未必の恋
「テスト、その様子だといい結果を得られたみたいね」
部室でテストの点数を報告すると、二人は自分の事のように喜んでくれた。
「やったじゃんっ、やっぱり夏目はやれば出来るんだよ、良かったね!」
「良かったよホント……テストが無事に終わったのは二人のお陰だ。ありがとう。本当にありがとう!」
「私より川箕さんにお礼を言ったら? 少なくとも学校に関する事は、彼女が頑張った筈よ」
「えへへ~いやー、そんな事もあるけどねー! じゃあ一先ずあれ、やっとく?」
川箕が手を出して俺に同じ姿勢を求める。なんとなく意図を理解して俺も手を上げ―――互いに掌を打った。
「いぇい!」
「い、いぇい!」
「………………仲良しなのはいい事よね。でもあの町は貸し借りに厳しいから、夏目君も彼女に借りを作った事は覚えておくといいわよ」
「借り? 確かにお陰様で助かったから別にいいけど……何かしてほしい事があるのか?」
「あー……そんなつもりじゃなかったけど、なるべくすぐ返させるよっ。今日の夜くらいにさ。うん、何か考えとくね!」
それはそれで無理やり機会を作らせるみたいで申し訳ないが、いつまでも貸し借りがある関係というのも微妙だ。川箕がねちっこくこの事で催促する性格でもないのは分かっているが、それでも何となく距離が開いてしまいそうで。
「透子ちゃんは大丈夫だったの?」
「問題ないわ。一緒に勉強していたお陰でね。だから部活も大丈夫。そういう川箕さんこそ、本当に大丈夫なの?」
「……何かあったのか?」
「…………き、気にしないでよ。夏目には関係ないからさ」
「隠し事はなしにしてほしいな。出来れば…………だけど」
「うー……はぁ。そうだよね。私達仕事仲間だもんね。今日さ、ずっと気を失ってた夏目の傍にずっと居たんだけど。その事で先生に怒られちゃって、さっきまで反省文書かされてたの」
「……」
俺の、せいで?
言葉には出さなかったが顔に出ていたらしい。川箕は慌てて両掌を振って付け足した。
「ああもう、だから違うんだよ! 恨んでるとかじゃないの、夏目の傍に居たのは私の勝手だし、友達の心配して何が悪いの? 私はただ、こんな事聞いたら気に病んじゃうんじゃないかって思って」
何で言うの、と川箕は透子をそれとなく責めたが、人間関係の特殊な彼女にはいまいち矛先を向けられる理由が思いつかないらしい。反省もなければ反論もなく、ただ純粋に首を傾げていた。
「私はただ、あんな事になったら貴方はますます孤立していくんじゃないかと思っただけ。本当にそれでいいの? この部活に居て大丈夫?」
「私が……好きでいるだけだから、別にいいじゃん。じゃあせっかくだからバラすけど、反省文を書かされてた時、クラスの男子にずっと囲まれてたんだよ」
「……お前を責める為か?」
「―――違うよ」
「俺達の奴隷になるなら、またクラスの輪に入れてやってもいい、でしょ?」
多分恐らくきっと、透子は空気が読めないのだろう。川箕の青ざめた様子に気を配る事もなく、彼女は代弁するように続けた。
「奴隷というのは言い換え表現よ。要するに従順な持ち物であれという意味だから好きに置き換えて。私が言いたいのは夏目君と関わってるとずっとあんな風に絡まれて面倒なんじゃないのかって事なんだけど」
「――――――透子ちゃん、よく躊躇いなくそんな言葉言えるよね。でもそんなの今に始まった事じゃないっていうか、その手の話はずっと聞いてきたからもう慣れたよ」
「慣れた? え、なれ……慣れた?」
「動きやすい格好が多いんだよ私。冬でも動きにくいから厚着にはなりたくないんだ。限度はあるけど、動きにくいって事はそれだけ町で危ない事があった時に逃げにくいじゃん?」
かばね町はある程度ルールがあるようで、結局の所初手は自由だ。銃声を聞いた事だって幾度となくある。透子に撃たれたのはエアガンだったらしいが、それでも人様にエアガンをぶっぱなす人間がいる事実は変わらない。
厚着というのが防弾チョッキだったら話は変わるのかもしれないが、普通の服では銃弾を止められまい。
「当時は隠してたから動きやすい服装が好きなだけって理由一つで頑張ったんだけど、その間はずっと男子にじろじろ見られたり陰で色々言われたりしたよ。淫乱とか、俺らを誘ってるとか……って口にさせないでよ! 恥ずかしいんだからっ!」
言いたい事は分からないでもない。褐色肌はなんとなしに活発なイメージがあるし、サラシを外した透子よりは小さいかもしれないがそれでも十分すぎるくらいに彼女の胸は自己主張が激しい。ニュアンスの違いを理解してもらおうとは思わないが、透子は『暴力』で、川箕は『慈愛』だ。
体つきもスリムで、全体を通して彼女は健康的な美しさを纏っている。問題はそれを口に出したり、当人に気づかれるくらい露骨な視線を送る事だ。思想の自由はあるかもしれないが、目は口程に物を言う。そこに無法の自由はない。
「って事はその派生形っていうか、言っちゃあれだけど孤立した事で傷心に付け入る形で言われたのかな」
「でも夏目君が友達になったせいで機会を逸したから反省文の時に狙ったという事でしょうね」
「全部分かってるんじゃんっ! もー、じゃあこのやりとり何っ? 分かってるなら―――」
「だから、確認のつもりで聞いたのよ。誘いは受けないにしても、夏目君と関わってる限りその面倒臭さは一生付き纏ってくる物よ。ずっと孤立したまま、関係も修復出来ず…………元々仲が良かったのなら少なからず辛いでしょう。丁度、夏目君が家族の事で思い悩んでるみたいに」
「…………だ、大丈夫だよ! 大丈夫なんだって! もーこの話は終わり! 早く部活しようよっ!」
無理やり話題を打ち切って、川箕は勢いよくその場に座り込んだ。すっかり顔を赤らめて恥ずかしそうに俯いている。少しでも話題を蒸し返そうとすると『その話は駄目!』と牽制されるくらいには敏感になっていた。
じゃあこの話は、やめるしかない。
「……部活の話をする前に、二人に相談があるんだ。今朝の件について……後で確かめようって話に落ち着いたと思うんだけど、二人は外で待っててほしいんだ。俺が、一人で話をしてくる」
「……どうするの?」
「仲直りするって事? 透子ちゃんが危ないから」
「―――いや、仲直りはもう出来ないと思う。俺が殺されかけるのはいいとして、透子を狙うなんて謝っても許せないよ。ここは町の中じゃない。町を嫌ってるならちゃんとした法律に則るべきだ。殺人未遂が許されるなら俺が町を行き来する事も許すべきだろ。二人はいざという時に俺を誘拐してほしいんだ。今までの様子だと……とにかく俺を町に近づけたくない風に見えるからさ。一人で行ったら向こうが強硬手段に訴える可能性もあるだろ」
「……つまり暴力に訴えてきたら話し合いは強制終了。それまでは見守るって事でいいのね」
「同級生を誘拐なんて気が進まないけど…………でも守る為なんだし、頑張るよ」
家の前に到着すると、自分の家に帰ってきただけなのに嫌な汗を掻くようになった。何が起きるか分からないなんて、自宅で考えたくはなかったな。
「大丈夫?」
日傘の下から外に出て一歩進む。それを答えと受け取って透子はそれ以上何も言わなかった。更にもう一歩進むと、途中で川箕が声をかけてきた。
「待って、夏目」
「……なんだ?」
「手、出して」
「うん?」
言われた通り手を出すと、川箕は指を組んで二人の胸の間でゆっくりと揺らす。とん、とん、とん、と。手の甲を指先がリズムよく叩いて、それが全ての指で行われた。
「…………へへ、おまじないだよっ。頑張ってきて。町の中に行くって事は夏目も犯罪者になるみたいな物だけど、私も誘拐しないとだからさ。二人で犯罪者になろっ」
「……ああ」
おまじないの効果かは分からないが少し緊張がほぐれた。ドアノブを回して玄関を抜けると―――靴の様子から、両親が家にいる事を把握。
――――――兄ちゃんとだけ話したかったけどな。
まだ話の通じる方、という認識はあったけど仕方ない。リビングに顔を出すと、まるで俺の来訪を予期していたかのように三人が椅子に座っていた。残った一つに座ると、およそ団欒とは思えない気まずい空気の完成だ。
「…………」
「…………」
「…………」
誰も何も話さない。
「何で俺が来る事を知ってたの?」
「来る事を知っていた訳ではない。あんな事をした後だ、警察に逮捕されるだろうと思っていてな。最後の一日を送っているつもりだった」
「でも来なかったのよ……」
「………………十朗。お前、何の用だ? 一回だけでも話そうってメッセージを見て心変わりしたって訳でもなさそうだな」
「俺が聞きたいのは少しだけだよ。何でそこまで透子を警戒するのか」
全員が、息を呑んだような空気。
「もう分かっただろ。かばね町で何日か暮らしたけど俺は死んでない。それもこれも透子のお陰なんだ。アイツが守ってくれたから俺は生きていられる。町は危険かもしれない。でもアイツは違うんだよ」
「私達が、祀火透子の事をまるで知らないような言い方だが、私に言わせればお前の方こそ何も知らない」
「十朗、貴方は知らないわよね。貴方に祀火透子の本性を教えようと興信所を何度もつけさせた事があるの。一〇〇人以上ね。その誰もがかばね町に精通していて、ちょっとやそっとの事では離れないんだけど」
「透子に何してんだよ!」
「全員死んだ」
「…………え?」
「これが証拠」
お母さんは携帯でやり取りしていたようで、様々な名前の人間が逐一報告をしている。共通しているのは『かばね町に入った』『祀火透子を見つけた』。それ以降の報告が途絶えている事だ。
「分かる!? あの女に殺されたの!」
「透子は…………そんな事しないよ」
「騙されてるのよ! 何でそんな事が分からないのよ馬鹿!」
「証拠がない! かばね町は確かに危ないよ! だからこそ誰が殺したかなんて分からないだろ!」
「全員が同じ状況で連絡が途絶えたの! おかしいじゃない! 本人が殺してなきゃ!」
違う。違う違う違う。透子はそんな事しない。普通の女の子だ。ただちょっと長く暮らしてるだけの子で、怪しい事情に少し詳しいだけだ。
「……勇人。お前からも何か言ってやれ」
「俺? ああ、そうだな………………俺から言える事ね。じゃあ、ほらよ」
兄ちゃんはバッグを死角から出すと、俺に向かって投げつけてきた。中を見ると、替えの制服や着替えなど……要するに衣類が詰め込まれている。
「何?」
「餞別だな。意見は全然合わなかったけど、お前は俺の弟で、俺はお前の兄だ。だから用件も何となく分かってるし、お前が取りに来ると思って詰めといた」
「俺の……意見を認めてくれるの?」
「……そういう訳じゃない。ただ、そこまで強情張るなら説得は無駄だし、自分の恋人を危険に晒したくないだけだよ。お前が勝手するなら俺も勝手にする。それだけだよ。ま、でもあれだな。今までごめんな。思いつめさせたみたいで」
「勇人!」
「ついでにこの家も出てくよ。まさかこんな爆弾抱えてる家だとは思ってなかった。もう家見つけてるし」
あれ?
―――なんか、関係ない所でも問題が起きてるな。
でも俺には、関係ないのか。
「頼む十朗。もう俺はお前に何も求めない。ただあの女と別れてくれればいいんだ。それ以外だったら、たとえあの町の娼婦と恋人になっても許そう」
「なんで透子に拘るの? 本当にその言葉が覆らない保証はないよね。仮に透子と縁を切ったとして、後々その―――例えば娼婦は良くないから別れろって言うんじゃないの?」
「信じられないのか? 親の言う事が」
「信じられるような事をいつしたんだよ……! 俺はずっと、耐えてきたんだ! 誰か俺を慰めてくれたの!? 味方になったの!? 嗤ってたよねずっと! 透子は味方になってくれたよ? アイツだけじゃなくて、町の人だって親切だった!」
「…………かばね町で友人を作ったというのは本当のようだな」
「は?」
「母さんが祀火透子に興信所をつけていたように、俺もあの川箕とかいう女子に興信所をつけたのだ。だが俺は―――
「信じられない! 川箕にまで手を出すのかよ!」
本当に、いよいよ。関係がないのに。
「そうやって俺の人間関係を全部支配しようとするのが気持ち悪いって何で分からないんだよ! ほらやっぱりだ! 透子と縁を切ったら今度は川箕と縁を切れって言うんだろ! それで傷ついた彼女に死体蹴りしろって!? よくそんな事が言えるな!」
「落ち着け! 私はただ―――」
「もういいよ。もういいもういいもういいもう聞きたくない! 透子に拘る理由も話してくれないし、誠意がないのは良く分かったよ。俺はこの家を出てく。戸籍とか法律とか関係ない。あの町で暮らすから」
「十朗! 違う! あの子となら付き合ってもいいんだ! 言っただろう、娼婦でも認めると!」
「川箕を娼婦扱いするなよ! 今までありがとう。でももういいよ、俺は……俺の人生を生きるから」
俺は、俺の良心を永遠に殺した。
心のどこかでなんとなく理解してくれると思っていた。理屈を合わせて行けば全くそんな事にはならないと分かっているのに、何故か最後の最後まで信じていた。全て裏切られて、そこには何もない。
「待て、十朗! あの女は復讐鬼だ! お前は何も分かってない! お前が向こうに行ったら―――」
ドガァン!
俺がリビングを飛び出した瞬間、天井を何かが突き破ってそれが追ってくる父さんとの距離を開けるきっかけになった。それが尖っただけの小石だと気づいたのは玄関を開けた直後。
それについて考える暇もなく、俺は目の前の車に飛び込んだ。
「ってこれなんだ!?」
「私が用意したの。川箕さん、運転出来るわね」
「オッケー! 飛ばすよ!」
車が発進すると同時に父さんが飛び出してくる。
「その女の正体は―――――――」
言葉を切ったのは、向こうの方。ただそれも当然の反応だ。突如として凄まじい量の(恐らく小石)雨が家に降り注いで自宅を破壊していく。かつての日常があった場所が無残に崩れていく様子を、俺はただ走り去る車の中で眺めるだけだった。
「―――少し前はこんな事言いたくなかったんだけど。夏目君」
「ん?」
「ようこそ、かばね町へ」




