蘇る伝説
久連松くんという、誰も隠していなかった隠し玉が勝手に乱入して炸裂したことにより、ついにぼっきり心をへし折られて陥落した錦谷 遥くん(本物)。
観念して男子校にこれからは真面目に通うという約束を取り付け、彼方さんはほくほく顔だ。
だが、彼女の喜びもつかの間。
思ってもみなかった落とし穴が、すぐそばで口を開けて待ち構えていた。
そう、彼方さんは見くびっていたのだ。
年頃男子の成長期を。
加えて言うと巨大ロボの操縦者になる為、成長期に特殊な組織で特殊な訓練を受けた男の育ちっぷりを。
双子だから。
昔から、同じような速度でそっくりに成長していたから。
だから男女の性差も、発育面で置いて行かれるという発想も彼方にはなかった。
だがしかし、考えてみれば双子の性別は男と女。
成長期を迎え、発育の方向性に違いが生じるのは当然のこと。
ついに彼女も現実を見るべき時が来てしまったようだ。
さっきは、濃いピンクゴールドの煙幕の中。
冷静に相手の姿を観察し、事実を認識するほどの時間もなかったが……。
ついに観念したことで、遥くんの拘束は解かれた。
自分で選んで、男子校に通うことを承諾したのだ。
この上は無駄な抵抗も逃亡もするまいと判断されて、得た自由だった。
だけど縄を解かれて椅子からすっくと立ちあがった遥くんを見て……見上げて。
彼方さんのお顔が、『虚無』になった。
見上げなければ、相手の顔が見えない。
その段階で、推して知るべし。
遥の身長は、彼方よりもゆうに二十㎝ほど高く育っていた。
そして体格は、脂肪ではなく筋肉の厚みで彼方の二倍ほどになっていた。
腕の太さや足の太さから考えて、彼方が普段着用している学生服はどう頑張っても入りそうにない。無理に着ようと思えば、袖と裾を全て切り落とす必要があるだろう。それをやったら学生服ではなくなってしまうだろうけれど。
一年半で随分と立派に育ったものである。
頭一つ分高い兄の顔を見て、ぼんやりと彼方は思う。
この首を取っちゃえば、身長的には同じくらいになるかなぁと。
それをやったら遥が死ぬが。
辛い現実に目を向けなければならない。
彼方は目頭を押さえながら、沈鬱な声を出した。
「どうする、これ……せめて間に夏休みを挟んでいれば……でも今はもう秋。これじゃ入れ替わりなんて……」
だってあまりに、二人の外見がかけ離れ過ぎていた。
顔を見れば面影がある。
でも似ているからこそ、二人の違いが際立っていた。
遥も妹の隣に並んだことで、己の成長を改めて認識したのだろう。
彼方を見下ろし、「無理じゃね」と呟く。
「え、いやイケるだろ」
しかしそこに「イケるイケる」と簡単に口を挟むのは鼻メガネな正さん。
その隣で、鼻メガネな和さんも呑気に大丈夫じゃないかな、なんて言いだした。
「そうだね、前例もあることだし。顔自体はそっくりだし無理ってことはないと思うよ」
「そこの鼻メガネは何を根拠にそんなことを……!?」
「そ、そうよ! こんなに全然体格が違うものを、一晩で変貌したとか言って押し通すなんて無r………………一晩で変貌?」
何か、頭に引っかかるものがあったのか。
彼方の動きが、止まった。
久連松くんも何かを思い出したようで、「あー」と納得の声を出している。
男子校に通っていなかった遥一人が、話についていけなくて困惑していた。
そんな遥君へとにこやかに微笑みながら(鼻メガネ)。
和さんは隣に佇む立派な体躯の実兄を指さす。
「伝説の体現者……ううん、当事者だね。ほらここに、卒業生だけど『一夜漬けマッスル伝説』っていう前例がある」
「い、一夜漬けマッスル伝説……なんだその異様な響き!? めっちゃ怪しいんだけど!」
「怪しくなんてないさ。一晩で人がこれだけ変貌したっていう前例がこの学校にはあるってだけで」
そもそも前提としての『伝説』を知らないので、話についていけない遥くん。
そんな遥君に、昭君は淡々と携帯電話の画面を見せてあげた。
「そこにいる兄さんの、これがbefore」
「え……っ?」
携帯画面に映っていた可憐な女装姿のモヤシを目にして、遥の目が見開かれる。
思わず携帯と正さんを交互に三度見した。
「そしてこっちがafter。なんと一晩でこの姿に……なった状態で登校した時の写真」
「ふぁっ!?」
あまりにもあんまりな、一晩での変貌伝説。
モヤシから細マッチョへと劇的に変わったある日の出来事。
それを指して、男子校の人々はこう語る。
『一夜漬けマッスル伝説』――と。
実際は一晩のうちに異世界行って何年も過ごしつつ世界を救う為にシゴキを受けたら筋肉ついた、というだけの簡単な話なのだけど。
そんなことを知らない学校関係者の皆さんにとってみれば、正さんが一晩で別人にすり替わったと言われた方が納得できるほどのメタモルフォーゼ☆に他ならない。
だというのに、その変貌をただの『成長期』で押し通したのだ。正さんという男は。
「イケるイケる! このくらいだったら成長期っていえばみんな納得するって!」
「いや、納得はしてないかもしれないけど。でも兄さんがそれで誤魔化せたんだから、錦谷も押し通せると思うよ」
「そ、そんな訳あるか! それで誤魔化せるかよ!? 無理あるだろ一晩でこんだけ成長したとかタケノコかよ!!」
「そうそう、しばらく俺もタケノコって言われたわー。つうか怪奇! 雨後の筍マンとか言われたわー」
「っていうか俺らみたくすり替わりじゃなく張本人なのに一晩でこんだけ成長したとか、あんた何!? 実は人間じゃないとか!?」
「あ、鶏曰く『ギリ人間判定』らしーぜ」
「鶏!? ギリ!!?」
「俺もなぁ、なんでギリなんだよって猛抗議したんだけどな……両親に聞けって言われちまってよ。でもいざ両親に『俺って人間かどうか怪しいの?』なんて聞けねえじゃん? なんか聞いたら後悔する話が飛び出しそうだし? 下手に聞いたら電波扱いされるかもしれねーし? だから今もって鶏がギリなんつった真偽のほどは不明だ」
「え、マジの話……? 鶏と話できんの、なんなのこのマッチョ?」
今まで悪の組織に就職したり巨大ロボの操縦者になったりと、あまり一般的ではない経験を積んできただろう遥くん。
しかしそんな彼にしても未知との遭遇に近い物があったらしく、「一晩でこんなに育ちました」な実績を持つ正さんに向けられる視線は不信感に満ち満ちている。
そしてそれを悪気なく助長させる、三倉家の弟さん。
「兄さんは鶏に選ばれた英雄だから……」
「鶏がなに選んだってー!? お、おい彼方! お前大丈夫か、これ大丈夫なのか! この学校、電波ばっかりか!?」
「巨大ロボのパイロットになったなんて主張する電波が何言ってるのよ」
「俺まで電波扱い!?」
「HAHAHA! 俺は電波じゃねーぞー?」
「そうだね。現実は時として小説より奇なりっていうし」
「奇っていうか奇妙奇天烈だよ、お兄ちゃん達……。その言葉を私達に適用させていいの? いいのかな? 物凄く、大いに疑問だよ」
混沌渦巻く、空き教室。
学園祭の筈だったのに、巨大ロボの襲撃で外はピンクゴールド。
諸々の後始末やら通報やら、生徒の安否確認やらに追われて学園祭はもうそれどころじゃない。
この混沌を乗り切ったとして、今度は謎の成長期☆を主張する一晩でもやしから細マッチョへ!な伝説を踏襲した男が現れて、学園に新たな混沌を招き入れるのか……
それが、今回も通用するのか否か。
前にもあったことだから! では済まないかもしれない。
どうやって皆に納得させたものか、彼方の胸にだってわずかな不安は存在した。
そんな、彼女の不安を見透かしたように。
久連松くんがぽんっと彼方の肩に手を置いた。
まっすぐな眼差しが、彼方を見つめる。
そして彼女を安心させるように、こう言った。
「不安だったら、俺のせいにすれば良い。そう、実験の過程で思いがけず出来てしまった『謎の薬品』を適当な瓶に詰めて机の上に置いていたら、ジュースと間違って『遥』が飲んでしまったとかなんとか……そのまま熱を出して一晩経過したら、こうなっていたとでも」
そうのたまう久連松くんは科学部員。
身に纏った白衣も超絶怪しい、別名『科学部の切り込み隊長』である。
「おいおい、それどんな言い訳だよ……」
「……確かに。それならクラスのみんなも目を逸らして受け入れるかも」
「っておおぃ!? それで納得しちゃうのか彼方! っていうかそれで納得される久連松ってなんなの!? そういうことしそうな奴なの!? それで納得されちゃうような暮らしぶりなの!? そんなのとルームメイトなのか!?」
「ついでに、一晩高熱が続いたせいか薬の影響か、記憶が怪しいと言っておけば日常で齟齬が出ても余計な追及はかわせるな。担任も疑わないはず」
「担任の先生までそれで納得しちまうの!? こいつ何者だよ! っつうかマジでこの学校、おかしなヤツばっかか!!」
「失礼なことを言うな! おかしなことなんて……うん? うん……うん、おかしなことなんてないヨ? だから安心して復学しなよ、遥」
「妹の笑顔が超胡散臭ぇ!! お前、彼方、今なんか思い当ったろ? 思い当ることがあったんだろ!?」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ、遥くん。
この調子で本当に大人しく男子高校生に戻ってくれるのか心配なくらいだ。
はらはらと事情がよくわからないなりに様子を見守っていた明ちゃんも心配になってくる。
だからつい、兄達の袖を引いてしまった。
「お兄ちゃん、あのひと大丈夫? 何を嫌がってるのか、わかんないけど……」
「明……あのおにーちゃんはなぁ、よくわからんが妹にすっごい迷惑をかけてた駄目兄なんだと。それで今、そのツケを払わせられようとしてるのに無駄な抵抗してるらしいぜ。兄ちゃんもよくわからんけど」
「正お兄ちゃん、よくわからないのに事情通ぶるのはどうかと思うの」
「明ちゃん、心配しなくても大丈夫だよ」
「和お兄ちゃん」
「いざとなったら、実力行使で黙らせればいいだけだから」
「爽やかな笑顔で物騒だよ和お兄ちゃん!」
「という訳で、実力行使しとくか。これ以上、ここで無為に時間を過ごすこともないしな」
「わあ、正お兄ちゃんの気配が獰猛……」
「マッスル伍長直伝……秘儀・奈落吊り!!」
「う、うわぁああああああ……あ゛っ」
「お、お兄ちゃーん!? おにいさんが、よそのおにいさんが、人体として有り得て良いのか不安になるようなポーズに……!! 関節が! 関節がヤバそう!!」
「和兄さん、人間の首ってあんな角度でも曲げられるんだね」
「昭君、絶対に良い子はマネしちゃだめだからね」
「真似する気もないけど、そもそも真似できないと思うよ。筋肉量的に」
最終的に物理で物事を解決する。
そういう意味においては、正さんはとっても頼りがいになる男だった。
さすがは兄妹一、肉体言語能力に秀でた男。
「ちょ、おにいさん……っ遥が! 遥の首、これ大丈夫なの!?」
「ははは、安心しろ! 加減は重々承知しているからな、我が身を以て!!」
「お兄さんも大丈夫なのそれ!?」
こうして文化祭で起きた騒動の裏側で。
物理的に落とされて大人しくなった遥は秘密裏に寮へと運び込まれ、男子校ライフを新たにスタートさせることになる。
男子校生活から解放された彼方は、ほぅっと息を吐いて一年半の思い出を振り返った。
辛いことや嫌なこともあった。
だけど楽しいことや嬉しいことだって確かにあった。
終わってみて、自然と寂しさが湧き上がってくる。
しかしこのまま続行したいとは微塵も思わなかった。
特に、元ルームメイトがなんかカミングアウトしてくれちゃったお陰で、寮生活に不穏な危機感が発生しているので……あらゆる意味で、過去を葬り去りたくなる。一年半の寮生活で、いったい何を見られちゃったんだ自分。そんな思いが頭をよぎっては、考えても仕方ないと思考を振り払った。
「今日はなんだか、私とバカ兄貴の事情に突き合わせて……振り回してごめんね、みんな。でもこの秘密については一生黙っていてくれるとありがたいな」
何となく、そんなに親しいわけでもなかったけれど。
彼らはこのネタで自分を脅迫することはないだろう。
よく知りもしないのに、なんだかそう信じられた。
いろいろと思考回路の追いつかない状況に、頭がマヒしているだけかもしれないけれど。
それじゃあここで、と。
皆で協力してこっそり寮に遥を運び込んだ直後、彼らはそれぞれに別れを告げた。
彼方と、久連松くん。
そして三倉兄妹。
なんだかよくわからないままに終了した文化祭。
その名残もなく、互いに手を振って背を向ける。
昭君が、特に個人的に会話もなかった青年の背へと声をかける。
「それじゃあばいばい。ヘルバルトさん」
「「「「?」」」」
「ああ、さよなら」
「「「「???」」」」
一斉に、疑問符に満ちた視線が向けられた。
物言いたげな目を向けられても、昭君は意にも介さず歩き去っていく。
最後に謎の発言を残した昭君。
一体どういう意味かと、彼方は首を傾げていた。
「彼方、遥の様子を見ていくだろ?」
「久連松、ヘルバルト……って?」
「ん?」
暗に寄っていくよう促す久連松君に、よくわからなかったので疑問をぶつけてみた。
最初、何を聞かれているのかわかっていなかったようだが。
数秒の間を置いて、久連松くんはハッと息を呑んだ。
「……っ! なんでアイツ、俺の本名を!?」
「本名!?」
驚く久連松くんに、驚く彼方。
「お前、外人さんだったのか!?」と混乱しきった彼方さんの素っ頓狂な声が、人気のない寮の裏庭でこだました。
後日、とある男子校のとある教室で。
がらりと無造作に扉を開けて、立派な体躯の若者がひとり。
どこかで見たような顔の、でも明らかに見慣れぬ男の姿にクラスの面々は顔を見合わせた。
誰も、その男が何者なのかわからない。
見覚えのない、少なくとも同学年にはこんな男はいなかったはず。
何よりその立派な体躯だ。
こんな奴が目の届く範囲にいれば、どうしたって印象に残るはずなのだが……
「お前、誰? うちのクラスになんか用?」
好奇心を抑えきれず、ぶすっとした顔でずかずか教室に入ってきた男にクラスメイトが声をかける。
だけど返ってきたのは、不機嫌そうな言葉と、予想外の答え。
「用っつうか……ここ、俺のクラスだろ」
「は? あ、いやいやそんな……あ、転校生?」
「違うし」
むっつりと不機嫌顔で、見慣れぬ男がどっかりと座り込んだのは窓際前から四番目の席。
だがそこは、クラスでも飛び切り華奢で小柄な少年の席の筈で。
怪訝な顔をするクラスメイト達の前で、男が鞄から取り出した教科書には、『錦谷 遥』の名前。
それは、その席の主である小柄な少年の名前で。
不可解なものを見る目を、クラスメイト達は男に向ける。
そんな、よくわからない空気が蔓延した教室で。
朝練に出ていたクラスのひとり、三倉和さんが教室に戻ってきた。
部活の汗をタオルで拭いながら、爽やかな笑顔のあいさつが響く。
「あ、錦谷。おはよう!」
「「「は?」」」
「……ああ、おはよ」
「「「はああ!!?」」」
何事もなかったかのような、平然とした朝の挨拶。
だけどその言葉が示す意味、その非現実的な事態を目前にして。
絶句したクラスメイト達の悲鳴が、次の瞬間学校中に聞こえる大音量で一斉に上げられた。
そうして学校の生徒たちは、まざまざと見せつけられて……一つの伝説の名を思い出す。
『一夜漬けマッスル伝説』の名を。
久連松くん
本名:ヘルバルト
男子校の科学部で日夜怪しい実験を繰り返して周囲を戦慄させる恐怖の科学部員。
本職は錬金術師。
三倉家のパパさんとは300年前からの知り合い。




