曇天は初デート日和5
私達は道の脇に一本立っている大きな木の下まで行って、持っていた荷物を下ろした。
私のほとんど何も入っていない鞄の中には一冊の本が入っている。
その中に例の光魔法が使える魔法陣を清書した紙を三枚挟んできていた。
「じゃあ試してみましょうか」
私はジーンを振り返ると魔法陣を一枚手渡す。
ジーンは魔法陣をじっと見つめたあと、こくりと頷いた。
「呪文は『光よ顕現せよ』よ」
「わかった」
神妙な面持ちをしたジーンは私の方を向いたまま数歩後ろへ下がる。
空を見上げると相変わらずの曇天。
このくらい薄暗ければ、どんなに微かでも光魔法が使えれば目視できるはずだ。
晴天ではこうはいかなかった。
本当に今日はデート日和だ。
ジーンは一つ息を吐き出すと魔法陣が描かれた紙を高く掲げた。
「光よ顕現せよ!」
「…………」
「…………」
私とジーンはしばし見つめ合う。
その顔ははっきりと見えて目が眩む様子はない。
「……ダメか」
「念のため私もやってみる」
そして、私もジーンと同じように魔法陣が描かれた紙を一枚掲げて呪文を唱える。
しかし、結果は同じだった。
紙を確認しても、魔法陣が消えるなどの変化は見られない。
「やっぱりダメだわ。たぶん、この魔法陣は描くだけではダメ。何かしらの方法で魔力か属性を注ぎ込んでおく必要がある、もしくは紙やインク自体にも特殊な加工が必要なのかも……」
考えられる理由は数が多すぎて絞り込みきれない。
だとしたら、まず今ある手がかりを調べつくすしかないだろう。
「この魔法陣……」
これがどういう仕組みで描かれたものなのか、それを確認したい。
見た感じ、ただの光の魔法陣ではない。
何か方式が付け加えられている。
それがわかればあるいは──
「何かわかりそうか?」
「今は……わからない、ごめんなさい」
私が首を振ると、ジーンは一瞬落胆した顔をして、その後で取り繕った笑顔を作った。
私を気遣ってくれたのだろう。
「そうか……何か方法はないかな……やっぱり回収した本物の魔法陣を持ってくるしか……」
「それじゃあ一回は魔法を使えても根本的に解決はしないでしょう?」
ジーンの最終的な目標は戦時隊に戻ることだ。
そのためには安定的に魔法が使えるようにならないといけない。
だったら、この魔法陣を量産する必要がある。
「……魔法省には必ずある、魔法陣を一覧で描いた辞典……それが見られればこの魔法陣を作る方法がわかるかも」
「本当か!?」
「……可能性の話。だけど、魔法省から本を借りるなんて……」
私なら借りることができる。
だけど、そこまで深入りはしたくない。
ジーンにもあまり期待しないで、と言っておいたはずだ。
そう、頭の中で言い訳をする。
「……不可能だから、難しいわね」
「魔法省、か……」
私のついた嘘を知りもしないジーンは難しい顔をして考え込む。
「戦時隊の元同僚に頼んで借りてもらえないか……」
「難しいと思うわ。魔法省は兵士なんて野蛮だって毛嫌いしているもの。大切な本を汚されたり破れさせたりするもんか! って絶対に拒否すると思う」
「そうか……」
手詰まりになってしまって悲しげなジーンを見ると胸が痛んだ。
だけど、私にもしたくないことはある。
「ごめんなさい……」
「レナが謝ることはないよ」
ジーンは優しい笑顔を向けてくれた。
それを見て余計に胸が痛む。
「その本が何とか手に入らないか、俺の方で探してみる。ここまで協力してくれてありがとう、レナ」
「……いいえ」
痛みから逃れるようにぎゅっと目を閉じる。
そうして後悔しそうになるのをなんとか堪えた。
「……レナ」
突然低くなったジーンの声が私の名を呼び、ぐいっと少々強引に腕を引かれる。
驚いて目を開けるとジーンの背中が間近に目に入った。
「木の後ろにいろ。絶対にそこを動くな」
緊迫感のある声で私にそう指示を出す。
「え、ええ……」
突然のことに戸惑いながらも、何かあったのかもしれないと、私はジーンに言われた通りに後ずさりする。
すると、ジーンの背中の向こうに何か丸い獣のようなものが見えた。
「え、まさか……」
「魔物だ。ギョウジョー……さっき物好きが食べてた肉だな」
「あ、あのヘルシーが故に不憫な……」
私達の目の前にいる丸々とした魔物、ギョウジョーはニ匹いて大きな口からダラダラと雫を垂らしている。
まさか私達を食べる気……?
それはそうと、どうしてこんな街の近くに?
エバークラインの魔除けの外とはいえ、ここはまだぎりぎり門が目視できるくらいの街のすぐ側だ。
そんな近くに魔物が出てきただなんて、私の知る限りなかった。
行きにジーンが魔物の目撃情報について話していたけれど、まさか街の門の目と鼻の先に現れるなんて。
いくつもの疑問が頭の中に浮かんでそれについて考えているうちに、突然目の前のジーンが消えた。
正確には消えたのではなくタッと軽やかに横に飛び、ギョウジョーを中心に円を描くように駆けていく。
ジーンのがっしりとした見た目からは想像つかないような、そのあまりの軽やかさと素早さに私は眼を見張る。
(速い……!)
私の身近で知っていた戦時隊の人とは比べものにならないくらいの速さだ。
ギョウジョーもジーンを目で追い、身体を向ける。
ジーンは私のちょうど対角線上に辿り着くとピタリと足を止めてギョウジョーに向き直った。
右手で腰につけた剣の柄に手をかけながら、さっきまでの俊敏さが嘘かのようにじっと動かすギョウジョーを見据える。
と、ギョウジョーニ匹は後ろ足を蹴り、ジーンへ突進を始めた。
それと共に身体にびっしりとついている棘が白く輝く。
先程ジーンが言っていたように、氷の魔法で棘を強化したようだ。
(聞いていたよりずっと速い……!)
ジーンはギョウジョーの動きが遅い、などと言っていたけれど、私にとっては十分速く見える。
もし、あそこに立っているのがジーンでなく私だったら逃げる間もなく吹っ飛ばされてしまうだろう。
それなのにジーンはじっと動かずギョウジョーが突進するのをただ見ている。
「ジ、ジーン!」
思わず声をかけると、ジーンがちらりと私を見てニヤリと笑った。
かと思えば、またジーンは私の視界から消える。
「!?」
どこへ行ったのかと思うと、ギョウジョーの上に黒い影が落ちた。
その影はいつの間にか高く飛び上がっていたジーンのもので、ギョウジョーのすぐ後ろに着地するとくるりと身体を回転させる。
それと同時に「耳を塞げ!!」と、鋭い声が飛んできて、私は反射的に耳を塞ぐ。
ジーンは素早く抜いた剣をギョウジョーのお尻の辺りに角度をつけて刺し入れた。
弾けるように青色の血が噴き出し、耳を塞いでいるにも関わらず顔をしかめるくらいの衝撃音が辺りに響く。
それを耳にしたもう一匹のギョウジョーが体の向きをジーンの方に向け直す。
そうしてまたジーンの方に突進してくる。
ジーンは一匹目のギョウジョーから剣を抜くと、トンっと軽やかに倒れた魔物の上に乗った。
そこからまた高く飛び上がると、ジーンの元へ突進してきたギョウジョーの後ろに降り立ち、再び素早く剣を刺す。
「ギャアアアアアアアアアア」
二度目ともなれば、その衝撃音はギョウジョーが発したものだとわかる。
白目を向いて倒れ込んだギョウジョーから剣を抜くと、ジーンはそれを一振りして血を振り払う。
あまりにも鮮やかな戦闘は、瞬く間に終わってしまった。
剣を鞘に仕舞いながら、ジーンがこちらに歩いてくる。
「耳は無事か?」
「ええ、おかげさまで」
ジーンに言われて私は耳を覆ったままだったことを思い出し、手を耳から離す。
何事もなかったかのように息も乱していないジーンに私は──見惚れていた。
「ギョウジョーの名前の由来だ」
「……え?」
「酷い叫びだったろう。あの叫び声をそのまま名前に付けたらしいぞ。俺には何度聞いてもギョウジョーと叫んでいるようには聞こえないがな」
冗談を言ってふっと笑うジーンはいつもと変わらない。
それなのに私には今までと別人に見える。
腕が立つと自分では言っていたけれど、まさかこんなに強かっただなんて。
「? どうかしたか?」
「あ……いいえ、別に」
ジーンは戦時隊でこそ力を発揮できる人だ。
こんなにすごい人がエバークラインの治安維持部隊なんかで燻っているなんて、この国が馬鹿だとしか言いようがない。
「それにしても、街のこんなに近くまで魔物が来るなんて聞いてないぞ」
「……私も聞いたことがないわ。農場に被害がないといいけれど」
「そうだな。警備隊に知らせるか」
「そうしましょう」
私達は木陰に置いた荷物を持ってエバークラインの門へと急ぐ。
ジーンはちらりとギョウジョーの死骸を見る。
「あれを見たら食欲は沸かないだろう?」
「ええ、本当に。私も絶対に頼まない」
「ふっ、それがいい」
ジーンは久しぶりに剣を振るえたからか、どことなく機嫌がいいようだった。
「……もしかしたら、ヒューバーン村から逃げてきたのかしら」
「ギョウジョーがか?」
「ええ、だってエバークラインの近くでギョウジョーを見たなんて聞いたことがないもの。食材として狩られてるなら、相当数の被害が出ているはずだし、逃げてきた個体がいてもおかしくないかも」
「なるほどな……」
ジーンは遠くを見る。
「人間のわがままが巡り巡って人間の身に危険を及ぼす、か」
「ヘルシー志向も考えものね」
「ああ、だが王都の人間には関係のないことだろう。それが本当だと証明されたとしても狩りは続くことになるだろうな。皺寄せはエバークラインの警備隊が引き受けることになるだろう」
「……そうかもしれないわね」
偉い人やお金を持った人は守られ、いつも被害を被るのはお金のない人や家族のいない人。
スマーフ王国に関しては、それが主に魔法を持つ者と持たない者に分けられつつある。
それに立ち向かおうとするジーンと、逃げるだけの私。
「とんだ初デートになっちまったな」
ジーンは困ったような優しい笑顔を私に向ける。
その笑顔にまたドキリとする。
「……そうね。でも……有意義な時間だったわ。私はね」
そう応えると、ジーンは一瞬眼を見張った後、笑みを深めた。
「ああ、俺もだ」
その意味が違っていることに私は心を痛めながら、ジーンから目を逸らして前を向く。
目の前には私の愛するエバークラインの街が待っている。
そこに集中することで、私は芽生えそうになる気持ちを必死に押し止めるのだった。




