30.虎隠良から槍毛長
静かに呼吸を整える。
頭の天辺から爪先までゆっくりと見えない意識の手が触診をするかのように触れていく。
丹念に探り当てるように感覚を確かめ、違和感や異状がないか一通り確認し終わると、オレはゆっくりと目を開いた。
まず瞳に飛び込んできたのは一面の緑。
見上げた空は生憎の曇り。
まるでこれからの狩りに挑むオレの不安が映っているのではないかと埒もない想像をした。
赤砂山入口。
昨日も1日中駆け回った山へとやってきていた。
今日で赤砂山に入るのは7日目。
まだまだ油断できるような力量ではないものの、最近は初めてやって来たときほどの緊張と恐怖は無くなっていた。
ただ今日はまた別種の緊張を感じる。
いつもとは別の意味で難しいことにチャレンジしなければならないせいだ。
そうこうしているうちに待ち人のうち1人がやってくる。
「や」
短く声をかけてきたのは、前回通り長衣をベースとした魔法使いルックの咲弥。内心の感情を出さないように平静を装って挨拶を返す。
天小園咲弥。
彼女がオレから伊達副生徒会長に情報を流しているのかどうか、それを確認しなければならない。
もしオレだけに関わることなら直球で聞いてしまうのだけど、今回のことは最悪出雲と綾にまで迷惑をかけることにもなる。相手に気づかれないよう上手く確認する必要があった。
「レベルアップ、順調?」
「う、うん。まぁボチボチかな。とりあえず1レベル上がって5になったよ」
やべ、噛んだ。
とりあえず不審には思われなかったようでセーフ!
「お、もう来てたか。2週間ぶりだな、充」
すこし待っていると、こちらも前回と同じくウィンドブレーカーを着込んだ鎮馬がやってきた。相変わらずの坊主っぷりである。
「さて……無事に揃ったことだし、早速狩りに行こうじゃねぇか。
今回具体的に何を狩りたいとか希望のある奴ぁいるか?」
鎮馬のその言葉に、咲弥とオレは顔を見合わせるが特にリクエストはない。
「なら、前回の続きからいくか」
「虎隠良、ベースに狩りを?」
「だな。連携を確認する意味もあるしそこらへんで様子を見てから、獲物について細かく変えるっつぅことでも遅くはないだろ」
方向性が決まったところで出発。
道中、連帯印を取り出して二人とPTを組むのも忘れない。
忘れなかったのだが……、
「……あれ、使えない?」
取り出した連帯印に咲弥と鎮馬が名前を書き込もうとするも、字がかき消えてしまって用を成さない。もしかして不良品でも掴まされたのだろうか?
「連帯印のレベル制限」
「ああ、そういうことか!」
咲弥の指摘に鎮馬が気づいたとばかりに手を打った。
「その連帯印、低レベル用のものだろう?」
おぉ、そういえば10レベルまでのものだったな。
「今は神官をあげるためにここに来てるけどよ、実際のおいらたちのレベルはもちぃっとばかし高いのさ。だからそれだとオーバーしてるんだな、これが」
なんてこった!
主人公のレベルは一番高い所有職の数値に合わせられるという。だから高レベルの主人公であっても低い技能を伸ばすためには、こういった初歩の狩場に来ることもある。
考えてみればありえる話だった。
前回、鎮馬が組み技士だとかタックル一発で敵を倒したりとか、明らかにレベル高そうだというのは推測できたはずだというのに……うぅ。
「ま、そんなこともあろうかとこうやって、おいらが連帯印を持ってきてあるんだけどな」
じゃじゃーん、と連帯印を取り出した。
紙質が明らかにオレの持っているものよりも良い。
「これはレベル無制限のやつでな。一束1000Pくらいで値が張るが、持っておきゃどんな高レベルの奴とPT組むとしても便利だぜ?
狩場で初対面の奴と組むこともザラになるからよ、持つんなら多少費用がかかっても経費と割り切って無制限のにすべきだな」
うぅ…反論のしようもございませぬ。
とりあえず鎮馬の準備のよさに助けられ改めてPTを組んだ。
山道を歩いていく。
鎮馬、咲弥、オレの順番だ。
このあたりの地理や敵に詳しく近接戦闘能力もある鎮馬が先頭、女性で後衛の咲弥が真ん中、後ろから襲われた場合を警戒してオレ、という理由で組まれた隊列である。
はてさて、どうしたものか。
目の前の咲弥にどうやって確認すべきか。
まず方法として考えられるのは、ここでしかわからないような話題をすることだろう。
それが伊達副生徒会長に伝わっていればここから情報がいってると判断することができる。
問題は何を話すかだな…。
うーん……。
思いつかん。
さらに色々と考えてみるが結局思いつかないまま、狩場に到着する。
「よっしゃ。じゃあやるか。前と同じで見つけたら周囲に言って、充か咲弥が先手を取って攻撃って手順だ。ただ今回はPT組んでるから攻撃の優先権とかは関係なしでいいからな。
虎隠良がメインだが、勿論禅釜尚でも構わねぇぞ」
近くにある手頃な石をいくつか確保しておく。
咲弥は魔術があるからよいが、オレは飛び道具がないと先手を取れないからな。
探すことしばし。
まず見つかったのは虎隠良。
アイコンタクトで二人に知らせてから石を投げる。
ひゅっ……ガンッ!
うぉ、マズ。
印籠部分に当たってしまった。
内心舌打ちしつつ向かってくる虎隠良に構える。途中咲弥の“硬風”が放たれ怯んだ隙に渾身の一撃を放つ。さらに鎮馬が横合いから数発殴りつけて撃沈。
残念ながら印籠を壊してしまったせいでドロップアイテムはなし。
続いても虎隠良。
今度は“硬風”をぶっ放して先手。向かってくる虎隠良相手に襲われている方が防御に専念しつつ残った方が攻撃をする、という前と同じやり方で問題なく撃破。
うーん、強くなったなぁ…。
前回一緒したときは相手の攻撃を受け流すのもたまに失敗したりしてたから、咲弥に“対抗する加護”をかけてもらう必要があったけども、杖術に慣れてきたせいもあって防御に専念する分には余り不安がない。
虎隠良は手に長い武器を持って攻撃してくる。以前は怖さのせいで向かってくる先端にばかり注意していたが、今では落ち着いて周囲まで視界に収めることが出来ている。結果全体を見ることで高速で動く先端だけじゃなく、手元の動き出しから察知できるようになったので避けやすくなったんだろう。
おっと、しみじみしている場合じゃない。
今回はレベルアップよりも大事な本題があったんだった。
ちらっと咲弥を盗み見るが特に不審な行動はない。
さらに2匹ほど虎隠良を倒したのだが、咲弥を内心で警戒しているせいで今ひとつ連携が上手くいっていない。危うく“硬風”の射線上に割り込みそうになったり、ちょっとしたタイミングがズレる。
間者が咲弥だとしたら、もしかして狩りのどさくさに紛れてオレのことを攻撃するかもしれない。
そんな思いが彼女の一挙手一投足への反応を生み、結果一瞬の躊躇を生んでいるのがタイミングがズレる原因だ。
うーん、マズい。
こっそり確認するどころじゃないな、これ。
「…調子悪いのか、充?」
思わず鎮馬に声をかけられた。
こういうときの気遣いとか、やっぱり年上の親分肌なだけあるなぁ。
「ゴメン。ちょっと色々考えながら動くとテンポが遅れちゃって」
それらしい言い訳をする。
とりあえずしばらくは咲弥のことは考えずに、ただ狩りに集中しよう。
「よし、こんなもんだろ」
五匹目の虎隠良を狩ったあたりで鎮馬の提案で小休憩。
色々な緊張で喉がカラッカラだったからありがたい。ゴクゴクとペットボトルの水を飲み干す。
「これなら問題ないだろ。そろそろもう一段階上にいかねぇか?」
鎮馬も水を飲みつつ続ける。
「こっからもうちょい進むと槍毛長のいるゾーンがある。そろそろ狩りの場所をそこに移す時期なんじゃねぇかな。効率を考えるとそろそろ虎隠良じゃもったいない。
まぁ勿論槍毛長の強さには個体差があるからな。その中でも一番弱いのが出るゾーンにしとこう」
「ん」
「あいよ」
確かに話を聞いたとき、槍毛長は適正レベルが随分幅あったもんな。
大分強くなった気はするけど、やっぱりいきなり強い奴より段階を踏んでいきたいからその提案に異論はなかった。
特に反対もなく休憩を終えて山をさらに上へ。
ここまでの話から推測するに赤砂山は主に表と裏に分かれているようだ。
表の麓から中腹までが黒羽鴉や蜘蛛火の出る初心者ゾーン、裏の麓が禅釜尚、中腹からやや下が虎隠良、そして中腹からすこし上までが槍毛長。表裏共に、そこから上に進むと天狗の領域に入るため危険度が跳ね上がるようだ。
「こっからしばらく進むと石の階段があってよ、その先に池があるんだわ。その石の階段の手前近辺に出てくる槍毛長が一番弱ぇ。石階段に出てくる奴が普通の奴で、池の周りを守っている奴がこのへんの槍毛長で一番強ぇ。だから石の階段を登らないように戦えば問題はねぇさ」
初めての敵相手に緊張していると思ったのだろう。
オレを楽にさせようと鎮馬は軽い調子で説明してくれた。
言葉通り山道の中に突然石の階段が見えてきた。
その階段の一番下には毛むくじゃらの顔をした人型の魔物。槍毛長が2体いた。
とりあえず今回はオレが石を、咲弥が“硬風”を放って1体ずつ攻撃。オレと鎮馬が1体ずつ引き受けている間に、どちらか片方に咲弥が攻撃と援護を集中。1体を片付けてから残りを総出で倒す確固撃破の予定だ。
ごぅんっ! びゅっ!
石が風を切る音と、風のハンマーが飛ぶ音が同時にした。
狙いは過たず槍毛長に命中。
どこからの攻撃か一瞬だけ周囲を確認した後、一目散にこちらに向かってきた。
こちらに向かってくる間に“対抗する加護”がかけられた。後はそれぞれ1体ずつ前衛が引き受けるだけだ。
「おいらと一列に並ぶんだ。突出するなよ? 集中攻撃を食らう羽目になるからな」
横一線。
並んだオレと鎮馬に、突撃してきた槍毛長が激突する。
ガンッ!!
槍毛長は手にした槌を打ち付けてきた。
なんとか棒で受け止めて捌く。
単なる長物と打撃に優れた槌の違うもあるんだろうが、さすがに虎隠良よりも数段強い衝撃。
だが弾き飛ばされるほどではない。
逆に長物よりもリーチが短くさらに重さが先端に集中しているため振りかぶる動作が読みやすい。これならいけるッ!!
注意深く集中、それでいて視野を広く。
そのバランスの妥協点を探るように意識を持っていく。
ガンッ!
ガンッ!! ガガンッ!!
何度も何度も撃ちつけられる。
さすがにまともに受けると棒が痛みそうなので、すこし斜めに受けるようにして威力を殺す。
そうこうしているうちに、
ずどんっ!!!
おそらく“硬風”だろう。
横合いから吹き付けてきた衝撃に槍毛長の体がズレた。だが相手もさるもの。それくらいでは打倒するには至らない。
「だぁっっ!!」
だが防御一辺倒のオレが攻撃に移るにはそれで十分だった。
相手の槌を持っている手を狙って棒を振るう。
ガンッ!
浅いか…ッ!
気にせず槌を振りかぶる槍毛長の手を、棒を返すようにしてさらに一撃。
ガンッ!!!
今度は見事に当たって思わず槌を落としそうになっている。
その隙を見逃すほどうちの後衛はヤワじゃない。
ダメ押しの“硬風”でさらにダメージを与えつつ体勢を崩し、オレが追撃。
毛むくじゃらの脳天に渾身の一撃を叩き込むと、ついに崩れ落ちた。
「ふぅ……」
見ると鎮馬がまだもう1匹と戦っている。
オレは横合い援護すべく棒を構えなおした。
2対1で相手にならなかったものが、3対1でどうにかできるわけもない。
無事、対槍毛長の初戦を勝利で終えることができたのだった。
ふぅ……。
なんとかなった。
さて、咲弥の確認の件、どうするかなぁ……。
虎隠良4匹。
槍毛長5匹。
そこまで狩ったところで昼食がてらの休憩となった。
安全地帯まで一度戻ってから、それぞれ用意した昼食を広げる。
咲弥は自作のお弁当、鎮馬はコンビニの焼肉弁当、そしてオレは梅とツナマヨのおにぎりが1つずつ。結構性格が出てるような気がするメニューだ。
「なんだ、充。ンな量で大丈夫なのか? 男なら肉だろ肉!
肉を塊をガッツリ食わねぇと力も出ないってもんだぜ?」
「むしろ腹にもたれそうなんだけど……」
鎮馬の筋骨たくましい体格がどうやって作られたかを物語るようなセリフをどうもありがとう。
おにぎりをパクつきながら、横目でちらっと咲弥を見る。
いやぁ、つくづく自分は不器用だということを実感しました。
なんとか狩りの最中に情報をもらしてるのが彼女かどうかの目星かヒントくらいは見つけられたらなぁって思っていたんだけども、どうやったらいいのかがまるでわからない。
漫画とか何かの名探偵さんとかだったら、こんなとき上手いこと聞き出すのかもしれないけども平凡な一般高校生には中々ハードルの高い芸当だ。
そんなことを考えていると咲弥と眼が合った。
「……ミッキーちゃん、今日変」
うぅ…。
さて、そんなこんなで無事に昼食も終わり先ほどまで槍毛長を狩っていた場所まで戻ってきた。
「なかなかいいペースでいけてるな。この調子なら後5匹は確実にいけそうだ。つっても油断して負けてもつまらねぇしな。気合入れていこうぜ」
鎮馬の言葉と共に周囲を捜索する。
とはいってもそれほどの手間もかからすに槍毛長は見つかる。
どうもそれまでの虎隠良などとは違い、槍毛長は特定のポイントに出現するのが決まっていて、尚且つそこから余り動かないらしい。同時に倒した後に再出現するまでの時間も短めで、効率よくレベルをあげたいときには好都合だ。
倒してもその場を一度主人公が離れればすぐに出現するのだから。
見つければ合図し、先制攻撃をしてから倒す、ということの繰り返し。
やはり咲弥のことが気になって集中できないのか、時折オレがちょっとしたミスをする以外では特段問題なく狩りは進んでいった。
【一概に問題なし、とも言いづらいがの。そろそろ武器の替えどきではないか?】
エッセの指摘に乳切棒を見る。
敵の攻撃を何度も受けてきたせいでところどころ擦り切れている。いくら可能な限り衝撃を逃がしているとはいっても完全に0にすることは難しいのか徐々にダメージが溜まりつつあるらしい。
【攻撃を弾くときに折れるかも、と恐怖しておっては反応も鈍ろう。ゆえに武器に信用の置けぬままでは戦いに身が入るまい。それは仲間であっても同じことじゃ】
………。
確かにどうにかして戦いに集中しないとそのうち大怪我しそうだな。
「咲――――」
――――そう声をかけようとした瞬間だった。
どずぅぅんっ!!!
地を揺るがすような、とまではいかないが大きな衝撃と共に砂埃が巻き起こる。
見るとその衝撃の源は今戦っていた場所からすこし離れた、池へと続いていく石階段の手前。そこに舞い上がっている砂埃がゆっくりと収まる。
徐々にその中にいる人影が姿を露にしていく。
ぞわり…ッ。
鳥肌が立つ既視感。
突然手に負えないような相手、そう、羅腕童子に襲われたときと似た状況。
「………なんだぁ?」
身構えつつ鎮馬が眼をこらす。
浮かんできた正体は槍毛長。何度も戦っているのだから見間違うはずがない。
ただし、体格はふたまわり大きく、遥かにデカい槌を両手で持っていただけ。
「“無双の槍毛長”」
それを見た咲弥が呟く。
「……?」
「さっき話してた池の側にいる槍毛長……つまり槍毛長の中でも最強の奴だ。
元々槍毛長は使っていた槍が付喪神になった妖怪っつう話でな。使い手の技量によってその強さが変化するって聞いてる。つまり最も強い使い手の槍が最強の槍毛長になる…そこから誰が呼んだか“天下無双の使い手の槍が転じた槍毛長”、略して“無双の槍毛長”って呼び名がついてんのさ」
えぇと…つまりアレですか。
適正レベルが一番高い奴が突然やってきたと。
確か9だったか…。
まぁ一人だったらともかく全員ならレベル的にはやれそうかな。
「……ッ、マズいッ!」
何かを思い出したかのように鎮馬が叫んで槍毛長ボスに突進する。同じく咲弥も魔術を放つ準備に入っていく。
しかしそれよりも槍毛長ボスの行動のほうが一瞬早かった。
ィィィィン……ッ!!!
まるで金属が震えるような音があたりに響く。
がさ…がさッ…ッ。
同時に周囲の茂みからいくつも気配がこちらに近寄ってきた。
その全てが槍毛長。
信じがたいことに見える範囲で戦っていてもそれが余程近くでなければ襲ってこない槍毛長が、今の音ひとつで集結しつつあった。




