死にゆく姿は渡り鳥
「ジュード様、よくこのような場所があるとお気づきになりましたね」
「これ自体は最初から気づけたよ。暗幕のかかり方がさ、屋根がきちんとあるならもっと瓦に沿ってるだろ。それが一部凹んでたんだから、自明だな」
「もういいぞーーーーー!」
ジャックの声が室内に響き渡る。なの子も応じてくれたら良かったが、今回接触してきた時と同じように足音ひとつ立てず入室したと思われる。
「……しかしよろしいのですか? 入れ違いになって外に出る算段では?」
「ああ、最初はそのつもりだったんだけど、事情が変わったんだ。多分外に出たら頭をぶち抜かれる」
なの子は一人じゃない。言葉通りの意味だ。俺達と遊びたがるなの子が動いた瞬間、遠くの方で全く同じ動作をする音が聞こえた。いずれも高所に居て雑音は混じらず、寸分の違いもない動きで身体を固定し、息を潜めたのだ。
その音が聞こえたから足音が聞こえなくてもなの子が入室したのだと察した。口で言わなかっただけでこれが彼女なりの外出対策なのだ。
「しかし外に出られない以上いつかは見つかってしまうのではないでしょうか。ここはなの子様が選んだ建物ですし、当然この部屋も把握している筈ですが」
「……まあ普通に見つけてくれるならそれでもいいさ」
情報を得られないだけだから。問題は普通に見つける気がなかった時。なの子が兵器なのを知っての偏見だが、そこから漏れる気体は当然危険なものだと睨んでいる。もしそれを曝露させる気なら見つけるよりわざと時間をかけて俺達が吸入するのを待った方がいい。
……ニーナがいるから、俺は問題ないけどな。
ジャックは気づいているのだろうか。今にして思えば隠れる際に話しておくべきだったかもしれない。少し前に思いついた、彼を犠牲に気体の正体を把握しようという思惑が少し行きすぎてしまった。死にはしない、と思うが。
「見つからないの! 二人はお化けだったの!?」
なの子の声が聞こえてくる。まだ二階にすら上っていないようだが、ジャックの隠れ場所には近そうだ。彼の心音が俺の耳にも聞こえてくる。
「この後は、皆様のところへお帰りになられますか?」
「まあ、帰った方がいいだろうな。透子の行き先がわかった途端になの子と接触だ。気が休まらないし、このままやり過ごせればいいんだが」
と。
ピピピ! ピピピ! ピピピピ!
なの子が持っていたタイマーの音だ一〇〇秒が経過した合図である。
「見つからないのー! 負けたの!」
ジャックの心音に異常はない。気体については杞憂だった……と思いたいが、それならそれで正体が気になる。
暗幕を引き剥がし屋根から外に飛び降りると、音を聞きつけたなの子が家を飛び出してきた。
「上にいたの!? それは変なの、一階で沢山物音が聞こえたのっ」
「沢山聞こえた? お前と遊んでたのは俺とジャックだけなのにか?」
「だから二階行く必要ないと思ったの。時間稼がれたらなの、負けちゃうのっ」
嘘をついている。俺の耳にはそのような物音は聞こえなかった。不気味なくらい何一つ……なの子の声とジャックの心音以外の全てが。
「そっちは気になるけど、まあ勝ちは勝ちだ。近況を聞かせてくれ。最近どうだ? その、お父さん以外とは遊んでるか?」
「なの! お父ちゃん、誰とも遊ばせてくれないの! 特にリーダーの人の言うことは絶対に聞くなって何回も言ってくるの! よく分からないの!」
「俺達に声をかけてきたのは?」
「つまんないから外いっただけなの! お兄ちゃんなら遊んでもお父ちゃん怒らないの!」
こっちは嘘か本当か判断するだけの材料がない。もしこれが事実なら、俺が知らないだけでなの子からはずっと謎の気体が出ていたという可能性もある。彼女と出会ったのは人間だった頃だから、気づかなくても当然だ。そして謎の気体についてだが、この場合は呼吸代わり、二酸化炭素代わりの気体と考えられる。
「そうか……や、ありがとう。まさか勝てるなんて思わなかったよ。それじゃあ今日はこの辺で。用事があるんだ」
「大人はいつも忙しいの! ばいばーい!」
特に引き留める様子もなくなの子は風のように去ってしまった。それと同時に高所で構えていた人物がこれまた同時に動き出したのでやはりなの子は複数で俺達を見張っていたのだ。
「……向こうから去ってくれたのは気遣いかな今のうちに帰ろう」
「ジャック様のお姿が見えませんよっ」
「俺はここだ」
ニーナに死角はないが、物理的に素早く登場されたら感知する術はない。ジャックは家の裏口から出てきたかと思うと、瞬く間に目の前の街路樹まで移動した。
「……悪いが、一旦お別れだ。やることが出来た」
「ジャック。なの子から出てた気体の影響は?」
「……なんの話だ。とにかく俺は行くぞ。じゃあな」
何か妙だと思っても、もうそこに彼はいない。最初からいなかったみたいにすっかり消えてしまった。
「ジャック様。あまりお体の調子が優れないご様子でしたね」
「透子もそうだけど本気で隠れられたら見つからないんだよな。仕方ない、予定通りカラオケ店に帰ろうか。死ななきゃ後からいくらでも聞けるさ」
「ジュードさん、待ってたッスよ〜!」
「ティカ。先に帰ってるなんて思わなかったな」
「野垂れ死ぬと思ってたなんて酷いッスよー! そりゃあもうイケメンが帰りを待ってるかもと思ったら死ねませんって」
「はい、ジュード様はとても素敵ですよね!」
「ニーナごめん。ちょっと静かにしててくれ。意味が違う」
まず俺はイケメンじゃない。見た目をそこまで軽薄に褒めてくるのは彼女くらいなものだ。ぐちゃぐちゃの死体だった頃から同じ理由を貫いているのでいい加減俺も嘘とは思わなくなった。
とはいえ絡み方が鬱陶しいので程々にしてほしい。褒められた事がない側面で褒められると、どういう顔をすればいいか分からなくなる。
「野垂れ死ぬとは思ってないけど、ヒルダさんがビビってすぐ帰ってきてそうだとは思ってた」
「おー、奇遇ッスね。あたいもそう思って先に帰ってきたつもりだったんですよ。一応言っとくと多分危険な目には遭ってないスよ。比較的平和な場所歩いてましたからね」
「……お前は?」
ティカはソファに横たわると、軽く欠伸を殺しながら話し始めた。
「そりゃあもう、遭遇ッスよ。『鴉』とは思われてないし、声もかけられてない。マジで近くに居ただけっスけどね。遭ったのはまあ末端で、サツに武器流して貰ってたッスよ。かばね連合っつーのは公権力とズブズブなんすかね」
「警察なんてついこの前まで一家に手を貸してなかったか? あの映像を取り戻したいのはわかるけどなりふり構わなすぎるだろ」
「んー、でも連合は別にサツを排除したい訳でもないッスよね? 町でも聞いたッスけどあの人を呼び戻して前の状態にするっていう目的があって。コードで制御できんならむしろ好都合だから組む落とし所はありそうッスよ。何させるつもりかしんないスけど、透子さんが制御出来るなら何でもいいですからね」
「警察と組んでるなら表向きの仕事でも『鴉』は連合と戦わないといけないのか。どっちにしてもってのはなんだか気が滅入るけど、辻褄を合わせないとスパイに気づかれるんだろうな」
「……気が滅入るなら、ジュードさんがやる気になる情報言いましょうか?」
ティカの目が、静かに据わる。
「川箕燕、もうすぐ死ぬらしいッスよ」




