33.窮鬼に噛まれる
地脈と呼ばれる流れが存在する。
霊力とも呼ばれる力が生物で言うところの血管のように地球上を網羅するように流れている、とでも言った方がいいだろうか。
古来より人々はそれを霊脈と呼び、それが何らかの事情で地上に力の一部を吹き出すように解き放つことがあればその場所を特別な地として利用していた。
神代の色を強く残すような常識では測れないような逸話や伝説の多くは、この霊脈の影響を受けたから為し得たとも言われるほどだ。
狩場の魔物というものも、その大半が土地に残る逸話を地脈から流れ出る力が象ったものである。
それはこの三木充という少年が戦っていた赤砂山も例外ではない。
山中の池。
本来は無双の槍毛長が守護するその場所に異形の姿の存在がいた。
2メートルを超える体躯をした凶悪な鬼。
先刻、守護者を他愛もなく蹴散らしたそれは静かに池に身を沈めている。
彼の嗅覚が感じた通り、この池は湧き水と共に純粋な地脈の力がわずかではあるが染み出している。ただの槍毛長が特殊な個体になるのも、この池の周囲にいるからなのだろう。
ゆっくり、じわじわと力が注ぎ込まれるのがわかる。
その事実を示すかのように傷口は徐々に塞がり、失われた腕が本当に遅々とした速度ではあるが生え始める。それどころか残った3本の腕にも力が漲る。
もうしばらく、あと1日ほどこうしていれば敗走で失った力を完全に取り戻すことができよう。
それを自覚して嗤う。
耳まで裂けた口に牙がぎらりと光る。
鬼は受けた屈辱を忘れない。
人間ごときに受けた傷に報復を行わぬのは道理が通らぬ。
理由はそれで十分。
ただその殺傷本能を満たすための口実でしかないのだから。
その鬼―――羅腕童子は静かに嗤う。
少しずつ蓄えられていく力への喜びもあるだろう。
いずれやってくる雪辱の機会への期待もあるだろう。
だが、今このとき。
この瞬間に限っては、少し違った。
彼は気づいていたのだ。
近づく闘争の気配を。
霊脈の流れというのは霊力の流れ。
そして霊力というものは生命を形作る始原そのものである。
人が死して魂となり霧散して霊脈の流れに還元されたとき、残される想念さえも霊力の一部となる。川に一滴の汚れた水が流れるよりもさらに影響を与えるには小さすぎるものだとしても、それは確実に存在しているのだ。
周囲の霊力を集め別の場所への流れを作るポイントである赤砂山だからこそ、気づく。
ここに向かっている者が居ることに。
その相手から放たれる闘争の気配が霊脈の流れに乗って、かすかではあるが感じられることに。
無論それが伊達政次に依頼された“逆上位者”の手の者であることなど、羅腕童子がしる由もない。
ただそれを知らずとも、彼の居場所を探っていた連中が、その居所に気づいて闘争へと意識を切り替えた瞬間に、それが敵なのだろうということを知ったのだ。
備えるべく地脈から吸い上げる力を限界まで高めながら鬼は待つ。
その訪れが現実となったのは、それから2日後のこと。
真夜中。
俗にいう逢魔ヶ刻と呼ばれる時間帯にそれは現れた。
黒いスーツ姿をまとった長身の白人、それも男女。
サングラスをかけたまま、この暗い山中を歩いているにも関わらずその足取りにまったく澱みは無い。
『ったく、こんな山奥にひきこもりやがって。あんまり手間かけさせんなよなァ』
ようやく目的の相手―――羅腕童子を見つけて気が緩んだのか、髭面をした短い黒髪の男はスペイン語で何やら愚痴っぽいことをぶつぶつと言っている。
当然ながら鬼にその異国語の内容は理解できない。
だがそこに込められている悪意を理解することはできる。
予想通りの展開に、鬼はゆっくりと嗤う。
『いい加減ぶつぶつ言うのはやめておきなさいよ。
そんな態度でうっかり不覚を取ったら承知しないわよ』
『ハァ? オレが? あの程度の相手に?
これでも”欧州序列”にも入ってるんだぜ? こんだけ準備しといて数でも勝っててそれでも失敗するとか、さすがに言い過ぎじゃねぇの?」
『今年の序列戦でトップの“黒き鷹”に挑んで瞬殺されたの忘れたワケ?
下ばっかり見てるから差が開く一方なんじゃない。ちゃんとこの依頼を終えたら、頼んでた武具もらえるんだから、しっかりしなさいよね』
同行している女の小言に頭を掻きながら、ガッガッと小さく爪先で土を打つ男。
羅腕童子はただ静かに待つ。
それは長年戦い続けたことによって身に着けた狩りの鉄則。
正確には羅腕童子を構成する想念の根本を為すものから得た知識ではあるが。
無駄な動きは必要無い。
戦いに猛る咆哮も。
緊張に高鳴る鼓動も。
敵の強さに恐れる不安も。
およそ人であれば感じるであろう無駄を全て排して、待つのみ。
男は傍らにあった樹に手を触れ、
『つーか、ブルってんのかねぇ。ちっとも動かねぇじゃん。
………もしかしてすでに死にそうになってんのかな―――』
次の瞬間、ベキベキと破砕音が響き、触れた手がめり込んでいる。
よく見ればその指先が鋭く硬質の爪へと変化しており、それが樹を貫く形で突き刺さっていた。
音は止むことなく、さらに大きくなり、
『―――っとぉぉっ!!!』
そのまま、直径30センチほどの杉の木を根本から引き抜いて羅腕童子目掛けて投擲。
同時に隣に居た女性がスーツの内側のホルダーから拳銃を抜いて射撃。
標的は羅腕童子―――では無く、男が投擲した直後の樹木。
戦いの嚆矢となるだろうそれに弾丸がヒットした瞬間、樹木の表面に無数の文字が一瞬浮かび上がって消える。
攻撃が届く寸前、激しい水音と共に池の中から一本の腕が伸び飛来する樹木を弾く。
弾かれた木はそのまま方向が反れて池の端にあった岩に衝突するが、弾いた羅腕童子の象徴とも言える長い腕も千切れ飛んだ。
『やっぱり高い金出して買っただけあるじゃねぇか。やっぱそこの国の魔物にゃ、そこ文化系統が一番効果的ってセオリー通りだな』
『経費じゃなかったら、手が出ない価格だったけどね』
符銃。
見た目は現在主流のストライカー式の9mm口径。
そのファイアリングピンが内臓されたスライド部分に、陰陽五行の属性付与加工をすることにより、発射時に弾丸そのものに符としての能力を与えることが出来る武器。
わかりやすく言うと、無属性の弾丸がそこを通過することで五行の各属性を少しずつ持ったものに変化させる、と言えばよいだろうか。
ただ問題としては属性を付与させるという設計上、付与を受ける弾丸が特殊なもので無ければ通常の銃と変わらなくなってしまう。なぜなら弾丸が金属であれば金の気を持つというように、ある種特定の気を持たない物質でなければ付与そのものを阻害するためだ。
ちなみに金属で出来ている、銃そのもののスライド部分は金の気を減衰するように術式を入れてあるが、これを小さな使い捨ての弾丸にまで施すのは手間や技術的な労力が多く、結果コストパフォーマンス的が悪いという事情もある。
結果として、弾丸としては無属性弾と呼ばれる中身が空になった霊晶を加工して作ったものが使われる。
『霊晶の強度じゃ不定形の属性生物ならともかく、頑強な鬼の身体を貫けないけど、それならそれでやりようはあるもの。想定通りの効果は出ているみたいね』
彼女が手にしているのはその符銃のオーダーメイド品である。
属性を持たせるのではなく属性を強化、それだけを術式に組み込んだもので、ヒットした対象の気を増大させることが出来る。
単純に頑強である鬼に対し、物理的なものだけでなく霊的な属性を付与することで有効打とする。
その運用の試験も兼ねて今回使われていた。
『んじゃ援護頼むまぁ。
そんなもん無くても、普通に戦っても勝てるけどな!!』
勝利を確信した吸血鬼は突貫する。
そもそも吸血鬼という所有職はかなり強い。
そこから派生する能力は数々ある上に、そのほとんどが使い勝手も効果も高いものばかりだ。
一般的な吸血鬼のイメージ通り太陽光や流れる水などの弱点はあるものの、それらも職業を伸ばしていけば克服する方法がある。
日本の鬼は確かに頑強で膂力がある強敵ではあるが、それは吸血鬼とて同じ。
それどころか銀をはじめとする魔法的な力を帯びた攻撃でなければ致命傷を与えることが出来ない、という絶対的優位が存在する。
単純な下位互換でしかない鬼に負けるわけがない。
それが突進する吸血鬼の頭の中にいっぱいにある結論だ。
ゆえに。
駆け出した直後の自身の足からの激痛などという異常事態への反応は遅かった。
『………は?』
地面から生えてきた、いくつもの鋭い何かが足に突き刺さって彼を地面に縫い付けている。
それが槍、と呼ばれる者であると気づいた瞬間―――
ドドドドドドドド、ドゥッ!!
―――視線を戻そうとした彼の眼前に現れた槍襖がその意識を虚空へと刈り取った。
体中に突き刺さり貫通した無数の槍の勢いに押し倒されるように、仰向けに倒れながら吸血鬼は灰となっ
て消えた。少し遅れて槍が地面に落ちる小さな音が闇に響いた。
『そ、んな……ルイスッ』
女吸血鬼も予想外過ぎて立ちすくんでしまっていた。
それだけ意外だったのだろう。
待ち伏せである以上、地の利が相手にあるというのは当たり前。
だから突進してきた吸血鬼に対して、あらかじめ地中に羅腕童子が池の中から長い腕を地中を経由して伸ばして、下からの奇襲を狙っていたとしたら、それはそれで理解できる。
だがその地中に仕込んでいた、そして投擲してきた槍の攻撃が不可解過ぎた。
そもそも彼女ら吸血鬼にとって、ただの武器はダメージにならない。だがあれが全て魔法の武器だとするのならば、どこからあれだけ仕入れたというのか。
彼女は知らなかったのだ。
この山に出現する魔物である槍毛長が、年経た霊器が実体を得た付喪神と呼ばれるものであることを。そしてそれが倒された際に、極々稀にその本体である槍を落とすことも。
だからこその隙。
そしてその隙を鬼は見逃さなかった。
獲物が狩場に来るまで唯々虎視眈々と狙う、そして獲物が罠に掛かれば一気に仕掛ける。
それが狩人の流儀。
『――ッ!!』
茫然としていたところに再び投擲される槍。
投擲の際に池から引き出された槍が投げられる度に起こる激しい水音を耳にしながら、女吸血鬼は必至にそれを避ける。
ガッ!!
だがそれに気を取られている間に忍び寄っていた腕に脚を掴まれ体勢を崩す。
引きずり倒された彼女の頭部を、
……ごりッ。
耳まで裂けた大きな鬼の口が齧り取った。
ぱき……めぢ、ぶち…ぶちぶちィ……ごしゃ……ッ。
本来であれば死亡した時点で灰となるはずの身体。
それが骨が砕かれ、ゴムのような弾力のある繊維が引き千切られ、咀嚼される度に、頭部を失ったままビクビクと震える。
“際限無き蟒蛇)”
封じられる以前に彼が持っていた能力。
格上には通用しない、という弱点はあるものの、倒した相手を捕食しそれによる自らの力とすることが出来るというもので、獲物を丸呑みする大きな蛇のように、相手が霊力を帯びていれば空腹度に際限なく捕食する。
無論、属性系統など制限があり、捕食したとしても全てのものを無条件に得ることが出来るわけではないが、魔物が進化する、という意味では恐るべき能力であることは確かが。
結果、槍を自在に投擲する術を、槍毛長を捕食して得ているのだから。
ばぎんっ。
硬質な音と共に羅腕童子の背中から複数の腕が追加で生えてくる。
吸血鬼の攻撃で損傷した腕も再び再生していた。
封じられていた力の目覚め。
新たな力。
地の利を操る知性。
その全てが今の羅腕童子の中で結実し、新たな怪物を生み出す。
復讐の時は近い。
それがほんの数日前に自分を敗退させた主人公たちに対するものなのか。
それともそのさらに以前、自らを封じた忌々しい者に対してなのか。
それを知っているのは羅腕童子のみ。
彼はさらなる力を求め、再び霊脈からその息吹を吸い取るべく池の中へと没していった。
再び闇夜に静寂が戻る。
この残った惨劇の痕跡は引き千切られた樹木や戦闘の跡、そして地面にぽつんと落ちた特別性の符銃だけだった。




