午後の船上り
普通、動力のない船というものは川を上ることなどありえない。
でも、上ってるね。
それも下る時と変わらないスピードで。
セレンが言うには、船の操縦は簡単なのだそうだ。
「最初は川を上るか下るかだけ船に指示してちょうだい。後は自分が降りたい岸を言ってくれれば、船が勝手に判断して、いい場所につけてくれるわ」
その説明だと、まるでこの船は自分で考える力がある生き物のようだ。
ものは試しと家の近くの岸辺まで、エルフの船に乗って帰ることにした。
川を進んでいく船から見る景色というのは、地上を歩いている時に見ているものとは全然違う。
静かに進む船がたてる波の音、低い位置から見上げるように眺める、菜の花が咲き乱れる川土手の様子。時折、川岸にやってくる鳥の姿や清流を泳ぐ魚の影が、とても身近な存在としてダイレクトに五感にうったえかけてくる。
川面に手を伸ばすように生えてきている、岸辺の木々の新緑を眺めながら、珠美は大きく息を吸い込んだ。
清涼感のある湿った空気が、乾いていた珠美の肺を一杯にしていく。
「いい気持ちね~」
「うん、ちょっと揺れるけどね」
ペロルは身体が小さいので踏ん張りがきかないのか、川が大きく湾曲しているところでは顔をこわばらせて、たたらを踏まないように頑張っている。
見かねた珠美が抱きよせると、照れてしまうのか「クゥーン」と恥ずかしそうに鳴いていた。
「そんなに身体を固くしなくてもいいじゃない。ただのスキンシップよ、ペロル」
「そんなのわかってるよ」
可愛い奴め。
珠美は滅多と触らせてもらえないモフモフの毛並みを、この時とばかりに堪能した。
「あ、この辺りだよ」
「そうね、あそこに生えてる木には見覚えがあるわ」
川土手の途中に、幹を捻ったようにして生えている木が見えたので、珠美は船に向かって、ここで停まってほしいと頼んだ。
エルフの小船は、すぐに速度を落として、岸辺にゆっくりと船を寄せていった。
この船、すごいな……
珠美たちは船を降りると、セレンに言われたように錨を下して、呪文を唱えた。
「森と川との契りと共に、新たな訪れがなされるまで、しばらくの休息を願う、セレン・ラシーナ」
船はわかりましたと言うように、一度だけ横揺れしてそこに落ち着いた。
こうして呪文を唱えておくと、盗難被害に遭うことなく、泊まった場所でじっと待ってくれているそうだ。
珠美とペロルは、いつかつくしを採った土手を登り家の方へ降りると、畑と田んぼの間のあぜ道を抜けて帰って来た。
庭で日向ぼっこをしていたミーニャが、珠美たちが大川の土手から帰って来たのを見て、疑問に思ったのか尋ねてきた。
「東の林沿いの道から帰って来ると思ってたニャ。またつくしでも採ってきたの?」
「ううん、つくしはもう終わりだよ」
「ミーニャ、珠美はエルフの船をもらったんだよ!」
ペロルが爆弾発言をすると、ミーニャは寝転んでいた身体をすぐに起こして、大声で叫んだ。
「ニャニャニャ?! そんな話は聞いたことがないニャ。エルフは用心深くて誰でもすぐには信用しないのに」
用心深い? あのセレンが?
それにはちょっと疑問を呈したいが、船のことはちゃんと説明しておかないといけない。
「もらったんじゃなくて、借りてるのよ」
「それでも……」
「違う違う、ただ借りただけじゃなくて、エルフに頼まれた仕事をするために借りたの」
「仕事?! また竹の精に頼まれたみたいなやつニャ?」
「さすがミーニャ、よくわかってらっしゃる。トガリ山脈の手前にあるトルーサ山という山を丸々一つ任されちゃった」
「……………………」
ミーニャの呆れた顔は、猫の表情であってもよくわかった。
呆れるよね、自分でも自分に呆れるもの。
まだ農場も始めたばかりでやることが山ほどある。懐も豊かとはいえない。
それで職業が三つだもんね。
あ、職業。
またステイタスが変わってるのかな?
「ステイタス、オープン」
珠美がステイタスを表示したので、ミーニャは我に帰って覗き込んだ。
名前 (日色) 珠美
年齢 15歳
種族 異世界人、ヘブン人
職業 農場管理者、竹林管理者、山林管理者(トルーサ山)
ギフト 製作(日常生活に必要なスキル、農業従事者に必要なスキル、手作りができるスキル)
生活魔法 言語1、野草料理、光・ライト、精米、ウォーター、発酵、防雨・傘、鑑定・植物
農業魔法 耕作・畑、新鮮適温収納・倉庫
手作り魔法 金属加工、木工、粉砕、竹細工、裁縫
土魔法 掘削
風魔法 ウィンドカッター
火魔法 ファイヤー(着火は無詠唱レベル達成のため、生活魔法より移動、集約)
レベル 39
体力 Dランク 1点(Cランクまで後29点)
魔力 Dランク 3点(Cランクまで後27点)
「珠美、いつの間にDランクになったニャ?」
「知らないよ。さっき農場でサミーにカードを渡した時には、まだEランクの茶色だったよ」
ポケットのカードを出してみると、知らない間にオレンジ色になっていた。
住民カードはランクによって色分けされているらしく、最初にミーニャにもらった時には、一般の人と同じグリーンだった。Eランクになった時には茶色になっていた。
「今度はオレンジかぁ、可愛くなったな」
「……珠美、可愛いとかそういう問題じゃニャいし。『着火』魔法が火魔法の『ファイヤー』に進化してるじゃニャい!」
「本当だ。あ、『新鮮収納・コンテナー』が『新鮮適温収納・倉庫』になってる! これって、広くなったってこと?」
「そうニャ、『新鮮適温収納・倉庫』はうちの農場の土地を全部入れてもまだ余る広さニャ。それに温かいものを入れるとそのままの温度でいつまでも収納してくれるニャ」
「うわぁ、便利な上にたくさん入るのね。あら、それならこの前、中の広さを確かめてみるまでもなかったわ。背が高い杉の木でもたくさん入りそう」
それを聞いたペロルはドヤ顔をしていた。
「ほらぁ、僕が山の管理を受けろって言って良かっただろ」
でもどちらかというと、ペロルは山の管理っていうよりも、エルフの船を借りることを勧めてたみたいだったけどな。
とにかく職業に山林管理者が入っているからには、頑張るしかないのねぇ。
エルフの船に乗ったので早く帰れたらしく、午後になってはいたもののまだ早い時間帯だった。
そこで珠美は作業着に着かえて物干しを作ることにした。
井戸のすぐ西側、少し林寄りの所に『掘削』魔法で穴を四か所掘っていく。
「【ディグディグディグダ ダグディディグ】」
ここまでは、順調だった。
竹の柱に竿受けをつけたり、足側に支えをつけるために『竹細工』魔法を発動しようとしたら、予想通り呪文を噛んでしまった。
「【トナリノカキニ タケタケ……】違った。【トナリノキャキニ】ん、もう。【トナリノカキニ タテタテッテ……】んがぁー」
いったい誰がこんな変な呪文を考えついたんだろう?
あの魔術書を書いたゼスさんだっけ? いや魔神ドルチェかもな。
「【トナリノカキニ タケタテカケタ】! 言えた!!」
「言えただけじゃダメニャ。魔力が全身にいきわたるように想像しないと」
ミーニャの指摘どおり、魔力が流れていく感じがしない。
珠美は高校の時の演劇部の発声練習を思い出した。そして、その時に先輩が言っていたことに注意して、もう一度やってみることした。
口を大きめに動かすことを意識するのよね。
そしてプルンとした頬っぺたを、両手でグニグニとマッサージすることも忘れない。
口を大きく動かしてハッキリと発音することに集中していたら、やっとスムーズに呪文を唱えることができた。
すると両手が職人のように自然に動きだし、頭の中には物干しの設計図がクリアに浮かんでくる。
珠美が夢中になって組み立てていった結果、地面からの高さを変えた、段違い平行棒のような立派な物干しができた。
竿受けには孟宗竹の輪っかをつけたので、竿が風で飛んでいくこともない。
これで洗濯物も綺麗に乾きそう。
勢いに乗った珠美は、細い淡竹を組んで、食器や鍋を洗った後に伏せておくための乾燥台を作った。
これにはコップをひっくり返して掛けておける棒もついている。
おおー、いいじゃん!
なんか一気に便利になったわね。
早速、台所仕事をしてみたいな。
今日は肉がたくさん手に入ったから、作るものに迷っちゃうわね。
贅沢な悩みがあることを楽しみながら、考えに考えて珠美が作ったのは、アサリとチャイブの酒蒸し、ヘイじいさんお手製豆腐の冷ややっこ、そして炊きたてのご飯だ。
結局、肉がないじゃんというツッコミはさておき、久しぶりのアサリと豆腐は美味しかった。
炊きたてのご飯も夕食分を茶碗によそうと、すぐにお腹の『新鮮適温収納・倉庫』にお釜ごとしまった。
早めに夕飯を食べたので、西の空はまだ明るい。
珠美は夕方の散歩をしようと思いたった。
夕食の後片付けをすると、アサリの貝殻を『粉砕』魔法で粉々にして、精米した時にできた米ぬかと合わせてバケツに入れておく。
これはココットへのお土産にする予定だ。
夕暮れの景色を見ながら一人でそぞろ歩く野の道は、なかなかに風情がある。
右手にぶら下げたバケツが装いとしてはいまいちだが、誰かと手を繋いでいるような気がして、収納倉庫に入れる気にならない。
いつもココットたちが走り回っている西の原っぱは、黄昏の中に静かに沈んでいた。
ココットたちはもう草むらの巣に帰っているのかしら?
明日の朝、プレゼントを見つけたら大騒ぎでしょうね。
サンタクロースの気分になりながら、珠美は持ってきたバケツの中身をあけて、何か所か山にしておいた。
そうして空に光り始めた一番星を見ながら、家に帰ったのだった。




