無法の法の最後の楽園
車がかばね町に入って随分時間が経った。命からがら逃げだした事で暫く高揚感は続いていたが、何事にも限界はある。今はただ、静かなドライブの最中だ。
「免許持ってるのか?」
「持ってるように見える?私だってしたくないけど、走って逃げるのも無理でしょ」
「念の為に配達してもらったのよ。今はそれを返しに行く所ね」
「返すって……ああ」
車の行き先が分かった。立体駐車場の横に建てられた倉庫。車を入れると、中から葦毛の女の子がパタパタ走ってやってくる。
「お疲れ様なの!」
なの子。本名不明。ただ喋るときにやたらと「なの」と言うだけでそう呼ばれている。定着している時点で透子に限らず全員がそう呼んでいるのだろう。本人もそれで反応するくらいだ。
「なの子ちゃん、久しぶりっ! 車ありがとね!」
「燕お姉ちゃんが利用するのは三年ぶりくらいなの! ご利用ありがとうございましたなの!」
川箕がなの子の頭を撫でている内に俺も透子も車を降りて忘れ物を確認する。と言っても兄ちゃんがくれたバッグくらいしか持っていないから忘れようがないんだけど。
「まさかこんな形で俺も利用する事になるとはな」
「危ない場所から借りるよりはずっと安全よ。ああ、料金の支払いはもう済ませてあるから安心して。私達は帰るだけだから」
「お兄ちゃんまたここに来たの! また何か調べてるの?」
「なの子ちゃん、夏目君は今日からこの町で暮らす事に決めたのよ」
「まあ、色々あったんだけど、そういう事かな。どうなるかさっぱりだけどもしかしたら仕事を頼むかもしれないし、その時はよろしく」
「なの! お兄ちゃんも訳ありなの! お父ちゃんにも言っておくの!」
相変わらず元気いっぱいだ。見た目がどうあれ町の中での暮らしで言えば俺より先輩なのだし、その前向きさは見倣っていくべきかもしれない。車についてはわざわざ俺達が運転して元の場所に返す必要などないらしく、後でなの子が運転するらしい……運転? その身体で?
「車が無事に返ってきて嬉しいの! 最近は車すら返ってこなくてお父ちゃん怒ってたから、これだけでお祝いなの!」
「ん? この町って借りパクが常なのか?」
「なの子ちゃんのお父さん凄い怖いから、借りパクなんてよっぽどの事情がなかったらしないでしょ。幾らこの町で成り上がった偉い人でも、その辺りの義理は通していかないと人望がなくなるっていうかさ」
車を貸すだけ、という言い方もおかしいが、働いている以上は年齢など関係なくトラブルに見舞われる……か。やはり無法の町だからと良い事づくめではない。自由であればあるほどに相応の責任が求められる。
―――別に、干渉されないならそれでいいんだ。
確かに俺は子供かもしれないけど、これ以上自分の人生を邪魔されるのは嫌だ。だったら自分の選択は自分でする。たとえそれで後悔するとしても、邪魔されて後悔しないよりはいい。この町に行くべきじゃなかったなんて、言いたくないから。
「用件は済んだし、帰りましょうか」
「もういいのか? 一応引っ越したんだから挨拶まわり的なのは」
「夏目君、引っ越したって言っても君の住所が正式な手続きを経て移動した訳じゃないの。誰が何処に来たなんて大抵、どうでもいい。明日になったら死んでるかもしれないし」
「元々住んでた人は別だよ。ただ、私もそうだけど役所に記載されてる住所にはもう住んでない人ばかりだと思う。マーケットとずぶずぶだからさ、正直に本名名乗ってそこに居着くだけ損なのよ。夏目がこの町の人をどれだけ知ってるかは分からないけど、偽名ばっかりだよ」
「じゃあもしかして、川箕も?」
「さあねっ。でも大事なのは、名前が本当かどうかなんてどうでもいいって事。なの子ちゃんはなの子って名前じゃないけどやっていけてるでしょ。生きる上で大切じゃないなら、偽名はやるだけお得だったりね!」
透子の方をそれとなく見ると、彼女は意図を察したように小声で呟いた。
「私は本名よ。偽名にする理由なんかないし。ただ、本名を名乗れるのは偽名が蔓延ってるからこそ、でもあるから。信じるかどうかは好きにして」
「判別が出来ないし、判別すらどうでもいいからか。成程な…………」
無法の町の住人としてはまだまだ新米もいい所だ。俺の中にはまだ法律で固められた常識が残っている。いつかこの常識を忘れられる日は来るのだろうか。その日が来たらもっと……透子の事を知れるのだろうか。
三人で歩いている内にあの場所まで戻ってきた。花弁スタジオの手前である。あんな事があった直後だが、本来部活をする予定だった。ここに来たのは予定調和だ。
「さて、部長さん? 今日はどうする?」
「……確か昨日はお化けが本当にお化けなのかっていう点でただただ監視してたよな。うーん」
「一応情報について整理しとく? 花弁スタジオは龍仁一家のシマにある会社の一つで、人が死ぬまでの流れをドキュメント化して密着取材する危ない仕事をしてる。その密着取材の結果殺されちゃった会社の人がお化けとして夜な夜な歩いてるってのが今回の噂だよ!」
「で、その事を話してるアカウントがまだ動いてるから、俺達は無関係だけど誰かをおびき寄せる為の罠かもしれないなって話だったな。詮索が嫌われるって話なら悪戯に聞いて回るのも良くないんだろうし」
情報は足で稼ぎたいのにその稼ぐ行為にリスクがある。特に俺はこの町では新顔同然で、外様の人間だと思われても仕方がない。どうする方が良いだろう。
「なあ、二人に聞きたいんだけどこの町にハロワ的な場所はないのか?」
「ハロワ的なのって、ハローワークでしょ。もうそれは」
「じゃなくて、危ない仕事の仲介場所だよ。幾ら掌握されててもハローワークを仲介してるとは思えないな。思ったんだけど、花弁スタジオのやり方ってつけ回される人にお金持って頼んでるとは思えないんだよな。闇バイトじゃないけど、一見何でもない仕事を任せてるように見せて勝手に撮影してるんだと思う。まあこれも憶測にすぎないから……透子。違法ビデオを売ってる場所に心当たりは?」
「勿論あるわよ。花弁スタジオ製のモノを持ってくればいいのね」
「じゃあ、それを持ってきてくれ。えっと、プレーヤーは……」
「ネカフェにでも行けば貸してくれるよっ。それじゃ、私の方は闇のハロワ探しって訳か」
「知ってるのか?」
「勿論!」
頼もしい発言を受けて、方針は一度決まった。ビデオ屋は距離が遠いらしいので一時間後にネットカフェ前に集合する約束を交わし、俺達は改めて活動を開始した。
「何で透子ちゃんに頼んだの?」
歩きながら、にわかに川箕が顔を向けた。
「何でって……」
「夏目、暇さえあれば透子ちゃんと一緒にいるじゃん」
「ご、誤解を招くような事言うなよ! 学校での恋人扱いは……華弥子への復讐のつもりだったんだ。お前と知り合う前になんかジャンク屋みたいな場所に行った事があってさ。マーケットの幹部も来るような場所。一般人でも知ってるような場所なんだろうけど、でも俺には精通してるように見えたから」
「え、私は知らないよ? でもそっか。そういうきっかけがあったら頼るのも納得! 部長としていい判断だよっ。私も丁度その場所を知ってるし。何でかは分かるよね?」
「…………お前の仕事に違法性はないって聞いたけど」
「それは夏目に任せる仕事だけね。私は……ちゃんとこの町に従わないといけない。あ、気を遣ってるんじゃないよっ、ただ難しい仕事になるから新人には任せられないってだけ! 夏目が外に居るままだったら……絶対に任せるなって透子ちゃんには言われてたんだけどね」
「透子が?」
…………やっぱり、優しいんだな。
俺と関わるのは別として、俺が町に染まるのは避けようとしていたのだろう。失望したという発言にはどれだけの哀しみが含まれていたのだろうか。自分の口から自分が可哀想なんて言いたくはないものの、彼女の目には日常とやらが俺の帰る場所ではなくなっているように見えたのだろう。
「でもこの町で生きるんでしょ? 仕事に慣れたらその内任せるよっ。それが私からの信頼の証っ! えへへ♪」
眩いばかりの笑顔に見惚れていると、目的地に辿り着いた。そこは一見すると単なる集会所に見えるが、絶えず人が出入りし、周辺には刺青の見え隠れする男達がそれとなく動き回っている。
「ここだよっ。まあ見ての通り、ただならぬ感じだけど」
「龍仁一家のシマなんだな」
「シノギは多ければ多いほどいいからね。このハロワ自体も求人を出す側には仲介料、後は来た人に紹介料を取ってるから結構稼げるらしいよ。で、どうする?」
「どうするも何も中に入ってまずは撮影されそうな奴に目星をつけよう。ちょっと怖いけど……入るのは自由なんだろ。なら恐れない。ついてきて、くれ」
「あ………………うん」
出来るだけ視線を動かさないようにしながら中へと入る。出入りに反して一階にはかなり人が残っているようだ。案内板と受付を見る限り、部屋割りで募集される職種が違う。どの職種から目をつけるべきかと言われたらやっぱり―――
「おやあ、珍しい顔がいるじゃないか。私と趣味の合う、ナツメくん?」
警戒をしていたつもりが、あっさりと俺と川箕の肩が抱かれる。肩の間に割り込むように顔を出した人物は、動かない義眼を俺の方に見せつけ、不気味な笑顔を浮かべた。
「こんな所で仕事探しかな? まだ学生だろうに殊勝な心掛けだが、やめた方がいいぞ。うちに来い。仕事を紹介してやろう」
「い、い、いや、俺―――」
「私が来いと言ったんだぞ? レディの誘いは断るものではないな?」




