黒きに沈み鳥は散る
「お兄さん♪ 元気になって良かったですねっ」
礼拝堂の長椅子に見覚えのある顔が座っていると妙な気分になる。この町に生きていて神様を信じたくなるような人間は多分居ない。『鴉』が拠点にしていても居なくても、信仰以上に悪意が満ちている。
隣にはティルナさんの妹であるヒルダさんも座っている。周りが悪党だらけな事を気にしてか二人は手を繋いでいた。別に誰も敵意なんて向けていないどころか殆ど興味もなさそうだが、そんな事言ったって不安なのは分かる。俺も最初はそんな感じだった。
「ティルナさん、こんな所に居て大丈夫なんですか? あまり安全とは言えませんけど」
「……仕方ないじゃないですかー。お兄さんの治療の為には私の力が必要だったんだし。それに、襲撃者の事も考えるともうここに身を寄せるくらいしかこの子を守る方法がなくて」
「ごご、ごめんね……おねえちゃん。私のせいで……」
「もう、怯えないのっ。大丈夫だからさ」
「襲撃者って、俺が死んでる間にやっぱり襲われたんですね?」
「そりゃ、あんな状況だったし。でもそれより襲撃者の方だよ。顔は隠してたけど、あの人、私の性質を知ってたみたい」
まあ座ってと促され、横のスペースにお邪魔させてもらう。ティカも呼んで状況の裏付けも取ろう。誰も嘘を吐くような状況ではないが、二人が共に戦ったのなら得られる情報もありそうだし。
「せっかく一人にしてあげたのにまたあたいを呼ぶんスか? ジュードさんはほんっとあたいが居ないと駄目ッスね~!」
「俺が死んでる間、もしくは戦ってる時に襲われたらしいな。ティルナさんが液体人間な事も知ってたって本人から聞いたぞ」
「あー、そッスよ。この人自分が液体なせいで、液体になってる間は他の液体と混ざっちゃうんスよね。相手の女、イカれてんのかタンクでガソリンバラまきながら拳銃で大暴れでしたよ! ま? 同じ二丁拳銃使いとして負ける訳にはって感じでしたけども、追い返すのは大変でしたね」
「それの何処に対策があるんだ?」
「見た目は全く同じだったけど、一丁が火種を打ち出す銃だったんだよ。映画とかだとガソリンは銃で撃つだけで引火するけど実際はそうはいかない。銃弾が飛んでくる摩擦じゃ火はつかないの。引火させたかったら空気に触れたガソリンに対して発火源が必要だから……分かるでしょ。体にガソリンが混ざった状態で引火したら黒焦げになって終わりなの」
「そうなんスよジュードさん! この人酷いんです! せっかく守ってやったのに対策されてなかったらあたいを置いて逃げる気満々だったんス! マジで最悪!」
悪党と関わりたくなくて、今まで個人で生活していたような人だしそれくらいはするだろう。ティカは共感してほしそうな物言いだが、ティルナさんに肩入れしたい。
「んー……とりあえず、ティカとティルナってややこしくなりそうだから本名で呼んでいいか?」
「いや知らないッスよ! 駄目です! 駄目! 教えてないんだから……」
「引いたのは幸運だったよね~。なんか無線で誰かと喋ってたみたいだから全体の作戦として支障が…………え?」
「どうしました?」
「女って、分かったの?」
言われて俺も気が付いた。あまりにサラっと明言するものだからついそういう物かと流してしまったが、顔が見えないと言っているのに性別が分かるなんて事があり得るのだろうか。服装次第かもしれないが、ティルナさんの方は性別に一切言及していなかった。つまり見た目で性別を判断する事は難しかったとも言える。
ティカは得意げに胸を張ると、存在しない眼鏡をクイっと持ち上げた。
「何年悪党やってると思ってんスか。動き方を見りゃ分かるッスよ。それが分かったからって弱点が浮き彫りになる程でもないんで、あの時は言わなかっただけッス」
「…………作戦か。いや、確か警察が暴れてたんだったな。その、恐らく俺達が奪ったあの映像を求めて。警察勢力の方はメーアと戦ってたし、そっちが遂行不可能になったから引き上げたってのが有力か」
「私を! 呼んだか!」
バン! と勢いよく教会の扉を開けてメーアが外から戻ってきた。周囲に控えていた部下が一斉に散り、各々が視線も向けず教会の側面に造られた個室へと散っていく。
「呼んだな!」
「いや、呼んでないけど」
「ジュード様!」
今の俺なら分かる。メーアの声が大きすぎて眠っていたニーナが起きたのだ。幾ら感覚が鋭くなっても他人の麻酔の切れ目なんて把握しようもないからそこだけはタイミングが良い。目が見えないという一点で保護されていた少女は、俺を見つけるなり目が見えていないとは思えない程スムーズにトトトトと近づいてきた。
「ジュード様、生き返られたのですね! 良かった…………」
「ニーナ。ごめんな、心配かけて。でもほら、俺は大丈夫だから」
「その子、目が見えないんじゃ?」
「―――細かい原理は俺も知らないし、ニーナがどういう説明をしたのかもわからないけど。バイザーが起動してる間は視界が一応存在してる、んだよな? 見え方が違うだけで」
「す、すみません嘘をついて。でもこの機械の秘密を私は誰にも話していないのです。お姉様が、取り上げられたらまともに動けないだろうからって、その」
今は俺が居るから大丈夫、という判断だろう。賢明だ、今の俺はそれなりに強い自信がある。銃弾程度に負けたりしない。
「バイザーなかったらどうなるんスか?」
「目も耳も聞こえない。耳は……心理的な物だと思うから治ってる可能性もあるけど、確かめる時間なんてなかったな。とにかくそんな子、ここがかばね町じゃなくてもまともに生きていけないだろ。だから秘密にしてたんだ」
「可愛いのに、なんか残念ッスね」
「秘中の秘、という訳だな! 女には一つくらい秘密があった方がいいとも! 偉大なる私にも秘密がある! 我が神しか知らぬ秘中の秘! この私が何故ボスを務めているかの理由がな! さて少年、いや、客人達よ。私が来たのは他でもない、重要な話をしたかったからだ。目覚めたとジャックから報告を受けてな」
メーアが指を鳴らすと、二階から降りてきた部下の男が複数の無線機を持ってきて、俺達にそれぞれ渡してきた。
「少年が眠っている間に龍仁一家とマーケットの抗争は激化した。シンジとやらに代わって今はあのいけ好かない女の補佐を務めていた男が頭を張っているそうだ。小競り合いが無数に起き、市井の人々に安住の地はない。第三勢力に警察も加わった今、人々の選択肢はどちらかの兵士として身を捧げるか、警察にあらゆるプライバシーを侵害され、過度な束縛を受けるかだ。いよいよかばね町本来の混沌が戻りつつある! 大変喜ばしくもあるが、貴様達にとってはそうでもない」
「―――何が言いたいんだ?」
「客人を抱えている余裕などうちにはない、と言いたい。我が神の暴走によりあらゆる資源を失ってしまったのでな。故に少年、『鴉』に入らないか?」
「…………えっと」
「この混沌から我が神の手がかりを見つけ出すには『鴉』という組織その物の力も借りなければならない。少年には入ってもらわなければ裁量にも限度があるのだ。その他の者も理由としては近いな。『鴉』でなくてはこれ以上保護してやる事は出来ない」
「入りますよ」
特に悩む必要などなかった。ティカには十分お世話になっているし、俺が生きていられるのは主にジャックのお陰だ。だが勿論入る理由は恩返しじゃない。透子を見つける為にはここに居る方が一番手っ取り早いと思ったからだ。最も強力的であり、透子の幼馴染も居て、その絶対的な信者が頭を務めている。これ以上の好条件は望めない。
目標を透子とする限り、俺達は協力し合える。
「じゅ、ジュード様が居るのでしたら、私もお供します! 今度こそ、足を引っ張らないようにしますから!」
「あーそういう感じかあ。うーん、まあ身を寄せる場所がないのは本当だし、妹共々お兄さんが守ってくれるなら入ろっかな~」
「俺頼みなんですか。まあ、いいですけど」
「決まりだな!」
メーアがポケットから何を取り出したか? クラッカーだ。それに呼応して今まで俺達に微塵の興味も示さなかった部下達が次々とクラッカーを取り出す。そしてティカも。
パン、 パン、 パン、パパパン!
「おめでとう! 今日から貴様達は我が黒羽の加護の下、新たな生を受ける事となった! では歓迎会と行こう。さあ、椅子をどかせ! 快復祝いも兼ねなければな!」
「いらっしゃいッス! ようこそ『鴉』へ! 歓迎しますよジュードさん!」
俺が何処にも所属しなかったのは透子と川箕の存在が居場所になっていたからだ。当時は差し迫った危機もなかったし、それならのんびり暮らせた方がいいに決まっている。事情が変わっただけだ。川箕も透子も今は傍に居ない。善人のままで居る事なんてとっくに諦めた。真司はこの手で、俺が殺したのだから。
今更悪党に堕ちる事に、抵抗はない。形から入るより先に中身が生まれてしまっただけだ。
「という訳だ少年。早速だが私と共に買い出しへ向かうぞ。食料は足で稼がねばな! おっと無線機を忘れるなよ? それは私との専用無線機だ。いざという時に役に立つと睨んでいる」
「……ニーナ。一人で大丈夫か?」
「あ、お兄さん。ヒルダがその子と遊びたがってるから今回だけでも任せてくれない? ニーナちゃん、いいよね?」
「え、えっと…………は、はい。よろしくお願いします」
ティルナさんの妹ならそうそうおかしな話にはならないか。メーアの背中を追って教会の外に出ると、途中で彼女はそっと歩幅を俺に合わせて告げた。
「―――楽しい空気の前に、これからの話をしよう。明日から少年には重大な任務に取り組んでもらう」
「さ、早速か? 透子に関する事は元からやってると思うけど、違うんだよな? 領土争い?」
「川箕燕――――――かばね連合に軟禁されているエンジニアの救出だ」




