29、宴が催されました
絶壁を登ったことはいままでの人生で一度もないけれど、もしそんなことをするときがきたのなら、きっとこんな感じなんだろう。
荷物の重みが体中にのしかかり、体を支える四肢は震え、風なんかが吹けば体が煽られて落ちそうになる恐怖を味わう。
「っぐ……あともう少し…」
痺れる体に鞭打ち、必死に上を目指して腕を伸ばし、頂へと辿り着く一歩をまた踏み出す。
息が切れるも、登れば登るほど感じる空気の涼しさは、なかなか魅力的である。
『パパー!がんばれー!』
『わぁ~たか~い!』
『きゃー!』
背中から聞こえる歓声を糧に、もう一度腕を天に伸ばし、そしてついに頂へと辿り着く最後の支柱を握った。
残った気力と体力を振り絞り、重い体を持ち上げ、頂上に転がり込む。
「はぁ…はぁ…やっと…ついた…」
『ぱぱすごいー』
『おつかれおつかれ~』
『お水、いる?』
背中から重荷がなくなり、急に体が軽くなった。僕は差し出された水を寝転がったまま一気に飲み、仰向けに転がって天を仰いだ。
ここは僕らの住む屋敷の隣に併設した遊技場、その中のひとつであるジャングルジムの頂上である。
ジャングルジムといっても、このジャングルジムと僕らのもといた世界のそれとでは規模が違う。大きさはざっと普通のやつの3倍ほどで、頂上には木の板が敷かれている。
汗水垂らしてどうしてこんなことをしているのかというと、話は少し前にさかのぼる。
◆◆◆◆◆◆
朝。サーシャの部屋をあとにした僕は早速、朝食の準備に取り掛かっていた。
鍋には結構な量のカレーが残っていた――――どうやら孝とイリアが昨日の晩に作ったみたいだ――――ので、水を足してカレースープに作り直した。
ボウルに卵と小麦粉を総動員して、フライパンでパンケーキを何枚も増産してバターとハチミツをかけていく。
「あとは適当に果物を添えて………よし、こんな感じでいいかな?」
とりあえず試食してみると、ちょうどいい甘さになっており、意外とカレースープとの相性もよかった。
全員のお皿に盛り付けた僕は、それをテーブルの方へとワゴンで運んでいく。ガラガラと小気味良い音を立てながら、ワゴンのタイヤが床を滑る。
『……う~ん、むにゃむにゃ…』
「あれ?」
ちょうど3往復目が終わったところで、別館につながる廊下から誰かがキッチンに入ってきた。
目を擦りながらよちよちと入ってきたのは、一人の女の子だった。ナイトキャップやら抱えている人形やらは、見た感じ新しいので姉さんたちが与えたのだろう。
「おはよう、ずいぶん早起きさんだね♪」
『むぇ?ぱ…ぱ…?』
エプロンをはずしながらその子に近づいてあいさつをする。腕時計を見ると、まだ時刻は朝の6時ちょっとすぎ。見た感じまだ4才ほどの子が起きてくるには、いささか早い時刻ではあった。
少女は眠そうに細めていた目を見開き、途端にその目からぽろぽろと大粒の涙を流し始めた。
って、ええ?
『ぱ…ぱ……ぱぱぁ!!!!』
急に叫び始めたと思ったときには、幼女は僕目掛けて必死に走り寄ってきていた。手に持っていた人形を振り回し、ナイトキャップを床に落としながら、必死に『パパ』と叫びながら突撃してくる。
僕は言い得ない罪悪感を感じながら、走ってくる我が子(仮)を自身の胸でしっかりと抱きとめた。
僕の服にしがみつきながらわんわんと泣き叫ぶ幼女。僕はその背中を優しく撫でることしかできなかった。
いったい、どうしたというのだろうか。怖い夢でも見たのかな?
「あら海斗、今日はずいぶんと早いのね」
今度は本館側の扉から誰かが入ってきたようだ。
振り返った先には、昨日のことが嘘のように元通りになった優奈が悠然と僕を見下ろしていた。
「ふんふん……今日はパンケーキのようね♪あら、その子は……」
鼻をひくつかせて今日のメニューを言い当てた優奈は、僕の胸の中で泣き続ける幼女に視線を向けてきた。
というかさっきまで気づいてなかったんかい!こんなに大声で泣いてるっていうのに!パンケーキのほうが優先順位が上って、どういうこと!?
幼女を視界に収めた優奈は『あちゃ~』と言いながら頭を抱えた。
……何か心当たりがあるみたいだ。あまりいい情報ではなさそうだけど。
「海斗、今日は覚悟したほうがいいかもしれないわ」
「え、なんで?」
「昨日の夜、海斗は一度も子供たちに顔を合わせていないわよね?それが子供たちには結構不安だったみたいでね。何人も泣き出しちゃって大変だったんだから」
「そうだったんだ…それはなんだか悪いことをしちゃったね……」
不安になりすぎて、建物を半壊させるどこかの誰かさんたちよりは遥かにましだけど。
でも子供たちが泣いちゃったのは、やっぱり僕が悪い事だし……なんとかしてやれないかな…
「今日はたぶん、海斗にとってかなり忙しい一日になると思うわ」
「え?それってどういう―――――」
次の言葉を発しようとするが、それは叶わなかった。地響きのようなものが足元から伝わってきたのだ。
ダンッダダンと不規則に響いてくることから地震ではなさそうだけど、明らかにおかしい。
これじゃあまるで足音のようだ。
「ほらきた」
優奈がため息まじりにそうつぶやいた途端、背後にあった両開きの扉が大きな音を立てて開け放たれた。
そこから流れ込んできたのは色とりどりのパジャマを着た、我が子たちだった。
それはさながら、土石流か雪山で起きる雪崩を想像させた。
◆◆◆◆◆◆
「で、そのあとみんなに泣きつかれて、昨日の罪滅ぼしとして今日一日を子供たちの遊びに費やす、ってことになったんだっけ……」
『ぱぱーなにぶつぶついってゆのー?』
「あはは、何でもないよ」
『えへへ』
頭を撫でてやると、僕の顔を覗き込んできていた少年はうれしそうに笑った。
それにしても、子供と遊ぶのがこんなにハードだったとは思わなかったよ。
さっきは5人を背負った状態でここまで登ってきたし、その前は全員鬼ごっこの鬼役、その前はおままごとで旦那役を演じて、その前は―――――
ああ、子育てをしている人って、日々こんな偉業を成し遂げていたんだ。全世界のお父さんお母さんに敬礼!
『ぱぱー、次はブランコやろー!』
『だめ!次はいっしょにシーソーすゆの!』
『ぼくはトランポリンがやりたいな…』
ジャングルジムの下から、何人かの少年少女たちが思い思いの提案をしてきた。
僕は口の中で『ブランコ、シーソー、トランポリン……』と独り言のようにつぶやいた。
頭の中に浮かぶのは、どれも僕の知っている遊具ではなかった。
ブランコは人力のものではなく、いわゆる空中ブランコと言われるグルグル回るやつで、かなりの高度とスピードを伴っていた。
シーソーも、船を模した乗り物が振り子のように動くものだった。勢いもなかなかのもの。
トランポリンは完全に競技用のものを遥かに超えており、とんでもないところまで跳んでしまう化け物と化していた。
ここの遊具はすべて、先日僕が設置したものなのだけど、まさかこんなものだったとはまったく想像していなかった。
だって『創造の部屋』にあった模型はすべてふつうの遊具の形をしていたんだもん!まさか実際はこんなものだったなんて、まったく考えてもいなかったんだよ!
まぁ安全性はかなり高いみたいで、危険防止機能とかが勝手に動いてるみたいだからいいんだけどさ。
でもこれじゃあ完全に遊園地じゃないか。それでもいいんだろうけど、なんか考えてたのと違っていて……
『ぱぱーはーやーくー!』
「あ…ああわかった!今行くよー!」
……気にするだけ、時間の無駄かな?
今は、この子たちとめいいっぱい遊ぶとしますか!
◆◆◆◆◆◆
「そう……そんなことが……」
「はい。すみません皆さん……カイト様の帰りが遅かったのはすべてわたしが悪いんです。なんとお詫び申し上げればよいか……」
「いいんですよソラリスさん。そういうことならお兄ちゃんもはやく言ってくれればいいのに……」
「……わたしたちが問答無用で襲い掛かったから悪い…」
戦士ギルドでソラリスから昨日の出来事を聞いた私たちは驚愕していた。
エレメントが昨日の朝に現れたこと、海斗はその討伐に命懸けで挑んでいたこと。それらの事実が、わたしたちの胸をひどく締め付けた。
誤解していたとはいえ、死に物狂いで戦ってきたカイトに対して、わたしたちはなんてひどいことをしてしまったんだ、と。
「わたしは…姉失格なのかもしれない…」
「お姉ちゃん……それは今に始まった事じゃないと思うんだけど…」
「……実の弟と結婚したがる時点でいろいろとアウト…」
志穂と美琴が思いつめているわたしにさらに追い討ちを掛けてくる。フィーやムラマサ、優奈もうんうんとうなずいて共感していた。
……わたしだって心くらいあるのに…そんなにみんなしていじめなくてもいいじゃないの…
それに、実の弟に恋しちゃいけないなんていう法律はないはず!たとえあったとしても、国家を作り変えてしまえばなんら問題はない!!
そう!ブラコンが正義という素晴らしい国家にしてしまえば!!
「なんだか果穂さんがロクでもないことを考えている気がするんだけど……」
「私もです……」
「ちょっとそこの二人!ロクでもないって何よ!」
まったく、失礼しちゃうわね!
弟との幸せ生活について考えることのどこがロクでもないのかしら?わたしには理解できないわね。
「あぁ、でもよかった。カイト様がご無事で……教えてくれてありがとう姉さん」
フィーの一言に、みんなうなずくように首を縦に振った。無論、わたしも例外ではない。
今日も海斗は私たちの愛の巣で子供と戯れているけれど、もしかしたらその日常は昨日で終わっていたかもしれない。
……子供たちが来たのはつい先日だから、あれを日常と言ったら語弊があるかもしれないけど、わたしたちからしたら些細な違いである。
もし昨日、エレメントなどという不逞な輩に海斗が殺されていたのなら、昨日の夜だけでなく、永遠に海斗は私の前に姿を現さなくなっていたのだ。
海斗が……私の前から消える?そんなのは嫌だ!もしそんなことになってしまえば……私は今度こそ正気ではいられなくなってしまう。
「ちょ、果穂さん!?しっかりしてください!」
「はっ!?ご、ごめんなさいね優奈ちゃん……」
どうやら考え込みすぎて呼吸が止まっていたみたい。危なかったわ…
「何を想像したかは大体把握できるが、あまり考えないほうが良いのじゃ」
「……思いつめるのは、体に毒…」
「そうね、ありがとうムラマサちゃん、美琴ちゃん…」
「これくらいどうってことないのじゃ」
「……ん」
そうよね、海斗は無事なんだもの。今はそれで十分、無い事を考えてもしょうがないわ。
今考えるべきことは……
「ありがとうねソラリスちゃん、とっても助かったわ。それじゃあわたしたちはそろそろ行かないといけないところがあるから」
「行くところ…ですか?」
「ええ。そうよね、みんな?」
後ろに振り返り、みんなの目を見渡す。
目を合わせるたびに、各々がうなずき、親指を上に立て、胸の前で握り拳を作った。
どうやら私たちの考えは、とことん似ているようだ。
「すべては、海斗のために。行くわよ、みんな!」
「はい!」
「うむ!」
「……ヤー」
「ええ!」
「うん!」
決意を込めた返事を互いに交わし、わたしたちはギルドをあとにした。
もうわたしたちを止められるものは、あんまりない!
◆◆◆◆◆◆
「おーいみんなー、そろそろお屋敷に帰るよー!」
『『『『『はーい!!』』』』』
一日中子供たちと遊びまくり、あたりはすっかり夕陽のオレンジに染められていた。
夏の終わりを告げる涼しい風が、汗で滲んだ首筋を撫でていき、少しばかりの寒さを感じさせた。
子供たちを引き連れ、緑のトンネルを抜けるとお屋敷の入り口扉が右斜めの位置に見えた。
昔、自分の家に遊園地があったらなぁ、と考えたことがあったけど……まさか今年十七歳という若さでそれが実現するとは思わなかったなぁ…
「そういえば、フィーたちは朝早くからどこかへ出かけていったっけ」
『うん、ママたちみんなでどっかに行っちゃったの…』
隣を歩く少女から少し寂しげな声が漏れた。
まぁフィーたちのことだから、特に問題はないだろうけど、こうやって離れるとやっぱり寂しいものなんだな。
まだ会って3日目だというのに、ここまで懐かれるというのは、なかなか不思議なもんだ。でも、姉さんたちにもこんな感情を抱いているってことは『愛され体質』は関係ないかもしれない。
だったら、僕としても嬉しいんだけどなぁ。
「ただいまー!」
とりあえずこのことは一旦後回しにしよう。
そう思った僕は、屋敷の扉を勢いよく開け放つ。
瞬間、パンッという破裂音。あたりに充満する火薬の匂い。
「「「「「「「「「「「カイト(様)、エレメント討伐おめでとう(ございます)!!」」」」」」」」」」」
体中に紙吹雪を被ったまま、ポカンとしてしまう。
え、なんでみんながそのこと知ってるの?いつものメンバーだけじゃなくて、ロロやサーシャ、ダドリーまでいるし。
してやったりというような顔で、ニヤニヤと僕の様子を見てくる小悪魔たち。その手には、役目を終えて口から硝煙を吐き出すクラッカーが握られていた。
「驚いたか主!これが『さぷらいず』というやつじゃ!!」
「え、いやまぁ…驚いてはいるけど…」
「なんだよその反応。もっとお前らしく、暴れるなり急にキョドるなりしろよ」
「孝は僕にいったいどんなものを求めているんだよ…」
って今はそんなことを言ってる場合じゃないや。
「なんでみんな、昨日のことを……」
「それは、わたしのほうから説明するわ」
クラッカー軍団の中から、姉さんが僕の前に出てきた。いつもの飄々(ひょうひょう)とした雰囲気はなく、まじめ一貫とした顔つきだった。
淡々と語る姉さん曰く、どうやら昨日のことはソラリスから直接聞いたらしい。
事情も知らずに襲い掛かったことに罪悪感を感じたらしく、言葉の端々で姉さんは謝罪の言葉を入れてきた。
別に昨夜のことはそこまで気にはしていないんだけどなぁ、と思いつつ姉さんの謝罪を何度もやんわりと返した。
「それで、せめてもの償いにと思って、こうやって生還パーティーを開いてみたんだけど……」
「なるほどね、そういうことだったんだ」
その言葉を聞いて、僕はガラにもなく目頭が熱くなるのを感じた。
目から零れる雫を誤魔化したかった僕は、パーティー会場であるダイニングへと一人走りこんだ。
「うわぁ……これはすごいや…」
目の前に広がるのは、ケーキやら鳥の丸焼きやら、さながらどこかの宮廷に出てきそうなごちそうの山。
どれも美味しそうで、思わず涎が口元から垂れそうになるのを裾で抑える。
『わぁーすごーい!!』
『おいしそうだね♪』
僕のあとに続くように、子供たちもどんどん部屋に入ってきて、みんながみんな歓喜の声を上げた。
きっと今の僕は、この子たちみたいに目を輝かせているんだろうな。
そう考えると、自然と笑みが生まれた。嬉しくてしょうがないったらないよ。
「さぁカイト、宴の始まりだぞ!ボクだって手伝ったんだからな。味わって食えよ!!」
他のみんなもいつの間にか入室し、手元のグラスを握っていた。他の子も同様に自分のコップを持って、今か今かと期待のまなざしを向けてきていた。
そしてロロの手にはオレンジジュースの入った二つのグラスが握られている。
結露して濡れたグラスは、照明に反射して、まるで人の流す嬉し涙のようだった。
僕は片方のグラスをロロから受け取り、ゆっくりと自分の胸の前に持っていく。
まわりを見渡し、僕は目を瞑って今の想いをグラスに込める。
……この世界にきてまだ2ヶ月も経っていないけれど、この時間は僕にとってかけがえのないものになった。
いろいろあって、こんなにたくさんの家族ができちゃって、僕は幸せに溺れそうな感覚に何度も陥った。
そんな溺れるほどの膨大な幸せを、僕はこのグラスに込める……
「それじゃあみんな、今日は本当にありがとう!乾杯っ!!」
乾杯、という言葉が部屋じゅうに響き渡り、僕らの長い夜が始まった。
やっぱり、平和って大事だね♪
これにて第二章は完結です。ここまで読んでくださった読者の皆様、本当にありがとうございました!時たま来る励ましの言葉は、作者の動力源へと変換されました!
第三章では、前々からやってみたかったアレに挑戦してみようと思っています。ぜひ読んでいただければと思っています。
感想・評価、第二章完結の祝杯をあげつつ待ってます♪




