一末の屍に染まる
「はぁ…………はぁ…………はぁ……」
「うぅ……ぐす…………うう……」
もう、最悪だ。傘で人をボコボコに殴り倒す日が来るなんて。無我夢中だったが、別に相手は死んでいない。ただ完全に気を失って伸びている。ついでに言えば、まあまあな打撲痕を残した。
寝室に飛び込んだ俺が目撃したのは押し込み強姦の現場だ。相当抵抗したのだろう、写真と比較したら比べ物にならない程顔は酷く晴れ上がっているが間違いなく店員の一人だ。男はナイフを持っていたから、後少し飛び込むのが遅かったら殺されていたかもしれない。
この町じゃよくある事だと言いたいが、家にまで押しかけるのはまた随分珍しい行為だ。こんな町で暮らす住人なら、武器の一つや二つ用意していてもおかしくない、何せ半分以上銃社会のエリアだ。それなのに、こんな真似をしたのか。
「だ、大丈夫か?」
「…………だ、だれぇ?」
「俺は、あー透子の彼氏……かな」
まだそんな関係じゃないけど、知り合いというよりはそう言った方が信じてもらえると思った。案の定、その名前は効果的で、泣きじゃくって俺にすら怯えていた様子の女性は泣き止んで起き上がった。開けた服は、きちんと布団で隠している。
「まつりんの彼氏……?」
「まつりん? ……そんな呼ばれ方されてたのか」
「彼氏なら、まつりんのスリーサイズ分かる?」
「分からないよ! え、俺が知らないだけで恋人になるときにスリーサイズ申告しないといけないのか!? なんかやだなそれ! 疑うなら本人に電話してくれよ。それで証明出来るから」
「えーじゃあ電話する……」
信用がゼロだった。
しかしこれも無理からぬ話だ。直前に男に襲われているし、男を信じろというのは難しすぎる。俺も無我夢中で人を背後からボコボコに殴って気絶させる経験は初めてで、疲れた。休憩させてもらおう。
「もしもし……透子ちゃん? 彼氏がさ、うち来てさ……」
思ったが、こんな形で透子と連絡を取るなら俺が彼女に報告する意味はない気がしてきた。電話はすぐに終わると思ったが何故か終わらない。別にどちらかが喋っている訳でもなさそうだ。
「うん。分かった。おっけ。じゃ」
電話が終わると、女性が俺の方を見た。
「なんかテンパってたけど」
「え?」
「え?」
「何で挙動不審になってたんだ?」
「彼氏について聞いたら、なんかおかしかった」
……。
透子に話を合わせる能力はなかったようだ。だが疑いは晴れて、警戒心は完全になくなったように思う。人間災害という正体については知らなさそうだが、透子自体は随分信用されているみたいで何よりだ。ティルナさんを助けていた件といいやっぱり結構お人よし。
「信用してもらえて良かった。それで、改めて言うんだけど俺は無償で助けに来た訳じゃないんだ。透子の代わりにお店に出てくれないかなって」
「え~。だって私こんなだし……他の子当たってよ。接客は顔が命なんだよ。透子ちゃんが出てればいいじゃん。一番可愛いんだし」
「透子だって予定があるだろ! なんだと思ってるんだよ」
「とにかく私はやだ!」
「……行かなかったらクビらしいぞ」
「えーそれもやだ!」
透子がハッタリを用意していたのはこれを見越していたのかもしれない。だがハッタリの手札はこれしか用意されていないから、もう一押しするなら俺からも何か言わないと。
「……あの職場以上に安全な場所なんてないんじゃないのか?」
「んー?」
「あそこはそれで売ってるんだろ。家に居たら襲われたんが今じゃないか。働いてる方がマシだと思わないか? 顔は…………なんか、お面とかつけよう。理由つけてお店に居た方が襲われない筈だぞ」
「…………」
仮に襲いに来る人間が居てもあの中にどれだけ腕に覚えのある悪党が居ると思っているのだ。それでも襲おうと決断するなら、最低でも透子が不在かどうかは正体を知っていて且つ俺とのやりとりを見ていないと出来ない。そして透子が本気を出したら多分それを認識するのは不可能だ。
これで十分抑止力になっている。かばね町が真の混沌手前で止まっているのは誰もが人間災害の反撃に遭う事を恐れているからだ。同じ理屈である。
「それさー、私ワンオペ?」
「いや、他の子も探す予定だ。連絡が取れないらしいから直接行く」
「ふーん。じゃあ私も行くから絶対来いって伝えてね」
「……ああ。その方が説得出来るなら言うよ」
今度こそ平和に説得出来たらいいが。
「……そうだ、最後に聞かせてくれ。何で襲われてたんだ?」
「え、そんな事言われても…………」
「そうか。や、理由がないんだったらいいんだ。じゃあな。あ、土足ごめん」
「いいよいいよ~」
次に訪れた家は、燃やされていた。
「………………」
偶然で片付けたかったが、その次の家が今度は解体作業に入っている所でいよいよ確信に変わる。誰かが意図的に、カフェの従業員を狙っている事に。安否は不明だが、これで手がかりはなくなった。
最後の一人の住所に至っては家じゃない。コンテナだ。なんだか住所と呼ぶのも気が引けるが、燃えたり解体されていないだけマシだろう。扉を叩くと、ボイスチェンジャーのかかった声が聞こえてきた。
「誰だ?」
「あー……透子の彼氏。疑うなら本人に電話してくれ」
暫くすると、コンテナの扉が開いて中から一人の女の子が訝るように俺を睨みつけていた。写真で見た顔なので、人違いではない。
「まつりんに彼氏なんて居た?」
「その呼び方で統一されてるのか? 普通に呼んでる俺が間違ってたのか?」
でも川箕も透子ちゃんって呼んでるし……。
まつりん、の名前に反応したのだろうか。コンテナの奥から続々と女の子が顔を出してくる。全て写真で見た顔だ。というか、ここに来るまでに彼女達の家に向かった訳だが。
―――避難してる、のか?
「ごめん。別の用事があって訪ねたんだけど先に聞かせてくれ。君達全員襲われてるぞ。何でこうなってるんだ?」
「し、知らないって! 訳分かんない事言われて、放火されたんだから!」
「知ってたら逃げないでしょ!」
「なーんか私も被害者みたいな感じだけど、こっちは別になんもないからね」
「………………分かった。じゃあ本来の用事だ。お店に戻ってきてくれないか? お店が凄い混雑してて、透子はワンオペに困ってた。彼女にも大事な用事があって、家に帰してやりたいんだ。二人は襲われてここに逃げてきたんだろ。お店で働いてた方が安全だと思わないか?」
三人でひそひそと話している。作戦会議染みた内緒話に異議はないが俺はそこまで怪しまれる見た目なのだろうか。警戒心を解かないのは良い事で、勝手にもやついている自分が悪い。最初に出会った人間が透子だったせいでこの辺りが麻痺しているのかもしれない。彼女は、誰かを警戒なんてする必要のない存在だったから。
「……そろそろ会議を終わらせてくれると助かるんだけど」
「あ、うん。ごめんなさーい。そうだよね、いつもまつりんに無理言ってるし今回は行こっかな。それってあれでしょ、店長からの言いつけなんでしょ」
「お、おう……似たような感じかな」
「私は被害になんて遭ってないけど……危なそうだし行こうかな。イヴに出勤なんて冗談じゃなかったんだけど」
「ねー、危ないよねー!」
一般人が狩人になったイベントと言うが、どうも全ての住人がそれを周知している訳ではないようだ。少なくとも彼女達は勘違いをしている。透子の言った様に、例年通りのイベントが起きていると思っている言い草だ。
―――なんか、色々とおかしいな。
細かい事は後で考えよう。とにかく、これで透子は帰れるのだ。連絡が取れなかった理由はシチュエーションは違えど襲われていたのと―――クリスマスに面倒はごめんとバックレたから、という風に処理しよう。
透子に電話をかけると、ワンコールが終わらない内に電話に出た。
『もしもし透子? 全員何とか無事だったぞ。気になる事はあったけど全員出てくれるってさ』
『か……彼氏』
『え?』
『告白、されてないけど。彼女…………だったの?』




