嵐は向こうからやってくる
クリスマス用品を適当に眺めて、ついでに食事も済ませて。俺にはこの何でもない平穏が遠い昔のように思える。急速に年を取ったのだろうか。今から老人ぶれば透子も俺を介護してくれたり?
「楽しかったわね」
ラウンドテーブルを挟んで水を飲みながら透子は素朴な感想を告げた。言葉を選んだ雰囲気はないが、だからこそ素直な感想として俺も呑み込めた。言葉選びの勝負なんてしていないし、楽しかったと言ってくれるならそれで充分だ。
「しかしクリスマスは流石に気が早かったな。また時間が出来たら今度は三人で行こう。今回は元々そんなつもりなかったのもそうだし、二人で決めたら川箕に文句言われても仕方ないもんな」
「今回は、二人の秘密って事ね」
「そんな大げさにしなくてもいいけど、まあお前がそういう事にしたいならそれでいいよ。本は、時間が出来たら読むからな。お前もそうしてくれ。何ならバイト先の休憩時間とかに読むといいんじゃないか」
「……ゆっくり楽しみたいから、催促なんてしないでね。君がどんな本を私に勧めたのか、色々想像しながら読んでみる事にするわ」
「あ、改めて言われると恥ずかしいなそれ。大丈夫、変な本は薦めてない筈だ。うん」
「誰に言っているの?」
自分に言い聞かせているだけだと、ことわっておく。もうそろそろ夕方だ。デートはいつまでも続くべきイベントじゃない。終わりがあるからこそ名残惜しく、そして次に繋がるのだ。
「そろそろ帰ろう。幾ら快く送り出してくれたって言ってもそろそろ川箕も俺達を心配してると思う……こんな事ならアイツとも連絡先を交換しておくべきだったかな」
何故連絡先を交換していないのかは謎だ。する理由も特になかったというか、いつも帰ってくる場所だから別にしなくてもいいとさえ思っていた。それに、用事がなければ彼女の下で俺はずっと作業に励んでいる。だから電話番号なんて交換しなくても不便はないと思っていたし、実際不便はなかった。
ただ今回は彼女の厚意に甘える形で、デートが始まったというか。言い出したのは俺だが川箕が背中を押してくれたようなものだ。だからここまで自由を満喫出来た事は素晴らしいが、まるで放っておいてるような気がして段々と落ち着かなくなってきていた。
「ええ、私も十分楽しめたわ。川箕さん、やきもちを焼いていないかしら。後で怒られたらどうしましょうね。二人で正座でもする?」
「まさか。そこまで怒られるような事してないだろ! 俺達こっそり抜け出して遊んだんじゃないんだぞ? やきもちも良く分かんないし……だから心配するような事は何もない筈だ」
席から立つのに合図はなかったが同時だった。屋内で日傘を差し、その横に透子が入る。もうすっかり慣れてしまった。多少変な目で見られる事も、俺の名前がバレる事に比べたら何でもない。
「日傘、もうすっかり板についたわね」
「ずっと持ってたら流石にな。持ってて変な物でもない、雨の日に傘を差すのが晴れの日に差すのに変わっただけだ。日傘を差してる奴なんてあんまりいないけど、これより変な奴なんてぶっちゃけ幾らでもいるしな」
それに……自分で差しているとふと思うのだ。あの日あの時あの場所で、日傘の陰に俺は救われた。彼女と出会わなかったらなんて考えたくもない。そんな惨めな人生を過ごしていたら、それはもう俺じゃない。
―――屍の町に、俺は生きてるんだ。
「透子と出会えたのが偶然なら、俺は運命を信じるよ。この傘から全て始まったんだからさ」
「……そうね。運命は……因果の糸として繋がっているかもしれないわね。私と君が出会った事も、君がその傘を握っている事も…………そして二人がこの町で生きている事も」
「……全部筋書き通りだって言いたいのか? でももしその筋書きを覗けてたら、俺はもっと前向きに人生を取り組めたんだろうな」
華弥子に何をされても、真司に何をされても『でも俺はこの後に超かわいい子と知り合うし』なんて。それだけで頑張っている自分が居たらと思うとそれはそれで気持ち悪いような気もする。
「そういうもしもはお互い様よ。私だって……君と出会える事を知ってたら………………いえ、やっぱりやめておきましょうか。もしもの話なんて面白くないわ」
…………?
昔の話をしたくないのだろうか。一体何があったかは気になるのだが、それを聞こうとするのはまだ早いだろう。何事にも順序はある。こんないいムードですら過去を話したくないなら彼女にとって過去は自分の正体と同じくらい嫌な事があった筈だ。だったらまず正体を明かしてもらわないと。
「…………」
帰路は、静かだった。
不満があった訳でも後悔があった訳でもない。楽しかったのは事実だがそれ以上に―――色々と気持ちを整理したかった。真に気が合う物同士は別に会話がなくても気まずさなんて感じない。逆に俺は家族と話すとき、常に気まずさというか緊張感に似た物を感じていた。これは喜ぶべき事なのだ。
川箕の家の前まで来た途端、透子が足を止めた。
「どうした?」
「いつもはこの辺りから作業の音が聞こえるのよね。だけど聞こえてこないの」
「それは単にお前の耳が良すぎるだけじゃないか? 俺には何の変哲もないように見えるけど」
ガレージの扉を開けると、コンクリートの床の上で川箕が倒れていた。
正確には川箕と―――甲冑を着た騎士が。
彼女に覆いかぶさるように倒れていた。
「え、え、え! か、川箕!?」
「おそい……よ。二人共。もすこし……はや……く」
「怪我したのか!?」
「いいから、これ……ど、どかして。重い……」
透子が慌てて甲冑をどかすと、川箕が甲冑と自分とで挟まれていた部分に鞄を持っていた事が明らかになった。外側には何度も貫かれたような跡があるものの、彼女の身体には傷一つついていない。革をめくってみると、中に鉄板が仕込まれている。
「何があったんだ!?」
「…………襲われたんだ。それ、で。このガレージの……防犯、装置を」
「はい?」
「ジュード君。もう既に排気された様だけど微かに甘い臭いがするわ。ハロタンに近いけど……川箕さん。貴方、自分で精製したの?」
「そ、そんな凄いものじゃない……ほら、私、喋れてるし。ま、まあ時間が経ったからなんだけど。身体、動かなくて」
「と、とりあえず俺のベッドに運ぶか。だ、大丈夫だよな? 扉を開けたらそこもガスが充満してたって洒落にならないぞ!」
「密閉して使用したんでしょうし問題ないでしょう。今は普通の扉だけど、恐らく使用時にはロックがかかって……」
透子の考察を聞いている時間はない。自分一人で体を動かせなくなっていた川箕をベッドに運び込み、ついでに騎士は透子に見張っていてもらう。もし起きたら―――対処してもらうしかない。
「何があった? 俺達がデートしてる間に攻め込まれたのか? 恨みを買ったとか?」
「………………恨み。恨みか。え、えっとね夏目。ガレージから……家に入って、上がって…………段ボール、見てきて」
「段ボール? ……分かった」
「ほ、他のとこ、駄目だかんね……夏目にだけは、見られたくな、いから」
そんな空気の読めない事はしない。透子に一言入れて俺はガレージから脇目もふらず階段へ。彼女の家族と遭遇したら事情を説明するつもりだったが、道中は出会わないようになっているのかもしれない。
初めて入ったが川箕の部屋は意外とシンプルに綺麗だった。可愛らしさは感じられないが清潔感や几帳面さはありありと感じられる。段ボールというのはこの部屋の風景に似つかわしくなく角に寄せられた大きなあれの事だろう。
そして見られたくない所というのはクローゼットの事に違いない。下着を見るな、という事だ。友達に危機が迫っているのにそんな呑気な下心を出してたまるか。
段ボールを覗くと、目隠しをした少女が体育座りのまま泣いていた。
「ひ、姫?」
咄嗟にそんな言葉を口に出してしまったのは、川箕を襲撃した人間が甲冑騎士だったからだ。体格が違うので同一人物ではないとして……甲冑騎士は複数人で姫を探している事になる。
逃げるように川箕の下へ戻ると、彼女は俺の驚いた顔を見て力なく笑っていた。
「見たん、だ」
「あれがマーケットからの贈り物か?」
「そ、そう。その直後に、襲われたの。あの子が原因……だよね」




