悪党の流儀
「う、ぐううううううぅぅぅ…………」
「ジュードさん、大丈夫ッスか!?」
翌朝の起床はおよそ気分のいい物ではなかった。体の内側を削られるような感覚は前にもあったが、その比じゃない。寄生虫の中には人体にも適応し体中を食い荒らす種類がいるそうだが、正にそれだ。血管の中を無数の虫が蠢いて突き破らんとする感覚。平衡感覚を羽音が揺らし、視界の細かな部分が曖昧にされていく。
ニーナを起こしたくなくて声を漏らさないように掌でずっと口を抑えている。傍から見れば昨夜の酒を吐き出そうとしているように見えるかもしれない。ティカはそんな俺の異変にいち早く気づき、手を貸せないとみるやジャックを呼びに行った。
「……成程な」
「成程な、じゃないですよ! どうしてくれるんですか、今にも死にそうなのに!」
「臓器はとっくに入れ替えた。早々死ぬ事はない。ただ俺の血とトウコの血は共に有毒……人体に合わないという意味でな。例えるなら普通の人間はオリーブオイルを燃料に出来るが、こいつはその代用として灯油と重油を使っている。これらは同じ油という分類にあっても根本から違うだろう。そういう事だ」
「だーかーらー!」
ティカは軽いヒステリックを起こしてジャックの髪の毛を掴んでいる。意にも介されていないし、それで俺の体調が回復するような奇跡もない。
「どうやればいいんですか! こんな苦しそうな人を働かせるって、悪党じゃないですか!」
「悪党だろ。原因としてはコイツの身体が殆ど新しくなったからまた侵食が始まったというところだろう。前の身体は殆ど腐り切っていたからな。感覚が麻痺していても仕方ない。耐えればその内治るが……」
ジャックは俺の背中に手を置くと、体内に残留する彼の血液を操作し始めた。血流が心臓の機能に抵抗し自由に動こうとしているのを感じている。体内をかき回されているみたいでそれこそ吐き気を促されているが、気合いで耐える事数分。痛みが和らいだ。
「アンタに死なれても困るし、心を折られても困る。一先ず俺が血の操作を預かってやる。とりあえず顔を洗ってこい。その真っ青な顔を何とかしろ」
「……前の時も、出来るならやってくれよ」
「してやる義理があったのか? …………まあ、何だ。思うところがあったというだけだ。家族という概念についてな」
「何でもいいからとりま行ってきてくださいよ。もうその顔見てらんないッス」
ニーナはまだ眠っている様子。部屋を出て一階のシャワールームまで逃げるように駆け込むと、鏡に映る自分の顔はまあ―――およそ生気を宿しておらず、つい笑ってしまった。
―――まだ、死にたくない。
何の因果か俺は生き残った。そこに誰かの思惑があろうとなかろうとやる事は一つだ。透子を助ける。彼女はきっと世界の何処かで俺を待っている。一切の助けを拒みながら、それでも救済を望んでいる筈だ。これが思い込みだったとしても構わない、とにかくもう一度会いたい。会って話をしなければいけない。
だって、彼女が好きだから。
「おや、そんなところからご登場とは思わなかったぞ」
顔色が戻るまで水を浴びたところで礼拝堂に戻ると、メーアと合わせて何人もの部下が神託を待っているかの如く長椅子を埋め尽くしていた。その中にはティルナさんも居るが、彼女はまだ夢うつつな妹を起こすのに精一杯で俺の事など気づいてもない様子。
「ジュードさん、こっちッス」
ティカに呼ばれ、隣に座る。
「……俺があそこに行った時にはこんなに人は居なかったと思うけど。お前らドッキリ仕掛けるのが好きなんだな」
「何言ってんスか。貴方、三〇分もそこにいたんですよ? そりゃ集まれますって」
「…………」
体内時計も狂ってしまったらしい。俺の中ではどんなに高く見積もっても五分かかったかどうかというくらいだったのに。六倍もズレているなんて。
「ニーナは起こさなくて良かったのか?」
「まあ―――」
「では老若男女諸君! 昨夜は随分楽しかっただろうが、我々は戦争の只中に居る。偉大なる私の導きの下、今日から新たな同志を迎え作戦に臨んでもらおうと思う。異論があれば今のうちに聞いてやらなくもない。聞くだけだがな」
メーアが話している時には黙るのが最低限の上下関係なのだろうか。昨夜の歓迎会然り、上司と部下の関係にしては打ち解けすぎていると思ったが、最低限は弁えていると。昨夜と言えばそのメーアは、災害の真実を誰にも伝えていないと言っていた。あれはあれで、極端な話を言えば誰も信じていないというスタンスだ。恐らく透子以外には共通している。透子だけが絶対の神。
「作戦内容について話す前にシンジが死んでから今日までの勢力図を手短にまとめよう。現在、この町の玉座には誰も座っていない。龍仁一家はマーケットとの抗争が原因で何やら内部分裂が起きているとの情報があった。マーケットの方はシンジが死に、新たにผีの補佐を務めていた人間が頭を務めている様だが……それ以上の動向は不明だ。尤も、人間災害という切り札を喪ったからには相応にダメージを負っていてもらわなくては困る」
「そこは希望的観測なんだな……」
「町は何処もかしこも一触即発ッス。下手に探り合いなんてしようもんなら火薬庫がぶっ飛びますよ。希望的観測とは言いますけど、当てずっぽうじゃないッスよ。実際それまでは災害の力でぶいぶい言わせてたんスからね」
「我らはかつて三大勢力と呼ばれた巨大組織だが、今は吹けば飛ばされる折り紙の小鳥に過ぎない。支援については本部との交渉次第として、残された貴様らにはこの町を法の下に帰さんとする外の人間と戦ってもらう!」
あれ?
昨夜聞いていた話と風向きが違っている。川箕の話もかばね連合の話も出てこない。
「我々は『鴉』。悪の装束に耳を包み、白も黒も為す者だ。この町の色を失わせるような事があってはならない。いつまでもここには、悪の華が芽吹ける土壌でなくてはならないのだ!」
「ボス。サツの暴れ具合は?」
「特別暴れてはいないが、少なくともまともな思考回路をした人間が近づくべき存在ではないな。この町の特権を利用し、軍隊仕様の装備を投入された者が次々と流れてきている。睨み合いを続けるかつての三大勢力と、歯牙にもかからぬ弱小組織もこのままではまとめて潰されてしまいかねん。貴様達にしてもらいたいのは主に交渉。生きるか死ぬかの二択を問いかけ立場をハッキリさせる簡単な仕事だ! その過程でサツと交戦する事もあるだろうが、装備は各自の判断に任せる。必ず殺せ! 生きて帰すな!ここでは法書などケツを拭く紙以下の汚物だと教えてやれ!」
「「「「然り! 我ら黒羽の加護の下、黒めく正義の旗を翻さん!」」」」
「……え、これ、俺も言わないといけないの?」
「ジュードさんは知らないんで最初は言わなくてもいいッスよ。いつまでも覚えてないのは問題なんで、後であたいと練習しましょうね~!」
メーアにとって透子が絶対的な神ならここに居る『鴉』にとってそのメーアが絶対的な神か。宗教染みた団結力には一抹の恐怖も覚えるがそれよりも聞いていた話と違う事の方に関心がいって上手く考えがまとまらない。俺はどうすればいいのだろう。
ボスの指示を聞いた人間が散り散りになって役目を果たしに行く中で、ティルナさんがこちらにやってきた。妹の目はすっかり覚めたらしい(あんなに煩かったら当然だが)。
「なんか、汚い仕事任されてない? 私はいいけど、お兄さんは出来るんですか?」
「俺はそれより聞いてた話と違う事が気になるんだけど……」
「聞いてた話?」
何気ない返事。疑問。ああ、と答えを返しそうになってふと思い止まった。『鴉』の中にもスパイが紛れ込んでいるというメーアの発言。仮にもここのメンバーになったなら軽んじるべきではない。
今、話しているのは外部のメンバーかもしれないが、ここは拠点だ。盗み聞きなんてしようと思えば幾らでも出来る。相手はここに何年も潜り込んでいるのだろうから、俺の感覚が幾ら鋭くても騙す手段は幾らでもある筈だ。例えば盗聴器がこの長椅子の下にあるとして―――もし俺に長椅子の下に盗聴器を仕掛ける発想がなければ幾ら感覚が鋭くても関心を向ける事などない。
「とりあえず外に出よう」
「あの子はどうしますか?」
「…………流石に連れて行く。気を遣ってくれたのかもしれないけど、ニーナが居てくれた方が話が早く済みそうだし」
コードはまだ彼女が持っている。目を離したくない。




