ちっぽけな幸運を願う
警棒と煙幕とスタングレネード。それが俺に用意された手持ち。これだけで騎士全員を制圧する事は出来ないが、ここから逃げ出すだけなら可能な筈だ。
条件を整理しよう。
俺達が居る場所は相手が用意したビルの中。全三階で、あるのは死体と残った備品だけ。対する相手は数えるのも馬鹿らしいくらいの大勢。普通に考えた突破は不可能、相手はこの為だけに俺に場所を教え、バレット・ウルフに成り代わり、綿密に準備を進めてきた側だ。罠にハマったのは俺、俺がニーナの何かを知ってると踏まえて実行したに違いない。
非常階段、一階の玄関、或いは一階の窓。全てきちんと包囲されている。逃げるにはどうしてもそこを突破しないといけないが、最少人数を相手に突破するなら目指すは非常階段。階段の終点で出待ちしている様だが階段なら多少頑張れば直前の踊り場から飛び出せる。問題はそこに行くまでの道筋だ。
「…………」
自分でも不思議なくらい、思考は冷えている。対する心臓は今にも飛び出しそうで、心音は建物全体を揺らしているのではないかと錯覚する程だ。だけど今は慌てている場合じゃない。川箕が横に居るのだ。
「……」
不安そうに俺の手を握って、死体の中に埋もれている彼女を守らないといけない。今、救えるのは俺だけだ。人間災害じゃなくたって、一人や二人守れる。
そして透子に言いたい。災害の力がなくたって俺達は生きていけるし、透子は透子のままで十分なんだって。俺に隠す程、恐れる必要はないんだって。
ガシャ、ガシャ、ガシャ、ガシャ。
大勢を引き連れて騎士達が乗り込んできた。今この瞬間、一番煩いのは彼らの足音だ。騒音は小さな音をかき消す。息を潜めている今なら都合の良い状況。
俺達の潜むフロアに、入ってきた。
「何処に居る?」
「分からん。位置情報が発信されないのだ」
「奴はすっかり信じていた。直前で我らの足音を聞きつけたに違いない。散開せよ! 見つけ次第包囲するのだ! 手足の一本は斬り落としても構わん!」
フロア全体に広がられると身動きが取れなくなってしまう。ここで一晩明かすのはリスキーだ。寝息はどうしても隠せないし……何より持久戦は向こうが有利だ。数が多いから替わり番をすればいい。
煙幕―――スモークグレネードのピンを抜くと、騎士達が話し合っている内に階段へ続く通路の方に転がした。綺麗に転がすのは難しく音が出てしまうが、多少の物音は奴らの甲冑が消してくれる。何よりその兜は、視認性が最悪の筈だ。暗視ゴーグル機能でもあったら話は別だが川箕からそんな話は聞かなかった。この真夜中に被り物が適さないのは、俺達もガスマスクで十分味わっている。
俺達の居場所に繋がる細かなヒントを見逃すのは、当然の道理だ。
煙が音を立てて立ちこみ、通路の方へと広がっていく。転がす分には上手く行ったか。騎士達は散開しようとした直後だから、間もなく煙の存在に気が付く。
「煙幕か!」
「追え! 外に連絡だ! 逃がすな!」
騎士達の足音に合わせて立ち上がる。勿論川箕の手は離さない。
「今の内だ……」
「大丈夫……?」
非常階段は階段とは殆ど正反対の方向にある。騎士達は全員煙の中、或いは向こう側の階段まで行ってしまった。今更振り返っても煙幕が遮蔽物になっている。まず気づかれない。
スタングレネードは屋内で使う方が効果的らしいが、音量だけでも騎士達には随分と効く筈だ。非常口に続く扉自体を抑え込まれたらどうにもならなかったがここまでは行ける。三階から飛び下りたらどう都合よく考えても骨折しそうだし、少しは降りないといけない。ここからでも手すりから見下ろせば騎士達の頭上が見える。視界が開けていない被り物は、きちんと上を見ようとすると本当に真上を見ないといけない。意外と見ないらしい。
―――中に入った奴らが見つけ出せるって思ってるんだろうな。
扉は静かに開けたから、開けた事にすら気づけていないだろう。中の騎士達は煙幕を使って注意を向けられたが一階の出口で待ち伏せる騎士と合流して情報を共有されれば自分達が騙された事には気づけてしまう。それで非常口の騎士達と合流される事が一番面倒なので、何とかその前に車に戻らないと。
特殊警棒のスイッチを入れる。ここだけは、強行突破しないと。
「川箕、先に車に行けるか?」
「え……ジュードは」
「あいつらと殴り合う。お前は車を動かして大通りに行ってくれ。俺もそっちに飛び出すから」
「……うん。分かった」
鞄から耳栓を取り出し川箕は早速耳に押し込んだ。俺の役目は一時的に囲まれて騎士たちの気を引く事。俺達の足は彼女が運転する車だ。あそこを制圧されたらいよいよ帰る手段がなくなる。だから最優先は川箕の安全だ。俺の事なんてどうでもいい。
二階の踊り場に降りると同時にピンを抜き、スタングレネードを騎士達の頭上へ。
「どりゃあああああああああああ!」
起爆と同時に川箕から手を離し、俺は大声を上げて階段を駆け下りる。そして甲冑に向けて飛び出し、その頭上に警棒を振り下ろす。
「がああああああああ!」
甲冑に耐電性能はない。この警棒には高圧電流が流れており、金属が触れるだけでも騎士達を無力化出来る。段階は二段階あり、俺が起動させたのは最初の段階だけだ。もう一段階目は川箕曰く、殺しちゃう可能性があるらしいから。
ただでさえ狭い視界が閃光で奪われ、更には音響で身動きを縛られる。不意打ちは上手く行ったが、このバカみたいな騒音は確実に周囲の騎士達を呼び込むどころか、中に突入した者もやってくるだろう。時間がない。何人か適当に突き飛ばし、車から引き離すように外へ出る。
スタングレネードの騒音は無関係の野次馬すら呼び寄せたが、彼らも一定距離からは踏み込もうとしなかった。それもその筈、俺は隠れ場所を選ぶ暇もなく騎士達に囲まれていたから。
「ちっ…………」
警棒一本で正面から勝てる気はしない。それこそ警棒の出力を最大に全員感電させるくらいの勝ち筋しかないが……適当に数えても二〇人。どうする。騎士達はとっくに剣を抜いて臨戦態勢だ。あの剣、普通にも使えるのか?
「姫は何処だ」
「言え。さもなくば、死あるのみ」
「知らねえよ……それよりお前ら、まだ子供だった女の子全員殺して何がしたいんだ! 幾ら無理やり働かされてたからって、屑が」
剣を受け止めて反撃なんて、そんな大層な事は出来ない。大袈裟に躱して、確実に鎧に電撃を当てる。
「ぐああああああ!」
「気をつけろ! 電流だ!」
何人か無力化している内にある事に気づく。甲冑姿の倒れた人間は足元を奪う障害物だ。回避する場所自体がなくなっている事に気づいたのは三人を倒した後。
次の剣戟は避けられない――――!
「うりゃあああああああああああ!」
鎧の壁を軽々と貫いて見せたのは鉄の塊、もとい川箕のバンだ。何人かを吹き飛ばした後、野次馬達の目の前で急停止する。
「ジュード! 早く!」
「お、おう!」
開かれていたバックドアに向かって飛び込み、後部座席に乗り込む。ドアを閉めた瞬間、投擲された剣が扉に突き刺さる。
「うわああああああ!」
「きゃあああああああ!」
勢いのままにアクセルが踏まれ、爆発に押されるように猛進。信号を待つ余裕はなく、車線を気にする義理はなく、正面衝突のリスクを纏いながら車は走り続けた。
走り続けて、走り続けて、走り続けて。
「…………この剣、起爆しないのか?」
「多分、信号を受信したら起爆するんじゃないかな。あんまり受信範囲が広くなくて、私達がぶっちぎったとか!」
「でも刺さった瞬間に起爆してたら多分俺は死んでるぞ。車はそこまで直ぐに速度乗らないし…………」
「細かい事は気にしない! 私達は逃げ切ったんだ! もう…………もうほんっとに生きてる心地がしなかった! 夏目の機転が無かったら諦めてたよっ」
「俺も……ぶっちゃけ疲れた。安全地帯に戻ってきたからかな。お前が車で突っ込んでくれなかったらと思うと……」
後部座席の床で寝転がり、腹式呼吸で息をする。
疲れた。
「私は車を修理しないといけないから先に出ていいよ。ニーナちゃんの所に行くときはお風呂忘れずにね」
初めて人を轢殺した罪悪感からか、それとも命の危機から解放された反動か、川箕は疲労困憊と言った様子で、ガレージに戻ってから素っ気ない態度になってしまった。一々文句をつけられる程、俺も大した態度じゃない。雑に話せるだけマシなくらいだ。
「ああ、そうする……」
でもその前に、透子の顔が見たいと思った。おそるおそる扉を開けると、ニーナを抱きしめたまま固まる透子の姿が。
「…………ジュード君」
「た、ただいま。透子」
「……お帰りなさい。その様子だと、あまり順調とは行かなかったようね」
「………………騎士達は、味方じゃないと思う。ニーナに対しては味方とかじゃなくて。風俗に居た子達が全員殺されてた。だから多分、ニーナも」
目も耳も失い、今度は命まで失うのか? そんなの可哀想とかじゃない。あんまりだ。悪党だったとしても、ちょっとどうかと思う。そしてニーナは悪党ですらない。物の善悪に染まる以前の子供だ。
「事情が何であっても、渡したくなくなった。アイツらは、最悪だ」
「………………じゃあ、殺す?」




