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13.それは世界の開闢に等しくて

 無事に買い物を終え、店を出るとあたりはすっかりと暗くなっていた。

 時刻は7時過ぎといったところだろうか。


「この後もう1カ所回ろうかと思ったんだが………微妙な時間だな」


 スっと腕時計を見る仕草もイケメンがやると様になっているのが絶妙に悔しい。


「実はここの商店街にちょっと良い訓練設備がオープンしたんだ。そこならシステム上、充とのレベル差も気にならないし、せっかく武器を手に入れたんだから、少しくらい手ほどきでもしたほうが、と思ったんだが、時間的に厳しいか」


 出雲がそこまで言ったとき、不意に腹の虫が鳴る。

 幼馴染はそれに苦笑しながら


「それはまた今度だな……よかったら軽く何か食べていくか?」

「あー、出雲は帰っても一人だからなぁ。

 一応今日はお前と一緒ってことは伝えてあるし、あとでお前のうちで食事していくって連絡しとけば問題ないかな」


 うちにも門限はあるものの綾と出雲のところにいってるときだけは例外として1時間くらいは大目に見てくれる。中学生の頃は門限6時で7時くらいまで大目に見てくれていたので、高校生になって門限8時になった今なら9時くらいまでは大丈夫だろう。

 なお門限破ったときの罰則は母親の要請を受けた兄貴によるラグビーのタックル練習に付き合わされる感じである。

 え? もちろんガチで器具構えて踏ん張らないと骨がイきそうになりますよ、うん。

 手加減してはくれてると思うんだけどね。


 さすが幼馴染は信頼が違う。

 明日は土曜日で学校もないことだし、すこしくらい羽を伸ばしてもいいはずだ。


「あー、でもどうしようかな…」

「奢るぞ?」

「よし、行こう、すぐ行こう」


 小遣い1万しかないオレにとってはとてもありがたい提案だ。

 あまり借りを作りたくはない、というのも本音だが友人同士の飲食でたまに奢ってもらうくらいは大丈夫だろう。


「ここならよく行く喫茶店があるからそこにしよう。カレーが美味い」


 出雲は大のカレー好きである。

 基本的にカレー関係のメニューがあるときはそれを必ず注文する。普通の店でカレーライスやドライカレーを注文するのは当然として購買部ではカレーパン、タイ料理の店でグリーンカレー、うどん屋ならカレー南蛮などなど。

 一人暮らしの冷蔵庫に食材はあまりないのに、なぜかガラムマサラをはじめとしてスパイスが死ぬほど充実していたりとこだわりは半端ない。

 むしろ好き過ぎて放っておくと1日3食とまではいかずとも、2食くらいまでは平気でカレーを食べるので現在綾に食生活を絶賛改善され中なところだ。


「出雲からカレーって久しぶりに聞いたよ」

「デート中にカレーを頼むと綾に色々お小言をもらうからな…意図的に会話に入れないように気を遣っているんだ…」


 イケメンが力なく項垂れているとちょっと気分がいいのは小市民の証だな、うん。

 出雲の案内で喫茶店「無常(むじょう)」にやってきた。そこはかとなく諸行を嘆いていそうな店名なのは気にしないでおこう。

 中はオールドスタイルのクラシックな内装。英国的、とでもいえばいいのだろうか。

 あまりそういうのに詳しいわけじゃないけれど、敢えて少し暗めにしている店内はそれほど広くはないのだが、本物の執事さん?と思ってしまうようなダンディな口髭を生やしたお爺さんがカウンターで豆を挽いていた。


「いらっしゃいませ」

「こんばんは、(さかき)さん」


 どうやらお爺さんは榊さんというらしい。

 お爺さんと言いつつも身長はオレよりも出雲よりもさらに高いし、背筋をしゃんと伸ばしているせいで立ち振る舞いは明らかに若く見える。

 人当たりのいい榊さんの接客に流されるまま、窓際のソファ席に腰掛けてメニューを見る。


「いつもの2つで。食後に珈琲ふたつ。友人のほうがまだ珈琲苦手なので、そっちは粗挽きでお願いします」


 実はオレはあまり珈琲の苦味が得意じゃなかったりする。

 まぁ飲めなくもないので空気を読んで、珈琲要らないですとか言わないが。

 榊さんがいつもの、と注文されたときに一瞬ため息をつきそうになっていたのに気づく。どうも後日聞いたところによると、一般のメニューにはカレーはないのだが、一度頼まれて出したらいつも注文されてしまって困っているらしい。


 おそるべし、出雲。


「さて…充に渡しておくものがある」


 注文を終えてから、出雲は一冊のノートを取り出した。


「明日は土曜日だろう?

 学校もないことだし、充にはトレーニングをしてもらう」


 中身を見ると、基礎能力の計り方から始まって体力の付け方など全般的なトレーニングメニューが書かれていた。


「日曜日に疲れを残すわけにもいかないから、土曜日は基本的な出入りのステップがメインだな。それと並行して基礎トレーニングは毎日続けてもらうぞ」


 出入り。


 出雲との会話で聞いたことがある。

 相手と自分の距離を潰して攻撃したり、距離を離して攻撃を避けたりする一連の動きのことだ。個人的なイメージとしては蝶の様に舞い蜂のように刺す的なアレかな、と思っているが。


「序盤の敵については正直なところそれほど突飛な攻撃はしてこない。勿論注意するべき攻撃がある相手もいるが、それはその都度対応すればなんとかなるレベルだ。


 だから今のうちに基本的な足運びを覚えておくほうがいい。いざ何かあったときに無意識に使えるくらいまで馴染んでいないと危険な局面が将来増えるからな。

 そのノートの出入りをまとめたページを見て、ゆっくりでいいから自分でやってみてくれ」


 ノートには図入りで動きや足運びが書いてある。

 結果として土曜日は午前はノートの内容チェック、午後は出入りの練習をして、夕方出雲が部活を終えたら合流してチェックを受けるという流れ。

 翌日の日曜朝から狩りということもありチェックを受けた後、土曜日の夜は出雲のところに泊り込むことになった。


 とりあえずデートの時間がないな。

 すまない、綾。


「面倒かもしれないが地道にやっていく。

 肚を据える、なんて言葉もあるが、肚という言葉はにくづきに土を書く。体に土台となるものを叩きこまなければ心理的に冷静でいるのは難しい。逆に基礎となるものをしっかりと持っていれば、いざというときの心構えの助けになる」


 口語ではわかりづらいが、どうやら出雲の言っているのは常用漢字の「腹」ではなく常用外漢字の「肚」のことらしい。


【内容は理に適ってはおるがの】


 ごもっともで。

 オレも練習がいざというとき自分を支えるとかそのへんは納得なので反論はない。


 すこしするとカレーが出てきた。


 喫茶店のメニューなので量は多くないが風味といい味の深みといい、さすが出雲が勧めるだけのことはある味だ。市販のものと違って味が複雑というのかなんというのか…美味しいんだけど残念ながらオレの味の表現能力はそんなものである。

 食後に出てきた珈琲も思ったより苦くなく意外と飲める。


「……?」


 カップを傾けて珈琲を飲みながら、なにげなしに外を見た。

 見知った顔が偶然通った。


「? どうした、充」


 それを見るオレが妙な顔をしていたのだろう、出雲の怪訝そうな声がする。

 そのままその顔見知りは商店街の路地に入っていった。


 それ自体はいい。

 何をしているのか気にならないといえば嘘になるが。



 問題はその後だ。



 もうひとり。


 何か様子を伺うように歩いてくる男が後をついていく。

 距離を結構あけてついていくその様子は、まるで尾行でもしているように見えた。

 

「…………」


 気にすることでもない、か。

 他人の色恋沙汰に首を突っ込むとロクなことがないと結論づけた。



 そう、男も見知った顔だったから。




 □ ■ □




 月音ツキネ・ブリュンヒルデ・フォン・アーベントロート。


 それがわたくしの名前。

 ドイツ人とイギリス人のハーフである父と、イタリア人と日本人のハーフである母。

 多文化を許容する家風で育ったわたくしにとっては、違う国の文化というのは尊重すべきものであると同時に身近なものだった。


 でもこの国ではすこし違うらしい。


 勿論人によるのだろうけれど、街行く人たちにとってわたくしの髪や目の色は奇異に見えるらしい。どこに行くにしてもついてまわる視線。


 もう慣れたけれど、それでも気疲れするときもある。


「ニャァ~」


 そんなときにこういうものを見つけてしまうと、つい構ってしまいたくなるのは仕方ないのではないでしょう。

 しゃがんで手を差し伸べる先には子猫がいた。


 商店街の路地裏。

 その先の行き止まり。

 ここで親と逸れたこの子猫を見つけたのは昨日のこと。

 つぶらな瞳で見つめられて、つい可愛くなってしまったのは不可抗力だ。


 可愛さのあまり家に持ち帰りたくなるが、残念なことに絵本作家をしている父親は大の動物好きであるのと同時に猫アレルギーを持っている。家の敷地内に猫が入ってきただけで反応するのだから、もう筋金入りである。


 他の方策を考えるしかない。


 そう判断して、まず路地の店の人にお願いをした。

 飼い主を見つけてくるので1日だけここの場所を借りれないか、と。最初は面食らっていたものの何度も頼みこむと快く承諾してくれた。


 子猫用のミルクを与え毛布など子猫がリラックスできるよう環境を整えてから、わたくしは昨日そこを立ち去った。


 正直なところ、この子猫を助けるのが偽善でしかないことも理解している。


 野良猫は際限なく子を作るものであるし、捨て猫の類も世の中にはごまんといる。猫以外の場合でも事情は同じだろう。


 それら全てを助けることはできない、ということが高校生にもなってわからないはずがない。


 それでも目の前に出来ることがあって、行わないという選択肢を取ることはどうしてもできなかった。もっともそうでなければ、そもそも学校で生徒会長などという面倒な役目を引き受けたりはしなかっただろう。



 なんとか1日かけて里親を見つけてくることが出来た。


 もう大分遅い時間になってしまったけれど、あとはつれていくだけ―――





「なぁぁぁにをしているのかなぁぁ、月音くん」





 聞き慣れた、聞き慣れたくない相手の声。

 立ち上がって振り向くと路地の入口方向にひとりの男が立っている。


 眼鏡をかけた細身の男。


 学校では副生徒会長の役についている、わたくしにとっては天敵といってもいい相手だ。


「そんな畜生にかける優しさがあるのなら、もうちょっとボクに向けてくれてもいいんじゃないかな、それ。いや、むしろボクだけにしないとダメだよね、そうだよねぇ?」


 その視線が子猫に止まる。

 まるで親の仇を見るような憎しみを込めて。


「イイぞ!イイね!イイ感じ!イイな! この攻略難易度はさすがに最上級じゃないか! それだけの価値があるってことだ、そうだ、それはわかってるんだ。だけどさぁぁぁぁ」


 まるで静かに燃え上がる蒼い炎のようにゆらりと高まっていく昏い気配。

 思わずその視線から子猫隠すように立ちふさがる。


「早くボクの愛に気づいてくれないかな。そうじゃないとお互いに不幸じゃないか、そう思わないか?」


 この男は全てが万事その調子だ。 

 わたくしが関わる相手全てが許せないほどに偏執的。


「貴方の愛…? 世迷言は世界が滅びてから一人で仰って下さいと言ったはずですが?」


 なんとかしないといけない。

 わかっているのに、打開策が浮かばない。


 男とわたくしの間には絶望的な差があるのです。



 主人公(・・・)重要NPC(・・・・・)という差が。



 言葉にすれば短く、それでいてこれ以上無いほどに絶対的な差。


「何を言っているんだい? ちゃんと世界の秘密も教えてあげただろぉ?

 ボクが主人公(プレイヤー)で君はその攻略対象キャラだ。君が特別なのはボクの相手だから、つまりボクの愛がなければ君が特別であるはずがない。

 ああ、大丈夫。ボクはずっとずっとずっと君のことが好きだったんだ。

 たとえゲームの中の相手だろうと本当に愛している。ずっとボクのものにすると誓ったんだ。他の主人公プレイヤーが来ようと渡さない。それ以外にも。

 その身体も、心も、全部ボクのものだ。だから早くその現実を受け入れてよ」



 この男は言う。

 自分が特別であるがゆえに、わたくしも特別なのだと。



 この男は言う。

 特別であるわたくしが特別ではない人たちと付き合うのは許せないと。


 何度も抗った。

 特別であるとか特別でないとか、そんなことは関係ないと。


 そんなもので人を見るのはやめてほしいと。

 喩えこの世界がまがい物であろうと、わたくしはそう思っているから。



「じゃないと、周りが不幸(・・)になるよ。覚えているでしょ?」



 その度に思い知らされた。


 この主人公(プレイヤー)こそがわたくしにとっての絶望なのだと。


 告白を断るたび、この男はわたくしの周囲を傷つける。

 知り合いを、友人を、後輩を。

 一般のNPCを傷つけても主人公プレイヤーが罪を咎められることは殆どない。そういう仕組みになっている。それを利用してわたしの世界を壊していく。




 何度も、何度も、何度も。




「ボクは君を傷つけたりしない。無理強いもしない。君が自分の意志でボクになびくまで、ずうぅぅぅぅぅぅっと、不幸が続くだけのことさ。そう、不幸な事故が、ね」



 狂っている。

 でもどうしようもない。




 わたくしにできたのは、自らの世界を閉じることだけ。




 可能な限り誰とも話さず、誰とも打ち解けず、誰とも関わらない。

 必要最低限の表層的な付き合いに留め、その相手がこの主人公(プレイヤー)の目に留まらないようにする。




 それでもこの男は―――、





「さぁ、今夜不幸になるのはその子猫ちゃぁんだねぇ」





 嗤う。


 何かを毀すのが楽しくて仕方がないとでもいうように。

 男がゆらりと前に出た。


 気づけばわたくしのすぐ横をすりぬけようとしながら手刀を振りかぶっている。

 生まれたばかりの命を刈り取るために。





「………ッ!!?」





 思わず子猫を庇うように目を閉じて覆い被さる。

 たとえこの一撃から守れても、圧倒的なほど腕力に差がある。

 すぐに奪われて子猫は殺されるかもしれない。





 絶望的だ。


 どれだけわたくしが心を強く持っても、世界はこの男の味方しかしない。

 ただわたしは普通でいたいだけ。

 みんなと一緒に普通に笑って普通に泣いて普通に喜びたい。





 でもそのためには男に屈するしかない。





 誰か―――





 思わず助けを求めたくなる。

 でも世界ですらわたくしを救わない現状で誰も助けてくれるわけもない。


 ―――なら、この状況を打破し得るのは違う世界(・・・・)の理だけ。

 

 ふと、脈絡無くそんな言葉が浮かぶ。

 その意味もわからないまま、何かがわたくしの中で……



 フォンッ!!!



 刹那、手刀が空を裂いて近づく音がする。 



 バキィィッ!!



 何かが割れる音が響く。

 痛みはない。 



「……女性に暴力振るうとか、格好悪すぎじゃないですか?」



 男とわたくしの間に割り込んでいる男の子がひとり。

 言葉は丁寧だけど、とても怒っているのがわかる。

 さっきの音は手刀を、手にした棒で受け止めたものだったようで、握っている棒が真ん中から綺麗に真っ二つに折れていた。





 そう、この世界(・・・・)はわたくしを救わない。


 主人公(プレイヤー)を全てにおいて優遇するのが世界だから。





 ―――ならば、この男に怒りを覚えてくれたのは、逸脱した者(ハエレティクス)でしか有り得ないのは必然。





 その怒りこそがわたくしを救ってくれたのだ。



 これがわたくし、月音・ブリュンヒルデ・フォン・アーベントロートと、逸脱した者(ハエレティクス) 三木充との縁のはじまり。



 世界から弾かれた二人の、はじめての出会い。


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