透子の気持ち
「三人でゆっくり過ごすなんて久しぶりだねっ」
「ニーナまで一緒に居たらこの部屋に入るなんて不可能だもんな」
流石に四人を入れるにはこの個室は狭すぎる。三人が限界で、もっと言えば俺がベッドに座っている事でようやく成立するくらいだ。テレビも見ず、電気も間接照明のみで、時間の流れを忘れてゆっくりと過ごす。久しくなかった時間に、俺はすっかり気が抜けていた。
「指輪なんて……初めてつけたけど、これでいいのかしら」
「薬指にしろって言ってないぞ?」
「大切な人からの贈り物は薬指にするんだって川箕さんが」
「私のせい!? ち、違うよ夏目。私はそんな事言ってないからねっ? 好きな指につければいいって言っただけだから!」
「―――ま、まあいいよ。つけてほしいって言ったのは俺だし」
二人共薬指につけたせいで恥ずかしさが勝ってしまったけど、我儘を聞いてくれたから素直に喜ぶべきだ。ただ凄く恥ずかしいのもまた事実なので、これ以上言及したくないのが本音だ。
「それでジュード君、お店の件だけど」
「ああ、実は……いや、なんていうかな。まだ調査自体は終わってないんだ。明日になればまた動きがあるような気がしてる。だから報告は待ってくれ。それとは別に、気になる事はあったけど」
「へえ?」
マーケットに捕まっていた筈の真司が生きていた事、それに兄が外で狙われたせいで中で活動する事になった事は伝えておいても問題ない筈だ。お店で起きた事件については……推測するにしても判断材料が少ないのとなの子ちゃんの正体という余計な機密情報が混じったから下手な事は言いたくない。
「真司が生きてた。マーケットは利用価値があるなら生かすだろうけど、男がその機会に恵まれる事ってあるのか?」
「商品価値は女性の方が高いからよっぽど自己PRが上手くいかない限りは絶望的ね。兵士としての価値を示すのは、一般人には難しいでしょうし。女性でもルックスが良くないと同じ条件かな……」
「私くらい手先が器用だったら大丈夫な感じ?」
「川箕さんは、専属の技術屋になるか娼婦になるかの二択じゃない? 商品として捕らえられた以上はそれくらい絶望的なのよ。だから彼が生きている以上は、何かを示せた事になるけど」
真司がマーケットに示せる価値……何だろう。想像もつかない。川箕は設計図と部品があれば未知の技術が使われたデバイスすら作れてしまうような超人だ。それと同じくらい価値のある何か……アイツに生み出せるのは見破りにくい嘘と無意味な出鱈目だけだと思っていたのに。
「夏目のお兄さんは大丈夫なの? この町に順応してる?」
「何とかやっていけるんじゃないかな。何もしなければ。何で狙われてるのかは本人も良く分かってないみたいだ。一週間凌げるといいけどな」
「心配してるのに置いてきたんだ」
「俺的には二人の方が大切だからさ」
川箕は呆気に取られ、透子は嬉しそうに胸の前に手を置いた。指輪を見せつけるように、或いは―――何か、俺の知らない気持ちを示すように。
「……凄く頼もしい事を言ってくれたみたいだけど、ジュード君。君は何か大切な事を忘れているんじゃないかしら」
「ん?」
「私は世界中のどこからでもその気になれば人間一人の声くらい聞き取れるのよ。まあ、今日は川箕さんの用事に付き合わされて全部聞いていた訳じゃないけど、お兄さんとの会話は十分聞こえたわ」
「………………」
「シたい?」
「え? え? え?」
これだからあのクソ兄貴は駄目だ。余計な事ばっかり口にして、こんな事になってしまって。川箕に軽く事情を説明すると、そこは年相応の元同級生、顔を真っ赤にして口元を手で覆った。
「ええええええ! な、何それ、え。って事は……え、え? ちょ、わ、私の前でやるの!?」
「川箕さんが居ないと困るからこその提案なんだけど」
「何を言ってるんだ?」
「あ、うん。私が説明するよ……え、えっとね! ニーナちゃんのバイザーが何で動いてるか覚えてる?」
「透子の血液だろ。覚えてるよ」
何を食らっても傷一つ負わない無敵の身体を持った彼女が初めて明確な傷を負った……負った? ダメージとは言わない、透子は出血について何も気にしてないどころか、むしろ出血させてくれる事を期待してわざと攻撃を受けたようにも思えるからだ。実際、傷跡はとっくに塞がっているし攻撃されている最中も怯んだ様子が全くなかった。
飽くまで仮説にすぎないが、便宜上血液と呼んでいるだけでその性質は人間の血液とは大きく違う液体だ。だから出血は、ダメージではない可能性が高いと思っている。
「透子ちゃんの血液なんだけど……バイザーの調整の一環でまたちょっと調べてる時に本人が教えてくれたんだ。透子ちゃんの血は全ての生物に猛毒なんだって。有害成分が入ってるんじゃなくて……実際に私の血を垂らして調べたんだけど、透子ちゃんの血が私の血の成分を全部破壊して同じ成分に作り変えちゃうんだよね」
「…………んん? どういう意味だ?」
「―――例えばだよ! 車、ガソリン車ってガソリンで動いてるじゃん。軽油とかって入れたらどうなる?」
「動かなくなるよな。俺は運転した事ないけど、それくらいは分かるよ」
「うん、正解っ。まあ軽油が一滴だけ入ったとかなら大丈夫だけど、透子ちゃんの血液はその一滴のせいで何故か中に残留してるガソリンもまるっと軽油に代わっちゃうみたいな感じ! 組成が変わったら人間も……死ぬしかないよね」
じゃあ透子は出血しても周囲に被害を及ぼすというのか。もしかして騎士達はそれを知っていたから甲冑を着て血液を何らかの形で摂取する事を避けていた? じゃあ彼女がここまで容易に出血できないのも、ある意味で俺達に対する気遣いになっているのか。
「―――なあ。疑問なんだけどなんでお前が説明しないんだ? 川箕が説明しても仕方ないっていうか……別に、説明しにくい事でもないと思ったんだけど」
「……川箕さん」
「何で私に頼るのっ! もう、自分で説明してよ! えっと……ああ、うん。えっとね、じょ、女性の体内には処女膜ってものがあってさ……そ、その。破瓜? えっと。うん。うん。血が出る事、あるじゃん!? も、もしその、夏目がその血を被っちゃうと、死んじゃうっていう……」
「ええ!」
「厳密に言うと、血を摂取・吸収してすぐに効果が発揮する訳ではないけど、それでも数日がタイムリミットになってしまうの。私の身体の硬さは知っての通りだと思うけど、体内に何かを受け入れるって行為は初めてだから……もしかしたら出血するかもしれない。それで君を殺してしまったら、私はどんな顔をすればいいの?」
いや、俺もどんな顔で死ねばいいんだ。
ニーナにはとてもとても聞かせられないような話の流れに一人困惑し続けている。この場合の俺の死因は……毒殺? それを考慮していたからヤケクソでホテルに行こうとする俺を引き留めたり、好きに身体を使わせるといったような言動とは裏腹に奥手な感じだったのか。
「で、話の続きね! 夏目がとんでもない死に方をしちゃう可能性を潰すには確実な方法が一つあって…………………………」
川箕はあまり言いたくなさそうに何度も視線で助けを求めてくる。この話は止めた方がいい? 俺もそう思う。思春期に嘘はないけど、人類史に恥ずか死という訳の分からない死因が追加されるのも時間の問題だからだ。
「な、なんか難しそうだし今日はやめないか!? その、一緒に居るなら時間は幾らでも取れる訳だしさ―――」
ドォンっ!
大砲に着火したような衝撃が、顔の横を突き抜ける。俗に言う壁ドンなんてロマンチックな行為ではない。透子の右手は腕まで突き抜けていた。当然、身体に当たればバラバラに千切れているだろう。これでも全然手加減はしていると思うが(ソニックブームも起きていないし)、生きた心地はしなかった。
「ジュード君」
「は、はい…………!」
「せっかく顔を立ててあげたのに、逃げるなんて駄目よ」
透子はベッドに乗り上げると、そのまま肩を突き飛ばして俺を押し倒した。
「今日はクリスマス。大切な人と過ごす日なんでしょ。君と過ごす日々は毎日大切で、とっても幸せだけど、それこそ、これから幾らでも作れるわ。私はこの日に、大切な人と特別な事をしてみたいの」
「う…………」
「こんな身体だから、私の事を女の子と思ってくれる人は居なくて、全員が私を災害呼ばわり。人間災害は私にとってのアイデンティティだった。でも君は、君だけは私を女の子として見てくれるから…………今日だけは私も、女の子になりたいの」
「と、透子ちゃん? 口説いてる所悪いんだけど、私も巻き込まれるよね? 考慮してないよね?」
透子の身体が覆いかぶさる。柔らかな弾力が胸の間で押し潰れて、理性が端の方から擦り潰されていく。両手を動かして彼女を押しのけようにも、すっかり指を組まれて抑え込まれている。俺に許されているのは頷いたり、頷いたり、頷いたり、頷いたり。
「夏目十朗君。最初で最後の、お願い」
それは犯罪者の名前。
或いは、ジュードの真名。
「私を、抱いてくれる?」




