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(23)侍女のひとりごと〜雪の思い出〜

 あのひとに出会ったのは、とある夏の昼下がりだった。食事をするために出かけたところ、うっかり足を滑らせて川へ落ちてしまったときのこと。


 夏とはいえ、川の水は思った以上に冷たい。あっという間に体温が奪われていく。必死に身体をばたつかせ、川から出ようと試みるものの、なかなか思うようにはいかない。コンクリートで覆われた川べりは想像よりもはるかに高く、もがけばもがくほど体力を奪われるばかり。もはやこれまでか。


 やっと独り立ちしたところだったのに。青春を楽しむこともなく、恋も知らず、子どもも産めないままで死ななければならないのか。自分のうかつさを呪っていると、不意に身体が楽になった。なんと、川からわたくしの身体を浮かせるように長い棒が差し込まれているではないか。


「大丈夫?」


 あのひとは、小さなわたくしを怯えさせまいと思ったのか柔らかな顔でこちらを見ていた。ありがとうと答えたつもりだったけれど、喉から出たのは可愛らしさとは程遠いだみ声だったように思う。それでも彼女は、ほっとしたようによかったと呟いていた。


「とりあえず、日向で身体を乾かそうか」


 初対面のはずなのに、彼女はごく自然に話しかけてくる。そのまま公園のベンチまで連れて行ってくれた彼女は、わたくしの身体が乾くまでそばにいてくれた。自然乾燥だけでは乾くまで何時間もかかるというのに、ただじっと隣に座っていてくれたのだ。


 こんなに優しいひとを、彼女以外知らない。初めて彼女に抱いた感情をなんと表現すればいいのだろう。恋でもなく、愛でもなく。一番近いのは、そう憧れだろうか。


 それからわたくしは、外に出るたびに彼女を探すようになった。そもそも彼女は外出することが滅多にない生活をしていたようだ。外に出たところで向かうのは決まった数箇所のお店ばかり。どうやら彼女の配偶者とやらは、妻が自分の知らない場所に出かけることをよく思っていなかったらしい。


 まったく心の狭い嫌な男だ。自分は彼女以外の女と平気で番うくせに、大切な妻であるはずの彼女の存在はひた隠しにし閉じ込めてしまうとは。


 わたくしが男のようにたくましければ、彼女を守ってみせるのに。けれど、わたくしは彼女から見れば小さく弱い存在で、守るどころか守られてしまう。その事実が情けなくてひとり歯噛みした。


 時間はあっという間に過ぎていく。ずっと彼女の側にいたいのに、このか弱い体には冬の寒さが堪える。このまま春を待つことは難しいだろう。ちらちらと舞い落ちる雪を振り払った。


 そろそろ移動しなければならないことはわかっていた。それでもこの街を離れられなかったのは、日ごとに彼女の表情が暗くなっていっていたからだ。原因は言わずもがな、彼女の夫だ。彼女が耐えれば耐えるほど、彼の女遊びは酷くなるばかり。まるで彼女が苦しむさまを見るためだけに馬鹿なことをしているようにも見えた。


 確かに、夫の浮気に傷つく彼女の横顔は美しい。じっと耐える彼女の姿は甘い毒のように心をむしばみ、異様な執着が湧くのもわかる気がした。


 そして、忘れもしない運命の日。あたり一面真っ白に染まっていたあの日、彼女は遠い場所へと旅立ってしまったのだ。あんな男なんて放っておけばよかったのに。あの鮮烈な赤をわたくしは決して忘れない。


 階段から落ちていく彼女を見てしまったわたくしは、目の前の事実を受け入れられずただ叫び続けていた。そして混乱したまま窓ガラスにぶつかって、あえなく短い一生を終えたのである。そして、何の因果か彼女とともに生まれ変わることになった。今度は、小さな鳥ではなく彼女と同じ人間として。神さまというのが本当にいるのなら、意外と話のわかる人物なのかもしれない。


 失ったはずの光にもう一度出会えたことを、感謝している。今回は彼女の幸せを一番近くで見守る立ち位置を手に入れた。堂々と彼女のそばにいられることが何より嬉しい。もう彼女を悲しませたりはしない。この新しい世界で、わたくしは彼女の幸せのために前に進んでいく。



 ***



「ご存じですか。旦那さまたちの仲の良さが最近有名になり、いい夫婦として評判なのだそうですよ」

「まあ、そうなのですね」

「先日は、招かれたお宅で奥さまが子猫にめろめろになるあまり、拗ねる旦那さまが目撃されたそうではないですか。残念ながら、子猫のほうが奥さまのことを嫌がっており、旦那さまは恋敵を蹴散らすことができてほっとしていたようだったとか」

「まあ、お耳の早いことですね。奥さまは、夫を尻に敷く恐妻扱いされているとよく嘆いていらっしゃいますが、いやはやどうしてお二人の仲睦まじさが周知されておりましたよ。子猫の件も、若干呆れつつ、妻にベタ惚れの新婚夫婦として微笑ましく見守ってもらえておりましたし」


 いつも笑顔で糸目の家令が、じっとわたくしを見つめている。どうやら、子猫にめろめろになっている奥さまの映像を魔石に保存したものを餌に、ゴドフリー卿をギリギリ領地の外に誘い出して石化させ、打撃魔法を叩きこんだ件についてもバレているらしい。


 だが、ゴドフリー卿の石の身体にはひびひとつ入らなかったので気にすることはないだろう。石化が(のろ)いであると同時に(まじな)いであることを実感した一件であった。


 なお、奥さまが小動物に嫌われるのはたぶんわたくしのせいである。旦那さまに負けるのは仕方がないが、小動物に負けるのは納得いかない。そこはもともと私のポジションなのだから。


 当たり障りのない返答を返したはずだというのに、家令が驚いたような顔でわたくしを見つめている。


「何をほうけた顔をしていらっしゃるのでしょう?」

「いや、『お嬢さま』ではなく『奥さま』と……」

「旦那さまが奥さまに求婚なさったようなので。旦那さまなりに、頑張っているところを考慮すると、ここは『お嬢さま』ではなく『奥さま』呼びに変えることもやぶさかではないと判断いたしました」

「それは、それは……。ありがとうございます」

「どうしてあなたが、そんなに嬉しそうなのです」

「旦那さまがあなたに認められたら、自分にもやりたいことがありましたので」

「そうですか」

「やりたいことが何なのか、聞いてはくれないのですか」

「別にあなたのやりたいことは、わたくしの許可など取らずとも好きにすればよいのではないでしょうか。まあ、家名に泥を塗ったり、犯罪行為に手を染めることに関しては賛成できませんが」

「それでは、遠慮なく口説かせてもらいますよ」

「……はあ」


 自分で言うのもなんだが、奥さま以外に興味を持たない無表情のわたくしと、陰キャな旦那さまをさまざまな方面からサポートするいつも笑顔の家令とでは、まったく違うタイプの人間であるように思う。正直この男が、どうしてわたくしのことを気にかけているのかもよくわからない。


 だが奥さまと、旦那さまの次くらいには、目の前の男は好ましい。この男は無駄な嘘をつかない。信じるに足る男だからだ。この男が奥さまの幸せのために働いてくれるのなら、男の手を取ってみるのも悪くないような気がした。

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