かばねの上の小戦争
この身体になったお陰で気絶や昏睡とは縁がなくなった……なんて、ちょっと前に真司に殺されかけた俺が調子に乗るべきではない。だがかつての身体だったなら俺も溺れて気を失っていただろう。
今はメーアが連れてきていた少数の人員に簡単な検査をしてもらった後、艇内の個室に通されてゆっくりしている。殆ど全ての人員はジャックの治療に充てられており、俺の所へ来る物好きは居ない。事実、俺の怪我なんて放っておけば治る。
もどかしい気持ちがないと言えば嘘になるが、災害の力に目覚めても=医療の力ではない。ここで出来る治療は限られてるかもしれないが最善を尽くそうという彼女達の邪魔をするのはよろしくないだろう。大人しく待っていた方がいい。
コン、コン。
部屋の扉を叩かれて応対するべく扉を開けると、首から上が見切れていた。
「メーア」
ここまで高身長な人物は『鴉』に限定しなくても中々居ない。少し頭を下げて部屋に入ってくると、近くの壁にもたれかかり、疲れの溜まった溜息をついた。
「水着姿でもないのによくわかったな?」
「さっき水着姿だったっけ? 全然覚えてない、必死だったから。ジャックについて教えに来てくれたのか?」
「残念ながらこの船に積まれている程度の設備では到底治療不可能だ。人間に対する水銀中毒の症状とは訳が違う、まず私達は人間型災害、その身体の構造も組成も把握していないからな。見た目が人間でも中身がそうとは限らない、限らないなら当然有効な治療方法も違う可能性がある……回復には時間がかかるだろうな。文字通り時薬だけが唯一の治療法になる」
「……水銀ってそんなに強い毒物なんだな」
「説明するまでもない事だ。そして治療法がない以上、奴についてはこれ以上気にしなくても構わない。それよりも、我々の趨勢について話しておこうか」
前向きなんだか諦めているのか曖昧だが、確かにそれは知っておいた方が良さそうだ。メーアはずっと拠点に居た筈。用事もなく潜水艦を使うとは思えない。あの教会は何も海に隣接する形で建設されていた訳でもないから―――離れたからには理由があると思うのが自然だ。
「貴様達以外に話した当初の目的を覚えているか? 龍仁一家やマーケットの動きが鈍い内に所属派閥のない者に粉をかけ仲間に引き込めと言ったな。結論から言えば我々は孤立しており、本部からの支援を除けばこれ以上の戦力強化は厳しい」
「……この短期間でそこまで局面が動いたとは思えないけど」
「マーケットと龍仁一家が水面下で手を組んでいた! 偉大なる私の後光は薄れ、今や二大勢力の全面戦争を今か今かと待つだけだ。奴らに与しない者は殆ど連合に膝を突いている。分かるな、『鴉』に切り分けられるパイがないのだ」
透子暴走の一件で比較的被害の少なかったという只一点で『鴉』は何となく状況的優位を取っているという認識をしていた。そうでなければ一家やマーケットを横目に仲間を集めようという作戦には至らない。メーアから聞いた話はその前提を丸々ひっくり返すもので、リーダーたる彼女がどことなく萎えるのも頷けた。
「一応報告するけど、ジャックをあそこまで追い込んだのはなの子だ。何を言われてたか知らないけど、仲間に引き込むのは難しそうだ。なの子、その親であるノットは連合を裏切るメリットが特にない。アイツは平和に過ごしたいだけだし」
「平和! あの男から最も聞きたくなかった言葉だ。平和を唱えたその口で殺戮兵器を運用して平和主義者とは実にユーモアのある奴だな! しかし、報告には感謝する。お陰でそろそろ決心がつきそうだ」
決心とやらについての疑問は挟めない。
メーアが胸に手を当てながら、俺に頭を下げてきたからだ。
「この国の礼儀ではお願いする時に頭を下げるそうだな。これは貴様の上司としてではなく、貴様と我が神の幸せを願う一人の脇役からの頼みだ。もしもこれから先、かばね町を巡る抗争の果てに私が死ぬような事があれば―――その時はどうか、この艇を使い、研究所へと向かえ」
「それが頼み? そんなの別に死ななくても、何なら今からでも向かえるし」
「向かったところで勝算は限りなく低いだろう。米国の艦隊をどう退けるつもりだ? 私の行動は全て勝算に基づく、連合を乗っ取る必要があるのはその戦力があれば貴様のタイムリミットよりも早く我が神と再会させられると踏んでいるからだ。だが私が死ねばこの町を巡る抗争は事実上の敗北。ここの『鴉』は吸収されるだろう。その前に、せめてたった一度の機会だけは貴様に渡したい。たとえ何を犠牲にしても、我が神への恩返しだけは果たしたいのだ」
遺言染みたお願いを聞かされて、とてもとても他の事を聞ける状況ではなくなったので俺は逃げるように部屋から出て行ってしまった。川箕の事とか、避難したニーナ達の事とかティカの事とか。聞きたい事は山ほどあったのに。あんな穏やかな顔をされたら、何も言えなくなった。
「…………」
俺は透子にもう一度会いたいだけだ。それがどうして、こんなに遠い。何故無関係の奴と争わなければならない。タイムリミットまで受け入れて会おうとしているのに、近づこうとすればどんどん遠ざかるようで……メーアがあんな事を言ったのは俺の焦りを見抜いているからだろう。
前はあんなに簡単に触れ合えたのに。透子が恋しい。もっと言えばクリスマスが。あんな幸せな瞬間はなかった。ずっと満たされていた。あの日が永遠に続けば良かった。
キッチンに足を運ぶと、ヘレイヤが居た。
「……ジュード」
「よう、ヘレイヤ。サボってるのか?」
「……仕事、ないから。潜水中は、通信出来ないし」
「そうなのか」
「この艇、そんな高性能でもないの。アンテナも短いから、今は無理」
隣の席に座って、時計を眺める。ジャックが助け出されてからおよそ三時間か。少しでもマシな方に回復してくれたらいいけど、予断は許さないのだろう。それは艦内に聞こえる足音の騒がしさが物語っている。音を立てない為か柔らかい素材の靴を履いているっぽいが、俺の耳には無関係だ。何十人も動き回っているのが手に取るように分かる。
「ヘレイヤ。川箕を回収したのはこの艇か?」
「や、別動隊。今は通信出来ないけど、中身は無事救出出来たって話があった筈。だから……大丈夫」
「―――本当に無事かな」
「……」
極端な話をしよう。自殺をした人間が死に損ねた場合、何日か寝たら後はもう元気一杯なのか? 答えは否、大半の人間は重い後遺症に悩まされるだろう。それも自殺に用いた方法次第だが、何の代償も払わない人間は恐らくいない。川箕は自殺ではないが、海中の中で長時間監禁されていた事実がある。衰弱死を危惧される程の期間閉じ込められて、救出したら元気一杯なんて到底思えない。もう目覚めないなんて、そんな最悪が頭を過るばかり。
「…………コーヒー、何処かにあるか?」
「淹れてくる」
「いや、自分で」
「いいから」
ヘレイヤが席を立って棚の中を漁り始める。心の強さはどうしても変わらない。強くなればなるほど、変えられない現実に無力感を覚える。俺はこんなに強いのに、その気になればこの町を破壊出来るのに。そんな事したらタイムリミットを迎えて死んでしまうかもしれない。かばね町において暴力とは自由だが、俺にとっては暴力こそ全ての枷。ままならない要因になっている。
<聞こえるか?>
「え?」
「?」
「いや、違う。君じゃなくて。今、ジャックの声が」
<間違ってないぞ。お前の意識から呼びかけている。寄生とは忽ち全てを奪うのではなく徐々に蝕んでいくものだ。そっちの声は喋ってくれないと聞こえないからそのまま喋れ。結論から言うぞ>
<俺の身体は死んだ。これ以上動く事はない>




