23.如法暗夜より近づく者たち
影は静かに傅く。
目の前に立つ主は視線で何かを促す。
いつものように社交辞令も無く早々に本題に入れと読み取った影は続けた。
「お探しの者を、発見致しました」
ただそれだけの一言。
だがその言の葉が主にもたらした効果は明白。
浮かぶ愉悦の笑みこそが、その証左である。
影の目の前の主―――伊達政次という男は厳密な意味でいうのであれば、主といっても雇い主と言われる類の相手だ。
付き合いはかなり長く、よく仕事を依頼するお得意様といったところか。
報告と共に手渡した書類にざっと目を通す伊達を影は静かに待つ。その間、しばし室内に静寂が満ち、かすかにページを捲る紙の音だけが響く。
だがそれも長くは続かない。
速読した内容を精査した彼は一言、
「……まったく、ちょろちょろと薄汚い鼠が這いずりまわっているのは、忌々しくて溜まらないものだ」
小さな吐息を洩らすのと同時に放たれたのは、忌々しいとの言葉とは裏腹に全く感情が籠もらない、実に冷静なものだった。
いつも通りと言えばいつも通り。
極一部の禁忌となる事項にさえ触れなければ、伊達は常に冷静沈着だ。他に曲者揃いの連中の中でもかなり付き合いやすい部類に入る。
それだけに、彼自身が決める特定の事柄に関してだけは異様に、というか壊滅的に沸点そのものが感じられないレベルで低いのだが、それもある意味バランスが取れているとも言えなくはない。
「付喪神相手にレベル上げをしているような雑魚相手にわざわざ出向くには、今は巡り合わせが悪い。万が一に備えて引き続き近くで見張っておくように」
その言葉通り、現在伊達政次こと“千殺弓”はいくつも同時に進めている計画が近々最終段階へ移行しようとしていることもあり、多忙を極めていた。
少なくとも主人公である―――と勘違いしている―――三木充をどうにかするには時間が無い。単純に殺してもやり直すことが出来る存在に対し、徹底的に叩いて刃向う気を起こさせない、それでいて十分な報いを与えるためにはそれ相応の準備が必要なのだから。
とはいえ、
「その後の準備のほうは」
「必要無い。策はすでに用意してある。準備も手配済みだ」
見逃すことなどあり得ない。
今日明日といった即座に、は難しくても、何ヶ月も先送りしたりはしない。
今世で再び巡り合った姫に近寄る羽虫など、手加減をする必要も、意味も無い。時間的余裕がないのであれば、他人を使ってその準備をゆるゆると進めればいいだけのこと、と告げる。
「かしこまりました」
すぅ、と気配を消そうとする影に対し、
「もしよければ久しぶりに顔を出すかね? 彼らも君のような“上位者”なら飛び入りでも歓迎するはずだが」
小さな懸念事項の報告と対処を確認し、いくらか余裕が出たのか伊達がそうからかうように言う。
どんな答えが返ってくるかなどわかりきっている軽口。
「遠慮しておきますよ」
案の定、返ってきたのは短い断りの言葉。
その音と共に影が消えた方角をしばし見つめたまま、
「いつの世も“逆上位者”は嫌われ者という評価は変わらないな」
小さく愉悦を浮かべながら、彼はゆっくりと歩き出す。
いにしえよりの悪が集う会場へと。
―――“逆上位者”
わかりやすく言えば、それは主人公の中で悪名を馳せた者たちの称号だ。
その抜きん出た実力と功績の合計値を持って管理側から評価されるのが“上位者”であるのならば、正しくその逆。
暴虐なまでの実力と悪業を積み重ね為した者たち、そして彼らへの怨みと恐れの声を賞賛と感じる慮外の者たちを表する名だと言える。
なお一般的にプラスとしての評価である功績と、対比してマイナスとして扱われる悪業はそれぞれにメリットがあるものの、どちらも次に作ったキャラクターに引き継げる(無論、引き継がないという選択肢もある)という点で共通している。
怪物退治のような行為を為した英雄が生まれ変わって神になったりするような伝説はいくらでもあるし、そもそも悪業という言葉そのものが前世で悪事をしたことによる悪い報いという意味を含んでいるのだから、そのどちらもが身体ではなく魂に付随する、というのはわかりやすい。
勿論、それが全く同等に評価されるわけではなく、いくらかマイナス方向への補正や調整が入った上での話だが。
つまるところ、彼がこれから向かう先に集っているのはロクでなしだけ、ということである。
街の中心部。
アクティブタワーなる高層タワーを彩るイルミネーションと、その下に広がる街の灯りが彩る夜景。
彼がやってきたのはそれを一望出来るホテルのバーラウンジ。
中には店員もおらず数人の主人公だけ。
しかも布で顔を隠した者までいるという、この集まりが何なのか知らなければ異様すぎる光景だ。
「おやおや、これはこれは。ミスター伊達ではありませぬか! 前回も前々回も欠席された御方が実に珍しい。
おっと、失礼。今は“千殺弓”殿とお呼びしたほうがよろしかったですかな?」
グラスを傾けていた紅の瞳を持つ金髪の青年が微笑む。
「トップコンテンダーに近かった座を棄て改めて始めたと思えば、高々20年にも満たない期間で“逆上位者”であると同時に“上位者”でもあるなどと、その器用さの秘訣を是非ともお聞きしたいところですな」
青年は小さく口から牙を見せながら親しげに言う。
口調からして、おそらくは伊達と旧知なのであろう。
「“幹”殿に話せるほどのことではありませんよ」
普通に考えていくら功績をあげて“上位者”になろうと、“逆上位者”になるほど悪行を為せば、上位に居続けることは出来ない。
それらの評価を切り離して都合のいいタイミングで使い分けることが出来るのが、彼の持っている技能“不偏不党”の効果ではあるが、その存在や習得方法と言ったアドバンテージをわざわざ渡したりはしない。
「それで“終の左右”殿はどちらに?」
「まだいらしていませんな……もうそろそろやってくることでしょう。
私と同じように永遠を手にした身の中では珍しく時間に厳しい方ですし」
永命種。
特定の条件の下で得ることの出来るクラスで、死から隔絶に近い距離を取った者たちを指す。
人と比べて老いが遅くなる長命種と違い、完全に寿命から解放されており、殺害する方法も無いわけではないが非常に限定的で、敵対すれば厄介極まりない相手。
事実、目の前にいる金髪の青年は伊達が以前のキャラクターだったときから、全く外見上の変化が見られない。
通常作成したキャラクターに寿命という概念が存在するこの世界において、不死であるということは大きなアドバンテージになる。
単純に鍛錬する時間が増えるし、生まれ変わることによって鍛え直す手間も省ける上に、装備品などを引き継ぐ手間もない。
事実、年月に比して増した力だけが圧力として感じられる目の前の青年が“逆上位者”の第2位について以来、誰もその座に入れ替わってはいない。
「まだ時間があるというのであれば、少しお時間を頂いてもよろしいですか?」
「ほほぅ。せっかくの日本観光も最終日で少し飽きが来ていたところですし、少しばかりの戯れがてらのh話というのも興が乗りそうですな」
考えていた案。
青年の代理が来ていればそちらを通して持ちかけるつもりだったが、本人が来ているのであれば話が早い。
「お恥ずかしいのですが、若干人手不足でして。お力を借りたいのですよ」
「以前の借りが残っていますので内容によっては構いませんよ。なにをすれば?」
「先日逃がしてしまった、とある魔物を討伐してもらいたい。レベルは……そう、今ならまだどれだけ過大に考えても40に届かないでしょう」
逃亡した鬼を退治に吸血する鬼をぶつける。
ただそれだけの作戦とも言えない単純な提案。
吸血種、その至尊の座に位置するひとりたる青年は、
「ふむ……その程度のレベルであれば従者レベルでも問題は無さそうですな。
いくらか未熟な者もおりますので、訓練には丁度いいやもしれませぬし。たまには頭の軽い人狼連中のように猟犬の真似事をしてみるのも一興」
従者、といっても彼のレベルでの話。
おそらくその実力はそんじょそこらの駆け出し主人公では手も足も出ないに違いない。
「ではよろしくお願いします」
「いえいえ、むしろこれで貸し借りが無くなると思えばすっきりするというもの。
いずれ潰し合うことがないとも限りませぬしな」
そのときに貸し借りがあっては気分が悪い、と吸血鬼は悠然とグラスを傾けた。
伊達も然りとばかりに頷く。
所詮“逆上位者”は悪名と実力を誇示した無法者たちの集まりでしかない。利害が合えば集うということは、裏を返せばぶつかりあうのもまた簡単な選択肢であるということなのだから。
それを自覚し対応策を準備しておかなければ、目の前の男はいとも容易く敵を変えるだろう。そんなつまらない相手と手を組むのもまた、つまらないと。
短絡的過ぎるがそれがまかり通るのが力というものだ。
それこそが無法者たちすら信奉するただひとつの理。
「ああ、そうだ。その鬼の名ですが―――」
ゆえに力を求めなければならない。
いずれは目の前の青年すらも喰らおう。
全ては愛しい彼女のために。
「―――羅腕童子、と言います」
その変化がもたらす影響は、まだ誰も知らない。




