戯善・偽悪
何時間か経って川箕の身体から麻痺が抜けてきた。と言っても完全に抜けるまではまだ時間がかかる(本当はガスマスクを着けて回避するつもりだったがその余裕がなかったようだ)らしく、問題となっている少女について話をすべく俺が改めて川箕を二階に運ぶ事になった……いい持ち方が思いつかなかったので、お姫様抱っこで。
「あれ、透子ちゃんは?」
「外に出て行った気がする。そんな感じの音がしたし」
部屋まで戻ってくると、少女はまだ段ボールの中で泣いていた。最初はその存在に面食らって逃げてしまったが、今思うとおかしな泣き方をしている。泣き方が一定しないというか、泣いている声自体が変だ。
「…………なあ、もしかしてこの子、耳が聞こえてないのか?」
「どうしてそう思うの?」
「お店でも甲冑騎士と出会ったんだよ。そいつとは普通に話が出来て、まあ人を探してるけど知らないかって言われた程度なんだけどさ。そいつが言ってたんだよ。姫と呼べば反応するとかしないとか。まあこの子が姫かもってのは同じ甲冑から発想したんだけど、ここで幾ら話していてもさっぱり反応しないし、多分聞こえてないのかなって」
『不良品として返品されたはいいが、うちの者がどう扱っても死んだように反応しなくてな。廃棄処分してもいいが、商品価値のある内は丁重に扱うのが流儀だ』
どう扱っても反応しないなんて、年頃の人間には不可能だ。心が壊れているなら話は別だが、商品価値のある内という言葉が引っかかった。商品価値とは何なのかがそもそも分からないが、身体がある内は多分……価値がある筈だ。ちょっと前に悪辣なビデオを見たと思うが、あれが商品として罷り通っている時点で反応が悪い程度で価値がないとは思えない。
あの人の条件はこの少女の修復だ。だからまだ直せる見込みがあってそれで俺達にお願いしてきた。成程筋は通るが。
―――川箕のお店は病院じゃねえ!
玩具扱いだからって直せと駆け込む所がウチとは馬鹿げている。
「夏目の言う通り、この子は多分耳が聞こえてないよ。それで、目隠しをしてたから分からないと思うけど目も見えてない」
「え?」
「目隠しは私がつけたんだよ。初めて見た時びっくりしたんだから! 目が空洞なんてさ……見せるのは、あんまりじゃん」
そうか、花柄の目隠しなんてやけにお洒落だと思ったら川箕が気を利かせていたのか。違和感という程ではないが、その気遣いは完璧だ。目が空洞な瞬間を目撃していたらまず確実に俺はそれに驚いて逃げていた。だから何だという話だが、小さな好感度の違いが確実にあったと思う。
目が空っぽなんて怖いし。
「暴れなかったのか?」
「暴れなかったよ。目も耳も聞こえないから、使えるのは嗅覚と触覚だけだとして……怖いなんてもんじゃないと思うけど。泣き出したのは本当についさっきなんだ。この子を修復って……幾ら私でも無理だよ」
「まず医者じゃないしな」
「医者でも眼球を再生するって無理じゃない!? もしそれが出来るんだとしても最先端医療だから、ここの病院じゃ厳しいよ。海外の大きな病院に行くとかしないと……」
これはどう考えてもクレームを入れる時だ。三大組織のボスが何だ、こんな物を送りつけて俺達に直せなんて端から不可能な事を任せて何がしたいんだ。理不尽を押し付けて俺達に何か仕事をさせる気か? こっちには透子がいるのに何故そこまで強気になれる?
「ちょっと電話してみるか」
「直接!?」
決断が鈍らない内に電話をかけると、なんとすぐに繋がってしまった。実を言えば、繋がらない想定で電話をかけていたのだが。
『……もしもし』
『すまなかったな、発送が遅れて。どうだ手遅れだったか? それともまさか、直せたのか?』
『お前なあ! 俺らに最初から不可能な事をやらせようとして何がしたいんですか!? クソ、本当に関わるんじゃなかった……最悪だよ』
『そこまで怒るか……まあ待て、実を言えば事情があるんだ。なじるのは構わないがまずは話を聞いてくれないか。実を言えば発送が遅れたのはお前の怒ってる部分に起因しているんだ』
『……元からこうじゃなかったって事か?』
『そうだ。お前の所へ発送すると何処かで聞いたんだろうな。もしくは私の部下が余計な事を言ったのか……突然自分の目を潰したんだ。その応急処置で時間がかかってしまった。事前に伝えておくべきか迷ったが、元々その義理はないだろう。それに、送ってくるなとも言われていないしな』
『…………』
送ってくるなって、言ってよかったのかよ……
じゃあ言えば良かった。どうせそんな事言っても無駄だろうと勝手に早とちりした俺が悪いのだけど。
『本当に嫌だというなら……返送してくれても構わんが?』
『……そんな言い方ってないだろ。もう見ちゃったし、見て見ぬふりなんてしないよ。どうにか頑張ってみるから、絶対に催促なんかするなよ。落ち度はそっちにあるんだからな!』
『少しは駆け引きが出来るようになったと自慢したいようだな。いいだろう、では好きに足搔いてみるといい。もし直せたら連絡しろ。その時は買い戻してやるが……無理そうならお前が好きに使え。文句は言わせん』
『え?』
『私の口から言わせるのか? ジュード、とぼけなくてもいいんだぞ。お前は年頃のガキだ。女二人と行動を共にして一度も欲情しなかった訳ではあるまい? 祀火透子はお前を気に入っているし、もう一方は詳しくないが……押しには弱そうだったな。そのガキで練習して、テクニックを磨けばいいと言っている』
『な…………何言ってるんだ?』
『仮にマグロでもベッドの上の練習相手くらいにはなると言っているんだ。 何処が欠けていようが女としての機能はある訳だしな。それ以外の使い道など知るか。見世物小屋にでも売るか?』
『あの子は……姫って呼ばれてるんですよ。知らないんですか?』
『知っているがそこに問題があるのか? 身代金など考えるなよ、一ドルだって貰えないからな』
そう言い残して、向こうから一方的に電話が切られた。
「…………」
他の使い方があんまりだ。あの子にだって意思はあるだろう。人形を相手にしてるんじゃないのに、そんな酷い事出来ない。川箕の方を見遣ると、表情を見て通話の結末を悟ったようだ。
「……透子ちゃんの様子観に行こっか。事情はその時に改めて聴くよ」
「さっきの男なら警察に放り込んだわよ」
「えっ」
俺達が一回に戻ると透子はガレージの床で座禅を組んでいた。そして気になる事への質問を先回りしてきたのだ。
「け、警察が対応してくれるのかな」
「身ぐるみ剥いで全裸で送り付けたから大丈夫よ」
「だから甲冑があそこに転がってるんだね………でもなんか、おかしくない? 内部構造が」
透子は甲冑の胴体を持ってくると、中身を見せつけるように傾ける。
「川箕さんの言う通り、これはただの甲冑じゃないわ。古風なのは見た目だけで、中には人体への接続ユニットが組み込まれているの。どういう役割かというと……早い話が肉体の強化ね。普通の人間よりも遥かに身体能力が出せるようになる」
「ファンタジーだと思ったらSFだったみたいな事か?」
「だからガスがあんまり効かなかったの? ……や、ごめん。機械屋だし、これ以上は自分で調べてみるよ。ただ聞いた事もないし見た事もない技術だから調べるのに時間がかかると思う」
そう言って川箕は受け取った甲冑をガレージの隅に置いてあった木箱にまとめて積み上げた。心なしかワクワクした様子であり、兜を運ぶ時には鼻歌も聞こえた。直前まで自分が殺されかかった事を忘れたらしい。
「それで、私達の方針は? というか何が起きてこうなったの?」
「それは俺から説明するよ」
と言ってもさっきの通話の内容をかいつまんで言うだけだ。透子に聞かせたくない話は勿論黙って。
「……その子を直せる場所なんてあるのかしら。返送した方が賢明だと思うけど」
「お前までそんな言い方……!」
「現実的な話よ。治して返すか返さないかは置いといてまず私達の手で治すのは難しいわよ。見捨てないって一口に言うけど、助けられもしないのに見捨てないのが人間、一番残酷で―――恨まれるんだからね」
「うっ」
「私の事を人でなし呼ばわりしても構わないけど、これは至って常識的な話よ。自分の手で助けられない相手は掌から落とすしかない。それでも君は助けたいって言うの? 相手は絶対に、助けられないのよ」
透子の表情からは感情が読み取れない。フラットな気持ち? いいや、違うと思う。何かを確かめるように―――試しているとかではないと思うけど、答えを聞きたがっているのは間違いない。
「…………助けたいよ。出来る限りの事はしてみたい。全部が全部救えないかもしれないけど、でも段ボールの中で泣いてる子を放置なんてしたくないんだ。どうやったら助けた事になるかも分かんないけど…………お前が俺を助けてくれたみたいに、俺も助けたいよ」
「…………そう」
透子は二階を見上げると、嬉しそうに微笑んだ。
「君が電話をする直前くらいの会話、聞こえたんだけど」
「ん?」
「耳は、治ると思うわよ」
「え?」
見てもないのに?
「あれは多分心因性だから、私達がストレスを緩和出来れば或いは……勿論、それで助けたって事にはならないと思うけど。君が助けたいっていうならとことんやりましょう。部活動に励んでいた時みたいにね?」
「うん、いいじゃん! 夏目は私達のリーダーって事で! …………偽善者って誰かに言われたとしても、私は夏目を支持するよ。どんな時でも優しくなれる人って、素敵だよね!」




