地界震える水底の中で
潜水艦の部屋割は一体どうなっているのだろう。身近に潜水艦がなかったので広い部屋という名目でさほど広くもない空間に連れてこられると感想に困る。確かに個室よりは圧倒的に広いが、何かを教えられる程ではないと思ってしまった。まして災害の力は、こんな場所で発揮したら艇を完膚なきまでに破壊してしまう。
今は潜水していると言ってもそこまでの深度ではないらしいから最悪破壊しても……いやあ、それは俺の耐久力ありきの考え方だ。確かに俺は死なないが、そもそも爆破してる時点で全員死んでしまう。後本当に深度が浅いなら電波が届く筈なので、メーアの体感がおかしい可能性はある。
「まずここは何の部屋なんだ?」
「役割を当てられた部屋ばかりなのも味気ないだろうっ? 偉大なる私の心配りに感謝するがいい!」
「<私も知らん。製造を指揮した訳ではないと言っている。だがボスの言う通りこの艇は深海探査や軍事目的で製造された訳じゃない。悪だくみを実行する為だ。部屋の構造を見るに、倉庫としての役割が強そうだが>」
話だけ聞けば三人がやってきたかのような字面だが、実際は二人きりだ。勝手に口を使われるとやはりいい気分がしない。今はいいがニーナと話してる最中なんかに奪われたらどうしてやろう。どうにも出来ないけど。
「<本当はもう少し広いと良かったが、この狭さならそれはそれで構わん。さてジュード、人間にとって血液とは生命維持において大切な要素だ。その中に俺が居るからな、お前の身体の事は手に取るように分かる。そうだな。ボス、せっかくだし付き合え。こいつのパンチを受けろ>」
「え!」
「案内役のつもりだったが、私を巻き込むのか? 仕方ないな。打って来い」
大して悩んだ様子もなく了承するメーアの感性が信じられない。透子には及ばないかもしれないが災害に違いはない。ジャック自身が相手をするならまだしも、普通の人間であるメーアには荷が重すぎる。
……なんて、こんな事を言わないといけないのもおかしい筈だ。何故引き受ける。命が惜しくないんだとしても、使い方くらいは気にした方がいい。
「ま、待てよ! 確かに俺はもう人を殺す事を……あんまり受け入れたくないけど、したから、その。殺す事自体はもういいよ。だけど、理由もなく殺したりは出来ない! まして今は俺の上司な人をだな」
「クハハ! 忠誠心があるタイプには見えないな。そういうのはいい。早く打ち込んで来い」
メーアは俺から少し距離を取ると、胸ポケットに入れていた懐中時計を見て、蓋を閉じながら言った。
「さっさと来い」
「いやいやいや!」
「<ジュード。メーアは純粋な強さなら俺より強いぞ。だから気にせず全力で挑め。俺の制御とお前の解放のバランスを確かめないといけない>」
そう言われてはいそうですかとはならないのが普通の人間だ。透子を人間災害だと中々気づけなかったのも同じ理由。あんな女の子が災害なんて……メーアがジャックより強いなんて……考え方は似ている。
しかし脳内ではジャックが煩いし、目の前ではメーアが欠伸をシながら俺を待っているのでいつまでもこんな事で悩んでいてはいけない。覚悟というよりは殆ど罪悪感から抵抗を諦め、彼女に向かって拳を打ち込んだ。
パァン!
室内に突風が吹き荒れる。手加減は自分でもやめたつもりだし、物理現象がそれを証明している。しかし現実は、突き出した腕をメーアに下から握って受け止められていた。
「…………は?」
「腰が入ってないな。人は殺せても悪党は殺せそうにない」
「<筋肉の使い方がなってない。無意識の手加減は外れてるが、力の込め方に問題があるな。改善出来ないか?>」
「な、何で俺の拳を……ま、まさかメーアも災害!?」
「確かに災害と一口に言っても様々だ。この国にはない災害も地球上には存在するが、人間型災害の安売りは良くないな? 私は偉大だが、我が神と並ぶ程の後光はないさ」
「<真に切り札なのは俺の存在ではなくボスの秘密だから今は気にするな。お前はそれより身体の使い方を学べ。今ので分かっただろう。今のお前がそいつに攻撃を当てられる事はない>」
「使い方が分かったって……」
「<俺には災害の力があるから意味がないとは言うなよ? キョウがお前を軽くあしらい俺に気を取られていた現実を見ろ。トウコが人間災害と呼ばれようが人間型災害と呼ばれようが変わらないが、お前は元人間だ。人間なら幾ら強くても体の使い方を把握した方がいい>」
港に着くまでの所要時間は伝えるまでもないくらい長いらしい。これでも安全運転もとい潜伏運転をしているらしく、なの子に探知される可能性を極限まで下げているとの事。あの子にソナー機能があるかは不明だが、ジャックに対してきっちり水銀を仕込むくらい連合の命令に忠実だ。ジャックが死んだと思い込まれていても残る俺が逃げた事実は警察を通して把握できる。メーアの危惧は決して杞憂ではない。
「因みに、メーアはなの子の本気みたいな状態を知ってるのか? ノットはデストロイモードとかアホみたいな形態は匂わせてたけど」
「さてな。それを使う機会は一度もなかったんじゃないのか? だが少なくとも今の少年では勝ち目は薄いだろう」
「<踏み込みが浅い! 体重を乗せるんだ、重心の切り替えを悟られるな!>」
「いっぺんに言われても分かんねえよ!」
蹴る、突く、投げる、叩く、切る、抉る。あらゆるアプローチが通用しない。無意識にも『こいつには本気をもっと出していい』と刷り込まれる程力が解放されていくようだが、どれだけ自分で力を発揮したつもりでも指一本まともに触らせてもらえないばかりか、投げに関してはむしろ投げ返されていた。
彼女の体格は俺以上だが、災害の力を加味して尚アドバンテージがあるとは思っていない。なのに。
「ここは道場じゃないんだ。出来るだけ優しく叩きつけてやってるが、やめてほしいな。これより大きな艇は本部に交渉しなければ手に入らない」
「……合気道、か?」
「悪党に正当な流派など求めるな。所謂ごった煮だ。柔道も合気道も私に言わせれば小細工にすぎん。現に少年を殺せていない」
「<不死身で良かったな? こいつは床がコンクリートでも平気で叩きつけるぞ。わざわざ威力を殺して投げる余裕があるくらい、今のお前は弱い。もっとだ>」
何でこんな。スパルタなんだ!
透子の為じゃなかったら、頑張れない。
秘密の港とやらに停泊する頃にはもう、疲労で身動き一つ取れなくなっていた。肉体的体力はまだ残っている筈だが、心がすっかり折れた。メーアには一度も触れなかったし、体内のジャックは煩いし。身体がどんどん自分の思うように力を発揮できている筈なのに結果が何も変わらないと人は壊れる。何が正しいか分からなくなった。
「少年、よく頑張ったな」
「…………お世辞はいいよ。俺は弱い。無理だ。もう」
「クハハハ! 経験の差だな。そう凹む必要はない。最後の方は私も少し真面目にやったからな」
「……お前がキョウと戦ってくれよ。その方が良さそうだ」
「その女一人ならそれでも構わないが、あの兵器が居る以上不可能だ。適任は少年一人のみだな」
現実から逃げるように目を瞑っていると不意に身体が持ち上がって軽くなったような錯覚を受ける。驚いて視界に頼ると、すぐに原因が分かった。メーアが俺を抱きかかえていたのだ。
「は、離せよ! 歩けない程じゃないって!」
「強がるのは結構だが、ジャックが居ても少年のタイムリミットに変わりはない。強くなるのと同時に力を使いすぎない事を求められているんだ。偉大なる私とて無慈悲ではない。少しでも温存出来る瞬間は温存するべきだ。寝たきりのように扱われたとしても、それでも我が神と貴様には再会してほしいからな」
そこまで心配されると、抵抗をやめるしかない。されるがままに抱えられて港に出ると、すぐ傍にまた別の船が止まっており、ニーナ達の姿が見えた。
「ニーナちゃん、焼けたよー」
「お、おねえちゃん、これアツい……!」
「お、美味しそうな匂いがしますね……い、いただきます」
甲板で、恐らく釣り上げた魚を使ったバーベキューを楽しんでいた。




