夢のあとさき
遼は、昔は身体も気も弱い子供だった。年の離れた出来の良い兄がいて、その兄を尊敬していた。父と母は遼も兄も分け隔てなく愛した。兄が花泊の一員となり、武功を挙げる姿を、遼は憧れの眼差しで見つめていた。だから、その兄が、戦死したとする報を、初めはどうしても信じられずにいた。幼い子供を庇って死んだという、実に兄らしい最期だったそうだ。嘆く両親を見つめ、自らも涙をこぼしながら、異形を討つと決めて、血の滲むような鍛錬を重ねて花泊で活躍するまでになった。性格も朗らかに、気さくになり、頼もしい彼を慕う者は少なくなかった。
遼と美咲は速歩で中部に向かいながら、だいぶ打ち解けた。遼の朗らかさが美咲の固い強張りを解いた。遼さん、美咲、と気軽に呼び合う仲になり、旅の途中でも美咲は遼に手ほどきを受けた。後輩の育成にも遼は余念がなかった。
やがて中部地方に入った。嘗ては山梨県と呼ばれたそこは、山々に囲まれ、海に全く面しない土地だった。荒んだ印象は余り見受けられない。自然の美しさが、大戦前より保持されたらしい光景が、遼と美咲を迎え入れた。異形が出没したのは、滞在二日目のことだった。うごうごとした赤い点滅。半固形の異形は悪臭を放ち、遼と美咲は滞在先の一家に塁が及ばないよう開けた土地まで異形を誘導しつつ戦った。
「歌姫の涙」
遼の落とした呟きは異形の内部に聖水を生じさせ、内側から異形を弱らせる。槍で突く。その繰り返し。美咲もまた、異能と剣技で戦う。
「饗場」
青白い炎が異形に降り注ぐ。
「――――悠久落葉」
美咲の剣が一閃して、まるで日没のような一瞬の煌めきを残しながらも異形を討つ。
しかし、異形は斬っても斬っても湧いて出る。これでは遼たちの体力が保たない。
遼が、ぴくりと身じろぎした。美咲を突き飛ばす。
「こんにちは」
それは、赤い着流しを着た人型の異形だった。その異形が、遼がそう理解するまでにしばしかかる。遼と美咲が立っているところは、小さなクレーターが出来ていた。
そしてその間にも異形の攻勢は留まるところを知らない。ぐるんと槍を回転させて美咲を庇う。
「何だお前は」
「何だお前は」
遼が問うと可笑しそうに口真似をして、腕を鋭利な刃に変化させると躍りかかる。
遼は槍でこれをしのいだ。
「歌姫の微笑」
音速で異形に対応する。これは危険だと遼の本能が著しいレッドシグナルを放つ。
〝彼〟は遼の槍をすんででかわし、めきめきと巨大化した。
「美咲、止めろ、退け!」
巨大化した彼に殺到しようとした美咲を遼が止める。槍をまた回転させ、攻撃を防ぐ。
守られている、ということが美咲には判った。そのことが口惜しく、遣る瀬無い。遼の実力にまだ到底、及ばない自分に今出来ることは、足手まといにならないよう退くことだ。しかしその思考は美咲の矜持と仲間を想う心をじりじりと焼いた。
とん、と跳躍した影があった。
金の髪、青い瞳の少年は、胸に木の板を下げている。
「手間取っているな。花泊」
「神の目か」
「然り」
言いながら葉摺は異形から距離を取った。
「娯楽羅刹」
構えた剣から現れたのは赤く太い鬼の腕。異形を掴み、引き千切る。
「俺、女の子と、遊びたい、んだ」
どこか舌ったらずな彼はそう言って遼の後方にいた美咲を見てにいと笑った。巨大な腕が、目にも留まらぬ速さで美咲を襲う。
彼を妨げたのは遼の槍で、腹部を苛んだのは葉摺の鬼の腕だった。
「邪魔、するな」
ぶうんと大きく彼が脚を回転させると、それらが見事に遼と葉摺を直撃し、吹っ飛ばされる。
二人共、受け身を取ったが、遼は血を吐いた。内臓を傷めたかもしれない。ふうう、と遼は息を吐く。これから自分が行う異能は、下手をすれば遼自身の命を損なう危険性がある。それでもやらなければならなかった。「神の目」と共闘する日が来ようとは思わなかったが、自分が倒れても葉摺が残ればまだ希望はある。
「歌姫の子守歌。螺旋階段」
音速で回転しながら異形の巨躯に槍をかざす。槍は異形の脚を薙いだ。遼が仕損じたのではない。異形の並外れた反射神経が、遼の攻撃速度を上回ったのだ。
「うあああああああ!」
ついに美咲が堪え切れず前に出る。遼の制止も忘れて、今、彼女はやっと出来た居場所の仲間を助けることで頭が一杯だった。
遼が美咲の、更に前に出て槍で異形を突く。既に彼の内臓は損傷し、且つ、異形が脚を引きざま放った拳が遼の首の肉を深く抉っていた。それでも動く遼は、尋常ではなかった。
「退け、美咲! 退却は恥ではない!」
「遼さんっ」
激闘のさなか、一瞬、遼がふわりと微笑んだ。
「俺は死ぬ。お前は生きる。解ったらもう出るな」
「――――」
遼が自分の死を見越しているという事実が、美咲に衝撃を与えた。
遼の戦い振りは鬼神のようだった。並みいる異形を捌きながら、人型の異形に応戦する。葉摺の援護もあったとは言え、狂気の沙汰だ。事実、遼は狂気の沙汰だった。「歌姫の子守歌。螺旋階段」は、遼の生命力を著しく消耗させる。その技を使い、重傷を負い、尚且つ、まだ戦い続ける遼は、最早人間の域を超えたかのようだ。
「羅刹血路」
彼も内蔵を損傷したのであろう、葉摺がぺ、と血を吐きながら呟くと、鬼の腕が長く伸びた。
それは人型の異形の首まで届き、ぎりぎりと締め付ける。異形の彼は大きく手足を動かして足掻くが、鬼の手は放すまじと喰らいついている。ついに彼は鬼の手の拘束から逃れると、そのまま走り去った。追う余力は、今ここにいる人間の誰にも残っていない。美咲が遼に駆け寄る。
「遼さん!」
遼はその声が合図だったかのように、ぐらりと身体を傾がせた。地に落ちる寸前で美咲がその身体を受け止める。そしてぞっとした。遼の身体は既に冷たくなりつつある。
「美咲。無事か」
「……はい」
葉摺はいつの間にか姿を消している。
遼が咳き込み、がぼりと血を吐いた。首からの出血もどくどくと止まらない。
遼の脳裏に兄の笑顔が浮かんだ。大丈夫だったろうか。自分は、兄にも恥じない戦いが出来ただろうか。もうすぐ、その答えが聴けるだろう。
「俺の遺言を、深優たちに届けてくれ」




