幸いの福音
誰かがブレーキに手をかけるような戦い方でデストロイモードに勝てる筈がない。勝算があると思い込んだのは慢心だ。透子には遠く及ばずとも人間災害が本気を出せば勝てない相手などいないと。いや、まだそれは間違っていない。俺とジャックの両方がアクセルを―――この身体を、守らない事に決めた。そこまでしないとなの子には勝てないから。
「……だれ?」
【誰なんて言うなよ、お望み通り災害が本気出してやるって言ってんだから】
相反していた二人は一つに。人格は溶け合い、まるで最初から二人が合体する事が決まっていたように淀みなく、欠けていたピースが埋め合うように。今は俺達二人が―――この戦いに勝つ事のみ目指している。
【手加減なんてして悪かった。生きようとして勝てる相手じゃないのにな。大丈夫、もう温い真似はしねえよ。もう、お前を舐めたりしない】
全身から血を噴き出すような身体でもなの子の振るう鉄塊を受け止めるには十分だ。目視すら危うかったさっきと異なり、今度は一度も剣戟を通していない。むしろ直接拳で押し返してその重心を揺さぶっている。なの子の体躯なら重心を上手く利用して振っているのかとも思ったが、ここまで効果がないと純粋に膂力で振り回しているようだ。
剣の腹に打ち付けられ大きく吹っ飛ばされる。即座に空気を叩いて衝撃を相殺、間髪入れずに剣を押し返すとなの子も重さに身体を持って行かれ刑務所の網まで引っ張られるようによろめいた。
―――やっぱお前も、変わってそうだな?
実を言えば人間災害となの子の共通点は不死身であるという点だ。尤も俺は有限の不死身だが―――有限であるという点を考慮すると話がややこしくなるので一旦置いといて、不死身なら当然軽視されるべきは耐久力だ。幼女だった頃のなの子もそう。自分が沢山いるのをいい事に、そしてノットの一声があればすぐに再生するのを良い事に耐久力は一般人と大差なかった。殺された挙句に小便をかけられた過去は記憶に新しい。
だがデストロイモード中の彼女は違う。まるで保険が存在しない様に個としての強度がある。或いはそこに付け入る隙があるかもしれないが。
「らあ!」
網に剣が引っかかっている内に追撃の蹴りを浴びせたが、引っかかっていると呼ぶのもちょっと躊躇われるくらい一瞬の隙だった。網に引っかかったのはむしろ俺でそれも一瞬で引き千切れるが、なの子は俺とちがって中身が完全な機械。情報処理能力と判断能力においてこちらが勝てる道理はない。意識決定の速度が明暗を分ける。
体に銃口を直接押し付けられている事に気が付くのに一瞬。銃の種類を特定するのに一瞬。回避行動を取ろうとして一瞬。積み重ねれば致命的。
ドンッ!
火薬の炸裂、ではない。なの子の身体を構成するナノマシンによる弾丸を押し出した音だ。単なる火薬なら銃身から銃弾が飛び出すまでに逃げられただろう。そもそも火薬程度に押し出された鉛玉なら今の身体を貫けない。
―――思考の量はそのまま判断の鈍り。金属光沢の艶やかな弾丸が臓器を丸ごと吹き飛ばし、俺の上半身だけが有刺鉄線に突き刺さった。
【やるな!】
撃ち出された弾には水銀が混ぜられているようだ。ジャックの機能をこれで停止させて力を削ぐのが目的だろうが、今の俺には関係ない。分離した下半身を再生成し、続く突撃を受け止めた。
「なの。水銀、効いてないの」
大剣を押しのけ、その精細な顔に頭突きを叩きつける。機械の身体に痛みを感じる機能はないだろうが、顔に入った罅がまるで涙のように広がっていた。手を抜いたつもりは一切ないが、これで壊れないならいよいよ一撃で倒すのは不可能だ。
が。
なの子は以前と違って再生をしない、選ばない。やはりそこにこそ勝機がある。
「お兄ちゃん、水銀は」
【何のことかなあ!? アプローチを間違えてんだよお!】
水銀は毒物かもしれないし、確かにジャックには通用した。今も俺の身体に彼の血しか流れていなかったなら同じ弱点をそのまま突かれていたかもしれない。大事なのは、透子の血に水銀は全くの無力という事実。
つまり水銀を用意したのはノットの知識というより誰かの入れ知恵。なの子にはそれが有効な理由が伝わっていないという意味だ。彼女の武装はその全てが自分の細胞から作りだした即席武器だから、弱点が分からない相手には力ずくの勝負が求められる。
なの子の動きが徐々に精彩を欠いていく。血こそ出ないが頭部へのダメージは深刻らしい。攻撃が当たるようになれば占めたものだ。この身体になって初めて勝機が見えた。体勢を立て直す為に何処までも逃げようとするなの子を追って俺は宙へと飛び上がった。
【逃がさねえ! 絶対に!】
距離を取りたいなの子が大剣の腹を壁に押しのけようとしてくる。それだ、俺はその瞬間を待っていた。剣を砕き、隠れていたなの子の身体を掴む。瞬間、彼女の身体が高熱を発して瞬く間に皮膚を焼き切ったが、肩を掴んだ手は決して離さない。
痛みもなく。
栄誉もなく。
ただ、勝てさえすればそれでいい。
浮力を失った二人の身体は重力に引かれて頭から螺旋を描いて落下する。なの子は必死に拘束を振りほどこうと様々なアプローチを試しているが、透子の血だ。これは透子の力だ。俺には全く使いこなせないけれど、ただ死なないだけなら誰にだって出来る。
それが、不死身の身体の使い方だ。
刑務所の中庭に激突した瞬間、身体のあちこちがめちゃくちゃに弾けたような痛みがあった。まともな感性のまま受ければショックで気を失ってしまうような激痛は、しかし今の俺には慣れた感触だ。一体どれだけ真司に殺されたと思っている。あれに比べたら、こんなのは。
なの子の身体から手を離して立ち上がる。見た目は無傷だが随分タイムリミットを縮めただろう。正確な時間は分からないが……全身の感覚が、もう曖昧だ。代償と引き換えにデストロイマシーンは破壊した。なの子も身体が特別破損してはいないが、全身に広がった罅と金属の噛み合わない音が何より致命傷だと示している。降りしきる雨が顔の罅に染み込み、涙を流しているようにも見えた。
【……俺の、勝ちだ。なの子】
「――――――たたたし楽ししししかったの」
【やっぱりお前は…………いい奴だよ】
目に掌を被せると、彼女は眠るように壊れた。素直に負けを認めてくれただけなの子は良心的だ。たとえどんなに死にかけていても、今の俺に完膚なきまでの破壊を実行する力がないなんて分かっていただろうに。
―――力が、入らないな。
どうも水銀はジャックの能力にも影響を与えるらしい。二つに一つ、溶け合っていた心が今は片方空っぽのまま。透子の血を挟んで俺は無事だが、己の血を管理していた意識がすっかり反応しなくなってしまった。ムショ内に向けて一歩踏み出した瞬間、膝から下が無くなったように倒れてしまった。
無防備な背中が雨に打ち晒され、ぬかるみに身体を滑らせる。土だらけの手を伸ばし立とうとして―――また崩れる。
ザッ。
『……ありがとう、夏目十朗君。そのオンボロを処理してくれて』
視界の外でスピーカーがせせら笑う。全ては計画通りだ、とでもいうかのように。
『人間災害が制御出来るまでの僅かな時間、必ず障害になると思ってた。それは、貴方と戦った結果のこの惨状を見れば明らかだけど。ともあれ処分してくれて有難う。共倒れまでしてくれちゃって』
ザッ。
スピーカーが切れたかと思ったのも束の間、こちらに近づいてくるべちゃべちゃの足音。顔を上げる余裕もない。足音は俺の頭の前で止まり、勢いよく後頭部を踏みつけてきた。
「コードは何処?」
「…………教える訳、ないだろ」
「いいんだよ私は別に。貴方が死のうが死ぬまいが。あーいや、どっちかっていうと死んでくれた方がいいかな。その方が予後は良さそう」
「……あ?」
「なんで、お兄さんを殺したんですか!」
攻め立てるような声が近くに来る。そいつは俺の横腹を何度も何度も蹴とばしながら、それこそ壊れた機械のように繰り返し嘆いていた。
「なんで! なんで! なんで! あんな優しいお兄さんを殺すなんて! 信じられない!」
「…………何の、事だ?」
お兄さんというのは、つまり兄弟―――兄ちゃんだ。兄ちゃんが死んだ、いや殺す? 誰が? 俺が? 殺した?
「とぼけないで! 私を助けてくれた恩人だったのに……酷すぎる! 弟の癖にどうしてそんな心のない事が出来るの!? 最低!」
「そうそう。私の恋人を簡単に殺してくれちゃってさ。殺す理由があったの? コードと貴方は無関係だけど、死んでくれた方が償いになると思わない?」
「…………何を、言ってるのか。全然、俺には分からないよ」
<分からないのも当然だな。お前が死にかけていた時の話だ>
共に破滅を選んだ影響だろうか。今度は喋らずとも心の中で会話出来るらしい。
「……俺が、死にかけたって」
<シンジに殺されかけた直後の話だ。お前の身体は死に、仮に身体を治療しても血の侵食が酷く蘇生は難しい状況にあった。そんな時にお前の兄がやってきて、俺の身体を使って弟を治せと言ったんだ>
「兄ちゃん…………が……?」
<そう。今のお前の身体はお前の兄がかつて使っていた物だ。髪の毛先から足の爪先まで全てが流用。お前は兄の命を糧にもう一度だけチャンスを得た。だがそんな事情は歪められ、向こう側にはただお前が殺したと伝わっているみたいだな>
あの兄ちゃんが俺の為に自分を犠牲にしたなんて信じられない。とてもそんな、身体を張る程仲が良かったとは思わないし、何より直前に喧嘩した。タイミングが違えば荒唐無稽だと切り捨てていたけれど、ジャックがこんな冗談を言う性格でないのは分かっている。
「人殺し人殺し人殺し! 自分のお兄さんを平然と殺せる悪党だ! 私は…………わだじば! もっとあの人に感謝したかった! 恩なんて全然ひどづもごれっぽっぢもがえぜてないのにぃ!」
鈍器で体を殴られようとも心は未だここにある。 俺に恨みをぶつけるその声の主について……正直な話をすると名前を憶えていない。兄ちゃんが助けた子なのは知っているがそれだけだ。それだけの一般人をここまで接近させるのは、やはり俺がしにかけていると判断したからだろうか。
足で体をひっくり返されて仰向けになる。降りしきる雨が顔に当たって視界が歪む。しかしその程度ではとても隠せそうにない。泣き腫らした顔で半狂乱になって叫ぶ学生服の少女の姿は。俺の口にマシンガンの銃口を突っ込み、今、正に引き金を引かんとしてる狂気は。
「私には分かってる。夏目十朗君。貴方には時間がない筈だよ。コードを渡してくれるならエリちゃんから助けてあげるけど」
「吐き出せ! 今すぐ吐き出せ! 何がお人よしだ! お人よしならとっとと死んで、勇人さんを返してよおおおおおお!」
ああ思い出した。確か修学旅行先にこの町を選んだ教師のせいで狙われていた子だ。いや、別にそれは最初から分かっていたけど。
俺が殺しに手を染めて善人とは言えなくなってしまったように、彼女もまた無辜の一般人とは呼べない顔つきじゃないか。今も、躊躇なく、引き金を引こうと。
バババババババババ!




