妹が「この世界って乙女ゲーじゃん!」とかわけのわからないことを言い出した
昔から夢見がちな子ではあった。
いつも浮ついているというか、まるでこの世界が夢か何かだと思っているような口振りで、現実をおもちゃにして笑っている。
そんな妹であるフェノンが、いよいよおかしくなったのは、十歳の折にはしゃいで階段から落ち頭を打ってからのことだった。
「ねぇお姉ちゃん! この世界ってさ、乙女ゲーなんだよ? 私前世でめっちゃやりこんでたから! だから攻略ルート全部知ってるの! 転生ってやつ? ヤバくない? もう人生勝ち確なんだけど!」
そう言ってケラケラ笑う彼女に、姉である私メイティアは微笑みを返すことしか出来なかった。
おかしなことを言う子だとは思っていたけれど、彼女のその乙女ゲー……いわゆる前世の記憶とやらは、確かにこの世界の未来を少しだけ正確に言い当てた。
私が乗馬で怪我をすること、大雨や地震、果ては王の暗殺。
全てを予言したフェノンは、神託を受けた聖女として崇められた。
だからこそ、油断したのだ。
彼女の言う攻略ルートとは、自分が名誉ある地位に就くことなのだと。
……それが間違いだった。
「アクシオってマジでヤバくない? 顔良くてスタイル良くて、リアルであんなイケメンて! あの笑顔で抱きしめられたら死ねるんだけど!」
夜会で彼を見つける度に、フェノンはそんな風に軽々しく言っていた。
彼女はまるで花のように社交界の男たちに笑顔を振りまきながら、甘い言葉で距離を詰めていく。
その周囲には、いつの間にか何人もの取り巻きが出来ていた。
けれどフェノンが本気で狙っていたのは、たった一人……私の婚約者であるこの国の第一王子であるアクシオだった。
「ねぇお姉ちゃん、攻略キャラを独占とかマジでずるくなーい? 王子はヒロインのものなんだよ? だって、そういう運命なんだから」
運命。
彼女はそう言って、私の大切なものに手を伸ばした。
聖女という立場を利用し何かと彼に近付き、持ち前の猫のような愛くるしさで取り入った。
今日という日も、彼のために着飾っていると言っても過言ではない。
「あ、こっち来た! アクシオー!」
私を見かけてやって来たアクシオの腕に、フェノンは無遠慮に抱きついた。
「こんばんはフェノン。すまないがこの手を離してくれないか? メイティアと話がしたいんだ」
「えーお姉ちゃんばっかり相手するの寂しいよー。私もかまちょなんですけどー」
「また今度ゆっくり話そう。メイティア、行こうか」
「ええ」
フェノンを離し、アクシオは私のために腕を開ける。
フェノンはそんなアクシオに不満そうに頬を膨らませた。
けれどアクシオは、そんな妹のなどまるで視界に入れていないようだった。
どれほどフェノンが媚びを売ろうと、彼の眼はいつも私だけを映す。
それがわかっていたから、私は何も気にしない。
表面上は、そういうフリをした。
小賢しい……そうでないなら小狡いとでも言うべきなのだろう。
本来ならば不敬で投獄されてもおかしくない態度と物言いだけれど、それが許されているのは聖女という立場だけではない、彼女の生来的な性格もまた由来していた。
天性の愛嬌があるからこそ、多少強引に距離を詰めても相手を不快にさせない。
加えてフェノンはけして愚か者ではない。
型破りという言葉が似合うくらいには、むしろ令嬢としての基礎的なマナーを修めている。
「てか聞いてお姉ちゃん。私なんで死んだか思い出したんだけどさ、お風呂でゲームしてたら滑って転んで頭打って溺れたんだった。ヤバない?」
この世界ではない異なる世界の夢については、まるでこちらの理解が及ばないところではあるけれど。
異なる世界では、フェノンは学院に通う女学生だったらしい。
そしてこの世界は、彼女の世界でいうところのゲーム……よくわからないけれど魔法で作られた箱庭のようなものなのだとか。
そして私たちはその箱庭の住人。
私はというと、ゲームの中ではフェノンの恋を応援するだけの端役らしい。
もちろん私を含め、両親やアクシオたちにもそのような認識は無いし、正直なところ信じる以前にどうでもよかった。
「アクシオってじつは甘いものが好きなんだよ」
「落としたハンカチを拾ってくれて、それがイベント発生のフラグなの」
「好感度マックスまで上げるとアクシオが夜這いに来るのガチでメロいんだけど」
フェノンはフェノンで私の妹で、彼女が私のアクシオに手を出そうとしている……それだけが問題だったのだから。
「ねーねーアクシオ、今度デートしよっ」
フェノンがアクシオの腕に触れた瞬間、私の中で、何かが決定的に壊れたのだ。
その夜。
私はフェノンの部屋を訪ねた。
彼女は絹の寝間着姿で、手鏡を覗き込みながら爪を磨いていた。
その無防備な姿が、どこまでも無神経で、どこまでも他人の痛みを知らない女に見えた。
「お姉ちゃん? どうしたの? わざわざ夜に来るとか、珍し――――――――」
言葉の途中で彼女の声が止まる。
私が彼女の首根っこを掴み、力ずくで壁際へと押しやったからだ。
「っ、お姉……ッ?!」
「フェノン……あなたに言っておくことがあります。あなたがどれだけ軽薄に他の雄と関係を持とうが、姉として咎めることはしません。誰と付き合おうが、誰の子を孕もうが勝手にしなさい」
フェノンの目が、更に大きく見開かれる。
私は首の骨を砕くように力を込め、彼女の眼前にナイフを翳した。
実の妹に暴力を振るう私の心は、氷のように冷たく、また凪いだ湖面のように静かだった。
「乙女ゲーだの聖女だの、攻略だのヒロインだの、そんな戯言でどれだけ周りを引っ掻き回そうが、そんなのはどうでもいいんです。ただ……アクシオに付き纏うことだけは容認しません。これ以上彼の視界に映るつもりなら、たとえ妹でも殺します」
自分でも驚くほど低い声で言いながらも、胸の奥では心臓が暴れ馬のように跳ねていた。
ただ、ようやく言葉にできたことへの安堵と快楽に。
フェノンは震えながら涙を零した。
初めて見る顔だった。
あの傲慢で軽薄な彼女が、顔を青くし子どものように怯えている。
「お姉……ちゃん……ゴメン……ゴメン、なさい……」
「……よろしい」
振り絞られた言葉を聞き、私は刃を引いた。
そこで私は初めて深く息を吐いた。
「忠告は、忘れないようにしてくださいね。おやすみなさいフェノン。私の可愛い妹」
私は姉らしい微笑みで部屋を去った。
それから、フェノンは変わった。
まるで別人のように、おとなしく静かになった。
以前ほど軽率な言動も鳴りを潜め、誰の目にも以前より淑やかな令嬢に見えた。
死に直面したフェノンは、私の言いつけどおり、必要以上にアクシオと接することもなくなった。
公務として関わる以外は適切な距離感を保っている。
私はほっと胸を撫で下ろしたけれど、アクシオ以外の男性たち……取り巻きだった者たちとは、全員と「良い仲」になったらしい。
公爵家の次男、伯爵家の嫡男に、学術院の若き教授、大商会の会頭……枚挙にいとまがないほどの男性と。
隣国の皇太子に見初められたことが噂として私の耳にも入ってきたけれど、私がそれを聞いても何の感情も湧かなかった。
彼女が誰と過ごそうと関係ない。
アクシオに手を出さなければそれでいい。
「最近フェノンは変わったね」
「聖女としての自覚が芽生えたのでしょう。姉として鼻が高いです」
アクシオは何も知らない。
私があの夜、妹に刃を向けたことも、フェノンが何を感じたかも。
全ては胸の底に沈んだ秘密。
「アクシオ様。あなたをお慕いしています」
私が微笑むと、彼は優しく頷いた。
箱庭の中心が私でなくとも、その眼差しに私だけが映るなら、それだけで充分だ。
年月が流れて。
フェノンが隣国に嫁いだと聞いたのは、私とアクシオが正式に王太子妃と王太子として並び立った年だった。
相手は隣国の皇太子で、フェノンを熱烈に愛しているらしい。
相変わらず愛されることにだけは困らない子のようだ。
久しぶりの再会は、王城で開かれた舞踏会。
彼女は豪奢なドレスを身にまとい、夫の腕にすがって現れた。
「お姉ちゃん、久しぶり。元気……そうだね」
「ええ。あなたも」
私が微笑むと、フェノンの指がぴくりと震えた。
あの夜の光景……銀の刃、首筋の冷たさ、月光の色が、彼女の心に刻まれたままなのだろう。
私はグラスを手に取り、澄んだ液面を見つめた。
その向こうで、フェノンがこわばった笑みを浮かべている。
しばらく向き合い沈黙が続いて、
「…………っはぁ~!! てかもう辛気臭いの無理なんだけど!!」
フェノンは品の無い声を上げた。
私は驚いた。
まだ私を恐れているのだと、それ故に私とは距離を置き、隣国に嫁いだのだと思っていたから。
「そりゃたしかにあの夜のことはトラウマだけど、まあ私も調子乗りすぎたとこもあったってゆーか……でもそれでお姉ちゃんと仲悪くなるのは違うじゃんね?」
この子は本当に、人の心を掴むのが上手い。
私は呆気に取られ、それからふと微笑んだ。
「向こうでは幸せにやっている?」
フェノンは爛漫な笑顔で頷いた。
「うん! アクシオルート……じゃない、王子……じゃなくて陛下?の攻略はアレだったけど、向こうでハーレムルート入ったから! 人生勝ち組すぎてヤバい! 」
「そ、そう……」
皇太子だけでなく、他にも取り巻きを作っている辺りがこの子らしい。
しかし……それを許している皇太子の度量には感服せざるを得ない。
相変わらず奔放なようだけれど、それでいい。
聖女だ転生だのとはしゃいで、手はかかるしうるさいしワガママで小憎たらしいところもあるけれど、それでもやはりこの子は私の可愛い妹なのだから。
「たまには顔を見せに来なさい。またあなたの話が聞きたいわ」
「うん。お姉ちゃんもお幸せにね」
ニシシと歯を見せて笑うフェノンをはしたないと叱責することはせず。
私たちは久しぶりに姉妹らしい時間を過ごした。
「お姉ちゃんっ、一緒に踊ろ!」
「男性のパートなんて踊れないわ」
「大丈夫大丈夫! ノリでいけるっしょ!」
「もう……」
楽団の音色が鳴り響く中、王城の夜は美しく流れていく。
どうかこの穏やかな時が永遠に続きますようにと、私はフェノンの手を取り静かに微笑んだ。
「てかこれ、お姉ちゃんルートも攻略してるのかな?」
クルクルと踊りながらフェノンが言うので、攻略なんてされてあげない、と一蹴する。
「私の心はアクシオだけのものだから」
半・姉妹百合でした
当方、ギャルっぽいの好っき
それはそれとしてアクシオって響きがいいけどなんか聞いたことあるなって思ったらハリ◯タの呪文じゃねーか
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