禍引き裂くその名の子
バチン!
それはなの子の上に降った落雷。いや、雲を通過した時に電気は感じられなかった。それでは今の落雷は一体何処から。考えている間に、なの子の身体が崩れ落ちた。
「<気をつけろ。地面の下から何か向かってくるぞ>」
「……何かって?」
攻撃を加えたところでなの子は復活する。賭けるべきはなの子の機嫌だ。デストロイモードを俺が打ち破れば彼女はきっと満足する。キョウは何か勘違いしていたが、力関係はノットが上なようで、実はなの子が上だ。なの子は父親の命令を聞くが、当の父親はストレス値を非常に気にしている。抑圧し、不満をためれば自分があっさり殺されるだろうと恐れている。だから俺は賭けた。機械の幼女が俺と本気で遊びたがる事に。
実際この状況からどう変身するのかは疑問だったが、それは彼女の死体が脈動し始めた時点で答えが出た。地面から体に合流しているのはなの子の身体を構成するロボットだ。
「ナノロボット……」
「<ダジャレか?>」
「違う。なの子の身体を構成する細胞だよ。多分出所は……他のなの子だ。細胞を分け与える事でスペックを飛躍的に上昇させてるんだな」
身体はどんどんと大きくなる。幼女とは呼べそうにないくらい長く、しなやかに。髪もどんどん伸びて身体が真っ黒に染まっていく。うつ伏せのまま痙攣を続ける身体は殆ど黒い塊が蠢いているように見えるが、その実、身体が完成しかけている。まるで蛹だ。だとするなら間もなく―――羽化する。
なの子が再び立ち上がった時、そこに無邪気な幼女の面影はなかった。
「…………なの」
随分大人びたと言えば安直な表現だろうか。しかし子供らしさが完全に抜けた事でかえって機械的な無機質さが強調され、面と向かうと見た目以上に冷たく思える。人間らしい情緒を表情から全く感じられないが、それらを一旦抜きに考えれば、どことなく透子にも似ているような。デストロイモードの着想はそこから得たのかもしれない。
「なの子。俺と遊ぼう。ここには誰の干渉もない。本気で、殺す気で―――俺もそうするから」
「お兄ちゃん。うん、そうするね」
なの子が地面に手を突っ込み、勢いよくそれを引き上げる。大剣だと気づくのにどれだけの間、唖然としていただろう。成長した身体以上の大きさの剣を引っこ抜いて、あまつさえ脇に構えたのだ。なの子の武装と言うとスナイパーライフルばかり想定していたから今度も銃火器を想定していた。最先端技術の産物である身体が頼る武装がまさか刃物とは思うまい。それもあんな……断頭台をそのまま持っているかのような巨大な剣なんて。
「<呑気に喋ってる場合か! さっさと構えろ! あい―――>」
遂に、ジャックが喋り切る事は敵わなかった。災害の身体はなの子の初動を見切って咄嗟に腕を盾代わりにしようとしたが無意味だった。砂場をシャベルでひっくり返したみたいにあっさり身体がえぐり取られて、明後日の方向に吹き飛ばされる。吹き飛ばされた先で幾つも格子にぶつかり、その全てを通過して尚、壁に罅が入った。
災害の身体はすぐに再生を完了したが、完了した頃にはまたまた圧潰され、何処かへと吹き飛ばされている。目が追い付かないなんてもんじゃない。このままでは永久にハメ殺されるだけだ。
ようやく身体を制御する権利が戻った時、俺は刑務所の屋上に崩れ落ちていた。
「<おいおいおいおい! 何だよあの強さは! 俺が戦っても勝ち目なんてあるか! クソが!>」
「…………」
「<こりゃ一度も使う機会が訪れない訳だ。オーバーキルだからな。トウコにも勝てそうなもんだが、使わないって事はそういう事なんだろう。そんな話は俺達には関係ない。聞いてるか?>」
目の前の光景に、ただ息を呑んでいた。刑務所の中庭から扇状に広がる被害。恐らく町に刻まれた一閃は全てなの子の剣によるモノだ。ビルを切り払い、道路をカチ割り、雨を吹き飛ばした。俺もなの子も随分濡れているが、それ以上に周囲が水浸しだ。
――――本気を、出すんだ。
まだ足りない。体の中の熱を力に。命を燃やし、未来も過去も全てを擲つつもりで戦わないと届かない。中庭に飛び立ち、ぬかるんだ足元めがけて蹴りを炸裂。足元に大穴を開ける勢いで土塊をぶつけ、両断された瞬間に合わせて拳を叩きこむ。幾ら剣戟が見えなくても、切った瞬間、物体の断面だけは認識出来る。銃弾が自分の意思で軌道を変えられないように刃物もまた通った道筋を変えられない。
一つ、攻略。
土塊を貫いて振り抜かれた拳は虚空を捉えていたが、手首から先が寸断された事で間接的に位置を把握。足元の地盤を踏み抜き、町全体を大きく揺らす。
「<そうだ! 制御は俺がする! お前は黙って全力を出せ!>」
地面を介して伝わる重心のブレを見逃す気はない。未だ視界を塞ぐ土塊を素早く打ち抜き、即興の弾としてなの子めがけて打ち出した。効果的である必要はない。弾を切り払うその斬撃……隙間が見えればいいのだから。
「なの?」
誤算があったとすれば彼女が使う武器は大剣。ならばその剣閃の密度はとても人一人が抜けられる薄さではない。体は刻まれるというよりも潰される。隙間を突いて殴るなんて幾ら不死身でも……不死身だからこそ不可能だった。
「<しっかりしろ! 離れるなよ! 離れればこっちが不利だからな!>」
足元を何度も踏み抜いて地震を起こすが、最早なの子は順応したらしく、重心がブレなくなってしまった。いたずらに周辺被害を増やすだけの行動はするべきじゃないが、どうすればなの子の身体に手が届くだろう。大剣が壁になっているせいでカウンターを碌に取る事も出来ない。まずは武器を手放させるところから始めたいが、この剣の材質はなの子の身体と同じだ。手放したところで回収出来るだろう。
「お兄ちゃん、つまんない」
これだけ大きな得物を目視すら許されないのには何か理屈がある筈だ。ステルス迷彩のようなそんな理屈がなければ人間災害の視覚は騙せない。だがそれを解き明かす前に何度擦り潰されればいいだろう。残り時間はどれくらいだ。何処まで死ぬのが許容される?
頭のてっぺんから綺麗に両断された瞬間、半身の制御をジャックに任せ、なの子の顔を掴んだ。殆ど同時に反対側から彼女の顔を挟む手が。両手でしっかりと捕まえた。
「俺は、面白いぞ!」
断面が戻ると同時に身体を捻り、なの子の身体を振り回しながら一回転。ゴキバキベキと聞こえる奇妙な音に心が躍る。ねじ切った頭部を握りつぶそうとして、静止。自分の掌が砕けそうなくらいの力を込めているのに、指が沈んでいかない。
「面白いって言えよ、なの子!」
「なの、の」
少しは粘ったつもりだったが、なの子の手が苦し紛れに俺の心臓を抉り取ってきたのでたまらず離脱。臓器を取られても死にはしないが、タイムリミットはきっと縮まる。あの土俵で戦うべきじゃない。
「<体温が下がっている。勿論雨のせいだが、あまり長期戦は考えるなよ。お前は不死身でも、有限の不死身だからな>」
「分かってるよ」
「お兄ちゃん、さっきから誰と喋ってるの」
なの子が珍しく、会話に割り込んできた。あちこちにねじ曲がっていた首を戻し、何事もない。あれで致命傷と言い張るのは無理があるらしい。
「……もう一人の俺だよ」
「言ってる意味が分からないの。ちゃんと真面目に戦うの。なの以外に気を取られるなんて許さないの」
「<そうだな。お前の言う通りだ。こいつは一人で戦うべきだな>」
「…………俺には手助けが要らないってのかよ」
声はもう応えない。だが決して見捨てた訳ではないと知っている。単純な力比べで勝ち目がないと分かった以上、策を変えただけの話だ。
全く下らない、意地だった。
決断したのは俺だ。なの子とキョウを殺すとあの時決めた。全ては大切な人に会う為。ジャックが身体に宿った影響だろうか。俺も少し意識を向けるだけで自分の血の割合がハッキリと分かる。これまで活性化させてきた血はジャックのモノだ。ならばもう一方……真司から奪い取った透子の血。まだ手を付けていない。
―――力を貸してくれ。
「ぐふっ……」
この血のリスクは説明されなくても分かる。体を蝕む毒性がジャックの比ではない。忽ち肺が腐り、胃が焼き切れた。力を引き出そうとする程、透子の血を拒絶した身体があちこち壊れて死んでいく。
「お兄ちゃん?」
なの子が攻撃しないのは決して手加減からではない。強いて言えば困惑だ。目と鼻と耳と口、それから勝手に裂けていく肌から絶えず血を流す様子を見て何事かと思っているのだろう。
その戸惑いも数えてみれば一秒もない。目視不可能だった斬撃がグズグズの身体を薙ぎ払う。
【殺してみろよ、デストロイ女】
その一太刀を、受け止めた。
道理があるとすれば、俺もジャックも『破滅』を選んだが故。




