寄る辺なき終着点
「お父ちゃーん!」
なの子に案内されて倉庫の中に通されると、生活感のある内部の奥でロッキングチェアに腰掛けた男がパソコンを横目に俺の来訪を待っていた様子だった。
「やあ、君がジュードだね」
ボロボロの白衣は映像で見た通り、顔立ちは意外と若かったが、若さをまるで感じさせない白髪と皺がぱっと見の年齢を誤認させる。視界の端で彼を見たら五〇代くらいには見えそうだ。
白衣の袖に隠れて見えにくいが、それぞれ左腕と右足が義手義足に置き換わっている。およそまともな人間の居ないこの町で、分かりやすく脛に傷のありそうな見た目だった。
「なの子のお父さん……ですよね」
「うん。そういう事になる。事の成り行きはしっかり見守らせてもらったよ。ほら、その子を貸して」
ボロボロに破壊されたなの子の残骸を机の上に置くと、男性は眼鏡を外して苦々しく笑った。
「酷い尿の臭いだ。膀胱が腐ってるんじゃないか? 洗ってくれても良かったんだぞ?」
「マシンを水洗いしていいのか分からなかったから……」
「確かに、テレビを水洗いする奴はいないね。ああ、自己紹介がまだだったな。僕はノット。なの子の父親をやらせてもらっている」
「お父ちゃんなの!」
おいで、とノットが娘を呼ぶと、なの子は両手を上げて嬉しそうに突進。父親の胸に飛びつき椅子を大きく揺らした。見かけ上仲良しに見えるだけという事はなく、本当に、血が繋がっているみたいに仲良しだ。
っと、こんな言い方を俺がするのはおかしいか。
「ジュード君、この前はなの子と遊んでくれてありがとう。良ければこれからも娘と仲良くしてやってくれ。見ての通り害はないから」
「…………に、人間に見えるロボットって開発に成功してたんですね。知らなかったです」
「僕だけの技術だぞ。なの子は傍から見ても人間で、生きているように動くだろう。僕の書いたプログラムのお陰だ……そして、二度と書く事はない」
「儲かりそう、ですけどね」
「お金は裏切らないって奴かい? ま、それも確かな事実だ。だけどお金は昔十分すぎる程稼いだ。今の僕が欲しいのはなの子と安心して暮らせる場所だ。このかばね町って奴は、僕みたいな奴が最終的に来てしまう終点。するとこの出会いもある意味必然なのかもね」
「―――あの」
「ん?」
「なの子の本当の名前ってなの子じゃないですよね。良かったら本当の名前を聞いても」
「いや、なの子だよ」
ノットはなの子の頭を撫でながらきっぱりと言い切った。
「ここに来る前は型番で呼んでいた。この町で隠れるにあたって名前を考えていた事は認めよう。だが名前を付ける前に誰かがこの子を『なの子』と呼んで、それを記憶メモリに保存してしまったんだ。ダサいとは僕も思うが―――」
「なの子なの!」
「―――まあ、本人が面白がってるしこれでいいかなとも思うよ」
飽くまで子供の感情を優先する姿勢を崩さない。それだけで俺には良い親に見えてしまう。勿論、良い親と呼ぶための評価項目なんて物はなく相性でしかないのだけれど。
「その壊れたなの子は直せるのか?」
「勿論だ。うちの子は……詳しい話は避けるが、全身が細かいロボットで構成されてる。親である俺の命令があれば自己修復をするから心配しなくても大丈夫だ。ロボットと分かったのに君は随分と優しいんだな」
「あんな事になってほしくなかったのは確かですし……そうだ。聞きたい事があってここに来たんです。お礼代わりに聞いても大丈夫ですか?」
「別に構わないよ。だけど少し待ってほしい。用事なら今発生した。なの子を壊してくれた奴等を殺さないとな」
俺が口を挟む前に、ノットは掌を突き出して発言を制止した。言わんとしている事は分かっている、とばかりに。
「勘違いしないでほしいんだが、なの子を壊された事には怒っていない。こんな町で生きてるんだ、そういう事もあるだろう。ただ君が騙されていたように、なの子の真実は極秘事項―――バレていてはいけない事なんだ。それを破壊した事で知られてしまった。だから殺さないと駄目だ」
「じゃ、じゃあ俺も……殺しますか?」
「ははは。君は無理だな。人間型災害は君に首ったけなんだろう。たとえばここで僕がゼロ距離から銃撃しても、君に着弾するより早く僕の頭は吹き飛ばされ、なの子は完全に機能停止に追い込まれる。だから君にだけはお願いしか出来ない。どうかバラさないでほしい。ここは僕達の最後の楽園なんだ」
「……ばらすつもりは元々ないんですけど。分かりました」
「お兄ちゃん優しいの!」
「これからもうちの娘をよろしく頼むよ。それじゃ、処刑に移ろうか」
ノットに連れられてやってきたのは倉庫の中―――厳密には、倉庫で囲まれたある種の庭だ。外壁代わりの倉庫の入り口は全て内側に向けられており、俺が昏倒させた集団はもれなく全員が庭の中に放り出された。もしあの倉庫から猛獣が出てきたら、餌と間違われて食べられる事は想像に難くない。
「…………なの子ちゃんを大切にする理由は、やっぱり特別なロボットだからですか?」
「ん? それもそうだけど、ちょっとした罪滅ぼしだな。丁度君が―――昏倒させた人間として最期を見届けるなんて酔狂をやっているように、僕も馬鹿な事をしたくなった。あの子はね、善悪の概念が曖昧だ。そういう風に学習させてしまった僕が悪い。良い悪いという言葉は知っていても、体験的な学習は出来ていない。楽しそうかどうかを優先する。例えば―――この処刑はなの子にとって楽しい事でもあるんだ」
倉庫の上に立ってなの子が彼等に水をかける様子をずっと観察させられている。目が覚めたら始まるらしい。それまでずっと一人の幼女がバケツで水を汲んでは人にかけるだけの往復だ。
「あれはロボットだ。当然血は繋がっていない。けれど僕はその繋がっていた幸せを全部叩き壊していた側の人間で……なんというか、勝手にいたたまれなくなったのさ。最先端技術を最初に使うのはいつだって悪党だが、それを許せなくなってしまった。新しく作り直すのも、もう難しいな」
「作り直せるんですか?」
「……まあ、見ていてくれ」
最初に起きたのは口元を布で覆った女性だ。英語だか何だか分からない言語で叫んでいるがなの子は応じないし、そもそも体を縛られているせいで喚いて暴れ回っても、遠目からは芋虫に見える。
「なの子、遊んでやりなさい」
「はーい!」
なの子が首に巻いた笛を吹くと、倉庫の扉にかかっていたロックが一斉に解除。
「なの!」
「なの!」
「なの!」
「なのの!」
中から雪崩のように流れてきたのは無数のなの子。それぞれ手に様々な凶器を持っている。倉庫の中に常備してあるのだろう、取り損ねて一旦帰る個体も居た。
「な、なの子がいっぱい……」
「全員同一の意識、同一の自我で動いている。作り直した個体だ。どれか一人でも矯正出来ればそいつを主人格にするんだが、その試みが失敗した回数が正にこの数だ」
なの子は一人の子供として信じられない程無邪気で可愛いと思うが、それが何十人何百人といると幾ら可愛くても限度がある。同じ顔の人間が、しかも凶器を持って囲んでいるのだ。俯瞰で見ている俺でもこれなら、囲まれている彼らはどう思うか。
大量のなの子の声に次々と男達も目覚めていく。俺に殴られてからの記憶はなさそうだが目の前の状況が異常である事は把握したようで、俺とノットに向かって多分助けを求めていた。『Help』くらいは聞こえたから、多分。
「一人のなの子のストレス値が上がると全員分が上昇する。お父ちゃんと懐いてくれてはいるが、管理を怠れば今度は僕が殺されるだろうな。だから処刑はそういう意味でもしないといけない。なの子にとっては遊びなんだ」
「…………仲良くしてくれって、本当にその、リスク管理的な意味だったんですね」
「沢山の人と仲良くなってくれればそれだけ僕は疲れず管理出来るからな。だから言動は無害で表面上も無力に見えるだろう。実際、一度もデストロイモードにチェンジさせた事はないんだ」
デストロイモード……!?
なの子にデストロイなんて世界一似合わない言葉だけど。
「さて、これから始まるのは集団リンチだ。親愛なるジュード君。目を覆いたくなるような惨劇をそれでも見届けるかい?」
「―――俺の責任ですからね。人を殴るくらいの勇気はあっても殺す覚悟がなかった俺の代わりになの子が手を下すって話なんです。だから、せめて見届けないと」
「そうか、なら―――楽しんでくれ」
「みんなで悪者をやっつけるの!」
「なのー!」
「行くのー!」
「やっちゃうのー!」
各々好きな声を上げて身動きの取れない彼らに襲い掛かっていく。その光景を見ていたら一つ思い出した。子供の頃は虫が平気だったのに、ある特定の年齢から突然虫に気持ち悪いという感情を抱くようになった事を。また、俺にはない経験だが、平気で蟻の足や蝶の羽をむしる子供が居たっけ。それをお母さんに見せて怖がらせたり、怒られたり。あれは悪意があってやっている訳ではない。虫を絶滅させたくてたまらないからやっている訳じゃない。
単なる、興味だ。
「ぐぎっ」
「ぎゃっ」
「も、もうやめ―――ギュ」
聞こえてはいけない音ばかり連なっていく。この目に焼き付けないといけない光景は、しかし夢には出てほしくないと切に願うばかり。あまりにも悪夢だ。現実だと信じたくない。
「ふむ。人間型災害の傍に居てそんな反応をするのか。確かにここ最近は大人しい気もするな」
「……透子は望んで人を殺してる訳じゃないですから」
「望んで殺してもないのに災害呼ばわりされるなら、この世は何事も信用ならないじゃないか。だからこそ彼女は、君に強く執着しているのかもしれないが」




