第九話 魏志倭人伝最大の謎?
さて、投馬国は邪馬壹国の玄関口、というよりも同じ日向の国です。だから日向守もいなかったでしょ? つまり美々津の先、北は都農から南は青島までが邪馬壹国の領域となります。中心都市は、宮崎市の生目と西都市一帯です。
(魏志倭人伝) 南至邪馬壹國
南へ進むと邪馬壹国に至る。はい、めちゃめちゃシンプルです。
先に答え合わせしましょう。
(魏志倭人伝)其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 自郡至女王國 萬二千餘里
その南に狗奴国があり、男が王となっている。 その国の官職には狗古智卑狗という役職がある。 この国は倭の女王(卑弥呼)の支配には属していない。 帯方郡から女王国までは一万二千余里の距離である。
日向国の南にある狗奴国というのは隼人のことだと思います。
隼人は主に南九州(現在の鹿児島県本土、大隅半島、薩摩半島、宮崎県南部・種子島・屋久島)を中心に居住・支配していたとされます。地域ごとに「阿多隼人」「大隅隼人」「日向隼人」「甑隼人」「種子隼人」などの呼称がありました。
はい、記述通りです。
そして――――帯方郡から女王国までは一万二千余里の距離である。
これも調べてみましょう。
12,000里=1里77メートル換算 = 924 km
余里(12100~12900里まで含む)とあるので、レンジは932 km~993 km
帯方郡(平壌)から宮崎市 930〜1,000 km
恐ろしいほど一致します。
(魏志倭人伝)計其道里 當在会稽東治之東
(意訳)その道のりを計算すると、会稽郡東治の東にあるはずだ。
会稽郡とは現在の浙江省紹興市周辺。
東治とは会稽郡の東部にあった県で、現在の寧波市付近とされる。
つまり「会稽東治」は中国大陸の東南沿岸部(浙江省東部)です。
九州南端(鹿児島・宮崎)は、会稽東治から見れば「ほぼ真東〜東北東」に位置するので、これもクリア。
(魏志倭人伝)女王国東渡海千餘里 復有國 皆倭種
(意訳)女王国の東へ海を渡って千余里行くと、さらに国々があり、すべて倭人の国である。
日本国内で東に海を渡って国々があるという条件が当てはまるのは九州東岸と四国の徳島だけです。この場合、女王国と書いてありますので、女王国に属する九州東岸諸国から四国への平均距離はまさに千余里。広義において本州を含めても問題ない範囲です。
正直、この部分だけ読んでも九州以外あり得ないと思うんですが……?
どんどん行きましょう。
(魏志倭人伝)又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里 又有裸國黒齒國 復在其東南 船行一年可至
(意訳)さらに南には侏儒国があり、人々の身の丈は三~四尺(約90~120cm)ほどである。女王の国からは四千余里離れている。また裸国と黒歯国があり、さらにその東南に位置している。船で一年かけて行けば到達できる。
侏儒国は奄美諸島ですね。四千余里のレンジは、315〜377km
宮崎から奄美までは、370〜400kmですので、方位も距離もほぼ合ってます。ちなみに奄美には、
ケンムン(奄美・徳之島) 小柄で子どもに近い体格を持ち、森や川に住む妖怪。火や水を操り、いたずら好き。沖縄のキジムナーに近い存在。
ガナオー(喜界島)、ヒーヌムン(沖永良部)、ハタパキマンジャイ(与論島) いずれも小柄な精霊・妖怪がいます。
裸国と黒歯国については、沖縄と台湾だと思いますが、魏志倭人伝においては把握できない場所として扱っているようです。
古代中国の地理書では「一年」「数月」などの航海時間で遠方を表すことが多いです。これは実際の距離というよりは、「非常に遠い」「異世界的」というニュアンスを含んだ表現で用いられます。東南についてはすでに説明しているのでここでは触れませんが、いずれにしても奄美諸島までは確実に把握していたことはわかります。
(魏志倭人伝)參問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連 周旋可五千餘里
(意訳)倭の地について尋ねると、海の中の島々の上に孤立して存在している。島々は互いに離れているところもあれば、連なっているところもある。その島々を巡れば、およそ五千余里ほどになる。
これについては、先に検証した帯方郡から女王国までは一万二千余里の距離、ここから帯方郡から狗邪韓国までの七千里を引いただけなので同じ結論になります。つまり、倭の北端である狗邪韓国から南端の宮崎市までの距離ということになります。
というわけで、魏志倭人伝に書かれた距離や位置関係はしっかり整合します。宮崎が邪馬壹国で間違いないでしょう。
と、ここで終われば良いのですが、本文にはこうあります。
(魏志倭人伝)南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月
官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七万餘戸
はい、この「水行十日陸行一月」という言葉があるために、国内から飛び出して海外まで候補地が出てくるという状況になっています。
ですが、ここまで読んでくださっている皆様にとっては、水行十日陸行一月というのがそれほど非常識な距離ではないと理解してくださっていると思います。
ここを、水行十日陸行一月の合算として読むか、あるいは、水行なら十日、陸行なら一月、と読むかで議論されているようですが、私からすればどちらでも説明可能です。というよりも、文を見れば、
南至邪馬壹國 → 女王之所都
南至邪馬壹國 → 水行十日陸行一月
というように並列表記と読むほうが自然、つまり、ここでいう「水行十日陸行一月」は、投馬国からの距離ではなく、邪馬壹国の領域(広さ)と考えるべきだと思います。普通に読んだらそうとしか読めません。
つまり――――
(領域説意訳)南へ進むと女王の都が置かれた邪馬壹国に至る。その領域は水路を行けば十日、陸路を行けば一月を要するほど広大である。そこには伊支馬という官があり、次に彌馬升、次に彌馬獲支、次に奴佳鞮という官が置かれ、七万余戸の人々が住んでいる。
極めて自然でしょう? いきなり投馬国からの距離をぶち込んでくるよりもすっきり理解できます。
まあ、それじゃあ納得がいかない人もいるかもしれません。距離説で説明しましょうか?
投馬国(延岡)~宮崎市 陸行 約140km
夏季、高温、多湿、雷雨に加え、ほとんどの道程が尾根・谷筋の険しい道。荷物もあり。一日5キロ程度が妥当。
投馬国(延岡)~宮崎市 水行 約125km
夏季は南寄りの風が多く、向かい風または横風が多い。延岡→宮崎の南下は10–15km/日程度が妥当。
水行なら十日、陸行なら一月という場合でも問題なく現実的な範囲に収まります。
では、合算説の場合はどうでしょうか。
これも当時の状況を考えれば説明可能です。
投馬国へと到着した張政らは、まず各地に周知させ、各集落を巡り、有力者たちとの話し合い、合意の形成をして回ったはずです。それらの根回し、地固めをしながら邪馬壹国入りしたと考えればどうでしょう?
(政治的プロセス説意訳)
南へ進み女王の都が置かれた邪馬壹国に入るにあたり、投馬国を拠点として水路で十日、陸路で一月をかけて各地を巡り、地盤を固めながら進んだ。その過程で伊支馬、彌馬升、彌馬獲支、奴佳鞮といった官に接触し、最終的に七万余戸を支配する女王国の都に到達した。
とこんな感じですね。
他にも仮説として、天岩戸伝説説(説が二つ説)が考えられます。
当時の邪馬壹国は、いわば最前線、卑弥呼は聖地高千穂に避難していたという考えです。張政らが派遣された年は、皆既月食が起きたことでも有名です。
天岩戸伝説における天照大神が卑弥呼だという説は以前からありました。天岩戸がある聖地高千穂は、天孫降臨の舞台でもあり、女王卑弥呼が避難するのに安全性、必然性において、これ以上ない場所です。
卑弥呼が高千穂に避難したとすれば、「巫女王が聖地に隠れる」=天岩戸伝説の原型に重なるわけです。
延岡から高千穂へ陸路で迎えに行く&聖地への巡礼・儀礼と考えれば、陸路で一月というのはまさにはまります。
仮に卑弥呼が居なかったと仮定した場合でも、説明は可能です。卑弥呼は九州各国から共立された女王です。高千穂は九州山地の要衝で、延岡から熊本方面(阿蘇・球磨・八代)へ抜けるルートの結節点でもあり、まさに九州の中心と言える場所、聖地を巡礼し、各国の代表者と会合したとしても不思議ではありません。
邪馬壹国へ入る前に、高千穂へ陸路で一月、そして延岡から海路で水行十日、というプロセスでも説明できますよね。
そもそも魏志倭人伝そのものが張政らが実際に巡った行程と出来事を、地理、風俗、時系列の三方向から立体的に描いているものです。
当時の状況、目的、そして結果がわかっているのであれば、このくらいいくらでも想像できます。
魏志倭人伝における最大の難所といわれる「水行十日陸行一月」ですが、私にはどこが謎なのかよくわかりません。
最後に、邪馬壹国の官名と日向国の一致も興味深いので書いておきますね。
伊支馬 ↔ 生目
宮崎市の生目古墳群・生目神社は大規模首長墓域です。目は「ま」とも読む(まなこ、まぶた、まつげ、まなざし、まみえる、など)ので、その場合完全に一致します。
彌馬升・彌馬獲支(みま/みまし/みまき)
「みまき」は古代氏族名(御間城=神武天皇の別名)とも響き合い、日向神話との関連がありそうです。投馬国のところで「みみ」関連の話をしましたが、神八井耳命神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと=綏靖天皇)手研耳命など神武天皇の皇子たちにも耳がありますし、神武天皇の高祖父で、天照大神の子、天忍穂耳尊も耳氏族ですよね。
天孫降臨、日向神話と女王国がこうして重なるのは、偶然とは思えないのです。ちなみに西都原古墳群を中心に、古代日向の祭祀・王権の拠点だったことから現在の西都は「斎都」と呼ばれていました。
というわけで、駆け足でしたが、無事邪馬壹国に到着しました。長くなってしまったので、今回はここまでとしましょう。




