死線の虜
翌日、早朝の内に俺と透子は開催場所に向かった。騎士達も人間だ、早朝から捜索の目を光らせているとは思えなかったし、何より深夜から朝にかけては『鴉』の車が『ゴミ』の回収を行っている。こうなるまで目をつけられなかったくらいだ、騎士達が襲ってくるとは考えにくいと踏んだ。
「私は優しすぎるのもどうなのと言っただけで、自分から死にに行けとは言ってないけど」
「……怒ってるか?」
「心配なだけ。安心して、以前、君にも言ったように私はこの町の住人として事情に通じているわ。ちゃんと、守ってあげるから」
透子はそっと俺の手を握る。それ以上を、求めないように。
「―――守ってあげるから、もっと頼ってね」
「……結構頼ってるつもりなんだけどな」
もどかしい話だが、俺が比較的平和に過ごせているのは透子の抑止力あっての物だ。だから何があってもその強さを頼らないという事は不可能である。俺が出来るのは無暗にその力を当てにしない事だけ。ニーナではないがいつまでもおんぶにだっこは生活しているなんて言えないし、何より彼女を道具扱いする事だけは嫌だった。
「で、ここ……か」
カジノと言われると高層ビルを想像するが、この町にそこまで目に付くようなビルはない(人間災害の度重なる暴威により高すぎる建物は建てられないのではないか)。代わりに聳え立つのはドーム状の大きな建物。こんな建物があるのかと思うのは当然だ、近づかないと分からない。何故ならこの建物を隠すようにビルが乱立しているから。都市計画的にはまずあり得ない構造だと思うし、これもかばね町が治外法権の町になる前からこうなっていたとは思えないから、秩序の伴った復興が追い付かなくなった結果、違法建築の連鎖が続いたのだろうか。
「…………大分歩いたと思ったけど、これは前からあるんだよな。外を見る前に中を知らないといけないか」
「普段の活動範囲からして縁がないから仕方ないわよ。この町は広がってしまったけど……元がどんな場所だったか分からない場所なんて幾らでもあるでしょう。今はその広がった土地にまた色々と施設を建ててるみたいだけど、君にとっては元々あった建物も新しく出来た建物も、こんな建物は知らない、じゃない?」
「仰る通りで……」
しかし幾ら時間帯が早くても人は居るようだ。周辺をうろうろしていると建物の窓からこちらを見つめる視線をそこはかとなく感じている。日傘で遮られているから気のせいという事にしたいが、よく見ると透子の足がコンクリートを踏む度に罅が入っているので、彼女も警戒態勢に入っている……のか?
「なあ、ここって本当に入っていいのかな?」
「何を言ってるのよ。元々こんな全員に中指立てる様な作戦をたてたのは君じゃない。突然自信を無くすなんて……」
「もっと不意を突けるつもりだったんだよな。だってクリスマスまでは全然先だし、流石に準備はされてないだろっていうか……」
「この町のクリスマスパーティーは三大組織に限らず、様々な組織の人間が介する一大イベントよ。弱小組織なら大きな組織の人間に取り入ったり、或いは取引を持ち掛けたり……もっと言えば外からの賓客をもてなす場所でもあるわ」
「ひ、賓客?」
「前も言ったでしょう? この町に根付いていない大物、或いは同じ組織の他の人間、本部の人、別支部の人とか。いうなればクリスマスの間、ここは悪がひしめく人外魔境って所ね。そんな場所はそうそう確保出来ない……君の予想は正しい。だったらこうも考えられるでしょう? がら空きにする訳がないって」
それは家を出る前に言ってほしかったな!
どう侵入するかの手筈は何も考えていなかった。鍵くらいならピッキング(ごく簡単な鍵を開けるだけならと川箕が教えてくれた)するつもりだったが、武装した人間を何人も突破する方法は。
「透子。何か作戦はあるかな?」
「作戦…………そうね」
透子は日傘を取って外に出ると、曇天の空に向かって大きく伸びをし、俺から離れるように歩きだした。
「私が陽動するから、君は裏口まで向かって」
「わ、分かった!」
そう、一番手っ取り早く確実な方法はそれしかない。彼女なら何をされてもゆっくり考える時間を与えられるだろう。俺に正体を隠したいからこそ、陽動止まりなのだろうし、後はその間に入るだけだ。
目的地があろうとなかろうと早朝に全力ダッシュする人間が怪しくないと言われたら答えはノー。だがのんびり歩いていたら狙われないとも限らない。日傘は彼女が持って行ったが、俺の顔を覚えていたら関係ない話になる。
裏口に到着すると、何故か扉が開いていた。
「え……」
ドアノブに鍵を挿しこめそうな入り口はない。代わりにあるのはタッチパッドで、六桁の暗証番号を入力しないと開かない仕様……なのだが。普通に開いている。
「…………」
中に入った瞬間、横から伸びた手に引っ張られ、トイレまで連れ込まれる。そこが女子トイレである事を責める前に、俺はこんな場所へ連れ込んだ犯人に声を荒げそうになった。
「透子! お前、ようど……」
「静かに。こっそり入ってこっそり開けたのよ。ここで大きな声を出したら台無しだわ」
「……な、中に人は?」
「一階は二人だけよ。まあ用事もないのにそこまで人は置かないわね。外に多くいるから中は監視室の人員だけで十分という考え方なのかしら。とりあえず、ついてきて。上の階に行けば制圧完了よ」
「多分制圧って言わないぞそれ……」
「何でもいいじゃない。君の計画に必要なのは空き部屋なんだから」
「うわあ……カジノなんてゲームでしか見た事なかったけど、こんな感じなんだな」
確か法律で禁止されているので、そもそも生で見たかったら海外に飛ぶくらいしかない。だがここはかばね町、治外法権の町。最早何でもありだ。初めて見る賭博施設に感動しつつ先へ進むと、 長机の置かれたシンプルな部屋があり、奥には大きなテレビ。恐らくこれで外のカメラを確認したりするのではないだろうか。
「……ここを取り仕切ってるのはやっぱりマーケットなのか?」
「そうね。でも今は誰も居ないし、私達だけの空間よ。それじゃあ、準備しましょうか。川箕さんの方はさっき私が合図を送ったからやってくれていると思うけど、一応確認してくれる?」
「お、おう」
俺達の作戦はこうだ。この空間に入ったら川箕にはネットに『夏目十朗の目撃情報』を流してもらう。即席アカウントを幾つか用意してもらい、さも複数人で噂を共有しているような流れを作ってもらう。少しでもネットリテラシーのある人間なら過去の活動や作成日を見てアカウントの中にきちんとした人間がいない可能性を考慮するかもしれないが、その噂が流れたのを確認した後に、ここで配信を開始する。
透子が用意した般若のお面を被り、カメラ……携帯に向き合う。携帯一つあればクオリティはともかく配信が出来る。顔を抑えられたくないので機材は雑な方がいい。世間では人間災害と俺が組んでいる様な風潮があるから彼女にも同席してもらわないとならないのだが……その事情を説明する事は出来ない。この配信は騎士だけでなく全世界の人間が見る訳で、騎士にとって目当ては俺だという点も踏まえて、こういう差異の調整は慎重に行わないとならない。
―――人間災害、真司の奴が男だとかフカしてたんだよな。
サラシをつけても、透子の骨格は女の子だ。日傘で顔を隠すだけでいいのだろうか。
「…………なあ透子。変な事聞くんだけど、男に間違われた事ってあるか?」
「ないわね」
「そう、だよなあ。うーん、まあいいか。別に騎士の誘導には関係ない話だし」
「? それよりも、心の準備は大丈夫? 配信が終わるまで待ってくれる保証なんて何処にもないわよ。騎士達がここに来る前に全員に召集がかかって私達を追い出そうとするかも。抵抗する覚悟は出来た?」
「こんなに物が沢山あるんだぞ。かくれんぼなら任せろ。絶対に見つからない自信がある。何の為に俺が、カジノルームを物色したと思ってるんだ」
などと言ってみるが、本命は透子の存在による牽制だ。騎士達はそんな事情を知らないから間違いなく突っ込んでくるとして、世間に人間災害の真実を一部教えてしまうならそれはそれ。放送を見た裏の人間が透子に気づいてくれるなら慌てる必要はない。彼女に引き金を引く組織なんて……いないから。
「配信、行くぞ」
「ええ」
即席アカウントで放送を開始する。それを川箕が複数人を装って拡散し、騎士達に俺達の所在を伝える。アカウント停止を食らってもそれはそれで、だ。誰かが勝手に切り抜いて盛り上がってくれる事も込み込みで執り行う。
『よお、愛しの姫様も守れずにいる騎士の皆さん。夏目十朗だ。勝ち目のない戦いに奔走するお前達を労って、一つゲームをしようじゃないか―――俺達が今配信しているこの場所に、姫も一緒に連れてきたよ。明日には俺の手を離れてもう居場所も追えなくなるだろうな。さあ、取り返せるもんなら取り返しに来い。姫の目の前で、騎士様御一行を殺して御覧に入れようか」




