませんよ。せっかく主人公プレイヤー憧れの上位者ランカー様なんですから。勝手に処分しますけど構いませんよね?」


 なんでもないことのように振舞って出口に向かう。

 見ると入口の脇の壁に、さっきオレが避けたダーツが突き刺さっていた。コンクリートの壁に半分以上、つまり10センチくらいめり込んでいる。

 怖ぇ…っ。

 弓と関係なさそうなダーツでこの威力、ってことは完全装備だったらどうなっていたことか。考えるだに恐ろしい。


「…調子に乗らぬことだ。虎の威を借る狐は長続きしないからな」


 後ろで伊達が何か忠告っぽいことを言ってきたが、意味がわからんので無視する。まぁ後でエッセに聞けばいいだろ。


「失礼しました」


 ガラガラ…ピシャ。


 扉を閉めて階段まで移動。

 そこで一息つく。


「………はぁ…マジで死んだかと思った」


 いつものことだが、戦っているときはよくても我に返ると胆が冷える。

 おっと、いかん、早いところなんとかしないと。

 こっそりポケットに常備している河童の軟膏を取り出す。箱を下に置いて仔猫に塗っていく。さすがにこれだけ死にそうだと無理かもしれないが、見殺しにするわけにもいかない。


 なんとか間に合ったのか今にも消えそうだった呼吸がすこし力強くなった。まだ傷は塞がりきってはいないものの、これならもう少し待って軟膏をもうひとつ使えば元気になりそうだ。

 いやぁ、何度使っても凄ぇなぁ、これ。

 ホント、量産できたら億万長者間違いなしだぜ、うん。

 でも冷静に考えたら、今のこの状況だとオレが猫を虐待させた、みたいに見えるな。誤解されないうちに塗らないと。


「充さんッ」


 おっと?

 振り向くと、そこには追いかけてきてくれたのか月音先輩がいた。


「さっきの仔猫ですが」

「い、いいいえいえ、オレは虐待なんかしてませんよっ!?」


 アホなことを考えていたせいで咄嗟にわけのわからんことを口走ってしまった。

 月音先輩はすこし怪訝そうに顔をしつつも、箱の中の仔猫を見て安心したかのように表情を和らげた。


「……よかった」

「この仔猫、初めて先輩と出会ったときのあの子ですよね?」

「覚えてらしたのですか」


 そんな意外そうな顔されても。

 こう見えても記憶力はそこまで悪くは……。


【すぐに思い出せずに、記憶を必死で探っていた男子のセリフではないの】


 ………はい、そうでした。

 まぁ、なんであんなところにいたのかは知らないけども、どうせ伊達が月音先輩にプレッシャーかけるべく拐ってきたんだろ。ホント、ロクでもないな。


「よかったら、この子うちで引き取りますよ」

「え?」

「もうオレは伊達先輩にはマークされてますんで。たださっき見たとおりおいそれと手出しされるようなこともないと思いますから、大丈夫ですよ」


 ああ、いい笑顔だ。

 やっぱ月音先輩は笑ってるほうが絶対可愛い。


「ありがとうございます」

「いえいえ。月音先輩みたいな美人の手助けなら喜んでしちゃいますよ~」


 あはは、と冗談めかしていうのも結構勇気要るな、これ。


「さっきのやり取り含めて、色々と聞きたいことはあると思いますけど少しだけ待って下さい。ボクシング部の対抗戦で勝って、月音先輩に関わらないようにしますから」


 正直本当に恋人かどうかなんてもうどうでもいい。

 あんな仔猫をダシにしたり無茶苦茶する奴が側にいることが許せない。


「……いえ、でも」

「ど、どっちみち避けて通れないですからね。他に頼むこともないんでお安いご用ですよ。

 でもまぁ、代わりに、と言うとなんかアレですけど、もしよければ一個だけ月音先輩にお願いしてもいいですか?」

「………………?」


 よし、言うぞ。

 噛まないようにしないと。

 ごくり、と唾を飲んで続ける。


「オレと友達になって下さい」


 全力で笑顔を作って手を差し出した。


「…ッ、それでは充さんが……」

「オレは絶対に伊達には負けませんから」


 手は引っ込めない。

 その手がそっと包まれた。


「…………ありがとう」


 両手で握り締めた月音先輩は一瞬だけ目に涙を浮かべ、応えてくれた。



「喜んで」




 美しい金髪を揺らして微笑んだ笑顔はきっと忘れないだろう。




 □ ■ □



 生徒会室でひとり、伊達政次は佇んでいた。

 予想外の事態について整理するためだ。


 報告で三木の能力、技能については把握していたはずだった。

 お互い装備がない上に、密室という近接職圧倒的有利のあの状況で飛びかかってきたとしても問題ないはずだったし、実際途中まではその通りだった。

 だがよもやの“天賦能力ダートゥム・ファクルタース”という隠し球。

 本格的に発動する前に避けれたので、おそらく接触系の能力なのだろうと推測はできる。だが未だ詳細が不明の能力であることは違いがない。

 そして、それは“天賦能力ダートゥム・ファクルタース”を与えることのできる“神話遺産ミュートロギア・ヘレディウム”保有者が背後にいるということ。


 “天賦能力ダートゥム・ファクルタース”そのものは万能というよりも特化型のものが多い。状況にハマれば強いが、経験上穴を突けば対処できる。

 だから能力の正体さえ掴めてしまえば対処は可能だ。


 だが“神話遺産ミュートロギア・ヘレディウム”保有者は話が違う。


 アレは災害のようなものだ。

 立ち向かうとすれば最低でも上位者ランカーが複数で対処、ものによっては斡旋所ギルドで特別招集をかけて対応するような存在。

 文字通り、神話の時代の災厄。


 とはいえ。


 例え三木が“神話遺産ミュートロギア・ヘレディウム”保持者から彼と同じく・・・・・天賦能力ダートゥム・ファクルタース”を与えられていようと、あの賭けならばこちらに分がある。


「………ふン」


 賭けとは相手にとってのものであるべき。

 そして自分にとっては出る目をいじれる賽を使う。


 その原則に立っていれば負けることなどないのだから。

 だが最悪の場合の準備はしておかねばならないだろう。


 伊達はそう結論づけて、生徒会室を後にした。 








 うーん。

 すっかり失念してたわ。


 問題はどうやって家族を説得するかだな。

 うちの兄貴、犬とか小動物あんまり好きじゃないからなぁ……。


 悩みながら家路を急いだ。


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