あなたからは逃げられない1
翌朝。迎えにやってきたジーンは、私の顔を見ると盛大に顔をしかめた。
「いつ来てもいいと言ったのに」
「え?」
私はただただ困惑する。
確かに昨夜そう言われたけれど、言われたその日に行ったほうがいいなんて聞いていない。
「……眠れなかったんじゃないのか?」
ジーンは怒りを抑えた顔で、しかし手つきだけは優しく私の頬に手を添える。
そして、親指でなぞられたのは下瞼だ。
「……あ、もしかして隈が?」
「うっすらとな。でも俺は誤魔化されないぞ」
ジーンは険しい顔で続ける。
「俺はレナのことならどんなことでも気がつくからな」
なんだか恐ろしいことを得意気な顔で言われている気がした。
でも今はそれよりも誤解を解かなくては。
「寝つけなかったんじゃなくて時間がなかったのよ。だって、翌朝出発だって言われていろいろ準備があったから……」
荷造りもあったし、やっておきたい掃除や片付け、お店をしばらく閉めるのにこの数日で発注しようと思っていた品物を調達するための書類作成、高価な品物を鍵のある棚に入れたり、店前にしばらく店を閉める旨の掲示などなど。
それらをこなしてたらいつの間にか外が薄明るくなっていた。
慌てて眠ったけれど、数時間しか眠れていない。
そう事情を説明すると、ジーンは眉間の皺をより深めた。
「そうか……いろいろ準備があるのに考えが浅かった。俺が変な気を起こさないように帰ったが、やっぱり帰るべきじゃなかった……」
「?」
よくわからないけれど、ジーンは深く後悔しているようだ。
私はなるべく朗らかな笑顔をジーンに向ける。
「大丈夫よ一日くらい睡眠不足でも」
「移動中眠れよ。馬車は取ってあるから」
ローレイラまでは馬車で半日の距離だ。
魔除けが施された馬車は安くはないが、主な移動手段はそれしかない。
ジーン一人なら馬でも調達して駆けた方が速いだろうが、私を気遣って馬車にしてくれたのだろう。
しかし、安くはない。
だいたいの値段を想像して、その半額を出せるのように頭の中で計算していると、ジーンの大きな手が私の頭の上にポンと乗る。
「金は気にするな。仕事で行くんだから経費として落とす」
「なんで私の考えていることがわかったの!?」
「そのくらいわかる」
ジーンは得意気だ。
「経費は俺の分しか落ちないが、馬車代や宿代は一緒にいれば浮かせられる」
「いいのかな……」
「レナは俺に魔物研究所のことを教えてくれた。それだけでも十分だよ」
店を経営してはいるものの、お金にものすごく余裕があるわけではないので、馬車代がなくなるだけでもとても助かる。
この旅で仕入れもする予定なので、その移動費がないなんて得しかない。
「現地でもなるべくジーンの助けになるようにするわね」
「無理はしなくていいんだが……ありがとう」
私達は家を後にして馬車の乗り場へ向かう。
まだ朝も早いので、これから仕事へ向かう人達とたくさんすれ違った。
「そういえばザヴァルは私も行くことを知っているの?」
「いいや、俺も昨夜レナと会ってからザヴァルには会わずに出るからな。もちろん俺が行くことは知っているが」
「じゃあ……店が閉まってることで初めて気が付くのかな」
ジーンを敵視しているザヴァルのことだ、私が一緒に行ったとわかったらきっと怒られるだろう。
そのことを思うとちょっとだけ気が重い。
「ザヴァルなんて気にしなきゃいい」
ジーンはまた私の心の中を読んだかのようなことを言う。
「そういうわけにもいかないわ。私にとってザヴァルは大切な存在なんだから。恩もあるし」
「大切……な……」
何故かジーンは悔しそうな、はたまた悲しそうにも見える複雑な表情を浮かべた。
私の言葉がジーンをそんな表情にさせたのだとは思うが、何がそうさせたのか見当もつかない。
ザヴァルを褒めたのがいけなかったんだろうか。
私は焦って付け加える。
「で、でも本当にそうなんだもの。ザヴァルはエバークラインに一人で来たばかりの私を支えてくれたし、お祖父ちゃんの病気を教えてくれたのもザヴァルだし……私にとって大切な──兄みたいな存在なの」
「……兄?」
「そうよ。いつも気にかけてくれて恩もあるのに、無視するなんてできないわ!」
「兄か……ふっ」
ジーンはさっきの悲壮な顔が幻だったかのような不敵な笑いを浮かべていた。
なんだかよくわからないけれど、機嫌を直してくれたならよかった。
「ザヴァルにもお土産を買わなきゃね」
「そうだな。傷心に効く甘い菓子でも買っていくか」
「傷心?」
「かといって俺が同じ目に合わないとも限らないが……」
「??」
ジーンはなにかぶつぶつとつぶやいているが、まったく理解できない。
独り言だと思って気にしないことにした。
私達は馬車に乗り込むと、門を出て街の外へ行く。
馬車には魔物避けの魔法がかけられているので滅多なことでは魔物に襲われないし安全だ。
ただ、ガタガタとよく揺れるので長く乗っているとお尻が痛くなるのが難点だ。
この前エバークラインに来た時は王都から馬車に乗ってきたので、なんと五日間も馬車の旅だった。
着いた頃にはお尻が悲鳴をあげていて、座っていただけなのに疲労困憊だったっけ。
それに比べれば今回は半日の旅なので容易に乗り切れそうな気がする。
「ふわぁ」
小一時間も馬車に揺られていると眠気が襲ってくる。
こらえ切れずに欠伸をすると、ジーンに目ざとく見つかった。
「眠っていいぞ」
「うーん……そう、だね」
ジーンが隣に座っていることで温かい。
眠気もどんどん増してきて抗える気がしなかった。
「肩、貸すぞ」
ジーンはそう言いながら私の頭を優しく掴んで自分の肩に乗せる。
リラックスして足を伸ばし、椅子の背にもたれたかかっているジーンの肩は私の枕にちょうどいい高さだ。
「重くない?」
「重いもんか」
目だけ見上げて尋ねるとジーンは柔らかく微笑む。
なんだか甘えてしまっているようで恥ずかしいが、ほとんど眠っていない睡眠不足には抗えない。
私はもう一つ小さく欠伸をしてからそっと目を閉じた。
頭を乗せているジーンの肩と、触れている腕が温かい。
ジーンはこんなにも優しくしてくれる。
今まで私にこんなにも優しくしてくれたのはお祖父ちゃんだけだった。
そんなジーンに私はまだ自分のことを何も言えていない。
幻滅されても、嫌われても言うべきなのだろう。
ただ、ジーンが私から離れていくことを思うと言葉が出ない。
それこそがジーンからの信頼を裏切っているのに……。
この旅でジーンに自分のことを話せたらいいな。
そんなことを願いながら私は眠りに落ちていった。




