昼の紅茶、夜の紅茶3
どのくらいそうしていただろう。
涙が引いてからも目の赤さが引くまでは、と身動きできずにいて、抱きしめられていることが恥ずかしくて、でもなんだか落ち着いて。
混乱しているのか安らいでいるのかわからないまま、思考が停止してただジーンの熱を感じていた。
その内に恥ずかしさが勝って、私はほんの少し身じろぎをする。
すると、すっとジーンの身体が離れて私達は久しぶりに顔を見合わせた。
「出かける用事は大丈夫か?」
そう尋ねた声は低く、いつもよりも落ち着いた響きだ。
「うん……平気」
「そうか」
なんて言えばいいかわからなくて曖昧に答えると、ジーンは深く聞かずにいてくれる。
「ジーンは……私に何か用があって?」
「用もそうなんだが……一緒に夕食でもどうかと思って」
「誘いに来てくれたの?」
「ああ、気分じゃなかったら断ってくれていい」
ジーンは私を夕食に誘いに来てくれていた。
その事実が私の胸を温かくさせ、同時にまた泣きたくなってしまう。
独りぼっちじゃないと、言われているようで。
私は涙を振り払いたくて、首をぶんぶんと横に振る。
そしてジーンの顔を見て微笑む。
「一緒に食べようか」
「……っ」
ジーンは何故だか顔を少し赤くして狼狽えた様子で顔を横に向けた。
「?」
「いや……食べよう」
気を取り直すようにコホンと咳払いしたジーンは店の中を見る。
「片付けはこれからだったか?」
「あ……うん」
まだ店内は灯りがついたままだし、カーテンも開けたままだ。
金庫の確認もこれからで、そんな状態で外に出ようとしたことが今更ながら恥ずかしい。
ジーンに深く突っ込まれませんように、と心の中で願っておく。
突っ込まれてもどう説明しても恥ずかしい。
「じゃあ……良ければレナが店を片付けている間に俺が作ろうか?」
「え、いいの?」
「ああ、キッチン借りてもいいか?」
「うん」
そういえば前にジーンは毎日料理を作っていると言っていた。
「でもいいの? 外で食べたかったんじゃないの?」
「いや、レナと食べられれば何でもいい」
「……っ!?」
今、さらっとすごいことを言われた気がする。
カッと熱が顔に集まるのを感じて、そんな自分に戸惑う。
「カウンターの奥が住居だったか?」
動揺している私がバカみたいにジーンはいつもと変わらない様子だ。
「う、うん。すぐ奥がキッチンなの。住んでいるのは二階で……」
「わかった。じゃあ適当に作らせてもらうな」
「あ、ありがとう」
ジーンはさっさと奥に引っ込んでしまう。
食材何があったかな……などと考えながら、私はなるべく早くジーンのところへ行って手伝うべく、店の片付けを始めることにした。
*
急いで片付けを終わらせてキッチンへ行くと、もう既にいい匂いが漂ってきている。
私が顔を覗かせるとすぐにジーンは気がついて振り返り「おう」と、声をかけてくれた。
制服のジャケットを脱いで袖を捲くっているジーンはいつも会うときよりも寛いで見えて、なんだか落ち着かない気分になる。
「お待たせ。何か手伝うことは……」
「じゃあ皿を出してくれるか?」
「あ、うん。もしかしてもうできるの?」
「ああ。そんなに凝ったものは作ってない」
ジーンはそう言いながらテキパキと料理を作り続けていた。
パッと見た感じかなり手際がいい。
実家で働いていたメイドや執事達にも引けを取らない気がする。
疑っていたわけではないけれど、毎日料理を作っているというのは本当のことのようだった。
私が出したお皿にジーンが出来上がった料理を盛り付けて、それを並べるとあっという間にテーブルの上が豪華になる。
「わあ」
椅子に座った私は思わず歓声を挙げた。
香辛料のいい香りがするトマトのスープに、揚げたお肉が挟まったサンドウィッチ、彩りのいいサラダもついている。
思わず涎がこみ上げてゴクリと飲み込んだ。
「美味しそう……」
うちにあった食材で作ったとは思えない豪華な夕食だった。
「食べようか」
「うん!」
私達は二人で向かい合って座る。
「いただきます!」
声と手を合わせて二人だけの夕食が始まった。
まずはスープを一口飲むと、その美味しさに私は目を輝かせる。
「お、美味しい……!」
温かいスープは香辛料がいくつか使われている複雑な深みのある味がした。
最後にやってくるトマトの酸味が爽やかで、飲むと食欲が掻き立てられる味だ。
続いてサンドウィッチにかぶり付くと、サクッとした食感のすぐ後に肉汁がじゅわっと染み出してくるお肉がとても美味しい。
お肉の衣にも香辛料が使われているのか、脂っこさが絶妙に緩和されていくらでも食べられそうな味付けだ。
付け合せのサラダのドレッシングは柑橘系の爽やかさな味で口の中をさっぱりとさせてくれる。
どれも本当に美味しい。
「ジーンは料理ができるだけじゃなくてとても上手いのね……!」
私が目を輝かせているとジーンが照れたように笑った。
「母親以外に食べさせたことはなかったから心配だったんだが、口に合ってよかったよ。今度はもっと時間をかけて作った料理を振る舞わせてくれ」
「いいの?」
「ああ」
手早く作ってこんなに美味しいのに、時間をかけて作った料理はどんなに美味しいのだろう。
普通は遠慮するところなのだろうが、この美味しい食事を前に我慢することなんてできない。
黙々と食事を進めながら、ふと目線をジーンに向ける。
ジーンは私よりも大きい口でパクパクと食べ進めていた。
いつもは一人で夕食を取っている場所にジーンが座っている。
そう思うと胸がざわつくが、決して嫌なわけではない。
お祖父ちゃんが店頭に立っていた時は、こうして二人で昼食をとることもあった。
たいていはお祖母ちゃんが作ってくれたものを温め直すだけだったが、家庭的なその味は、家でメイドや執事が作る本格的な料理より美味しく感じたものだ。
こんなに狭くて汚いところにはいられない!と、妹と弟はほとんど店には来たことがなかったけれど、私はここが一番好きで落ち着く場所だった。
普段は禁止されている食べながらしゃべることも、ここでは許されていた。
だって、お祖父ちゃんと二人きりだったから。
「ん?」
思い出していたら手が止まっていたらしい。
ジーンが少し心配そうな顔で私を見ている。
「ああ、ごめんなさい。昔のことを思い出していたの。……お祖父ちゃんのこと」
ジーンは手にしていたスプーンを下に下ろす。
ちゃんと聞いてくれるつもりみたい。
「お祖父ちゃんにここでいろんな話を聞いたわ。お祖父ちゃんは仕入れを口実にいろんなところへ旅をするのが好きでね。行った先々の話をよく聞いたものよ。王都より北の寒い山での話、エバークラインのさらに南の海の話。こっそり国境を越えようとした話なんかもあったっけ」
思い出すだけでわくわくする冒険の話。
どれも、私の閉鎖的な世界とは対象的な自由な世界の話だ。
──お祖父ちゃんはどんな気持ちで私にそんな話を聞かせてくれたのだろう。
お祖父ちゃんは私が勘当されたと知ったらなんて言うだろうか。
「行動的なお祖父さんだったんだな」
「ええ、私のこともいろんなところへ連れて行ってくれたわ。エバークラインの近くだったけれど、古い神殿や昔のお城の跡、綺麗な川や美術展……。どれも私の両親は連れて行ってくれないような楽しい場所。子供の頃の私はお祖父ちゃんに救われていたのね」
私が学園に入ってからは忙しくて手紙も頻度が落ちてしまっていた。
それでも年一回は会っていたけれど、もっと会っておけば──
今さら後悔しても遅い。
「お祖父ちゃんの……」
言おうかどうしようか迷ってジーンを見る。
ジーンは食事の手を止めて私の話を聞いていてくれていた。
こんな聞いても面白くないだろう、暗い話を。
しばらく迷ってから、私は続きを話す選択をした。
「お祖父ちゃんの死に目には会えなかったの。前にも話したけれど」
私は婚約破棄を通知する手紙を見る前に、ザヴァルからの便りを受け取っていた。
──お祖父ちゃんが危ない、と。
それまで誰も教えてくれなかった。
知っていたはずのお祖父ちゃんの娘である母親も。
「便りを受け取って慌てて向かったけれど、王都からエバークラインは遠すぎた。私が家を訪ねたその日の朝に亡くなっていたわ」
ジーンは沈痛な面持ちで話を聞いてくれていた。
私は視界が滲まないように必死に力を入れながら続ける。
「だけどザヴァルのおかげで亡くなったままの姿は見ることができた。……人の死ってこういうものなんだって最後にお祖父ちゃんは教えてくれた気がする。よく聞く『綺麗な死に顔』ではなかった。生きて、生き抜いて、そしていなくなった。それがよくわかる姿だった……」
私は自分が死ぬまで絶対に忘れない。
冷たくなったお祖父ちゃんの姿を。
それはお祖父ちゃんであってお祖父ちゃんではなかった。
死んだら天国へ行くとか、幽霊になって見守ってくれるとか言うけれど、とてもそんな風には思えなかった。
人間として生きたお祖父ちゃんが動かなくなった途端にこの世からなくなった。
もう二度と話せない。笑わない。
それが死だった。
「本当は生きているうちに会いたかった。しばらく会えていなかったし、お礼も言えていなかった。たくさん遊んでくれて、いろんなことを教えてくれて……ありがとう……って……」
ああ、ダメだ。
なんで今日はこんなに涙が込み上げてくるのだろう。
泣いたのはお祖父ちゃんの前でと、あとは一人きりの時だけだったのに。
「レナ」
滲んだ視界の向こうに黒い影が現れて私は強く包まれる。
ああ、なんでだろう。
私はなんでこんなにジーンに甘えてしまうのだろう。
「ごめんなさい……私……」
「謝らなくていい。俺に話してくれてありがとう」
「ジーン……っ」
さっきとは違う。涙が溢れて止まらない。
私はジーンにぎゅっとしがみついて、初めて人前で声を上げて泣いた。




