亡骸は眠らない
人生で日傘を差した経験はない。日光を軽減する理由が俺にはなかったからだ。朝日は確かに眩しいが、眩しい物は眩しいと受け入れる。お肌のケアがどうとかいう年齢でもないし、何より格好良くなかった。俺も子供の頃は傘を剣に見立てて振り回していたような人間だ。傘にはどちらかというと好印象だが、雨の日に『濡れるのが嫌で』差す傘と、晴れの日に『眩しいのが嫌で』差す傘は周囲の目が随分違う。
「……意外と涼しいかも」
「日陰に居るみたいでしょ?」
「炎天下にどうにかして木陰に入ろうと努力してた記憶が蘇ってきた。や、たまにお前の差してる傘には入れてもらってたけど……」
日傘を差すと当然目立つが、差した人間を夏目十朗だと考える人間は一人も居なかった。それはあまりに目立つ特徴で、報道されていなければ逆におかしいからだ。隠れようとする気がない姿勢がかえって隠密になっているのかもしれない。歩き始めは気になったが、途中から俺も視線を気にしないように努めた。それよりも日傘は合法的に透子と近い距離を保ったまま話せる事が嬉しい。普段この距離で話そうとしたらきっとあらぬ誤解を受けるだろうから。
「死体が特産品とかいう寝言は置いといて、火葬場ってそんな儲かる商売なのか?」
「一般的に死体はルールに則って処分しないと死体遺棄に問われるという話もあるけど、そういえばこの町では関係ない話だったわね。じゃあこういう言い方をしたら分かるんじゃない? 死体を集められる場所って」
「あー……臓器提供か」
「それだけじゃないわ。火葬場がグルなら特定の人間を死んだ事に出来るし、逆にその人物に成り代わる事も出来る。まあこれは、あまり顔を出さないような人間に限られるけど。火葬場は言うなれば宝物庫よ。開けたら宝石が湧いて出るタイプの」
「透子ちゃんは物騒な事ばっかり言うけど、単に値段釣りあげ放題ってのも可能だからね。死体を一々処分する人はこんな町に居ないと思うけど、理由があって跡形もなく消したいって人なんかはどれだけ高くても利用するよ」
「それは普通に自分で焼けばよくないか? 落ち葉とか集めて?」
「火力が足りないでしょっ。ジュード、この世界に存在する火の温度は全て一定だと思ってんの? 化学っていうか理科から勉強し直した方が良いよ」
あ、言えた! と川箕は一人で勝手に喜んでいる。言われた俺の方はまだしっくり来ていない。慣れるかもなんて甘い見立てだった。もっと呼んでもらわないと。
「宝物庫って言うけど、三大組織は手を出したりしないのか? それとももう落ちてる?」
「そこは持ちつ持たれつ、先に手に入れた方の交渉の見せどころよ。いい落としどころが見つかってるなら手は出さないでしょうね。何処かに所属すると、それはそれで敵対関係が明白で狙われる可能性も高いから」
いつも透子からこの町の事情を聞いているが、そんな彼女も細かい状況までは把握していないようだ。代わりに知っている事を聞いてみると、この町に大量の民間人が流入したせいで彼らが餌にされている事だと言う。それはさっきも聞いた話だが、そのせいで火葬場はパンク状態にあるという。処分に追われているというよりは、死体の価値の取引がせわしなく行われているという意味の筈だ。
「そんな所に行ってよく話を聞けたな」
「パンクしてるっていうのは外から見た話。窓口が一つしかないせいで起きる不可抗力に一々まともな対応をする人間はいないわ」
そうしてやってきたのは古めかしい外観の斎場……ではなく、そこから少し横にある廃工場のような建物だった。下から見上げる限りあらゆる箇所が錆び付いており、その上からツタがもじゃもじゃに生えて絡みついている。
スライドも錆びて動かしにくそうな扉を透子が軽く押して開ける。暗闇に向かって暫く進んでいると、真っ暗闇の中で煙草の火がぼんやりと浮かび上がった。
「客か? 悪いな、対応ならこっちの建物じゃなく……」
「ここの建物を知ってるのは関係者だけでしょ。そんな芝居はいいから」
「…………ふむ。何だお前か。なら止めだ。ゼイル、姫。武器を下ろせ」
ガシャ。
キンッ。
背後から二つの音がして慌てて川箕と振り返ると、壁に座り込む二人の男女が武器をその場に放り捨てた。
―――い、いつ来たんだ?
全く気付かなかった。窓が全て封鎖されていて光源を失っているから? それにしたって音も聞こえなかったけど。
「…………祀火が、人を連れてる」
座っている時から随分と座高の高い人間だと思っていたが、男の方は立ち上がると殆ど巨人、二メートルを超える化け物染みた(助詞に違和感)圧倒される。のそのそと近づいてきて何をするかと思えば、俺と川箕に握手を求めてきた。手入れされずのばしっぱなしになった紙の毛が両目を隠しているせいでいまいち意図を掴みかねる。
「あ、握手したいのか?」
「駄目。握手しないで二人共。そいつは骨が砕ける音が何より好きな変わり者だから、触った場所は使い物にならなくなるわよ」
「ひっ―――!」
「…………」
俺達が身を引こうとした直後、二人まとめて抱えようと巨人が前のめりに突っ込んできた。間に割って入ったのは透子だ。彼の両手を握りしめ、ニコニコと冷たい笑みを浮かべた。
「そんなに握手したいなら私と握手しましょうか」
「と、透子!」
「大丈夫。私には何も出来ない意気地なしよ。自分が勝って気持ちよくなりたいだけの、見た目に反した器の小さな人」
巨人の両腕が震えているのは力を込めているからではないのか? 透子の方はというと特に変化がない。それきり興味を失って煙草を吸う男に視線を向けている。
「かちこみに来た訳じゃないんだけど、どうしてこんな敵対的なのかしら」
「いや、何。この木偶の坊だけだ。おいやめろ。俺は庇わねえぞ」
「俺は…………器の小さな男じゃ、ない」
「気にする所がタマの小せえ男だってんだろうが。威圧感があるのは良い事だがやめとけ。それ以上はクビにすっぞ」
そこまで言われてようやく巨人が透子から手を離した。同時に彼女は解放された左手で軽くデコピンを巨人の額に。
―――え? どうやって?
透子の身長じゃ背伸びしたって届くかどうかというくらいだ。だが現にデコピンはしたし、打たれた巨人は仰け反って額を手で抑えている。
「新人を雇う目が鈍ったわね。トラブルなんか起こしちゃって」
「姫の方は大人しいんだがな。大人しすぎてそれはそれで鉄火場になるまで誰も恐れやしねえんだ」
焦げ付いたフードを被り、コートを羽織り、その下まで無数の布切れでぐるぐる巻きになって左目以外の殆ど全てが隠された少女は人形のように足を伸ばして座ったまま動かない―――少女かどうかは分からない。骨格がそれっぽいのと、コートの下に履いたミニスカートから判断しただけだ。
姫というか、マミーの方が近い。
「それで、何の用だ? 死体を処分してほしいとかいうんじゃねえぞ。こっちは勝手にキレ散らかしてる奴等の怒号を肴にボトルかっくらうので忙しいんだ。夜までは再開する気にもなりゃしねえ」
「この前情報提供してくれたでしょ。詳しい話をもう一度聞きたくて。そっちの二人は修理屋の友人よ。成り行きであの噂を追う事になったから連れてきたの」
「か、カワミですっ」
「ジュードだ…………そういう、アンタは?」
実を言えばずっと煙草の火しか見えていない。それを見透かしたのだろうか、男はわざわざ入り口の方に行って自らの姿を明らかにした。
「俺ぁKIDだ。名前はそれで充分だろ。そっちはさっきも言った通りゼイルと姫」
「レイン」
「あー、レインらしい。好きな方でいいが」
ロングヘアを束ねたワイシャツ姿はこんな見すぼらしい廃工場には到底似つかわしくない。ゼイルと言いレインと言い亡者その1とその2みたいな出で立ちなのにどうして彼だけが清潔感のある恰好をしているのだろう。髭まできちんと整えて、およそこんな町で出会うべき人間ではないと感じた。
青く澄んだ碧眼が、値踏みするように俺を見つめる。
「…………情報ってのはあれだな。お化けが出たって話を広めようとした奴が死んだっつう。少なくともここに来た奴らは全員似たような事を言って翌日死体として再会する。うちが知ってんのはそれだけだ」
「翌日? 猶予は一日なんですか?」
「そうだ。良く分からねえがうちの斎場を訪れたと思いきや死体を焼けと言い出しやがる。アンタらにゃ分からねえかもだが、焼けと言われてはいそうですかって用意出来るような仕事でもねえんだ。それで断ってみりゃ幽霊が俺を見てるだの殺そうとしてるだの、死体を焼けば助かるんだって言いながら出てくんだよ。後は下らねえ話さ、適当にほっつき歩いてりゃその内そいつがどっかでおっ死んでる。変な話だろ?」
恨みの線は考えにくいかもしれない。特定の条件に沿って殺害されている? お化けの話が嘘にしろ本当にしろ、死ぬまでの過程に再現性が生まれているのなら単なるこの町の悲劇と片付けるのは難しそうだ。
KIDは肩をすくめて馬鹿にしたように大声を上げた。
「なんだ? こんな話を聞きたくて顔を出しやがったのか?」
「そのつもりだったけど……情報提供のお礼もしたくてね。丁度この建物、電気が壊れているみたいじゃない。川箕さん、直してあげて」
「え? 工具セットなんて持ってきてないけど……」
「私が持ってるから」
透子はお腹の下に手を潜り込ませると、赤い工具箱を取り出して川箕に向かって放り投げる。
「ちょ、危ないなっ! 電気を直せばいいの?」
「俺も手伝った方が良いよな」
「…………姫。二階に案内してやれ」
彼女の所で働いているお陰で修理屋という身分を得られたのは予期せぬ幸運だ。或いは透子はこうなる事を見越して働かせたかったのかもしれない。川箕が個人で働く以上、これなら夏目十朗ではなくジュードという人間として認識されるだろう。
バタンっ!
「あーあ言わんこっちゃねえ。こりゃもう駄目だな。手遅れだ」
「今度から私の友達に手を出す愚か者なんて雇うべきじゃないわよ」
「そうするよ」
アイツ、デコピンで倒れたのか…………




