スノーマン
「んわっ! ………………?!!」
朝、ベッドから降りて、何気なしに窓の方を見た珠美は、目をむいて声を失ってしまった。
窓の外から、毛むくじゃらの何者かが、ギョロリとした目を窓にくっつけて部屋の中を覗いていたのだ。
珠美と目が合ったその獣は、カフェオレ色の頭の毛をボリボリとかいて、ぺこりと頭を下げると窓の外からいなくなった。
「……………なんだったの、あれ?」
珠美が呆然と突っ立っていると、敷物の上で寝ていたミーニャが眠たげに身体を揺らした。
「おはよう、珠美。……どうかしたニャ?」
「外! ミーニャ、外になんか変な生き物がいた! さっきこの部屋を覗いてたの!」
「ふーん、そう」
「そう、じゃないよ! 今日は農場の仕事がいっぱいあるのに、害獣駆除なんかしてたら、全部終わらないじゃない」
「ニャハハ、きゃあ怖いって言うんじゃなくて、やっつけに行こうとしてるところが珠美だニャア。たぶん、害獣じゃないよ。農場や珠美に害をなすものを、ペロルが黙ってるわけないニャ」
あ、そういえばそうか。
話ができる飼い犬のような気がしてたけど、ペロルって神様の使徒だったね。
護衛犬は、害獣かどうかも判断できるんだ。
珠美の脳裏に、野生の猪と戦った時のペロルの雄姿が蘇ってきた。
うん、あの時も強かったけど、あれから身体も大きくなっていってるし、任せても安心だね。
ひとまずそう安堵したものの、何かが、いや誰かが外にいることには違いない。
珠美は風魔法でベッドのシーツを窓に貼り付けながら、やっとのことで着替えをした。
バーバラの言う通りだわ。これは、カーテンを早めに取り付けなきゃね。
服を着て、タオルを首にかけて外に出ると、さっきの毛むくじゃらの害獣が、ペロルにしこたま怒られていた。
「もう、乙女の部屋を覗き見するなんて、信じられないよ!」
「えろう、すんません」
「さっきからそればっかりじゃないか! ちょっと目を離した隙に、ホントにもう……」
「すんませんなぁ」
自分は乙女ってガラじゃないけど、ペロルが指導してくれてるようだし、まっ、いいか。
珠美は井戸の水を組み上げてタライに移し、そこに両手を差し入れると、水をすくってブルブルと顔を洗った。冷たい水で口もうがいして、タオルで水気を拭きながら顔を上げると、さっきの獣がこちらを向いていた。
「おはようござりやす」
「……おはよう」
「あのう、さっきはすんませんでした! つい覗いちまって」
流暢に言葉を喋ってる……この獣は人間と同じように意思疎通ができるのね。
それにゴワゴワした毛に見え隠れしているようだけど、腰にカバンのようなものをぶら下げている。
見た感じは、スターウ〇ーズに出てくる、宇宙船も操縦するあの大佐が一番似ているかもしれない。ただ目の前の獣は、本物のゴリラのように背中を丸め、腰をかがめた姿勢で立っている。全身がカフェオレ色の毛に覆われていて、足はゴリラと同じように黒くて分厚い形をしていて、その大きな足でギュッと地面を掴むように踏みしめている。
「もういいわ。これからは覗かないでね。あなたはどなた? どうしてここに来たの?」
珠美が怒っていないのがわかったのか、その獣はいかつい肩を上げて大きく息をついた。
「わしゃあ、人間族には『スノーマン』と呼ばれておりやす」
「スノーマンって、もしかして雪男?!」
「はぁ、そう呼ぶ人もおるな。ガルデンの山懐で長年、商売をしとるんですわ。リザンのバーバラさんに紹介されて、こちらをお訪ねしたんです」
なんと……獣だと思っていたけど、雪男の、それも商売人だった。
「人間にはスノーマンと呼ばれているということだけど、あなたには一族から呼ばれている名前があるの?」
珠美の質問は意外なものだったらしく、雪男は目をキョドキョドさせて、小さい声で『グル』と言った。
「へぇ、グルさんね。私は珠美といいます、よろしくお願いします」
「あ、こちらこそ、よろしくお願いしまっす」
「それで、バーバラから紹介されたということは、毛糸のことね」
「そうなんです。春先の忙しい時に無理をいってすまんことです。わしは以前、農家に出稼ぎに出た経験がありやす。それで、その……種蒔きのお手伝いをさせてもらおうと思って、昨晩こちらに伺いやした」
グルによると、昨日は夜遅くにここへ着いてしまったため、ペロルに邪険に扱われて、林の中で眠ったそうだ。
それは申し訳ない。夜に雨が降らなくて、良かったな。
毛糸は、雪男の一族が心待ちにしている商品なので、できるだけ大量に仕入れて帰りたいらしい。
いつもの年には、春先にディスカウントされた毛糸を全部仕入れていたのに、今年はどこの店も品薄でほとほと困っていたそうだ。珠美の申し出をバーバラから聞いて、心底嬉しかったと熱く語られた。
毛糸のためなら農作業を手伝うことも厭わないとキッパリ言われたので、珠美も苦笑してしまった。
それはありがたい話だけれど、情熱的に毛糸を求める雪男、毛糸のために農作業も厭わない雪男というのが、珠美としてはどうもしっくりこない。激しく雪が降り続く人類未踏の地で、伝説となっている孤高の雪男と遭遇するというのは、珠美の世代が憧れていた淡い夢だったのかしら。
今日は、サンチュ、ホウレン草、春蒔きキャベツ、レタス、ミズナなどの葉菜類の種蒔きを中心に、サヤエンドウの種やアスパラガスの根っこなどを植えていった。
今夜が新月になるので、今後、種から芽が出て、グングンと伸びていく時期になるだろう。
雪男のグルが綿花の種蒔きをすべて請け負ってくれたので、とても助かった。
綿花は苦土石灰をしっかりと打ち込んでいる畑に点蒔きしていく。
これから大豆を植える予定の畑の西に、広大な綿花畑が続くことになった。
今日は種蒔きに一日中かかると思っていたが、グルに手伝ってもらったおかげで、昼までには予定していた作業が済んでしまった。
雪男は身体が大きいので、動きが緩慢なのかと思っていたが、グルは畑の畝の間をヒョイヒョイと移動し、器用に小さな種を植えていく。種の上に土をそっとかぶせて手で落ち着かせる様子は、まるで本職の農家の人のように堂にいっていた。
「グルさん、ありがとう。お礼に昼ご飯をご馳走するね。好きなものとか、食べられないものとかある?」
珠美が額の汗をぬぐっているグルに質問すると、グルは口をとがらせてギョロリとした目で珠美の顔色を窺った。
「ホンマにわしの好きなものを頼んでもええんですか?」
「いいわよー、何を作りましょうか?」
「んなら、卵を使った料理を作ってくだせぇ。わしゃあ、卵料理が好きなんでさぁ」
「ふふ、わかったわ。ココットの卵を使って、精がつく昼ご飯を作るわね」
珠美は茹でたジャガイモやブロッコリー、小さく刻んだニンジンや玉ねぎなどの野菜をたっぷりと入れて、豚ひき肉と一緒に炒め、具だくさんのスパニッシュオムレツを作った。
甘めの味付けをしたこのオムレツに、ケチャップをかけたものは、グルにものすごくウケた。
「こりゃあ、うめぇ。初めての味じゃ。世の中にはうめぇもんがあるんだなぁ」
「気に入ってくれて良かったわ。夕食はグリンピースを入れて、オムライスにしようかしら」
「オムライスは食べたことがありまっす。あれは至高の食べ物ですらぁ」
夢見るような雪男の顔がなんとも面白かったので、珠美は夕食も腕によりをかけて作ろうと思った。
昼食が終わって、午後いちの作業は、大量の羊毛を洗濯することから始まった。
1トンの羊毛を小川の水で洗い終えた時には、珠美もグルもヘロヘロになっていた。
いよいよ毛糸づくりの始まりである。




