Ex.3 和家 綾(1)
いつものようにゆっくり。
それでいて確実に、まどろみの中から意識が浮かび上がる。
静かに目を開けると、見なれた天井。
幼い頃は天井の板に浮かんでいる模様が顔のように見えて怖いなんて思っていたのも、今となればよい思い出。
布団から身を起こして、枕もとにあった時計を確認する。
4時58分。
目覚ましが鳴る2分前。
保険のためにかけておいた目覚まし機能を止めておく。毎晩念のためにかけておくものの、実際鳴ることは滅多にない。何時に起きる、と決めてしまえばその時間の直前には目が覚める、それが私の朝。
朝が極端に弱い古くからの友人には羨ましがられるこの習慣。当人にとっては特に凄いことだと思わないのだけれど。
寝間着の乱れをチェックしてから、そっと襖を開けて部屋を出る。築180年ほどの我が家、そのすこし軋む廊下を歩き洗面室へ。
洗面台の前に立ち、鏡の前で身なりを整える。髪を長くしているぶんだけ朝は時間がかかるけれど、もうずっとやってきたことだから今更面倒には感じない。
部屋に戻り制服に着替えてから広間へ向かう。
広間では長方形の大きなお膳が置かれ、その上座にある座布団では祖父が新聞を読んでいる。
「おはようございます、お爺様」
声をかけると祖父は小さく頷いた。
あまり多弁ではないので、祖父はこういった仕草で相槌を打つことがよくある。これもいつも通りのこと。
エプロンを身につけて台所に立つ。くつくつと炊けるご飯、味噌汁や煮物、じゅうじゅうと脂を滴らせる焼き魚…そこは食欲をそそる音や香りで満ちていた。
立っている母に挨拶をして手伝う。今日のわたしの仕事は卵焼きを作り、焼き上がった魚を盛りつけてから、母の作り終わったものと共に待っている祖父たちのお膳へ運んで行くこと。
無事に配膳を終えて、皆が揃うと丁度6時。
祖父、祖母、父、母、叔母、従妹、従弟、そして私。
総勢8人での食事。
控え目ではあるものの他愛のない会話をしつつ、食事を終えて自分の食器を片づける。
祖父に食後のお茶を用意してから、お弁当を詰める。
「いってまいります」
家族に告げてから、もう一度身支度を整え家を出たのが6時45分。
まるで計ったかのようにいつもの時間。
自転車を使って近所のマンションへと向かう。
着いたのはまだ真新しいデザイナーズマンション。大理石が使われているエントランスにやってくると、インターフォンで相手を呼び出してオートロックを解除してもらい、エレベーターに乗り込む。
エレベーターを降りて玄関の前に立つと、いつも通り知らせる前に扉が開く。
出てきたのは、私の大事な人だった。
「いつも悪いな、綾」
だから、私―――和家綾が、彼を見て微笑んでこう告げるのもいつも通り。
「おはよう、出雲」
□ ■ □
最寄駅に到着して自転車を駐輪場に置く私たち。
一緒に登校している三木充、龍ヶ谷出雲は二人とも大事な幼馴染。
ずっと仲良くしてきているけれど、一度だけそれが壊れそうになったときがあった。
昔、出雲に告白されたときだ。
そのとき、すこし充と気まずくなるのではないかと心配になった。確かに出雲に好意はもっていたけれど、三人仲良くしている中で、そのうちの二人だけ距離が縮まってしまったら、残った一人はきっと居心地が悪くなるのではないか、これまでの親しい関係が少し変わってしまうのではないか、と。それくらいいつも三人一緒だったから。
そう思って返事をすこし待ってもらった私を後押ししてくれたのは、何を隠そう当の充本人だった。
「例え二人が付き合うことになったとしても、オレはずっと出雲と綾の幼馴染で大事な友人だ。多分それはずっと変わらない。
だから出雲のことは真剣に考えて、綾が思ってることを素直に言ってやってほしい」
そう言ってくれたあのときのことを、きっと私は一生忘れない。
後で出雲に聞いた話だと、告白まで出雲の相談に乗っていたのも充だったみたい。
充の言葉を額面通りに受け取るほど私は素直でもない。現に告白して私たちが付き合いだした当初は充もすこしおかしかった。距離感を掴めていないとでもいうのか。
自分以外だけが距離を縮めていく…それまで同じように過ごしてきた二人との間に出来た差異。たとえ理屈ではわかっていても、きっと心中穏やかではなかったのだろうと思う。
正直なところ、私も出雲もどうにかしたいと思ったことは何度もあった。
でもどうにもできなかった。
彼が私たちから離れ距離を取って、別の人間関係に移れば楽になることはわかっていても、それを自分から言い出すようなことは出来なかった。
できたのは、そうなったとしても当然だと、受け入れる覚悟だけ。
それでも彼は必死に立ち位置を探してくれた。
友人であることだけは変えなかった。
それがわかったからこそ、出雲も私も友人を続けていけた。今幼馴染として昔以上に仲良く三人でいられるのは、誰より何より充のお陰。
だから充は世界の誰にだって自慢の出来る友人。
その機会があるのなら、そのときは誰にはばかることなく胸を張って自慢しよう。間違いなくそう思える相手。
広い世界の中、身近で、最も大事な恋人と、最も大事な友人の二人に出会えた。
そんな私は幸せだなー、とたまに思う。
恥かしいから絶対に本人の前では言えないけれど。
電車に揺られながら、そんなことを考えているとあっという間に駅に着いた。
改札を出て学校へと向かって歩く。
「あー、もうすぐ中間テストか…ダルいなぁ…」
大きく伸びをしながら充が言う。
心底面倒くさそうに。
「まだすこし時間あるんだから気負って仕方ないだろう。
そもそもテスト前だからじゃなく、毎日こつこつ勉強をやっていればいいだけの話だ」
「出雲はそう言うけどさ、こつこつやってても中々頭に入らないんだよね~。
参考書の問題とか解説見てもわけわかんないし」
どうやらわからないところがわからない、という状態に陥っているらしい。それまでサボってた子が急に勉強を始めたときにありがちなことである。
ふと思い付いたことがあったので、
「あ、それなら中学のときみたいに勉強会しない?」
口に出してみた。
「そういえばあった、勉強会」
「ふむ、最後にやったのは1月だったか…」
「そうそう、受験前に充がこの教科がわからない~、って困ってたから詰め込んだんだよね」
「…あの節はお世話になりました」
今思えばいくら詰め込んだとはいえ、受験一ヶ月前からでよくあそこまで成績が伸びたなぁ。出雲ほどではないけれど、充も地頭のよさでは人並み以上のものは持っていると思う。
普段から地道に努力する習慣さえ身に付けばいいのに。
「充は切羽詰まるまではエンジンかからないタイプだからな。直前で勉強会っていうのは、いいアイディアかもしれない」
「場所はいつも通り、出雲のところか?」
「うん、出雲のところ以外だと私の家は許可おりないもの」
私と付き合うことになってから、出雲はうちに改めて挨拶に来ている。
割と古風な家なのでそのへんは厳しかったのだけれど、昔から知っている相手でもあるし何より挨拶の際の出雲の立ち振る舞いを見た家族からは「学業に差し支えない範囲で、節度をもった上で真剣な付き合いをする」ことを前提に交際の許可が下りている。
そのせいもあって家族の出雲に対する信頼はかなり高い。
お陰で色々と報告とか確認が必要ではあるけれど、泊まりこみで勉強会、なんてものの許可も下りてしまうのだ。
勿論その信頼を裏切るわけにはいかない、と出雲はずっと節度ある付き合いをしているので今のところ家族の見る目の高さは立証されていた。
「決まりだな。金曜日なら翌日が休みだから問題ないだろうが、細かい日取りについてはまた改めて相談しよう」
「うーん、楽しみなような、そうでないような…」
充は複雑な表情を浮かべている。
そういえば受験のときは凄い詰め込み方したから、きっとその悪夢が頭をチラついているのかもしれない。
充には悪いけれど、そんな様子も見ていて微笑ましい。
「そんなに心配なら今のうちから勉強しておいたらどうかな? 学校でなら私も、少し教えられるし。直前で全部やろうとしたらやっぱり量が多くて苦労しちゃうよ?」
「んー、そうなんだよねぇ。実はちょっとずつ始めてるんだけども」
ちょっと驚く。
見ると出雲も同じ雰囲気。
一夜漬けしかしない、と中学時代は豪語してた充が、ちょっとずつとはいえ地道に勉強をはじめているのだから、多少驚いても仕方ない。
何か心境の変化でもあったのかな?
「…いや、そんなに驚かれるとリアクションに困るんだけど」
「ご、ごめん」
ジト目で見られたので思わず謝る。
勿論本心ではないのはお互いわかっているのだから、いつものじゃれあいみたいなものだ。
学校の正門をくぐる。
もうすぐこの楽しい時間もおしまい。
玄関に到着して上履きに履き替えてから1-Bの教室へ。
教室内は来ている生徒が半分、来ていない生徒が半分といったところ。
「出雲、土日の件含めてちょっと進展あったから話したいんだけど、明日あいてるか?」
「剣道部の後なら問題ないよ」
「んじゃそういうことで。待ち合わせと時間はメールしとく」
そう言って充は自分の席のほうへ行ってしまった。
「進展って何のこと?」
「ん? ああ、ちょっとしたことなんだけどね」
聞いてみると出雲が答えづらそうにはぐらかした。
言えないようなことなのかな?
「充から相談持ちかけられた内容があってね、詳しくは勝手に話せないけども部活関係だとでも思ってくれれば。普段色々充には世話になってるからさ、こういうときくらいは助けてやりたいんだよね」
「……ズルい。そういう言い方されたら聞けないじゃない」
俗に言う男同士の話、というやつだろうか。
興味はあるけれど、無理矢理聞き出すのも違う気がする。充が困っていて出雲に相談した、というのならそれを手助けするのを止めるつもりはないし、むしろそうして欲しいとは思う。ただ出雲には話せて私には話せないことなのかと思うと、蚊帳の外な感じがして面白くないのも確か。
そんな私に気づいたのか、
「そんな顔をするな。今日は月曜日だろう。充もオンラインゲーム部で遅くなることだし、部活終わった後、時間とれないか? 探してた小物の店を見つけたから、帰りに一緒に行こう」
デートのお誘いである。
本当にズルい。
でもどうあがいたって私はこのズルい男の子のことが好きなのだから、それは言っても仕方のないことなのだ。今は素直に喜んでおこう。
五時限目終了のチャイムが鳴る。
「さ、早いところ片付けて部活にいかないと」
今週は私のところが掃除当番の班なので、他のクラスメイトと掃除用具を準備する。まだ授業が終わったばかりで教室内はがやがやと騒々しいが、基本的にこの学校の生徒はみんな部活に入っている。もうすこしすれば大分人数が減って掃除もしやすくなるに違いない。
途中、出雲が「また後で」と軽く手を挙げて挨拶してから、荷物を手に出て行った。ああ見えて剣道部期待のホープだから、きっと今日も激しく稽古をつけるのだろう。
もうひとりの幼馴染は、と見ると他の男の子と楽しそうに喋りながら教室を後にしていった。その男の子――――眼鏡をかけた関西弁の彼は確か、丸塚丈一君のはずだ。聞いた話では入学式で知り合ったらしく最近は二人で一緒にいることも多い。部活もあれだけ悩んでいた充がオンラインゲーム部に入ったのは丸塚君が誘ったからだと聞いている。
中学時代は結構な不良だったとか噂もある丸塚君だけれど、充とあれだけ仲良くやれているのだから所詮噂は噂なんだろうな、と思う。
充が新しい友人と楽しくやっているのは友人としては歓迎すべきことなのだけれど、幼馴染としては少し寂しい、そんな複雑な心境である。
同時にそんな自分の身勝手さに呆れてしまうのだが。
心に沸いたそんな感傷を誤魔化すように、手に持つ箒に力を込め教室の掃除に精を出した。
無駄のない動きで箒で掃きゴミを回収、そこから雑巾をかけていく。
手間のかかる掃除もみんなで集中してしまえばあっという間。
掃除用具を片づけて綺麗になった教室を見回すのは、なかなか気持ちいい。
「綾~。掃除終わった~?」
「あ、うん。終わったよ」
「じゃあ待ってるから一緒に行こうよ」
「わかった」
見ると同級生の茶道部員の子が教室まで来てくれていた。あまり待たせないよう急いで荷物をまとめて一緒に茶道部に向かう。
部活棟に部屋をもらっているだけの一般の部と違い、茶道部は茶室とそれに付随する部室があるというとても恵まれた環境ではあるが、後から新設された設備のため、校舎からすこし離れた位置にある。そのため一度外に出る必要があった。
「そいつ止めろ!」
「逆サイ! 逆サイ!」
「キーパー、もっとしっかりDFに指示出せ!」
「5番、オーバーラップ注意だ!」
正面玄関から外に出ると、校庭のトラックでは陸上部、その内側のサッカーコートでサッカー部が練習をしているのが見える。どこの部活も夏の大会に向けてこれから練習がどんどん熱を帯びていく時期だ。皆の気合の入った声が飛び交っているのだから、それは傍目から見ていてもわかる。
そうかといって夏の大会が終わったときにこの熱が冷めるかといえば、そうでもない。
夏の大会が終われば、秋には新人戦、体育祭や文化祭、というようにこれからイベントが続くから、入ったばかりの新入生はどこも大忙しだろう。私たち茶道部にとって大きなイベントは対外的なアピールをする文化祭くらいなので、そういった意味ではマシかもしれない。
校舎の脇に続く道を歩いて行くと、学校の裏側に出る。剣道場や茶室など新設された施設は皆こちら側にあるので、道にはちらほらと歩いている生徒の姿があった。
カキーン。
金属音が耳を打つ。
通り道の隣にある野球用グラウンドから響いている。
そこではユニフォーム姿の野球部員たちが各々汗を流していた。
創部42年、最高成績が県ベスト4の硬式野球部だったと記憶している。県内ではそこそこ強い学校ではあるのだけれど全国区の強豪、というわけでもないが、今年こそは甲子園を、と意気込んでいる生徒たちの動きに監督も熱心に指導している。
「野球部頑張ってるよね~。綾もそう思わない?」
「うん、今年は甲子園いけるといいね」
「いけるんじゃないかな? なんてったって今年は強打者揃ってるって話だし。
あ、確か今バッターボックスで打撃練習してる4番の人が―――」
どうやら友人は野球部の4番の選手にご執心らしい。この前やっていた練習試合での活躍を細かく教えてくれる。さすがに話し込んでいる暇はあまりないので、相槌を打ちつつも歩みは緩めない。
カキーン。
白球を打つ音が再び響く。
……?
何やら野球グラウンドのほうが騒がしいけど。
「綾、あぶな―――ッ!」
友人が警告を発しようとしたのと同時、
ぱんっ!!!
グラウンドから飛んできた球がぶつかる音が耳を打つ。
「……?」
「いやはや全く危ないものだ。野球部には後で小言を言っておかなければ。
もっとも、今回の場合は学校側にグラウンドのフェンス費用を追加申請すべき事態かもしれないな」
音がしたほうを振り向くと、私とグラウンドの間に立っている長身の男子学生。
彼が片手を挙げて野球ボールを掴んでいた。挙げられた片手の裾にあるラインは彼が上級生であることを示していた。
もっとも制服でわからなくても、彼が上級生であることを私は知っていた。
伊達 政次 副生徒会長。
目の前にいる、シャープな眼鏡をかけた整った顔立ちの男子生徒はそう呼ばれていた。
入学式で生徒会長が挨拶をした際に隣に並んでいたからよく覚えている。
さっきの丸塚君以上に色々な噂の絶えない人物。曰く、ファンクラブが存在する。曰く、大企業の社長の御子息である。曰く、大揉めした昨年の生徒会選挙を月音会長を擁して制した生徒会の要。曰く、全ての部の予算の使い道を把握しており、どんな部の猛者も彼には頭が上がらない。
などなど。
月音・ブリュンヒルデ・フォン・アーベントロート会長がその手腕と美貌、ミステリアスな雰囲気によって様々な噂があるのと並び、彼にも様々な噂が常につきまとっている。
どれが本当でどれが嘘なのか真偽はわからないし興味もない。所詮は暇な学生たちが面白おかしく話しているだけなのだから詮索するだけ無駄だろう。幼馴染の出雲がその顔立ちのよさからあることないこと噂されたりした時期を知っているから尚更。
それでも、どの噂も彼が有能な生徒会役員であることを否定はしていない。それは間違いないんだろうと思った。
野球部員のひとりが申し訳なさそうな顔をして近寄ってくると、伊達先輩は「被害もないことだし表立って処理はしない。ただ小言くらいは言うから明日主将に生徒会室に来るように伝えてくれ」とだけ事務的に言って、ボールを投げ返した。
その様子を見送ってから、伊達先輩はこちらに向き直った。
「ありがとうございます」
どうやら野球部の打球が私に当たりそうだったらしい。
それに気づいてすぐにお礼を言った。
「いや、大したことではないよ。可愛い顔に傷でもついていたなら大変なところだからね。
おっと、失礼。初めましてだったね、副生徒会長をしている伊達政次だ」
涼しげに微笑んで握手を求められた。
私は出雲を見慣れているので別になんとも思わないけれど、伊達先輩の微笑みは他の娘には強烈な武器なのだろう。隣の友人などは頬を染めている。
失礼にならないよう握手を返す。
「和家綾です」
「実はキミに用があってね。偶然だったとはいえ、今回はそれが幸いしたようだ」
伊達先輩は友人にも握手をして名乗っていく。
副生徒会長が私に用事…? 一体何だろうか?
「綾君。キミを我が生徒会の書記として迎え入れたい」
「………え?」
後で思い返すと自分でも間抜けな返答だったと思う。
突然の話にわけがわからなくなっていたとしても。
「驚くのも無理はないが、本当のことだよ。正確には第二書記として、だけれどね」
当たり前である。
確か今現在書記には二年の武者小路先輩がついている。本来三年生で構成されるはずの生徒会で、主要メンバーが二年生で占められている現状がすでに歴代見ても異常な事態。その中でさらに二年生を差し置いて書記を入学間も無い一年生にできるわけがない。
私のその思いを知ってか知らずか副生徒会長は続ける。
「現在の生徒会はかつての生徒会と大きく変わろうとしている。
生徒自治の本旨に従い、職員側の権限から生徒が自ら考えて使うことができると判断されるものが委譲されていく。この流れは昨年からのものだが、今年も止まりはしないだろう。
必然的に業務は増えていく。我々生徒会は自らその労苦を負うと決めている者たちではあるが、さすがに一人で出来ることは限りがある。今後を勘案するに人数を増員するのがよいだろうという結論が出た、ここまではいいかな?」
小さく頷く。
体制が変わり人員を増やさなければいけない、つまり書記も二人必要になる、とそういうことなのは理解した。
だとしても、なぜ私なのだろう?とは思っていたけれど。
「無論二年から選出するのが相応しいというのも一理ある。
だが我々は生徒会、つまり生徒の代表者という立場だ。その役割は出来るだけ幅広く生徒の意見を吸い上げること、そして正しく守り抜いた生徒会という伝統を次代に引渡すこと。
二年という特定の学年以外の代表者を選ぶことで一年からの意見を吸い上げ、同時に来年の生徒会を担う人材として経験を積ませる。そういった観点から、各部から一人推薦を出してもらっていた」
……理屈はわかる。
わかるけれども……。
「その中からボクと生徒会長の判断でキミを選んだ。異論はあるかもしれないが、元より生徒会の人員の選定は会長の専決事項でもあるからね。
経緯として瑕疵の全くない正当な手続きを経て、キミが選ばれたんだ」
「…………」
返答に困っていると伊達先輩は小さく微笑んだ。
「急な話ですまなかったね。当然のことではあるが、今すぐ決めてくれなくても構わない。
そうだな……今学期中には結論を出してくれれば構わないよ。ただ、ひとつだけ」
涼やかな微笑みとは裏腹に言葉には熱が篭もる。
本心からだとしか思えないほどの真摯な熱が。
「自らの身を捧げて行う生徒会の活動は大変ではあるが、同時に素晴らしいものだ。
それをまだ知らないキミが迷うのも無理はないかもしれないが、誰かのために役に立つ働きをして感謝を受けた時の感覚は何事にも代え難いほどの経験になるだろう。
キミの将来を考えても決して損のない輝かしい選択になることを約束するよ」
なんだろう。
伊達先輩の言葉を聞いていると、そんな気になってくる。そうすることが私自身にとっても良いことなのではないか、と。
……でも、
「………わかりました。7月までにはご返事させて頂きます」
一存ですぐには決められない。そう思って返答しそうになるのを堪えてそう返す。決めたらそれをひっくり返すことは難しいし、周囲の人に迷惑もかかるだろう。一時の考えではなくしっかりと納得できるまで考えて結論を出す。
それが当然のように思えた。
伊達先輩はその返答がすこし予想外だったのか、すこし戸惑っていた。
「時間を取らせてすまなかったね。いい返事を待っているよ」
その戸惑いを浮かべたのも一瞬だけのこと。
優雅な立ち振る舞いで一礼すると立ち去っていった。
「生徒会だって! どうする!? 綾~!?」
「どうするもこうするも…すぐに結論出せる問題じゃないでしょ。私、茶道部好きだもの」
すっかり副生徒会長の魅力にやられたのか上機嫌の友人の言葉にぴしゃりと返す。
原則として生徒会に入ると部活動は制限される。無論それは茶道部だって例外ではない。
それを考えてもおいそれと決断することはできない。返事を保留にしたことはなかなかいい選択だったと言える。
「え~?」
「ほら、早くいかないと遅刻になっちゃうよ」
「あ、ヤバっ」
伊達先輩に時間を取られた分を取り戻そうと、二人で走り出す。
とりあえず生徒会のことは後でゆっくり考えてみることにしよう。時間は一ヶ月以上あるのだから考えるのには十分過ぎる。生徒会に参加するかどうかでは色々学生生活も変わってきてしまうから、出雲にも相談するべきだ。
と、そこでふと振り返った。
去っていく伊達先輩の後ろ姿。
遠目にその手を見る。
打球を受け止めた手。
グラウンドからここまで飛んでくるような、フェンスを超えるような大飛球。それを受け止めるのは相当な衝撃のはず。にも関わらず握手した際の手は少しもそんな形跡がなかった。
もっと言うのなら、出雲の手の感触に近い。
すこし違うけれど何かをやっている手。
生徒会に入る前はどこか武道系の部活にいたのだろうか…?
そんな考えが頭を過ぎった。
「綾~、は~や~く~!」
切羽詰まる友人の声。
私はそれ以上考えるのをやめて走り出した。




