悪魔の証明
必ず、自信をもって呪いがないとは言い切れない。そもそもないと言い切るのは不可能に近いからだ。本当に言い切ろうとするならもっと長期的且つ様々なアプローチから切り込まないといけない。
だがこの場においては呪いの真偽は問題じゃない。呪いが本当にあったとしても、ここで起きた事が嘘だったらそれで充分だ。俺は嘘だと思ったからちゃんと意見した。
「どうやら、服従の烙印は不要らしいな」
「てめえ、誰だ? 何を根拠にそんな事言ってやがる。今のを見てケチつけるってんならタダじゃ置かねえぞ!」
「おいおい、随分余裕がない態度だな。私達は全員包囲されているのに、どうして少しの発言も聞いてやらないんだ? 戯言だと思うなら聞いてみて流せばいいだけだ。違うのか?」
あらゆる角度から様々な凶器を向けられた時は生きた心地がしなかったが、横に居る人がすこぶる機嫌がいいお陰で助かった。戯言だという前提で話させてくれるなら、それが一番だ。どう受け取るかはその人次第な訳だし。
「俺……は。こ、この人に買われる前は学校に通ってて、その一環でお化けの噂を調査しようって事になったんだ。お化けの噂の主役は花弁スタジオで、そこは龍仁一家のシマにある映像制作スタジオだった」
「おう。だがウチのシマにあるだけだ。大した関係性はねえ」
「本当にそうか? 俺の聞いた噂は、アンタ達が何か依頼をした日から次々スタジオの人間が死んでるって話だった。幾ら関係がなくても自分の管理してる場所で事件が起きてたのに、知らんぷりなんてしていいのか? アンタ達が依頼をした後から起きた事件なんだぞ。本当に無関係でも、面子はどうなるんだよ」
「……おいガキ、軽々しく面子なんて言葉を使うモンじゃねえやな。おめェさんに一体何が分かる。何処の組織もまとめた事がねえ半端なガキが舐めた事言ってんじゃねえぞ!」
「そのガキの戯言という話だったのに、何故そこまで噛みつくんだ? 代行さん、子供に言われるのがそんなに嫌なら私が言ってやろう。ジュードの発言通りなら面子は丸潰れだ。自分のケツモチすら碌に管理出来ない組織が我々に服従を誓えなどと片腹痛い事を言うな! ―――続けていいぞ」
やっぱり本場の人の脅しは怖くてどうしても発言を自分から遮ってしまう。俺は情けない男だ。何処かに格好つけたい人が居ないと多少の無理すら出来ないで縮こまってしまう。こんな殺伐とした世界に生きるならお世辞にも前向きには捉えられない短所だ。情けない。
「もし事件が起きてるのを知ってて知らんぷりしてるんだとしても、やっぱりおかしい。俺達は最初ネットで調べたんだ。そしたらこの話を広めようとしてるアカウントがあった。単にお化けが出るって言ってるだけのアカウントは止まってたけど、スタジオと一家のやり取りをそれとなく綴ったアカウントが生きてるんだ。勝手な想像になるけど、アンタ達はこの噂に食いついてほしかったんじゃないのか?」
「―――誰にだ?」
「俺はこの町に詳しくない。でも三大組織の一角がわざわざ狙うんだったら同じ立場の奴。マーケットとか」
『鴉』の可能性は残念ながら低い。向こうをターゲットにしているなら今日ここに来ていない時点で成立していない身体。一方でマーケットは、一番最後に来たにも拘らず歓迎され、来た途端にこのやりとりが始まった。
「確かに、私が電話で確認をしたら随分早く話が進んだな。首尾の良すぎたくらいだ」
「どんな風に確認しま――ーたんだ?」
「ブラックマーケットの中は撮影厳禁だと周知しているにも拘らず撮影している事と、後は撮影した人物が最終的に死んでばかりな事だ。あれじゃあうちが殺したくて市場を取り仕切ってるみたいじゃないか。ビジネスの毀損だ、怒って当然の道理ともいう。そうしたら内密に話し合いたい事があると言い出して……今だ」
迎えの用意といい他にも人を呼んでいた事といい、やはり俺の仮説と併せて狙いはマーケット・ヘルメス。その支部長であるこの人という事になる。そう考えれば辻褄が合った。
「物を知らねえボンクラ共を狙ったって線は考えねえのか? お?」
「その物を知らないボンクラって、元々俺の立場だからな。ただの学生だった。俺達を食いつかせたいならもっと早く釣竿を引っ張り上げたんじゃないのか?」
狙っていたのが一般人ではなく透子だったとしたら狙う理由自体は成立するが、『人間災害には手を出すな』という暗黙の了解に抵触する。マナーじゃあるまいし破ってどうこうなるルールでもないが、しかしそんな我先にと手を出すような計画ならここで頭数を揃えようとした直前の行動が矛盾する。
一家は顔を顰めたまま俺を睨みつけている。包囲網を造る殆どの人間が俺に殺意を向けており、返答を間違えればいますぐなます切りにされそうな勢いだ。足とか手とか口とか、一々場所を特定するのも馬鹿らしいくらい震えが止まらないが、これもやっぱりコートの内側からそれとなく背中を擦ってくれる人が居るからまだ踏み止まれている。この人は、俺に、もっと喧嘩を売ってほしいようだ。
「―――何より致命的なのは死に方だ。血を吹いて倒れたな。俺達が調べようとした発端は花弁スタジオ近くに居るお化けの噂だったから、その流れでお化けが出るとか来るとか錯乱して絶対に翌日死ぬ人間の死体を調べたんだ。そうしたら死因が分からなかった」
「何処で死体を見たのか知らねえが、そりゃてめえがずぶの素人だからだろうが! 病院に回せゃ死因くらいハッキリする!」
「ちゃんと体を解剖してまで調べたんだ。それでも分からなかった。喀血だったら 肺? 気管? かどっかが壊れないといけない。アンタの言う通り俺も診た人も医者じゃないけどぱっと見で分かる死因だ。使われた手段は問題じゃない、ナイフで刺しても日本刀で刺しても刺殺は刺殺だ。最後さえ分かればいいのに、俺が見た死体はどう死んだかさえ不明だった」
一旦、次に言うべき言葉を整える。大事なのは焦らない事。そして、吐いた唾は呑み込まない事。
「呪い自体の真偽は俺には分からない。けど、ここで全員に見せた映像に呪いなんかないって事はそれなりに自信をもって言ってる。だから皆、従う必要なんかないって事だ」
謎は残っている。花弁スタジオの依頼にやや被るような形でスタジオに仕事を依頼した人物の正体とか、呪いのビデオとされている撮影ビデオの所在とか、呪いじゃないとすれば誰かが殺した事になるが、それは何の為、とか。
だけど今は、気にしなくていい。一家が反論でその件を持ち出さなかったという事は今回の事とは無関係―――少なくとも一家とは本当に関与がない事なのだ。今、俺に求められているのは映像が嘘である事を納得させる事。
「―――戯言にしちゃ耳障りだな。証拠揃えて真実見たりと、探偵気分は気持ちいいかぁ? ガキがよぉ、ヤクザ舐めちゃいかんよなあ。んなのは全部憶測とてめえの都合の良いもしもだろうが!」
「……じゃあそこで映像を見て死んだっていう遺体、病院で診てもらおう。それでハッキリする」
「上等だコラ。こっちゃこの作戦に命張ってんだよ。人間災害を殺せるかもしれねえ話にイチャモンつけられて黙っていられる訳ねえだろ!」
……あれ。
思っていた方向に話が転ばなかった。騙す為の嘘にしては苦しいと思っていたが、もしかして一家は本当にこの映像を―――呪いの映像だと? だがそれだと……俺の仮定では、マーケットをつり出すような噂を流した意味が分からなくなる。
また考えを整理したくなったが最早そんな時間はなかった。完全に頭に血が上った様子の一家はスーツの下からドスを抜いて俺に飛びかかってくる。直線的な動き、けど避けられない。そういう風に体は動けないから。
「―――茶番は終わりだな」
「総員、撃滅せよ」
ผีさんがコートの襟口にそう呟いた瞬間、会合所の天井が爆破される。
「なんだ!?」
龍仁一家の極道全てが気を取られた正にその瞬間、マーケットのついでに誘い出された他の人間達も行動を開始。それぞれ持っていた得物を抜いて突破口を造り始めた。
破壊された天井からはロープが下りて、殆ど自由落下の勢いでマーケットの兵士達が雪崩れ込んでくる。
「わ、わ、わ…………」
逃げ遅れてはいけないと席を立とうとすると、ผีさんに背中を引っ掴まれてまた隣に戻されてしまう。これで完全に逃げ遅れた。
「手本を見せてやろうじゃないか」
「え、え……」
何をするかと思えば、コートの下から俺の肩に手を回し、抱きしめてきた。そこから更にコート自体も引っ張って、まるで服の中に俺を隠すように。
「今、動けば流れ弾に当たるぞ。堂々としていろ」
「逃げなきゃもっと手遅れですよ!」
「手遅れなものか。見ろ、最初に不意を突かれて向こうの指揮はガタガタだ。そこで転がってるボンクラが最初に死んだからだな。あれでも組長代行、指揮系統の停止は兵士を烏合の衆に変えてしまう」
ผีさんの発言通り、極道達は直前までの殺気を鈍らせ突破口を封じ込める事も満足に行えていなかった。それどころかマーケットの兵士に追い立てられて逃げる始末。
「これ、龍仁一家はもうお終い……ですか?」
「まだ本物の頭は生きている。所詮は代行、元々は組を一つ任されていた程度の……重役だが、痛手ではなさそうだ。そして本物はもうとっくに逃げているだろう、あのタヌキジジイめ。逃げ足だけは若々しい奴だ」
コートの中に隠される事ニ十分と少し。会合所の中が静かになり、やがて車に乗っていた時からずっと同伴していた部下の人が手に小銃を携えながらやってきた。
「報告。一切撃滅完了いたしました。ここには最早誰も居ません。客人として招かれた方々は各々の手段で逃走済みです」
「そうかよくやった。焼き払うぞ」
「え?」
スピード感のある判断についていけない。だがようやく俺も、コートの下から解放された。
「ジュード、よくやってくれたな。噂の真実を解き明かした事は素直に賞賛に値する」
「そこまで明かしてないと思いますけど。分からない所も沢山あるし」
「だがウチを狙っていた事は間違いない。少なくとも呪いが本当ならこの時点で私は殺されていたかもしれない。いつ死んでもいいとは思っているが、同時に泥水啜ってでも生き永らえて復讐しようとするのが兵士の性だ。だから……要求を呑んでいたかもな。そうならなかったのはお前のお陰だ。ありがとう」
「お礼を言われる程の事じゃ……貴方は透子を隙あらば殺そうとしてる人だ。完全な味方じゃない」
「味方でないならお礼を言わなくてもいいなど畜生の考える事だ。お前の言う通りだが今は敵でもない。約束通り、後日お前の所に玩具を送ろう。くれぐれも丁重に扱って、更に壊す事のないようにな」
さあ、帰ろうかと立ち上がったผีさんに手を差し伸べられる。この人は紛れもない悪党だ。川箕や透子とは比べるべくもない純粋な悪。俺の事も透子の警戒心を下げる為の道具くらいにしか思っていなさそうな外道。しかし何故だろう。
道理を弁えているからだろうか、相容れないと分かっているのにその手を拒絶しきれない自分が居た。
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「これ、どう考えてもスクープですよね! 苦労して撮影したんですよこれ! 絶対にテレビで扱うべきです!」
高校生が息も絶え絶えに持ち込んできた映像は、軽々しく人権を蹂躙される悍ましさに満ちたものだった。平和な世の中には到底似つかわしくない。先進国には到底あってはならない。
「しかしねえ…………こういうのは向こうさんにも関わってくるから」
「利益相反って事はこのテレビ局はかばね町の犯罪者と繋がりがあるんで! じゃあ告発しますね!」
「あ~うん。好きにしたらいいんじゃないの? どうせ何処の警察も受け取っちゃくれないよ」
人が変わったように、高校生は低い声で怒鳴った。
「………………何でだよ。何でだよ! こっちは家族に託されてんすよ! あの町の真実暴いて正義やりましょうよ! テレビ、爆伸びっすよ!」
「あー、真司君? って言ったっけ? ただ悪いだけの町ならあそこまで生き残ってる筈がないんだ。我々も知らないけど、とにかく触れちゃ駄目なのあそこは。何が目的か知んないけどさ。向こうの人って外に出てこない訳じゃないから早めに映像は処分しときなよ?」
「親友が……閉じ込められてんだよ」
「はあ」
「親友助ける為にはあの町を壊さなきゃいけないんだよ! 俺は、アイツを助けなきゃいけないんだ!」




