死生交観
そういえばいつぞやデートした時は俺が本をおススメしたし、そのお返しみたいな発案なのかなとか。考えないわけではなかったが目の前の光景が衝撃的すぎてどうにもならなかった。全て、吹き飛ばされた。
甲冑が。あの西洋のドラマとかファンタジーでしか見ないような甲冑姿の人間が漫画を立ち読み? 現実味がない。死体とか人間災害とか、そんな物より遥かに空想的で……夢のない、現実。
「…………」
どういう感情で見つめているのか自分でもはっきりしない。嬉しいでも悲しいでもなく、それ以外の感情でもない。強いて一つ挙げるとするなら困惑だ。この状況の是非はさておき、至極真っ当な疑問が一つ。
―――騎士がどうしてここに?
ここは甲冑を着た人間が訪れるような場所ではない。かばね町は無法の自由を約束されているかもしれないが、それにしたって……
「あのー」
「……む?」
甲冑が立ち読みをやめ、こちらに振り向いた。それはもう、これ以上ないくらい関節をギチギチ言わせながら。これで振り返っていなかったら何が振り返っているんだというくらい。
「な、何故に立ち読みを……」
「おっと! これは失敬した! いやあ何、重大な職務の真っ只中、こっそり息抜きをと思ってみれば夢中になっていたな! これは失礼、この本を買いたいなら私は邪魔者だな」
「いや買いはしないんですけど、絶対読みにくいですよね。ページ捲る時今にも破きそうだったし」
「仕方がない、このような恰好だからな。いやはや、一般人に迷惑はかけるなと口酸っぱく言われていたがこれでは指示を守れない形となってしまうなあ。そうだ、貴殿は話が通じそうだから一つ聞かせてもらおう。姫が何処に居るかを存じ上げないものか」
「ひ、姫?」
姫と言えば聞き覚えがある。KIDがレインの事をそう呼んでいたからだ。だがあれは本当にこの騎士が守るような生粋の姫だったか? どちらかというとその見た目はマミーとかミイラとかの類であり、そう悪い人物ではなかったけど間違ってもプリンセスではない。
「姫っていうのは、どういう特徴があるんですか? やっぱりティアラとか被ってる?」
「よくぞ聞いてくれた……が、その容姿については教えられないのだ。何せ俺達も……おっと、ただ一つ特徴があるとすれば姫と呼べば反応するという事だ。そのような人間はいなかったか?」
ますますレインさんしか思い当たらないが、しかしKIDだけがそう呼んでいたし、その呼び方をあの人は訂正させていた。あの時はその呼ばれ方は幾らなんでも恥ずかしいからだと思って流していたが―――もし例えばあれが、本当に不味い呼び方だとしたら?
俺がジュードという呼ばれ方なのは『夏目十朗』という名前が指名手配を受けているからだ。それで仕方なく響きが似ている名前になった。レインさんも同じような都合の可能性…………
ないな。
辻褄を合わせようと思えば合わせられるが、葬儀屋でプリンセスが何をしているのか、という疑問にぶちあたる。KIDの人となりは分からないが、姫と呼ばれるような出自の人間をあんな風に雇うとは考えにくい。
「いやあ、知らないですよ」
「そうかあ。まあそんなすぐに見つかったら俺達がここに駆り出されている筈ないものな、うむうむ、よく分かった。あまりサボっていると今度は貴殿ではなく他の者に見つかるだろうからな、私はそろそろ退散させていただく。ではな!」
―――レインさん、大丈夫かなあ。
姫とかいう呼ばれ方のせいで厄介に巻き込まれる気がしないでもない。だがそれを知っていた所で俺にはどうしようもないし、これを教えたとしてもKID次第になる。気の毒に。
すれ違いざま、騎士は足を止めて兜を僅かに動かした。
「…………貴殿はこの町に居るのにドブの臭いがしないな。不思議だ。まるでエベレストの頂にいるかのような空気すら感じるぞ」
「え?」
「綺麗なまま生きてくれ、というのは傲慢なのだろうな。ああもったいない。ではな!」
甲冑が現れた通路は騒然となっている。当然だろうが、騎士は動じる事なく何処かへと向かって行った。俺から山の空気を感じるって何だろう。いつから山育ちになったんだ。
っと、本を選ばないといけない。
前回はファンタジーを勧めた。あの本は結局読んでくれたのだろうか。いや、透子なら多分読んでいる最中だ。おススメしといて催促なんてあまり相手を配慮した行動とは言えない。感想を無理やり求めるのは違うだろう。『俺はお前が気に入ってくれると思ったからすすめたのに』なんてそれこそ自分勝手じゃないか。
「うーん…………」
真面目に考えているようで、あの騎士の事が頭から離れない。本屋に立ち寄っただけなのに甲冑に会うなんて想定外も甚だしい。姫なんて俺は知らないけど、イメージを塗り替えるには十分すぎた。
―――プリンセス、かあ。
透子は恋愛物が好きだと言っていたっけ。だったらそういう要素もある方が嬉しいか…………いや、でもこの話のキモは自分が買いたくて買った物を敢えて交換する所にあるし。やっぱり俺の好きな物を……
いや……いや……いや……。
「遅かったわね。あまり深く考えないでいいのに」
「人に本を勧めるのとは少し訳が違うから、ちょっとさ……遅れた。ごめん」
「ううん。待つのも楽しかったわよ。そういえば君、甲冑の人と出会ったりした?」
「お前も出会ったのか?」
「ええ。出会ったというか、私の場合は遠目に見ただけなんだけどね」
本の購入を済ませつつ通路に戻る。甲冑騎士の登場にざわついていた通路もいつもの喧騒に戻っていた。あの人は何処へ行ったのだろう。
「姫を探してるって言ってたよ。お姫様がこの町に居たらクソ目立つと思うんだけど、何処に居るんだか。案外手遅れだったりするのかな」
「……そこまで本当に身分が高いならむしろ傷物にはされないと思うわよ。まあ、大きな組織に捕まってた場合だけどね。その場合は身代金とかを強請った方が儲けられるし。女性に身体を売らせるしか思いつかないような雑魚に捕まってたらご愁傷様ね」
見た事も聞いた事もない人の安否なんて気に病んだところでだが、どうか無事にこの町から脱出してほしいとは思う。ここは大層碌でもない場所だから。
「……あー。そうだ。化粧品でも買いに行くか? 思ったけど透子って、あんまりそういう事してない、よな?」
「川箕さんもしてないと思うけど」
「……興味ないのか?」
女性は等しく化粧に興味があるなんて男の偏見だったのかとも思ったが、透子は食い気味に頭を振って、小さく息を吐いた。
「興味はあるわよ。けど……この町に居るとどうしてもおめかしする人はそういうお店の人っていうか……変な人を寄せ付けるからやらない方が良いって言うか。川箕さんは多分そんな理由だと思うわよ」
「アイツはどっちかっていうと機械修理とかで汚れるから気にしないんじゃないかなって思うけど……」
「後は―――例えばの話だけど返り血とか土埃とか頻繁に浴びてると、お化粧なんてどうでも良くなるわよね。私が浴びてるとかじゃなくてね? そういう可能性も考慮して、しないってだけ」
浴びてるんだ…………。
自分の正体を隠しながら事情を説明しようとする姿勢は透子の誠実性の限界を感じる。上手く説明しようとすると絶対に正体に触れないといけないからこういう説明をするしかないのだろう。
「……でもここは平和だし、見るくらいはいいかもね」
「欲しいのあったら買うからな。そういうデートだし、透子って元々綺麗だから絶対可愛くなるよ! 俺が化粧出来る訳じゃないけどさっ」
「……そう?」
「ああ。ここは安全なんだろ? 実用的な物の購入とか一旦置いといて、自分の為の買い物をしてくれよな」
透子は災害である前に人間で、女の子だ。お洒落に興味があるのなら背中を押してやりたい。自分は人間災害だから必要ないなんて腐らせず、思う存分に楽しんでもらいたい。
『君の人生に幸あらん事を。出来ればトーコも一緒に、未来を楽しんでくれ』
アレが誰だったかは分からないが、その意見には賛成だ。彼女には、自分の人生を楽しんでほしい。自然現象のように振舞うなんて、味気ない。




