25、死を予感しました
森を抜け、城下町に入ったころには、すでに霧は晴れ、のどかな午後の喧騒があたりから聞こえてくる。
ギルドへ向かう道すがら、調査中に見つけた昏睡者の方たちのところへ様子を見に行った。みんな無事に意識を取り戻したらしく、若干ボーッとしつつも、僕の声にはしっかり反応してくれた。
聞いたところによると、眠る直前の記憶はほとんどなく、気づいたら道端で眠っていたという。
目立った外傷もないあたり、特にこれといった問題はなさそうだ。
そう決断した僕は、寄り道もほどほどにし、まっすぐギルドに向かうことにした。
◆◆◆◆◆◆
「ぬぅ~、どうしたらいいものか」
「さすがにこれはのぅ…」
ようやく戦士ギルド本部までたどり着いた僕らは、なかなかギルドの中に入れずにいた。
いつもなら遠慮なしに入っていくことができるんだけど、今は足が地面に根を張ったみたいに動かない。
目の前のギルドはいつもどおり………ではなかった。
テラスに設置されたテーブルはひっくり返り、あちこちにの窓が割れ、壁なんてところどころ穴が空いてる。しかも道には何人か見覚えのある人たちが倒れている。
そしてギルドの中から聞こえてくる老若男女さまざまな叫び声。
「…嫌な予感しかしないのは僕だけだろうか」
「大丈夫じゃ主、わしも足がすくんで動かぬ。わしの目には、恐ろしいほど濃い負のオーラに包まれたギルドが映っておる…」
「やっぱり?」
どうしよう、今すぐこの場から戦線離脱したい。それこそ脱兎のごとく、我が家に滑り込んで、子供たちと夕食を共にしたい気分だよ。
あ、でもそれはそれでまた『あ~ん地獄』が待ってるだろうし。
あれ、選択肢がこれ以外思いつかないんだけど?僕の自由と安息が得られる最良の選択肢が、微塵も見つけられないんだけど?
「主よ、泣きながら独り言をささやく姿はさすがに怖いのじゃ…」
「ごめんムラマサ。でも、なぜか知らないけど、目から涙が溢れて止まらないんだよね」
これが、人間の神秘ってやつだろうか。拭いても拭いても目から塩水が出てきて止まらないや。
こんな究極なのか極小なのかよくわからない選択肢に、葛藤する日が来るだなんて、思いもしなかったよ。
目の前のギルドを見つめながら、僕はハァっとため息を吐いた。
そろそろ覚悟を決めなくちゃ。
ぐっと手を握り締め、僕は力強く、一歩を踏み出す。
『がああああああぁぁ!?』
僕の横を、アンアンメイルで固めた男が吹っ飛んでいく。発射地点はギルド、正面扉。
今度はさらに力強い一歩を、後ろに踏み出す僕。
「主…気持ちはわかるが、もう後戻りはできぬのじゃ……」
ポンと僕の肩を叩いたムラマサは、眼に大粒の涙を蓄えていた。その水滴は、細かく震え、今にも重力の力に身を任せて流れ落ちそうだ。
「嫌だ…僕まだ死にたくない…」
必死に搾り出した声は、情けないほど震えてしまっていた。
だって今、人が飛んできたんだよ!ギルドから!僕の目の前の扉から!ものすごい勢いでっ!!
もう嫌だ……これなら子供たちと、ちょっと疲れる夕食を楽しんだほうが絶対にマシだ!
でも踵を返そうとしても、僕の右肩を掴むムラマサのせいで、まったく逃げられない。
僕に行けと?目の前の、地獄にでも繋がってるんじゃないかってほどの叫び声が反響している、この建物で逝けと?
あはは…冗談じゃないよ…
「せーの……」
嫌だ、僕はまだ生きたい!まだ魔王も倒してないし、趣味に没頭し続ける毎日も手に入れてないのに!
ああでも、ソラリスやギルドのみんなの無事は確認しておきたいし…
ああいやでも―――
「そいやーっ、なのじゃ!!」
「え?ちょ、うわあああああああ!?」
背中から強い衝撃が走り、その刹那、僕の体は地面に水平な角度で飛んだ。
跳んだ?いいえ、飛んだが正解です。
もはや体の自由は利かず、ただ力の余波に流されながら、僕は空中を舞っている。
……死の直前って目の前の光景がスローモーションになるって聞いたことがあるけど、あれって本当だったんだ。ものすごい速さで飛んでるはずなのに、目の前の扉はゆっくりと僕に近づいてきてるんだよ。
(よいしょっと、ふぅ。さて、この世への未練はなくなったかい?)
脳の奥深くに封印したはずの妖精さんが、思考の淵から這い出てきただと!?こやつ、なかなかしぶとい!
それにしても今日の妖精さんは、また陳腐な質問をしてきたね。
ふふっ、まったく……そんなの、答えは決まってるじゃないか。
「大ありだああああああああああああ!?」
絶叫とともに、僕はギルドの扉を破壊した。
といっても、扉はすでに半壊していたので、どちらかというと、とどめをさしたと言ったほうが正しいだろうか。
「あぶっ」
顔から床に着地し、しばらく滑ったのちにようやく停止した。顔が焼けるように痛いよぅ…
吹っ飛ばされたときの衝撃や、さっきの扉や滑り込みの件で痛む体を無理矢理に動かし、なんとか顔を上げる。
目の前には、凄惨たる情景が浮かび上がっていた。
「いいかげん離してください!私は…私は今すぐカイト様のもとへ行かねばならないんです!!」
『ソラリス嬢、頼むから落ち着いてくれ!カイトのことだ、絶対に戻ってくる!』
『そうです!なんてたってカイト君はzランカーなんですから!エレメントくらい、楽勝で倒してきてくれますって!』
『みんなの言うとおりだ。ここは一旦落ち着いて待つのが最良の選択肢だ』
ボロボロの給仕服を身に纏い、必死の形相で暴れるソラリス。そしてそれを全力で宥めるギルドのみんな。
あたりには倒れ付した者たちで埋まり、足の踏み場もなくなってしまっている。
ひどくはないけれど、ところどころ傷も負っており、中には泡を噴いて意識を失っている人たちまでいる始末だ。
これは、さすがにひどい…
正直関わりたくないけれど、どうやらこの騒ぎの原因は僕にもあるみたいだ。
叫ぶソラリスやギルドのみんなの言葉には、ところどころ僕の名前が含まれてるし。
何より、ギルドの隅から聞こえてくる『カイト…早く戻ってきてくれ…』という呪詛のような声が、何よりの証拠だよ。
「冷静に考えたら、エレメントと戦うことなんて無謀でしかないんです。なのに、私はそんな死地にカイト様を送ってしまったんです!もし…カイト様の身に何かあったらと考えると…私は……私は…」
ぶつぶつと何かをつぶやくソラリスは、とても悔しそうに唇を噛み締めていた。食い込んだ歯の先からは、赤い血が流れ出ている。
そんな血が出るほど思いつめるなんて、いったいどうしたんだろう。
「お願いです…もうこれ以上わたしを……苦しめないで!!」
『ぐはっ?』
『どうふっ!』
ソラリスの怒声が聞こえたと思った瞬間、僕の頭上を二人の人間が飛んでいった。
どしゃりと僕のちょっと後ろで不時着した二人は、白目を剥いてそのまま気絶してしまった。
まさか……今のはソラリスがやったっていうの?じゃあそこらじゅうに転がってるみんなも、ソラリスが?
間違いであってほしいという僕の願いも空しく、視線の先のソラリスは両腕を天に向けて掲げ、怒りの表情をあらわにしていた。
自分が原因なんだろうけど……どうしよう。本能が「全力でエスケープ!!」って叫びまくって大変なんだけど。
『頼む……頼むから落ち着いてく――――ん?カイト……そこにいるのはカイトなのか!?』
『え、カイト君!?』
ソラリスを押さえつけていたメンバーの内から、巨漢の男と魔法帽を被った女性がこちらに気づき、走り寄ってきた。
その二人の表情には鬼気迫るものがあった。それはまるで、最後の希望を見つけた勇者のような……
『カイト!話はあとだ!ちょっとこっちに来てくれ!』
『もう君でしか抑えられないんだよ!』
「え、ちょ、ええっ?」
僕の有無を待たずに、僕の体は巨漢の男によって軽々と持ち上げられてしまった。
そしてそのまま、騒ぎの中心である人の群れの中に、単身で特攻していった。
特攻の際に吹っ飛ばされた人たちが、ものすごく痛そうで見てられません……
『ほ、ほらソラリス!カイトはちゃんと帰ってきたぞ!!』
捕まえた野良猫のごとく、両脇から抱えられた僕はソラリスの前に差し出された。
目の前の少女は怒気を孕んだまま「え?」と真顔で漏らした。
どうしよう、結構怖いです。
地面につかず空中を歩く足が、余計に僕の不安を煽った。
「カイト…様…?ほ、本物…?」
『そうですよソラリスちゃん。正真正銘、我がギルドのアイドルにして最強の戦士。勇者カイト君ですよ!』
『腕輪のギルドカード……ふむ、確かにこれは我らのアイドル……もとい、勇者のものだな』
先ほどの魔法使いさんと、白衣にメガネの男が僕の存在を肯定した。
って、アイドルってなんの話さ!僕はいつからこのギルドのアイドルポジションになってるのさ!?
これはあとでみんなと『お話』しなくちゃいけないみたいだ。
……ん?
「あの、ソラリスさん?大丈夫、ですか?」
急に無言になり俯いてしまったソラリスに、僕はありきたりなセリフを投げかけた。
表情は髪に隠れてしまって見えないけど、体は小刻みに震え、床に水滴がポタポタと落ちている。
……どうやら、相当心配を掛けてしまったみたいだ。
ちょっと罪悪感に苛まれつつも、僕はソラリスに掛ける言葉を探し、ようやくひとつの答えにたどり着いた。
コホンとひとつ咳払い。
「ただいま、ソラリスさん♪」
他愛もない、無事を知らせる挨拶。
こんな簡単な言葉しか見つからなかったけど、これが正解だと、なぜか確信できた。
自然と顔も綻び、今の僕は普段以上に幸せそうな顔をしてるんだろうな。
そんな事を思っていると、お腹に強烈なダイレクトアタックが!?
まるで高速で飛んできた鉄球を、全裸の状態で食らったような衝撃を受け、僕の体は吹き飛んだ。
痛むお腹に意識が飛びそうになりつつ、視線を移す。僕を担いでいた鎧の男は、見た目からは信じられない速さでギルドの隅に避難していた。
あいつ、最後の最後で自分だけ逃れただと!?
支えがなくなり正面から強い力が加われば、当然のように床に倒れこむわけで。
結局、ソラリスが僕に覆いかぶさるようにして、硬い床に倒れこんだ。本日二度目の床の感触は、相変わらず硬くて痛かった…
「ガイド様~無事でよがっだでず~」
涙と鼻水と涎で顔をぐしゃぐしゃにしながら、僕の服の中で泣き叫ぶソラリス。
そんなに僕のことを心配してくれていたのだろうか。
そう思うとなんだか素直に嬉しかった。
泣くほど僕の身を案じてくれなくてもいいけど、いつもあまり心配をされない僕からすれば、心配されるというのはとても心地よいものだった。
「ごめんなさいソラリスさん。心配してくれてありがとうございますね」
子供をあやすように、泣きじゃくるソラリスの頭をそっと撫でる。サラサラの髪の毛が僕の指の間をくすぐった。
撫でる度、体の震えが収まっていき、僕の服を掴む力も弱くなっていく。やがて嗚咽が消え入り、しばらくすると穏やかな息遣いへと変わっていた。
「すぅ…すぅ…」
「あはは……眠っちゃいましたか」
僕のお腹に頬を乗せて眠るソラリスは、先ほどまでの悲愴な表情から一変、とても幸せそうな寝顔をしている。
どうやらソラリスから大きな不安の塊を取り除くことができたみたいだ。
そして、僕もこの地獄を生き延びることができたみたいだ。
よかった……二重の意味でよかった…
「おー主よー無事じゃったかー」
後ろから恐ろしいほど棒読みの声が聞こえ、振り返る。僕の目に、ムラマサが上下が逆転したように写った。
僕は息を大きく吸い、口の中を軽く濡らし、そして一気に息を吐いた。
「この裏切り者!!」と叫びながら。
◆◆◆◆◆◆
「それで、いったいどういうことなの?」
倒れていた何人かを介抱し、空き部屋に連れてきた僕は、事の詳細を聞きだしていた。
目の前には、さまざまな格好をした男が5人。その中心にはあの白衣にメガネというナイスマッチな男もいる。
ちなみにソラリスは、復活した女性陣が寝室に運んでいったのでまったく問題ない。
座った状態で手を組みながら待っていると、白衣さんが口火を切った。
『……私たちが目を覚ますと、あたりはひどい有り様だった。窓はいくつも割れ、カウンターは荒れ、果てには床に大穴まで開いていた』
その床の穴は今朝方ムラマサが作成したものです、とは口が裂けても言えなかった。
「主~、これはもしやお主の趣味なのか~?結構痛いからわしはできぬかもなのじゃが~」
「うるさいよムラマサ。そこでしっかりと反省してなさい!」
「ふぇ~後生なのじゃ~」
また床に転がるムラマサの体は、今朝と同じように荒縄でキッチリと縛られていた。ええ、先ほどのしかえしですとも。
ムラマサは僕に特殊性癖の疑いを掛けてるけど、お生憎様、僕にはそういう趣味はない。むしろ縛られている人を見ると、心が折れそうになる。
え、じゃあなんでムラマサは縛ってるのかって?
これは性癖云々ではなく、ただのお仕置きだからだよ。
「あ…でもなんだか気持ちよくなってきたのじゃ…あ…あぁ…縄が体に食い込んで……」
『あの、お連れの方が…』
「大丈夫です。ただの演技ですから」
「なんでわかったのじゃ主。ひどいのじゃ主!少しくらいは助けたいって思うじゃろ主!?」
ふざけるムラマサは軽くスルーすることにした。
顔中冷や汗をかきながら、歪な笑いを浮かべられれば、嫌でも演技だってわかるよ。
まぁ、でも……少しくらいは緩めてもいいかな?
『あの、続けてもいいか?』
ムラマサの縄を緩めていると、白衣さんが気まずそうに声を掛けてきた。
僕らのやり取りがそんなに見るに耐えない状況だったのだろうか。片手で額を覆い、盛大にため息をついていた。
唇を尖らせて器用に迫ってくるムラマサを制しつつ、僕は「お願いします」とだけ告げた。
『それでは、続きを話すとしよう』
身だしなみを軽く整え、白衣さんは事件の真相を語り始めた。
なんかキリの悪いところで終わってしまいました…
次回はちょっとこの続きを書く事になりそうです。
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