聖夜に広がるララバイ
「………………」
な、何で兄ちゃんが?
夏目勇人。俺の兄。本当に血が繋がっているのか疑わしくなるくらい俺と真逆の性格の家族……と言ってしまうのは果たしてどうなのか。自分から捨てに行ったのだから家族ではなくもう他人―――いや、他人に話すときにややこしくなるのは困るから家族という扱いでいいけど。
喧嘩別れみたいな感じになっちゃったけど、兄ちゃんにはそこまで大した恨みはない。俺の事を理解してくれなかった事も、反りが合わなかっただけとして吞み込めるくらいだ。両親みたいに力ずくで従わせようとしてくる事もなかったし……今の俺は、幸せだから。もし顔を合わせるような事があっても普通に話せるだろうと思っていた。
「と、透子。ちょっと……いいか」
「ええ」
バックヤードに連れて行ってもらえればここじゃ言えない話も出来る。ジュードと夏目十朗は同一人物であってはいけないのだ。真実を知る人間は居るが、軽々しくそれが広まるような事はあってはならない。レインみたいに勘違いしてくれているならその方がいい。
「何?」
「ビンゴブック……って言っていいのかな。何で俺の兄ちゃんが含まれてるんだ?」
「え? …………何で?」
「お前も知らないのかよ! あの人、流石に町を離れただろ。かばね町にいい印象なんて持ってなかったし、ここで暮らしてるから……載ってるんだよな?」
疑問はまだある。俺との血縁関係について誰が漏らしたのかという話だ。思い当たるのは真司くらいだが、アイツはマーケットに捕まっている。マーケットの人間に吹聴は出来てもここまで町全体に流布させる事は不可能だし……そもそもこのやり方ではヘイトが向くのは俺ではなく兄ちゃんだ。真司は兄ちゃんにそこまで固執していたか?
「……言い忘れたんだけど。その、町の外と中についての話を」
「急になんだよ」
「こうも考えられないかしら。そんなに穏やかに過ごしたいなら法律の機能してる外に出ればいいだけじゃないかって」
「……そうだな。外はここよりずっと広いし、そうなる、な。え? じゃあどうして集まってるんだ?」
「ずばりそれが今回の催しの厄介な所なのよ。ハンターは一般人。幾ら町の外と中が検閲所で分断されているんだとしても、特に後ろめたい事のない一般人は通行出来るわ。でも考えてもみて、法律が機能していたって事件がなくなる訳じゃない。テレビを見ればかばね町とは無関係の犯罪が次々起こっているでしょう」
「…………まあ、包丁とか、最悪その辺の石でもいいけど、凶器なんて何処でも手に入るもんな。当たり前だ」
「そう。私達と違って一般人は中と外を自由に往来出来るのよ。だからかばね町の外に逃げても安全とは限らない。誰がハンターかなんて見分けられないんだから。君のお兄さん、何故か顔までしっかり撮られているわね。中に居ようが外にいようがこうなったら関係ないわ。催しが終わるまで狙われるわよ」
―――――血の気が、引いていくようだ。
ほんの少し前まで楽しいパーティーが始まる事に胸を高鳴らせていたのに、どうしてこうなった。兄ちゃんを巻き込みたくて俺はこの町で生きているんじゃない。無関係の、知らない場所で幸せになってくれたらそれで良かったのに。
「………………少し一人にした方が良さそうね。私は戻るから」
「いや、大丈夫だ。俺だって腐ってもここの住人だよ。この程度受け止められなきゃしょうがない。兄ちゃんに連絡を取る方法は……前の携帯!」
…………ベッドに投げ捨ててからの記憶がないけど、もしあのままなら充電をすればまだ使える筈だ。あれで連絡を取ればきっと。
「前の携帯は、私が処分したけど」
「な、何?」
「解約されてたから、持っていても仕方なかったのよ。本当は…………君のお父さんと直接話したかったんだけど」
ああ、そういえばそういう流れだったか。メッセージが鬱陶しくて、俺には不要だと思って透子に渡した気がする。俺にはジュードとしての人生以外が不要だ。透子―――今は川箕も―――と繋がっている携帯があれば十分だった。そんな感情的な断捨離がこんな所で悩みの種になってしまうとは。
―――落ち着け、落ち着け。
全体を見るから絶望する。一つ一つに向き合っていけばこの絶望も今よりはマシに思えてくるだろう。
まず、俺は帰ってこない透子を迎えにここまでやってきた。目的はクリスマスパーティーだ。明日と今日、特別な日を特別な人と過ごしたくて。或いは……今より関係が進展するかもしれないし。
ところが俺達の事情などお構いなしにかばね町特有の催しが彼女を困らせていた。いや、透子どころか多くの人間が困っていた。その中の一人に何故か俺の兄が居て、兄ちゃんは多分この事を把握していない。
「透子。お前が帰れる条件を教えてくれないか?」
「今そんな話してなかったと思ったけど?」
「こんなに沢山の問題があるなら川箕の協力も必要だろ。ていうかそもそも、俺はお前を迎えに来たんだ! だからまずは透子に……帰ってきてほしいんだよ」
透子だけが大切。
透子以外はどうなっても構わない。
そうは言わないが、兄ちゃんの事が解決しても透子が帰れないのでは本末転倒だ。さっきも言ったが、便宜上家族という扱いにしているだけで俺達は他人として生きる事になった筈だ。他人とは、必要以上に干渉しないものである。兄ちゃんの事を心配している気持ちに嘘はないが、それを優先する程の情はあるべきじゃない。俺にとっての家族は―――目の前の、女の子。
「…………じゃあ、こうしましょうか。私は川箕さんの家に帰るから、君はそれまでに私以外の子の安否を確認してくれる?」
「お店は……空っぽか?」
「私がワンオペなのは全員分かっているから、多少居なくなっても不審がられないわ。バックヤードまで見に来る人なんて早々居ないでしょう?」
そう言って透子は休憩室の引き出しから何枚かの写真を取り出した。このお店で働く女の子―――透子からすれば同僚の顔だ。
「えっと。安全そうならお店まで引っ張り出せばいいんだよな」
「ええ。行かないならクビだっていう伝言を添えておいて。ただのハッタリだけどね。それでもし―――無事ではなく、死んでいたら。その時は私に連絡して。全員死んでいるのを確認したら店長にその報告をするから」
「い、嫌な事言うなあ」
透子は裏口の扉を開けると、日傘を手にして俺の方を向いた。夜間の日傘について今更使用を突っ込むのは野暮だ。
「………………」
「……ん?」
「私、君と毎日一緒に生きられて幸せよ。永遠にこんな時間が続けばいいのにって、最近はそればっかり」
「お、おう。俺も……同じ気持ちだよ」
「もっと、色んな事をしたい。もっと…………ううん。これは雰囲気の良さそうな場所で言おうかしら。じゃあ、頑張ってね。いい報告を期待しているわ」
透子が去った後、俺はパーティーでの波乱を期待しつつ写真を改めて見つめた。どの子も笑顔なのは、やはり接客は愛想がよくなければ駄目という事だろうか。しかしお世辞にも透子の愛想はあまり……たまに見せる笑顔が凄く可愛いという話は、接客には関係ないだろうし。
写真の裏にはそれぞれ住所。一番近い人の所へ行ってみようか。バックヤードから店内に戻ってくると、レインの隣に座って、俺は図々しく手を出した。
「すまない、レイン。リスト見せてくれ」
実は注目していなかっただけで店員の子達もリストに入っている可能性もあったが、流石にそれは杞憂だった。カフェの店員ごときにつける賞金などないという訳だ。その方がずっと有難い。
イヴのかばね町はいつにも増した狂騒に満ちているが、一旦事情を知ったせいだろうか。ノートやメモ帳を片手にじろじろと人の顔を見る人間を何人も見かけた。
「ちっ。こいつ賞金ついてそうだと思ったんだけどな」
なんて、唾を吐きかける勢いで悪態を吐く人間も居る。賞金は、夏目十郎の方についていそうだ。指名手配だし。
「一人目、だな」
粗末なアパートだ。特別言う事もないし、外から見て異常な事が起きているようにも見えない。インターホンを押そうとして、扉が開いている事に気づいた。
「…………あのー!」
「誰かあああああ! いやああああ! たす! ぎゃ! やああ!」
「来たらぶっ殺すぞ!」
俺の声に反応して、奥の部屋から二つの声。それぞれ男と女だ。何か脅された気もするが、躊躇っている場合ではない。傘立てから傘を一本拝借すると俺は土足で部屋に上がり、騒がしくなる寝室へと飛び込んだ。
怖くなんて無かった。
ニーナが俺を、善い人だと誤認している限り。




