花が咲く場所に
遼の、「遺言」という言葉は、美咲には真実味がなく、耳の穴をすり抜けて行った。
けれど事実、遼は瀕死だ。喋るのもやっとだろう。それはつまり。
それはつまり――――――――。
遼がか細い息を吐いた。今から、「最期」を迎え喋る為の予備動作。
「仁には、力及ばず済まないと。京香には、士郎との幸せを祈る。……深優には、余り泣くな。宝――――宝には、〝お前が何者でも〟仲間だと信じていると。……美咲。泣くな」
「泣くな、美咲」
遼は繰り返す。深優に伝えろと言ったものと同じ言葉を。
相当の胆力で、言葉を紡いだであろう遼は、微苦笑して、美咲の頬を流れる涙を拭おうとして、手を伸ばした。
伸ばした手は、美咲に触れないまま、力失い降りた。
そしてそれが最期だった。
紫水晶のような双眸は閉ざされ、二度と開くことはなかった。
居間で宝たちと一部始終を聴き終えた深優は、呆然としていた。
なぜ。どうして。
まだ、まだこれからだったであろう命が散った。
泣くなと?
それでも泣くなと?
「……無理だ、遼」
濡れた声で深優は呻いた。涙はあとからあとから溢れる。教わるべきことは山積していた。大切な仲間だった。兄のようにさえ思っていたのに。宝と仁は何も言わない。普段から、感情をあまり露わにしない二人である。だが、遼の訃報に悲しんでいることは間違いないと、深優は確信していた。
「……私一人では、遼さんのご遺体を運ぶことは困難でしたので、現地の花泊に同行してもらってこの近隣の小高い丘に埋葬しました。……見晴らしの良い、花が、……っ、花が、咲く場所に、」
美咲の右目から涙がとめどなく流れ落ちる。ぽたぽたと畳に散って吸い込まれる。
「同志の最期、よく見届けてくれた。美咲。礼を言う」
花泊の総帥としての仁の労いに、美咲は激しくかぶりを振った。宝が立ち上がる。
「少し、出てくる」
抑揚のない声の調子から、悲嘆の色は窺えない。宝を止める者はなく、彼は居間から去った。
〝お前が何者でも仲間と信じている〟
空は変わらずよく晴れて、宝の胸の雨模様を映さない。自然は残酷に営みを続ける。
宝は家を出て歩きながら遼の遺言を反芻した。
気づいていたのだろうか。
彼は、宝を「神の目」の一員と知りながら、尚、知らぬ顔で受け容れていたのだろうか。
〝お前と俺で、花泊を支えよう、宝〟
そう告げて、手を差し出したあの時ですらも。
この周辺はまだ緑が残っている。
鳥が囀る。
「お前か、葉摺」
するりと、傾いた電柱の影から現れた金髪碧眼の少年。
「遼の最期を見たのは?」
「あの赤い髪の奴なら、そうだ。……やはり死んだのか」
「……」
「敵ながら見事な戦いぶりだった。それで?」
葉摺の声が乾いた口調で尋ねる。
「お前は情にほだされて神の目を抜けるとでも?」
「いや」
「そうだろうな。宝。お前は始祖様に殊の外、気に入られているからな」
「考えたことがある」
「何だ」
「俺が死んだら、深優はどうなるのか」
葉摺が束の間、沈黙した。
「始祖様の意向がどうであれ、彼女の自由意思を尊重して欲しい」
「……言う相手を間違えてるぜ」
「葉摺。もしもに備えて。これが俺の遺言だと思ってくれ」
微風が吹く。
白銀と金の髪が揺れる。
青い目の少年は何の確約もしないまま、その場を去った。
ふ、と宝の脚から力が抜ける。彼は地面に手をついた。地面を引っ掻く。
「…………」
無言のまま、宝は拳を地に何度も打ち付けた。




