10.迎え撃つ準備を
天井の高い部屋に赤みを帯び始めた日の光が差し込んでいる。
ベルトランドが指に摘まんだガラス玉を石盤の上に静かに置くと、石と硝子が合わさる小気味よい音が響く。
ひとつの石盤を乗せたテーブルを間に挟んで、色違いの硝子玉を手に持ったアイナと対面していた。
街の市場が落ち着き始め、また酒場などが店を開け始める頃合い。二人はこうした遊戯に興じることがある。示し合わせるわけでもなく、アイナが館に押し掛けてきた時に余裕があれば相手をする。余裕がなければお茶とお菓子を出して執務中に会話に付き合う程度だ。
「そろそろウィナは帰路につく頃でしょうか」
アイナが紅色の硝子玉を置きながら切り出してきた。その話題に自分でも思うところがあるのか、ベルトランドはぼやくように言葉を返す。
「ウィナフレッドを送ったのは『お告げ』ですか」
アイナはこちらの顔をちらりと見て、再び石盤に視線を戻した。
「違いますよ。やっぱり気に食わなかったのですか」
「……気に食わない、というと語弊がありますな。不安だというのが的確でしょう」
「貴方は堅実な考え方が好きですからね。この間、教えたでしょう。人を導くには遊び心も必要だと」
青色の硝子玉のひとつを取り除きながらしれっと言うアイナに、思い当たる節がないベルトランドはため息をつく。返ってくる答えを予想しつつも、ベルトランドは丁寧に問いかけた。
「それはいつの事でしょうか」
「貴方が八歳の時、庭で遊んであげながら教えました」
「せめて十年以内の話にしてほしいものだ」
言いながら、今度はベルトランドが硝子玉を移動させる。その結果に視界の端でアイナの口が尖るが、気にせず紅色の硝子玉を盤上から取り除いた。
こういう時、彼女との寿命の違いによる認識のズレ――時間感覚の不一致により齟齬が生じることがある。アイナは十年前の出来事を昨日の事のように話したかと思えば、教会で引き取っている子供の成長を日ごとに喜び、詳らかに語るのだ。老いるにつれ時間の感覚が早くなる人間には到底分かりえない、そんな密度の中で彼女は生きているのだろう。
「あの子にはあの子の自由がある。それは認めます。だが道を示すのも親の務めでもあります。アイナ様はあの子に何を求めているので?」
話を戻すとアイナの硝子玉を取ろうとした手が止まった。しばしの静寂の後、紡ぐように言葉を口にする。
「……きっと、私はウィナにちょっかいをかけたいのですよ。可愛いのです。愚直で元気で賢くて、それでいて異質なあの子が」
その言葉にベルトランドは一旦テーブルから身体を引き、ソファに深く背中を預ける。
「異質……ですか」
「全く魔法が使えない体質、前世のものと思われる記憶。本当に異質な存在でしょう? そのひとつだけでも唯一のものだというのに」
「考え方、見え方の違いでしょうか。私にはウィナフレッドがそのような存在に感じません」
「それはきっと貴方がそうあってほしいと思っているからですよ」
ですが、とアイナが続ける。
「もちろん実際のウィナは街の娘とそう変わらない、ただの女の子です。むしろ器用なあの子は何者にもなれるでしょう。学院の勉強にもついていけているようですし」
「ではなぜ魔装などに近づけるのです。あの子は小さい頃こそ騎士に憧れてはいましたが、今は立派に侍女を務めている。この先もこの家を支えてくれるでしょう」
「楽しみです。でも――」
ベルトランドは短く言葉を切ったアイナの顔を見た。アイナはどこか物悲しそうな表情で、ソファに座り直してから、
「案外、その枠に収まらないかもしれませんよ」
自分の硝子玉ではなく、青色の硝子玉を撫でながら物憂げに息を漏らした。その様子にベルトランドは顎に手を当てて眉をひそめる。
「お疲れですか? たまには行楽などに出かけるのも良いのでは。ウィナフレッドのように」
「当てつけに聞こえますよ」
「否定はしませんが、同時に本心でもあります。なんとなくウィナフレッドと貴女に共通点を感じていたものですから」
「……それは?」
茶化したつもりだったが、アイナは一度瞼を落としてから視線を投げつけてきた。その仕草に圧のようなものを感じて、不思議に思いつつも答えを口にする。
「二人とも冒険が好きなのです。ウィナフレッドは未知のものに萎縮しない。アイナ様も新しいものや変わったものがお好きでしょう」
それを聞いたアイナは目を瞬かせて、それから安心したように表情を柔らかく崩した。
「嬉しいわ」
「お怒りになるかと」
「長く生きていると、つい自分を見守る側に置いてしまうの。誰かに見てもらえるというのは心地良いのですよ」
アイナの手が石盤の上におかれる。豪奢な装飾を施されたそれを愛でるように撫でていると、突如その手が跳ねた。
「アイナ様……?」
ベルトランドは異変を察して身を乗り出す。アイナはテーブルの上に視線を落としたまま、そこではないところ見ているように動きを止めたままだ。しばしの間の後、アイナは弾かれたように立ち上がる。その表情は顔色すら変わらないものの、打って変わって戦慄の冷たさを感じさせた。
「忌獣が来ます。迎え撃つ準備を」
「忌獣――!? このライニーズに!?」
ベルトランドは手を叩いて使用人を呼ぶ。突然の話にもアイナを疑うようなことはしない。アイナがそういうのならそれは事実なのだから。
「この街にある全ての魔装を動員しなさい。アルバラードとルディーンにも協力を要請します。至急!」
「承知致しました……!」
言うや否やアイナは遊戯室から飛び出した。ただならぬ気配に集まった使用人たちへ、ベルトランドは落ち着いて指示を飛ばす。
テーブルの上に散らばった硝子玉の中から、青色のものがひとつ床に転がって、日の光を照り返していた。




