聖なる裁きに偽りなし
「人を追っ払ったって……これは追っ払ったって言えないだろ!」
ビルの中に入ると、とてつもない不快感を催す腐敗臭が充満していた。人を追っ払ったという言葉は、てっきり追い出した程度の意味合いだと思っていたのにまさか全員殺しているなんて思わなかった。
殺して処理してくれたら俺がその事実を知る事はなかったのに、殺した人間の死体を放置してるもんだからまず立ち入れない。独り言の一つくらい炸裂する。
「う…………!」
たまらず鞄を開けて使えるものがないか探す。最悪消臭剤でもいい。市販の消臭剤が死体の臭いを想定しているかは分からないが、もうこの臭いさえ消してくれればなんでも良かった。
見つかったのはガスマスクだったから、消臭剤以上の成果だ。装着してから改めて中に入ると、何の臭いもしない。ただし視界が絶望的に悪くなったのでこれでは監視が非常に難しい。こんな想定外の要素さえなければ先に準備しているのに、死体の臭いなんて川箕がびっくりするだろうから入り口で待つ事にした。
「え、何でここにいんの?」
五分ほどしたら川箕が来たので事情を説明する。彼女は露骨に嫌そうな顔をして、同じように鞄からガスマスクを取り出した。
「こういう事を想定して用意した訳じゃないけど……なんでえ?」
「俺も知らないよ。こういうのを追い払ったなんて言わない。アイツら日本語から真面目に勉強してくれよな……ところで、あの無線機は?」
「あーあれ。電波を遮断する箱に入れてあるよ。あれ無線機の形しただけの発信機だから、さ」
「は?」
パソコンを脇に抱えた川箕と共に三階の部屋まで上る。何処の階も軽く覗いたが死体塗れで、立ち並ぶパソコンや資料などから何かの会社だったのだと思う。それが突如乗り込んできた奴らに殺されて、可哀想に。
「そういうのって気づけるんだな……」
「きっかけはただの勘だけどね。貸し出す形ならロガーの方はなさそうだし、返せって言われたら返すよ」
「……?」
「あー、要するに、暫く無線機を持たせられそうな状況じゃないから箱に保管してあるだけって事」
「いや、そうじゃなくて。無線機自体がここになかったら連絡を入れられないんだけど」
まずどんな危険があるかも分からないが、それでは俺が仕事をさぼったみたいになる。それで怒られたらどう言い訳しようか。
「それって要するにバレット・ウルフチームに想定外のトラブルが起きないようにすればいいんでしょ。だったら大丈夫っ」
三階につくと、ここにも大量の死体がある。建物の大きさに反してちょっと数が多すぎる気もするが、ガスマスクのお陰で臭いが気にならなければ後は存在そのものを無視すればいいだけだ。窓際に座って、お店周辺をそれとなく見下ろす。傍の川箕はパソコンを立ち上げて膝の上で画面を眺めていた。
「何してるんだ?」
「……これ、透子ちゃんに教えてもらったんだけどさ。こういう危ないお店って万が一にも証拠が残らないように店内と周囲の監視カメラを停止させてるんだよね。ほら、釈放されるって言っても逮捕されるはされるし、それって結構面倒だからこそこそする人が減らないの。後は単に他の組織に物証抑えられたら言い訳とか法律とか無関係に殺されちゃうし……」
「成程。それで?」
「ハッキングして遠隔操作しちゃえば映像覗き放題じゃん? あんまりしたくないんだけど、これならあの無線を使わなくて済むよね。店の中で何が起きてるかも分かるし!」
ガスマスク越しにもハイテンションな川箕を見て、苦笑いしか出てこない。隣に透子が居るから陰に隠れがちなだけで彼女の技術力も大概おかしな事になっている。確かにこれなら一人で暮らせるのも納得だ。家族が余計な口出しをしないのも頷けるし……そんな形で自立出来た彼女の事が少し、羨ましかった。
俺だって、もっと円満に。
「お前、そんな事も出来たんだな」
「そりゃ、パスワードも碌に変えてないカメラくらいだったら入れるって。別に凄くないけど……おっけ。ほら、これ見よっ」
川箕に少し体重を預けるように隣に並んで同じようにパソコンの画面を覗き込む。
店内では、血みどろの惨劇が広がっていた。
バレット・ウルフでもない。そして騎士達でもない。恐らくそこで働かされていたであろう少女達の斬殺死体だ。カメラの画角で見えるだけでも二十人ちょっと。その死体を踏みつけるように大量の騎士達が並んでいる。
「うっぷ…………! これ……何……?」
「アイツらはもうカチコんだのか? ど、どうなってる?」
もっと激しくドンパチやり合うものだと思っていた。実際、龍仁一家の会合所は突如鉄火場と化し、危うく死ぬような思いをした。今度はあれを外側から観察する物とばかり思っていたから、拍子抜けだ。
『ここまでは滞りなく』
『全く汚らわしい! 体を穢し、金銭を得ようとは!』
『だが我々の刃にかかり、幼子達は浄化された。少女等よ、汝らに神の導きがあらん事を』
『ここに姫はいなかった。次なる当てへ向かう前に―――』
「……バレット・ウルフの人が隅っこに居るよ。死んでるけど……うぷ」
「少なすぎないか? 俺が行った時はこの四倍は居たぞ。返り討ちにあったんだとしても死体が跡形もなく消える訳が……」
と、そこで騎士の一人が無線機を取り出した。いや、川箕曰く、それっぽい形をしただけの発信機で……え? となるとあれは俺の位置情報を確認している、のか?
思わずガスマスクを外して振り返ってしまう。川箕が電波を遮断しているらしいからこの場所に居る事は明らかになっていない。それでも後ろから近寄ってくる人物が居るかもと、思ってしまった。
「…………」
臭いすら忘れて、予感めいた確信が脳裏を過る。
「ジュード?」
鞄から強力な懐中電灯を取り出し、死体に向ける。殆ど独り言に近い形で、膝から崩れ落ちると同時に声が出た。
「こいつら、バレット・ウルフだ!」
「えっ!?」
死体の殆どが灰色で統一されている。それだけでは根拠にならない? 俺が外で会った人間は狼を模したフードをちゃんと全員被っていた? 違う、そうじゃない。見れば分かる所属が真実とは限らないだろう! 甲冑を着ていれば誰だって騎士だったのか? 日傘を差していれば俺は人間災害か?
見れば分かる。その通りだ。
だがそれは、最も単純で簡単な変装にもなる。
「ど、どういう事!?」
「多分、バレット・ウルフの何人かが殺されて潜り込まれてたんだよ。あいつらいつもフード被ってるから頭数を合わせればバレにくい筈だ。今回は報復してやろうって頭に血が上ってたみたいだしな。だから……こんなに多いんだ! アイツら全員騎士だ!」
「夏目! 騎士達が移動してる! 外に出て……こっちに来るよ!」
「くそ、マジかよ。川箕、お前は非常階段から先に車戻っててくれ! お前の存在は気づかれてないだろ。俺は後から行くから!」
「む、無理だよ! カメラから見た感じ、このビルの構造は完全に把握してるみたい! 出入口は全部潰されてるっ。どうしよう……どうしよう……!」
川箕は俺が絶対に守ってみせる。
口で言うのは簡単だが、この状況をどう切り抜ければいいだろう。守る守るって口だけで、そんな口先だけの奴が信用出来る筈もない。カメラに釘付けのまま体を震わせる彼女の身体を力強く抱きしめる。
「大丈夫だ。大丈夫、落ち着け。お前が作ってくれた装備があれば切り抜けられるから……!」
「…………と、透子ちゃんに電話、しようよ。助けに、来てくれるかも」
「駄目だ、透子には頼りたくない。アイツはニーナを守ってるんだ」
透子を女の子として意識しているのは本当だ。だけど危険な目に遭う度に頼っていたら、それは人として扱っているのだろうか。とても、そうは思えない。まして俺は正体を知っている事を黙っているのだ。これがバレたら外面だけ装って都合の良い兵器として扱っていたと言われても言い訳出来ない。
「…………川箕は、透子が人間災害だって知ってるのか?」
「え、え? 何で夏目が知ってんのっ? 私教えてないよね?」
「知ってたんだな」
「……本人が自己申告してきたんだよね。透子ちゃんって凄く可愛いから、自分から人間災害って名乗られても正直半信半疑のまま口止めされてたんだけど……流石に、信じざるを得ない事があったから。ごめんなさい!」
「お互い様だ。透子は俺に自分の正体がバレてないと思ってる。俺はなんか……夢で教えてもらってさ。アイツに比べたら俺なんかミジンコ以下の頼りなさなのは分かるよ。それでも俺を信じてほしい。お前のくれた装備があれば、この場を切り抜けられるんだ!」
「で、でもあんな大量の数は想定してないよっ?」
カメラでは一部を残した騎士達が続々とここに侵入してくる様子が窺える。中に人が入ってきても外の防壁は突破出来なさそうだ。
「…………俺達の居場所が分からないなら、死体に紛れるってのはどうだろう」
「え? 時間稼ぎにしかならなくない?」
「いいんだよ、GPSは機能してないんだろ。俺がとっくに消えてる可能性も考慮しないといけない。急げ、考えてる時間なんかないぞ」
嫌がる川箕の手を引いて、死体の山に飛び込んだ。
「絶対に俺の手を離さないでくれ。何があっても…………今度はちゃんと、守るから」
私は、壊す事しか能がない。
私には、壊す事以外の技能がない。
私を彼と勘違いしたまま眠る少女を見て、抱きしめて、二人の帰りを待ち続ける。
―――どうして頼ってくれないの。
彼に嫌われたくなくて、私は祀火透子という普通の人間を演じている。人間災害なんて可愛くない。それでも頼ってほしかった。友達として、どうにか出来ないかと一言言ってくれれば、何処からでも助けられるのに。
勝手に助ける事も出来ない。正体を知られたら嫌だから。彼の世界を壊したのが私だってバレたら、もう隣に居る資格なんてない。
「……目も耳も聞こえるままの人生が、良かったわよね」
私も、川箕さんのような一般人でありたかった。でも、そんなもしもは叶わない。今の私だから、泣いてる彼を助けられたのも事実だから。
「…………お願い」
私は神を信じない。
信じようとしたら、きっと恨んでしまうから。
それでも。
「…………彼を、無事に帰してあげて、神様」
私は一人の大切な男性すら助けてあげられない。我が身可愛さに、祈る事しか出来ない。
私は、壊す事しか出来ない災害。




